5.蜻蛉たちの飛来
迷が無事に卵を生み終えてから、さらにしばらく経った頃、東の楽園から糸の城にたくさんの客人が訪れた。その姿は見ていない。けれど、賑やかさは糸を通じて伝わってくる。
飛来したのは蜻蛉の戦士たちだという。その数は、現在、千夜に仕えている手下蜘蛛の数よりもずっと多かったという。蜻蛉という種族もまた、千夜たちのような肉食妖精の糧となる事があるという。けれど、彼ら自身もまた肉食妖精。その為だろう。集団で招かれた彼らは何処か威圧的で、千夜との面会は緊張感に溢れていたのだという。
わたしが知るのは、その場にいた蜘蛛の女性の証言のみである。けれど、だとしても、その緊張感はまるで自分が体験したかのように伝わってきた。蜘蛛たちを緊張させるほどの者たち。
中でも、圧倒的なオーラを放っていたのが、その蜻蛉たちを取りまとめていたという男性──朝焼だったという。
「飛来した蜻蛉たちの中でも、朝焼という方はとりわけ強い眼差しをしていたそうですね」
いつものように、迷の朝食に付き合いながら、わたしはそう語った。迷はわたしを抱きしめたまま、憂鬱そうに溜息を吐いた。
「……そうね」
「迷は彼らの事、ご覧になったのですか?」
「いいえ。城主様のご希望で、奥の部屋で待機していたの。アタシの存在は、彼らを変に刺激してしまうかもしれないって。でも、きっと、それだけじゃないわ。城主様はあまり聞かせたくないのでしょうね。これから先のことについて」
迷は何処か暗い表情でそう言った。疎外感を覚えているのか、ただ単に千夜の事が心配なのか、そこまでは判別がつかない。或いは、両方なのかもしれない。
少なくとも、わたしは焦燥感を覚えていた。千夜は大丈夫なのだろうか。千夜にばかり任せていていいのだろうか。
わたしにはわたしの役目がある。戦う事は、本来、花の役目ではない。
そう自分に言い聞かせても、千夜ばかりが危ない目に遭う事が気がかりだった。それは、千夜のためだけではない。迷がそれを憂いている。千夜に恋焦がれているからこそ、迷は彼女に無理をして欲しくないのだ。それが痛いほど伝わって来るからこそ、わたしもまた気が気でなかった。
迷と千夜の関係にはいつも嫉妬してしまう。けれど、それで迷が苦しそうにする姿は見たくない。
「……迷」
それでも、今のわたしには、迷を安堵させるような事が出来ない。もどかしい。それに、歯痒い。そんな思いを抱えながら、わたしは迷に囁いたのだ。
「城主様なら、きっと大丈夫ですよ」
すると、迷は力なく笑った。そして、無言のままわたしの唇を奪っていった。これは、彼女の食事。自分に言い聞かせながら、わたしは迷の口づけを受け入れた。これが、わたしの役目。迷の体にしがみ付き、全てを捧げるつもりで身を委ねる。
蜜食妖精相手に、本気の恋などしてはいけない。
花はいつか萎れてしまう。いつかこの蜜も薄れていくだろう。そうなれば、わたしは役目を終えるのだから。
「……銀花、どうしたの?」
ふと、迷に声をかけられ、わたしは我に返った。考え事に意識を攫われている間に、もうすっかり食事は進んでいた。床に寝かされたまま、わたしはじっと迷の顔を見つめた。そして、か細い声で答えた。
「何でもありません……少し、考え事をしていただけです」
すると、迷はわたしの体に覆い被さり、耳元で訊ねてきた。
「アタシとの食事の感動も薄れてしまうような事?」
「いえ……それは……」
上手い言い訳が思いつかずに口籠るわたしを、迷は面白がるように笑った。
「いいの。そう言う事もあるでしょうし。……でも、寂しいわね。その様子だと、考え事の内容というものも教えてはくれなさそうだし」
「え……」
迷がわたしに興味を持っている。その事実に少しだけ嬉しくなりながら、わたしは首を横に振った。けれど、本当の気持ちを言う事なんてとても出来ない。迷と千夜が相思相愛であることは言うまでもない。わたしは千夜から迷に贈られた花で、彼女たちの愛の証。そんなわたしが、彼女たちの関係を引き裂くことなんてあり得ないのだから。
それに、迷の事を思えば思うほど、本音など語れなかった。だから、わたしは考えた。必死に考えて、そして、ようやく見つけた話題を口にしたのだった。
「蜻蛉の戦士たち……特に、朝焼というお方は、どれだけお強いのでしょうね」
迷はそんなわたしの頬を撫でつつ、小さく息を吐いた。
「それはもう、女神に信頼されているほどには、でしょうね。けれど、城主様よりも強大な力をお持ちかどうかは分からない。だからこそ、アタシは心配なの。夕闇……あの恐ろしい魔女は今も眠っているというけれど、本当なのかしら。蕾の向こうで今も機会を窺っているのではないかしら」
「──機会を」
あり得ない事ではないだろう。弱っていようと死んではいないのだから。相手は、西を統べていた本来の主を捕らえてしまったほどの魔女だ。そう簡単には討伐することなんて出来ないだろう。
「蜻蛉たちは城主様を守ってくださるかしら」
呟く迷に、そっと寄り添い、わたしは答えた。
「大丈夫ですよ、きっと」
けれど、わたしもまた心の中は不安でいっぱいだった。




