第036話 叫声~助けを呼ぶ声~
僕は路地の陰に隠れて何も出来なかった。
固まってしまうぐらいにセレナさんが娼婦をしていたことは僕にとって衝撃だった。
別に娼婦というものに強い忌避感があったわけではない。
シルバ父さんから話を聞いたことがあった。
様々な理由で肉体労働を負うものがいる。
その一つだ。
王都にもそういった店が集まる一角があると聞いた。
戦争の際、軍に召集されることがあるとも聞いた。
様々な事情で成り立っているものだと聞いた。
ただ、シルバ父さんから聞いた話とセレナさんが上手く結びつかなかったのだ。
あの優しいシスターのセレナさんが、まさかそんなことをしているとは思わなかった。
「……、……で……らだ」
「……い。……。……です」
「……なら……。……、……っだ」
「……す。……した。……」
「……、早……!」
「!?そん……!」
頭の中が混乱でぐるぐるしている間もセレナさんと男の会話は進んでいく。
会話の内容は値段の交渉だろうか。
「ねえ、先生。助けた方がいいのかな?」
『……』
先生は何も言わない。
当然だ。わかっている。
いったい誰が、誰を助けるというのか。
セレナさんは自分から話しかけに行って、今はその交渉をしているだけだ。
誰も困ってない。
「いやっ!やめてください!」
「そっちが声掛けてきたんだろうがっ!ふざけんなっ!?」
助けを呼ぶ声が聞こえた。
「そんなつもりじゃ、いやっ!誰か!」
「はっ、どうせ誰も来なガッ!?!」
気が付いた時は水圧弾を敵の頭部に炸裂させていた。
僕は潜んでいた陰から飛び出ると、訳も分からず腕を振り回しているセレナさん元に駆け寄り、その手を引いて走りだそうとした。
しかし、その手を彼女から強く引かれる。
「あ、あなたは誰なのですかっ?」
セレナさんの柔らかい手は震えていた。
こちらを伺うその瞳は涙に濡れていた。
僕はその手を優しく、でも先より強く握る。
「――リキッドです。あなたを助けにきました」
「~~~っ!」
僕の顔を見て、その言葉を聞いて、セレナさんの両目から涙が溢れ出した。
僕は慌ててその場から離れるために彼女を背を負おうとした。
しかし、
「勝手にどこ行こうとしてんだア!こンのガキがァ!」
「ッ!」
袈裟懸けに振り下ろされた片手斧が目の前に振り下ろされる。
屈んでいなければ僕の頭が割られていた。
咄嗟にセレナさんを背に庇う。
間合いはもう互いが腕を伸ばせば武器が届く程度しかない。
僕は屈んだ状態のまま引き抜いた剣で、片手斧の二撃目を弾く。
金属同士がぶつかる甲高い音が狭い路地に響いた。
素早く態勢を立て直し、剣を正面に構える。
警戒した相手が間合いを離した。
狭い路地で咄嗟に長剣を抜いたのは失敗だったかもしれないが、なんとか距離と時間を僅かながらも稼いだ。
セレナさんを庇いながら戦わなければならないとすれば、少しでも相手との距離が欲しかった。
「おいおい、子連れかよ。随分と馬鹿にしてくれてまあ」
「……」
男は酒に酔っているのか、足元が覚束無い。
僕一人なら簡単に逃げられるだろう。しかし、今はセレナさんがいる。
助けに来たと言っておいて、次の瞬間に逃げ出すのはなんとも情けない。絶対にしないけれど。
「今日のところは見逃してもらえませんかね」
「後ろの女を置いてったら、ガキは見逃してやるよ」
「!」
びくっとセレナさんが動じたのが気配でわかった。
見捨てたりしないから安心してください。
僕はセレナさんの方を振り返って笑いかけた。セレナさんは拾われたばかりの小動物のようにおろおろと所在なさげにしていた。それがなんだか微笑ましくて余計に笑ってしまう。
「笑ってんじゃねえぞガキ」
「交渉決裂ですね」
言い切る前に僕は剣を振っていた。
振ると決めたなら、躊躇ってはいけない。
何より、中途半端な気持ちで勝てるほど僕は強くない。
上段から振り下ろしたそれを相手はしっかり斧で受け止める。
相手が力を込め、押し返そうと力をかけた瞬間、こちらの力を抜く。
「あ?」
男からは僕が彼の下に滑り込むように見えただろう。
彼の踝から僕の足を引っかけるよう横に蹴り飛ばすと面白いように上手く転ばすことが出来た。父さんから嫌になるくらいよくされた足技だ。
警戒していないと見えていても反応は難しい。まして酔って注意力散漫になっているならば、なおさら回避は難しかっただろう。
「行きますよ、セレナさん!」
「え?えっ、ええ?」
男がすぐに立ち上がれないことを確認してから僕は鞘に剣をしまうと、今度こそセレナさんの手を引いて駆け出した。
倒れた男が僕らを呼び止めようと声を上げているが、無視だ。
今日のことは不運だと思って諦めて欲しい。別に彼は言うほど悪いことはやってない。相手から声をかけられ、応じたら悲鳴を上げて嫌がられた挙句、魔術をぶつけられて転ばされたのだ。厄日だろう。
それでも、
「ありがとうございます。本当にこの度は、何度も私たちを助けていただき、ありがとうございます……っ」
それでも、僕の背にいる彼女が悲しまずに済んでよかったと思うのだ。
僕の身勝手な思いだけど。
そう思ってしまうのだ。
セレナさんは僕の背中で泣きながら感謝と謝罪を繰り返し言い続けた。
そんな彼女を孤児院へ連れて行くわけにもいかず、しかし土地勘もない僕が辿り着いたのは冒険者組合だった。
日が暮れてから時間が経ったが、まだ何人かの冒険者がいた。ざっと見回したが、黒ローブの男はいなかった。
それが心配だったのでほっとした。
「リキッドさん?こんな時間にどうしました」
「お仕事お疲れ様です。いろいろありまして、場所をお借りしたいのですがよろしいでしょうか」
僕に声をかけてきたのはセレスさんだった。
ひとまず隅のテーブルでも借りてセレナさんから事情を聞こう。
僕が空いた場所が無いか視線で探しているとセレスさんが予想外のことを言った。
「……姉さん!?奥の部屋を用意してきますので、リキッドさんは少々こちらでお待ちください」
「え、あ。はい」
……姉さん?
僕が返事を返す前に既にセレスさんは奥へ行ってしまった。
セレナさんを見るが彼女はただ黙って首を振った。
大人しく待つこと少し。セレナさんが戻ってきて僕たち二人を奥の部屋へ案内した。
廊下にはいくつかの扉が並んでいて、その一つだ。
木製の扉を開けると落ち着いた部屋だった。
部屋には木製の大きなテーブルとそのテーブルを挟むように複数人が並んで座れるソファが置いてあった。応接間だろうか?村にもヴェルの家にこういう部屋があったと思う。
セレナさんが手前のソファに座るとセレスさんが奥へ回った。僕はどこに座ればいいのか悩んで、ひとまずセレナさんの隣に座ることにした。
こうしてセレナさん、セレスさんを見比べるとなるほど、似ていると思う。
服装がまったく違うから、与える印象は違うが髪色や目等、細かいところがよく似ている。
セレナさんの方が少し痩せている、というよりやつれているように見えた。孤児院の現況を考えると当然か。今日のこともある。苦労しているのだろう。
「……」
「……」
「姉さん、何があったか話してくれませんか。噂は聞いていますが、本当のことが知りたいのです」
「……」
沈黙から初めに口火を切ったのは妹のセレスさんの方だった。
彼女は今にも立ち上がらんばかりの勢いでセレナさんを詰問した。しかし、セレナさんは黙って下を向いたまま動かない。
「姉さん!答えてよ!」
「……。……セレス。あなたは私に関わるべきではないわ」
セレナさんが口に出した答えは、拒絶だった。
「またそんなことを言ってっ!そのせいで姉さんが家を出て行って、私たち家族はばらばらになったんじゃないの!私にも頼ってよ、私だってもう大人なんだよ!?」
「……知っています」
「だったらっ!?」
「だからこそ、です」
セレナさんが腿の上に置いた両の拳を握りしめる。何かを堪えるように。
しかし妹のセレスさんは姉の挙動に気付けない。
「何を言っているかわからない。困ってる家族を助けようとするのは当然じゃないの。なんで私を突き放すの、なんで私には何も話してくれないの!あの時だって、今だって!いつも私だけが何も知らないうちに全部決まって。……姉さんがいなくなったとき、私がどんな気持ちだったか」
「セレスさん」
「今は家族の話なので、部外者のリキッドさんは黙「セレスさん!」
わざとセレスさんの声に被せて発現する。
僕はまっすぐ見ていたセレスさんから傍らの女性に視線を向ける。その手は強く握り過ぎて白くなり、服を巻き込み皺になっている。
家族のことが心配なのはわかる。でもそれ以上に家族には伝えられないことがあるのもわかった。
僕はリエルの兄だが、妹に伝えられないことがあった。セレナさんがセレスさんに伝えられないことにも何か事情があるのだろう。
「部外者はセレスさんの方です。僕は僕の依頼人と内密の話をしたくて場所を借りに来たのに、冒険者組合の人がいてもらっては困ります」
「……。はあ」
わざと大袈裟に言って、眉をひそめるとセレスさんにはきちんと伝わったみたいだ。
彼女は大きな溜息とともに肩を下ろした。熱くなっていたことを自覚し、冷静になったようだ。
「……わかりました。わかりましたよ」
「セレス……」
「姉さん。いえ、セレナさんは大事な依頼人でお客様ですからね。あ、リキッドさんは後で覚えておいてください」
「ひえっ」
「冗談ですよ」
本当だよね。信じてもいいよね?
セレナさんに対する口調と僕に対する口調の温度差が激しい気がする。追及すると怖いので口には出さないけど。
「リキッドさん。わかってますよね」
「大丈夫です。わかってます」
綺麗な笑顔が怖い。
「お二方の会談を組合職員が邪魔をしてはいけませんからね。あくまで私たちは中立の立場ですから」
「はあ」
「しかし、リキッドさんも冒険者組合に所属しているからにはちゃんと報告・連絡・相談はしないといけませんよ」
そう言いながら報告・連絡・相談のところで指を一つづつ立てるセレスさん。
しっかりしている彼女だが、いちいち仕草が芝居がかって見えた。
「では、お邪魔虫は退散しますね。……リキッド君は明日私のところへ来てください。もし来なければ……わかってますね?」
「は、はい」
擦れ違いざまに耳元でボソッと言われた言葉は酷く低く、総毛立った。
コクコクと頷くとセレスさんは満足したのかいつもの微笑みを浮かべて、立ち去った。
怖々振り返った僕が見たのは三本の指を立てて手を振る笑顔のセレスさんだった。
もしかしてそれは明日全部話せってことですか……!?
女性の恐ろしさに慄いている僕の耳にセレナさんの震える声が聞こえた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「セレナさん」
震えながら握り締められる拳に手を重ねる。
「謝ることなんて、何もありませんよ。セレスさんもただ心配しているだけです」
「いえ、あなたのような子供を何度も危険な目に合わせてしまいました」
今日のことだろうか。どちらも何事もなかったし、怖い思いをしたのは主にセレナさんだ。
「僕は大丈夫です。あれぐらいへっちゃらですよ。それよりセレナさんの方こそ怪我はありませんか、さっきは暗かったので確認出来ませんでしたが、もし何かあれば手当しますよ」
「……あなたは、何も聞かないのですか」
「正直なところ、聞きたい気持ちはありますが、それよりも僕はセレナさんが心配なのです。もし話してくださるならば、黙って聞きますし。誰にも話すなというのであれば口外しません」
「……話してしまうと、きっとあなたも巻き込んでしまいます」
妹にも話せなかった事情だ。きっと何かあるのだろう。
それでも、僕は僕に出来ることをやりたいと思った。
解決出来ないまでも、彼女の話を聞くことぐらいは“出来るだけ協力”の範囲だろう。
「巻き込まれるのは困りますが、あなたの涙の理由ぐらいは知りたいと思います」
「!……っ」
「……すみません、調子に乗りました」
そんな驚いた顔をしなくてもいいじゃないですか。
ああああ、恥ずかしい。言わなければよかった。
「うふ、うふふっ。その、大変かっこいいと思いますよ」
「やめてください。余計恥ずかしいです」
「いえ、リキッドさんは将来たくさんの女性を泣かせそうだと思いまして」
「何のフォローにもなってない!?」
「では、どこから話しましょうか。お仕事のこと、お金のこと、孤児院のこと、……それよりまずは私自身のことについて話した方がよいでしょうか」
長くなりますが、付き合っていただけますか。
僕の手を両手で包み込んで、彼女は申し訳なさそうにそう言った。
僕は黙って頷いた。
お読みいただきありがとうございました。




