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Missing  作者: 逢坂
恋情パースペクティブ
21/33

11.solid dream ②

「随分大変だったみたいね」


 久しぶりに帰ってきたアリス先輩は、全然大変だと思ってなさそうな笑顔でそう言った。美術室の机の上には、先輩が買ってきた海外のお菓子が山のように積み上げられていた。


「でも、聞いてたよりは、元気そうで安心した」

「聞いてた?」

「うん。手紙が何度か来たの、ユキちゃんから。駄目じゃない、彼にはちゃんと話さなきゃ」


 由稀の名前が出てきて、思わず唇を噛んだ。結局のところ、母が言いたかったのも、由稀と仲良くしろ、ということだったらしい。夏頃から何度も、由稀は私のことを心配して声をかけてくれていた。何かあったのか、あまり根を詰めるなと、優しく気遣ってくれる彼を、私はずっと無視していた。交換日記も、しばらく滞っている。まさか先輩に手紙まで出してくれていたなんて、知らなかった。


「まいはにぃ、か」


 母とのやり取りについて話すと、一番恥ずかしいところを復唱して、先輩は微笑した。別に、由稀から離れたいと考えていたわけじゃない。でも端から見たら、今の私はそういう風に映るんだろうなって思った。母の言葉はそういう意味だ。


「まいはにぃって、タイプかしら、ねぇ?」


 珍しくちょっと意地悪い顔をして、先輩は問う。不思議なことに、その視線は私を通り越して遥か後方に向けられている感じがした。


「勘弁してください」

「ダレの話?」

「そりゃあ、竹中君しかいないじゃない?」


 突然背後で始まった掛け合いに、私はビックリして振り返った。美術室の入り口には、相馬君と、加奈子ちゃんと、由稀が、制服姿で並んで立っていた。


「えーと、部活中に、失礼してすみません」

「ちょっと、園村借りていーっすか?」


 探るように詫びる加奈子ちゃんと、慣れない様子で尋ねる相馬君。


「色に謝りたいことがあるんだと」


 戸惑う私に由稀が説明する。先輩を見ると、彼女は驚いた風も無く穏やかに頷いた。どうやら由稀と二人で示し合わせてのことらしい。許されるなら逃げ出したかった。私は椅子から立ち上がり、三人と向かい合って恐る恐る訊いた。


「謝るって、何を」

「夏休み前のこと。私も相馬君も、変にムシャクシャしてて、八つ当たりしたでしょ」


 ごめんね、と、加奈子ちゃんは頭を下げた。少し遅れて相馬君もそれに倣った。いつの話をしているのかはわかる。けれど、謝られるような覚えはない。返事に窮した私は、由稀の顔を伺った。彼は無表情で淡々と告げた。


「心配してくれてんだよ。お前が急に変になったから」


 言葉が無かった。あんまりだと思った。考えてみれば当たり前だ。加奈子ちゃんたちは、私と由則おじさんのやり取りを知らない。自分たちのせいで私が変わってしまったと、責任を感じてくれているのだろう。二人とのことがショックだったのは事実だった。けれど、それとこれとは、全然話が別なのに。

 あまりにも酷い。自己嫌悪で胸が潰れそうだった。謝らなきゃいけないのはこっちだ。私は、二人のことを選ばなかった。どうしても譲れないことが一つあって、その為なら、他はもう、失ったって構わないと心に決めていた。身勝手で、薄情で。いっそ嫌われた方がいいとすら、思っていた。


「画家になりたいの、私」


 どうにか声を絞り出した私に、みんなは、何を今更、という顔をした。そうじゃない、って、苛立った。そんな簡単な話じゃない。もっと切実な問題なのに。


「だからって、あんな風に極端に」

「ダメなの!」


 呆れ顔でいつものように説教しようとする由稀を、私は遮った。


「由則おじさんに言われたの。今のままじゃ画家になんてなれないって。もっと必死にならなきゃダメだって。だから、私」

「色」


 その時、初めて。私は由稀のことを、純粋な意味で怖いと感じた。私の名を呼ぶ彼の声は低く冷たかった。彼は両手で私の肩を掴んだ。指が食い込んで痛かった。


「あのクソオヤジがそう言ったのか、色に」

「ユキ、あのね」

「アイツにそそのかされたせいで、今まで、ずっと、様子がおかしかったんだな」


 一言一言、苦いものを噛み切るように顔を歪めながら、由稀が言った。ハッとして、私は首を横に振る。確かにきっかけは、由則おじさんの言葉だった。でも、選んだのは私だ。志すことも、その為の努力も、全部、私が選んで決めたことだった。


「おい、ユキ、よせって」


 間に入ろうとしてくれた相馬君を、由稀は無言で払いのけた。かなり強い力だったらしく、相馬君は椅子や机を巻き込んで床に倒れ込んでしまった。悲鳴に近い鋭さで、加奈子ちゃんが由稀を責めた。彼は無視して私を睨み続けた。


「色。今すぐ、あんなヤツの言葉は忘れろ」

「なんで? 私、画家になりたいよ」


 そこだけは譲れなくて、言い返す。由稀は一層顔を険しくし、声を荒げた。


「いいから俺を信じろ!」

「やだよ、私もう決めたの!」

「色っ!」

「ジャマしないで!」


 ぱんっ、ぱんっ、と、二回音が鳴った。一つ目は、由稀の手が私の頬を軽く叩いた音だった。二つ目は、その何倍もの強さで、アリス先輩が由稀を張り倒した音だ。机に手を突き辛うじて身体を支えた由稀が、歯を食いしばって先輩を見つめる。先輩は口を硬く結び、静かに彼の視線を受け止めていた。数秒、嘘みたいに凪いだ時間が流れた。やがて、大きく一つ溜め息をついて脱力すると、疲れた声で由稀は呟いた。


「阿多留、悪かった」

「おう」


 床に倒れたまま、相馬君は軽く手を挙げ頷いた。薄く笑ってそれを見届けると、由稀は美術室を出て行ってしまった。ごめんなさい、と、対象のわからない謝罪を残して、アリス先輩も後を追うように部屋を出た。

 残された三人のうち、一番落ち着いていたのは相馬君だった。起き上がって机や椅子を綺麗に整えた彼は、お菓子いっぱいあるじゃん、と嬉しそうに微笑んだ。


「ユキのヤツ、相変わらず親父さんのこと嫌いなのなー」


 もそもそマドレーヌを齧りながら、のほほんと呟く相馬君。


「私、あんなに怒ってる竹中君初めて見た」


 加奈子ちゃんの方は、まだ緊張した様子だった。彼女は、チョコレートの銀紙を几帳面に折り畳んでは開いていた。


「なんか、金もうけばっかり考えてるトコが気に食わないんだと。アイツ、昔からカギっ子だしな。色々、不満もあるんだろ」

「でも、お父さんが一生懸命働いてくれてるから、竹中君は不自由無く暮らせるんでしょ?」

「そーだな。三上が正しいよ」


 相馬君があっさり認めると、加奈子ちゃんは気まずそうに俯いてしまった。今度は私の方を向き、相馬君は問うた。


「で、今のお前じゃダメなのか? 園村」


 画力の話だというのはすぐにわかった。ちびちび食べていたクッキーを飲み込んで、私は深く頷いた。


「うん、今のままじゃ、なれない。全然足りない」

「そっか」


 目を細め、小さく頷く相馬君。その顔に浮かんでいたのは、はっきりとした憐憫だった。彼は言葉を選びながら、ゆっくりと語った。


「カントクがこの前話してた。イチローみたいな一流の天才だって、野球やっててたくさん悩むんだと。多分さ、それって、俺たちみたいな普通の野球部員の悩みより、何倍も辛いんだろうなって、思うよ」

「ごめんなさい」


 我慢できなくなって、私は二人に頭を下げた。流す資格も無い涙が、勝手に目から零れて落ちた。


「園村はホント、昔からすぐ泣くなー」


 優しく笑って手を伸ばす相馬君。けれど彼は、私の頬に指が触れるか触れないかの所で動きを止め、困ったように加奈子ちゃんの方を見た。加奈子ちゃんは制服の胸ポケットからハンカチを取り出すと、私を引き寄せ、ぐいぐいちょっと強引に涙を拭ってくれた。余計に泣けて、キリがなかった。


「ごめんね」

「いいよ」


 私の頭を荒っぽく抱きしめ、加奈子ちゃんが囁く。


「色ちゃんが、自分で決めたんでしょ。私、何にもしてあげられないけど、応援するよ」


 温かな腕だった。ずっとこのまま、二人に甘えて泣いていたかった。そんな私に加奈子ちゃんは、頑張って、と言ってくれた。おかげでどうにか踏ん切りがついて、私は自分から、彼女の腕をほどくことができた。


「ありがとう。私、頑張る」


 柔らかく笑んで、二人は頷いた。好きだと思った。恐いと思った。寂しいと思った。でも、全部ぐっと飲み込んで、懸命に強く、頷き返した。


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