132話、呉越同舟
翌朝。起床したキキが初めに焚き火へ歩んでいく。まだ夜は明けたばかりだった。ジェイクは足元から川に入っており、アンナは……その姿が見えない。
「ジェイク君、おはよう」
「おはようございまぁす――シャっ!」
ジェイクは挨拶を返しながらも川の中を睨む。直後に熊のように腕を振って魚を陸へと打ち上げた。
「……あ、アンナさんはどこ?」
「限界がきたみたいだったから馬車の屋根を借りて眠らせた」
「全然気が付かなかった……」
馬車の屋根ではジェイクの上着を被って眠るアンナがいる。
「キキさんは魚の処理とかできるか?」
「もちろん。早速手伝うわ」
「そうしてく――シャっ!」
「お、お見事! これは急いだ方が良さそうだ……!」
次々と熊の手捌きで川魚を打ち上げるジェイク。朝食は文句なしの栄養を摂取できるだろう。包丁を取りに戻ったキキは魚の鱗と内臓を取る作業に取りかかった。
「おふぁよう……僕も手伝うよ」
「先に顔を洗ってきな」
眠たげな目を擦りながら起きてきたマイケルと、夫婦共に朝食の準備にかかる。メニューは昨夜の残りと塩を塗した焼き魚。
起きてきた子供達とアンナが集まり直ぐに朝食となる。ジェイクは大した疲労も見せず、食後すぐに昇る朝日を見ながらの出発となった。
「そう言えば二人はどうしてチューベルに?」
「病人を聖国へ運ぶ仕事をさせてもらおうと思ってな。無くならない仕事だし王国にも貢献できる」
「それは立派なことだ。それじゃあ子供達がお世話になるかもしれないね」
「そう願いたい」
御者席で会話するのは男二人だ。
緩やかに進んでいく馬車は山道を越えて人里へ。右手に広がる葡萄畑を眺めながら眠気を引きずり、到着を待つ。
「はあ……睨みつけたらそいつの手をザリガニみたいにできる能力が欲しい」
「君はすごい発想をするね……」
「キッ――!」
「僕の手をザリガニにしようとしないでくれない……?」
道中は食事中と同じく騒がしく飽きずにいられた。まるでジェイクに引き寄せられるような感覚だった。
だが問題は突然発生する。それはチューベル到達時に起こる。
「……了解だ。では森の中にある一時預かり所を目指してくれ」
「森っ? ま、街に泊まってはいけないのですか? きちんとした宿で休ませてあげたいのですが……」
街を見回っていた騎士らしき男へ声をかけて事情を説明すると、慣れた様子で聖国への出向許可証を求められて提示したまでは良かった。
段取りも良く安心していたのだが、突然に森へ向かえと言われてしまう。
印象としては、隔離と言うのが的確な対応だった。
「そういう決まりだ。対象者は一時預かり所で生活。他の者は途中にある山荘で生活してもらう」
「……俺達も?」
「一緒だったなら暫くは山荘で生活してもらう。食糧などは運ばれるから安心しなさい」
「他人に感染る病じゃないんですよ?」
「決まりなんだ。不満はわかるが受け入れてもらう」
「……俺がこの街に来たのは病人を聖国へ移送する仕事を手伝いたくてきたんです。その話はできませんか?」
言葉を失くすマイケルに代わってジェイクが訊ねる。対応する騎士は二人。ジェイクは手持ち無沙汰にするもう一人を何気なく見ながら返答を待った。
「それは助かる……ただ……いや助かるな。上に話を通しておく。とりあえずはやはり山荘に向かってくれ」
「すみませんが、もう一つだけ」
人差し指をサッと翳して、断られるより早く質問する。
「二人が移送されるのはいつ頃になりそうですか?」
「分からない」
「分からない……? これには決まりはないんですか?」
「移送する準備ができた時に症状が重い者を五名から八名ずつ聖国へ送っている……としか今は言えない」
「……マイケルさんからは何かあるか?」
振られたマイケルは慌てて聞くべき問いが残されていないか考える。
「あのっ……一時預かり所に私達が泊まることは……」
「それは可能だったはずだ。衛生兵も常に待機しているから聞いてみるといい」
「良かった……!」
騎士の指示通りに動くしか選択肢はなかった。
街に入る事すらなく、指示された方角へ向かう。大きくチューベルの街を迂回して南側へ。
大きな看板があると教えられた通り、一時待機所とこれ見よがしに立てられた物を見つける。
「これだね。分かりやすくて助かる」
「……」
色づいた葉も枯れ落ちた森を行く。茶色が視界を染める森林もまた趣きがあり、マイケルは景色に目を奪われていた。分厚く背の高い木は馴染みがなく、顔を上げて根から天辺までを眺める。
「あんたらは一時待機所に泊まるのか?」
「そうしようと思う。聖国へ送るならともかく、二人をそこに預けても心配なだけだ」
「それがいい……なんか妙だからな」
「……?」
言葉終わりに発せられたジェイクの呟きはマイケルには聞き取れなかった。
マイケルはこの時すでに、到着した安心で胸が躍っていたからだ。これで二人は完治するものと疑っていない。
「あれが山荘か。俺達は関係者でもないし、ここで宿泊する」
「馬はどうしようか……」
「そのまま持っていきな。ただ後から借りに行くかもしれない。それより余った食材を分けてもらえないか?」
「実は返したら困り果てるところだったんだ。ありがとう。食材ならいくらでも持っていって……キキ! ジェイク君達に食材を分けてあげてくれ!」
「ま、暇だからな。様子でも見に行くよ」
「二人が喜ぶ。そうしてくれるかい」
いくつかの山荘が、右に分かれた道の先に見える。ジェイクは走行中の馬車から飛び降り、その気配を察してアンナも続く。
「またね。二人とも」
「またね! アンナお姉ちゃん!」
いつの間に懐いたのかと驚くジェイクを置いて手を振って別れる。馬車の後方から覗く笑顔は思わず頬が緩んだ。
だからこそジェイクは観察した情報を元に頭を働かせる。
「いい子達ね。早く治ってほしいわ」
「……今のところ、おかしな事だらけだけどな」
「どういう意味……?」
馬車の姿が森に消えるまで見送ったオリヴィアにジェイクは言う。山荘へと歩み出して、細部を辿って生まれた疑念について説明した。
「騎士の指示はおかしい。一時待機所はまだ分かる。ある程度の人数が揃ってから、ガキ共を送る方が手間が省ける。けど五名から八名ってなんだ。小分けにする意味が分からん」
「それもそうね……お金の関係とかかしら」
「あり得る話だけどな。だけど金が足りないなら、まず子供をここに呼ばないだろ」
「……ならどうして」
「正直に言って分からない。一時待機所や山荘なんて作るくらいだから騎士達は病の感染に怯えてる。回数は少ない方がいいはずなのに……」
移送する準備という騎士の言葉にも違和感を感じていた。ただ子供を連れて二キロ南に向かうだけだ。準備もなにもない。
「この方針を定めた猿はお前の叔父か領主かな? ただの馬鹿ならまだいいんだけど……悪意があるなら真相を突き止めたいな」
「そうね。あの二人の為にも。頑張ってね」
「単独捜査!?」
この時、聞くも悍ましい邪悪な魔の手が、アルフレッドとトリスに迫っていた。
♤
山荘に辿り着くと、マイケル達と同じ立場らしい親がちらほら見える。仕事などはどうしているのか、このままチューベルで暮らすつもりなのかは分からない。聞くつもりもない。
「こんにちは」
「お前さんは……病人には見えないな。聖国へ向かう待機者の家族か?」
「馬車に同乗したから暫くここで暮らすように言われたんです」
「そうかい。そりゃ災難だな……律儀に守らなくても逃げればいいんじゃないか? 真面目だな、お前。俺なんて規則を守った試しがない。悪さばかりして喧嘩が趣味だったよ」
「初めからチューベルに用があったんで仕方ないっす」
髭モジャモジャな山男が薪を割っていたので会話を試みる。良く言えば親しみ易く、悪く言えば痛々しく鬱陶しい会話に疲れる男だった。
「そうかそうか。それより後ろの嬢ちゃんはえらい別嬪だな。姉か? 結婚はしてんのかい」
「俺らは付き合ってるっす。それより空いてる山荘ってどこですか?」
「……あそこもここもどこだって空いてるよ」
「あからさまに態度を変えてご苦労さん。あばよ」
オリヴィアをジロジロと品定めしていた山男から離れていく。
男の家から一番遠い山荘を選んで中に入った。鍵などはない。よく見れば玄関に『空き家』と書かれた板がかけられているだけだ。手に取って裏を見れば『居住中』の文字が。『空き家』のままにしてみる。
「なんでなのよ。分からない人ね……」
山男に不快感を露わにしていたオリヴィアも気を取り直したようだ。板を裏返して俺に続いて中へ踏み込んだ。
「次の移送まで時間があるならマイケルに馬を借りて近くの街を回りたい。お前は二人についていてやってくれ。もう鋼器があるから大丈夫だろうが、さっきの男には用心しろよ」
「そうね。あまり隙を見せるべきではなさそう」
「外に人がいない時間を狙ってくれ。あと騎士とか衛生兵もお前を知ってる可能性がある。忍んで会うようにな」
「ええ、そうするわ。決して油断はしないから安心して」
まったく安心はできない。本当なら山荘に入る段階から姿を隠しておきたかった。馬車を降りた段階から山男に気づかれていなければそうしていただろう。
「ちょうど昼くらいだな」
「食材はどうするのかしら。少しはあるようだけれど……また聞いてみる?」
「きっと朝にまとめて配られる。ここにはできるだけ来たくないだろうし、夜の森も危険だ」
「えっ? ……あっ。それでキキさんから食材をもらっていたのね!」
「……っ!?」
背後で手を叩いて歓喜するオリヴィア。俺は拍手の音で心臓が跳ね上がり体も跳ね上がる。はしゃぐ小娘にしてやられてしまう。
「……その通りよぉ!」
「凄いわ! やっぱりジェイク様はなんでもお見通しなのね!」
「おう。見えないのは弟の機嫌と女の性癖だけ」
バクバクする心臓を悟られまいと、腰に手を当てて胸を張る。陽気になったオリヴィアに抱きつかれながら心臓を落ち着ける。
「ねえ! やっと二人きりになれたわよ!」
「世の中には俺を好きすぎるやつで溢れてやがる……。お前もその口か?」
「どうかしら? 愛というものはもらった分は返さなければならないのよ。あなたは私に返してくれているの?」
「命を助けて貞操を助けて脱走させてやって、ラーメンまで食わせてやったのにまだ求めるか。食いしん坊だな。愛も蓄えすぎたら太るぞ?」
「……!」
腹を掴んだら頭を叩かれた。贅肉なんてなくて皮を摘んだだけなのに。
「……それでなにから始めましょうか」
「軽く中を見て回ってから昼飯だな。今から行動はできない。今日はゆっくりするか」
「じゃあ……ね?」
「……分かったよ。我慢したもんな」
首輪を見せて可愛くおねだりされてしまう。俺と別れたあとが不安になるが、もう慣れたもの。首輪を細い首に巻いて紐を引っ張る。
「っ……」
「よいしょっと」
犬のように連れ歩かれる気品高い金髪王女。俺は椅子に座るなり、先ほどの騎士の違和感について話す。
「さっきの騎士の装備が王国の水準と合ってないんだよなぁ……。品質がなかなかに良かったのが気になった」
上司らしき会話をした騎士はもちろん、暇を持て余していた若手の騎士でさえ剣やブーツが高品質だった。チューベルの街は決して発展しているとは言えない。満足な給金が払われているとは思えなかった。
「前の街とか、他の街の騎士は相応に見えたんだけどな。チューベルの騎士には、病人移送の手間とかで特別に臨時給金でも支払われてんのかな」
「とりあえず私は、火を付けましょうか……?」
「うむ。それと明日、一時預かり所に行くならマイケルかキキに確認させてくれ。前に移送された日とその前、その前も」
服従する愉悦に酔うオリヴィアが、俺の足元に座り込んで薪に着火し始める。
「……」
暖炉に火を付け終わるとすかさず、太腿に頭を乗せて上目遣いで俺を見上げてくる。
思考を邪魔されても困るので、愛犬にするように頭を撫でる。なお犬を飼ったことはない。毛がいっぱい抜けるから。
「……うふふっ」
「椅子に座ればいいじゃん。どうせ夜にも甘えてくるんだろ?」
「ええ。同じベッドに決まっているでしょう?」
「あの小さいベッドに二人っ? 呉越同舟ってレベルじゃないぞ……」
徹夜をしたので早く寝たいが箱詰めされた明太子状態で寝なければならないようだ。
薪を足して火を強めながらリュックの食材を確認。夜の分も合わせて献立を考える。
「臨時給金の話なのだけれど……叔父が余分なお金を払うとは思えないわ。それどころか叔父が王位に就いてからというものの、国全体で騎士の給金を半分にしたくらいよ。戦争にお金を充てるためにね」
「元がどのくらいか知らないけど給料半分にされて揃えられる装備じゃないだろうな……」
「……聖国への治療費も十分に支給されていないものと思っていたのだけれど、あの叔父にも僅かな人間らしさが残っているようね」
「……」
五名から八名。移送準備。
もしかしたら現国王が聖国への治療費を節約しているのが原因なのだろうか。だがそれではチューベルの騎士がいい装備をしている理由が分からない。
「……ここの領主はどこにいるか分かるか?」
リュックから取り出した地図を手にテーブルへ行って広げる。立ち上がって歩み寄ったオリヴィアはすぐに隣町を指差した。
「このレトンメーテルという町よ。以前と変わっていなければライアン・ピット伯爵が治めていると思うわ」
「明日行ってみる。街の見どころは?」
「観光に行くのではないのよ……? でも息抜きにいいのかしら。だとしたら……たしか人類王様がお造りになられた浴場があるはずよ。当時からこの辺りは争いが絶えなかったから、人々に癒しをと仰られたと聞くわ」
「……」
忘却の彼方にあった記憶が蘇る。海からの侵略者を倒した帰りだったと思う。海風と汗でべとべとした体が我慢できなくて源泉が湧き出ているという川に立ち寄った。
だが部下等は俺が裸でそこらの川に入ることを許さない。だから大衆浴場を作ってはどうかと王国に提案したのだった。半日で急遽作った温泉で汗を流してそれきりだったから忘れていた。
「なんにしても明日だ。王国脱出までは慎重にいきたいけど、ガキが関わっている以上はな。しつこく言うけど、オリヴィアは基本的に他人には会わないように」
「ええ。分かったわ」
「今日はゆっくりしよう。俺も少し仮眠したいし早く飯を作ろうぜ」
「料理はしたことがないから仮眠だけ手伝うわね」
「……仮眠を手伝うってなにっ? 俺の睡眠になにをするつもり?」
飯はソーセージを焼いてピクルスやチーズと食べるだけの簡単な昼食となる。
それからすぐに俺は寝室へ。
「……」
「……」
本当に潜り込んで抱き枕にされる。こいつは昨夜にグッスリ寝たはずなのに。




