第三話:久我原透という学生
帝都大学・文学部三年。 久我原透は、講義室の最後列に座ることが多い学生だった。 成績は優秀。だが、発言は少なく、議論の場では常に沈黙を選んだ。 彼のノートには、講義内容よりも“語られなかった言葉”が丁寧に記されていた。
「語られた言葉は、記録される。 だが、語られなかった言葉は、記憶に残る。」
彼の祖父・久我原宗一は、戦前に帝都大学で美術史を教えていた人物であり、 “仮面の記憶”と呼ばれる未公開資料を残していたと噂されていた。 透は、その記憶に触れることを恐れながらも、惹かれていた。
椿子の講義を聴いた日、透は初めて“語る者”の声に耳を傾けた。 彼女の言葉――「語ることは、沈黙を理解するための手段」――は、彼の中で何かを揺らした。
「沈黙は、祖父が選んだ最後の言葉だった。 それを、誰かが語ろうとしている。 ならば、僕はその沈黙を守るべきなのか。 それとも、語られることを許すべきなのか。」
その夜、透は資料室に向かい、祖父が関わったとされる“無銘の白面”を見つめていた。 その仮面は、語られなかった記憶の象徴のように、静かに棚に置かれていた。




