4.still echo
4.
「どういう風の吹き回しだ? 芸術で金儲けするのは嫌いなんじゃなかったのか?」
「気が変わったんだ」
「覚悟を決めたって、正直に言えばいいのに、意地っ張りめ」
「うるさいな」
「気持ち一つで自由にできることだとは思ってくれるなよ。それでもまぁ、父親として出来る限りの応援はしよう。コネも使えるだけ使ってやる。俺が言うのも変な話だが、美大には行っておいた方がいいぞ。勉強になるし、何より人脈が広がる。この辺りだと、秋仁さんのところが一番箔がついて良い。それと、美大を志望するつもりなら、今からでも美術部に入るべきだ。プライドの高いお前に、そういうことできるか?」
「ああ。大丈夫」
「あと一つ。本気で俺の仕事を継ぎたいなら、その無愛想な性格をちょっとは直せ」
「善処する。忠告ありがとう」
「おいおい、由稀に礼を言われるなんて何年ぶりだ? 母さんに自慢しなきゃな」
/
文化祭当日、美術部と写真部の共同展示は盛況だった。ただし、来場者のほとんどが他校生。うちの学校の文化祭は制服姿で学生証さえ持参すれば近隣高校の生徒も入場できた。嘘か本当か、美術部に力を入れている一部の学校では、うちの文化祭に必ず参加するようわざわざ顧問から指示が出るらしい。お目当は色の絵だ。しかし当然、隣に他の部員の絵が並んでいればそちらも注目される。
「交代の時間だぞ」
俺が声をかけると、受付用の席についていた菊池はやけに緊張した面持ちでこちらを見上げた。
「文化祭って、去年もこんなに人が来たんですか?」
「驚いたのか?」
「だって、美術部と写真部ですよ? 正直、もっと閑散としたものかと」
「良かったな。作品が大勢の目に触れて」
嫌味に聞こえたらしく、菊池は渋い顔をして立ち上がった。実際のところ、彼が描いた絵は胸を張っていい出来の作品だった。そういう自負は菊池にもあるだろう。ただ、思春期真っ盛りの男子高校生が同世代の女子を題材に一作仕上げるというのは、冷静に考えてなかなか凄まじい。感傷に突き動かされているうちは平気だったかもしれないが、時が経ち、傷が癒え、健全な感性を取り戻した今となっては、気恥ずかしさが先に立つのも道理だ。
「竹中さん、これからどうされるんですか?」
入れ替わりで椅子に腰掛けた俺に菊池が問う。
「今日はもうずっと、ここで受付だ」
「午後は写真部全体での担当でしょう? 途中で交代しないんですか」
「幽霊部員ってのは、色々とツケが溜まってるもんなんだよ」
今まで散々諸々の活動をサボった結果、文化祭関連の雑用は一切合切俺が受け持つことになっていた。
「しっかり完済してから、こっちに移ってきてくださいね。模擬店で何か買ってきましょうか?」
「お構いなく。先輩をパシリになんて使えんさ」
「心にもないこと言っちゃって」
口を斜めにして鼻で笑う菊池。彼は最後に写真部展示用のプレートをチラリと睨んでから、美術室を後にした。
それから一時間くらいの間に、二十人ほどの他校生がやってきた。そのうちの何人かは、園村色に直接会えないものかと俺に尋ねた。あいにく彼女は今日も熱で欠席だ。そう伝えると、皆残念そうに肩を落とした。顔を合わすことができたら、サインの一つでも求めるつもりだったのだろうか。ミーハーな人間もいたものだ。
泉がひょっこり顔を出したのは、客足も落ち着いた三時過ぎ。タイミングを見計らったかのような登場だった。彼女は差し入れのコーラを俺に手渡すと、恐ろしく丁寧に頭を下げ、新聞部の活動に協力してきたことに対する礼を述べた。
結局、犬伏麻耶に関する泉の記事は、予定より少し遅れて始業式の翌日に発行された。それでも十分、彼女の仕事が人々の心を動かしたことは、同じ学校で生活していれば自然とわかった。
「そうそう。さっき校門のあたりで、竹中さんのお知り合いに会いましたよ、他校生の。最初は美術室の場所を訊かれたんですけど。よくよく聞いてみたら、竹中さんと園村さんの共通の知り合いだとかなんとか」
律儀にすべての展示を真面目に鑑賞していた泉は、途中で思い出したように告げた。思い当たる相手は相馬阿多留だけだった。噂によれば最近彼女が出来たらしい。見せびらかしがてら、遊びに来たのだろう。
軽く頷いて応えた俺に、泉はジトっとした、どことなく非難がましい視線を向けた。
「竹中さんって、なんかちょっとズルいですよね。幼なじみの女の子に、あんだけ好き好き光線かましてもろぉて。おまけにハーフの美女と仲良しこよしですか? 少しは他の男子に、その女運分けてあげた方がええんとちゃいます?」
「ハーフ?」
首をかしげる俺の目の前に、卸したてと思しきキリッとしたブレザー姿の少女が立った。彼女は怖いくらい肌が白く、ほとんど茶髪に近い薄い色の髪を、低めのシニョンに纏めていた。
「他校生は、何か名簿でもあるのかしら?」
「竹中さん、この人ですよ、道を訊かれたの」
呆然とする俺をせっつくように泉が囁く。
「久しぶりだから。顔、忘れちゃったかしら、ユキちゃん?」
「まさか。驚いただけですよ、アリス先輩」
「ユぅ、キぃ、ちゃ、んん?」
素っ頓狂な声を上げ顔を引きつらせる泉。目の前の男がそんな甘ったるい呼び方をされるなんて信じられないとでも言いたげだった。相変わらず失礼な後輩だ。アリス先輩は動じる素振りも見せず、泉に向かって優雅に微笑みかけた。
「さっきはご親切に、どうもありがとう。とても助かりました」
「泉、こちら鰐部有栖先輩。中学時代、美術部の部長だったんだ」
「興味本位でお伺いするんですが、ご出身はおとぎの国ですか?」
握手を求めながら、泉はよく分からない冗句を口にした。先輩は困ったように笑って彼女の手を取った。
「先輩、こっちは泉花。色が仲良くしてる、新聞部の一年です。泉は多分、先輩と生まれが近いですよ」
「あら、やっぱり。どこかで聞いたイントネーションだと思った」
「え、私、生まれはただの四国なんですけど」
「奇遇やねぇ、私もそうなんよ。四国んどこ? 香川? 徳島?」
そこから先の展開は、俺や色には逆立ちしても真似できない奇跡みたいな早業だった。二人は瞬く間に意気投合し、短時間のうちに、いつか高松で一緒にうどんを食べる約束まで成立させた。
軽音ライブの取材のために泉が体育館へ向かうと、美術室は俺と先輩の二人だけになった。話によれば、先輩は今年の春にフランスから戻り、日本中を転々とした末、この九月からこちらに帰ってきたのだという。制服が真新しいのも当たり前だった。
「園村さん以外にも、立派な人がいるのね」
先輩は慈しむように色の作品を眺めた後、隣にあった菊池の絵に目を向けた。
「菊池康浩画。描いたの、男の子なんだ。片想いなのかしら」
少し思案してから、本人の名誉のために応えた。
「片想いみたいな両想いです」
「そう。恋愛って、上手くいってもそういうものよね」
それはあまりにさらりとした物言いで、俺は面食らってしまった。そういう反応を予想していたらしく、アリス先輩は横目でこちらの表情を確認すると、嬉しそうに笑った。
「私ね、つい最近、生まれて初めて恋人ができたの。でも、引っ越さなきゃいけなくて。お別れしちゃった」
あんまり晴れやかに報告するものだから、聴いていて相手の男が少し気の毒になった。けれど、きっと幸福な恋だったのだろう。その愛おしげな照れ笑いは、先輩が初めて見せる顔だった。目一杯優しく頷いて返すと、彼女は柔らかく笑みを深めた。
「それで、今日、園村さんは?」
「病欠です」
「残念。久しぶりに、仲の良い二人が見たかったのだけれど」
「また、いつでもお見せしますよ」
請け合う俺に、先輩は鈍色の瞳を輝かせた。
「本当に? ずっと、いつでも?」
「俺が向こうに、愛想を尽かされなければ」
「なら、大丈夫ね。良かった」
心底安心した様子で、アリス先輩は展示の鑑賞を再開した。幸い、さすがの彼女も、三年ぶりに会った後輩の僅かな傲慢までは見透かせないらしい。
「ユキちゃんの写真は、一枚だけ?」
一通り作品を見て回った先輩が、寂しげに呟く。
「そうですね。そこのプレートにある、一枚だけです」
「これ、ユキちゃんの部屋?」
「はい。俺の部屋のベッドです」
「嘘、鰐部先輩?」
不思議そうに首をひねっていた先輩は、突然名前を呼ばれ振り返った。入口に立っていたのは、前日と同じチャイナドレス姿の三上加奈子だった。
「あら。お久しぶりね、三上さん」
「憶えててくれたんですか? 凄い凄い! うわ、本物だ」
はしゃぎだした三上は、色が今日学校に来ていないことを知ると、展示を見るのもそこそこに、アリス先輩をチャイニーズカフェとやらへ引っ張って行ってしまった。
一人になった俺は、椅子に深く持たれ、差し入れのコーラをあおった。もう、この後は誰も来ないだろう。五時になれば模擬店類は店仕舞い。夕方からは、フォークダンスにキャンプファイヤーと、部外者お断りのプログラムが続く。
最近、新しくわかったことが二つある。一つは、心霊写真が実在するということ。ただし、人によって見え方が違う。アリス先輩は、俺の展示作品に対して物足りなそうな顔をしていた。彼女の目には、ただ自室のベッドを撮影しただけの写真と映ったからだ。おそらく菊池には、違うものが見えていた。ベッドの上で正座する、伏し目の女子高生が。
わかったことの二つ目は、犬伏麻耶が最期に嘘を吐いたということ。夏休みが終わって数日経つものの、彼女との記憶は少しも薄れる気配がない。
空になったペッドボトルを弄びながら、いつまで美術室にいたものか、ぼんやりと考えた。半端な時間に出て行って、ダンスの輪に引っ張り込まれるのは悪夢だ。まだしばらく、呑気に誰かと手をつないで踊るような気分にはなれそうもなかった。




