原爆と竹槍26話
「よく、知っているよ」
「それは良かったです。この子の家は米軍機の空襲に遭い、母親は即死し、この子はこの通りの大けがをしました」
雪が説明すると、老婆が恐そうに尋ねた。
「何時?」
「一時間ほど前だと思います」
「なんて、酷いことを!」
老婆の眼から涙が溢れた。
「お婆さん」
雪は、老婆の耳元に顔を寄せて呼んだ。
「はい、何でしょう?」
「お願いがあります」
「何でしょうか?」
老婆が神妙な顔をして、雪の言葉を待った。
「お願いとは、静子さんは頼る人がいなくなって、私がお世話できればいいのですが、これから広島へ行かねばなりません。お願いとは、お婆さんに、静子さんの面倒を見て頂きたいと思っているのです」
老婆の顔が悲しみから安堵に変わった。
「私は一人暮らしだから、喜んで、静子さんの面倒を見させて頂きます。どうか、心配せずに、広島へとやらへ行ってくだださい」
「有り難うございます。じゃあ、失礼します」
「もう、行くのですか、一日ぐらい、泊まって行ってください」
と、塔婆が淋しそうに言った。
一人暮らしで淋しい思いをしていた老婆の心情を考えると、負けそうになるが、生死の境を彷徨っているかもしれない母親のことをおもうと、一分一秒の遅れも許されない。
「そうしたいのですが、広島に居る母親が米軍機に撃たれ大怪我をしているのです。行くのが遅れたら、母親に会えなくなる恐れがあるのです」
老婆は、沈痛な面持ちで言った。
「それはたいへんね。無理を言ってすまなかったね。後のことは心配せずに早く行ってください」
老婆は、取ったばかりのトマトと茄子を雪に渡した。
老婆の優しさに雪は涙を流した。
静子は、雪がいなくなることを知り、雪の手を離さない。
「静子さん、私は一時も早く広島へ行かなくてはならないの。だから、淋しいでしょうけど、別れなければならないのよ。だから、このお婆さんと仲良く暮らしてね」
雪は、静子を優しく抱きしめて言った。
「そうだよ。おばさんに無理を言ってはだめよ」