6.固く閉ざされた蕾
朝焼がこの城にやって来て数日も経たないうちに、千夜はこの城を去った。
わたしや迷は置いてきぼりだ。しかし、必要もないだろう。この度は、わたし達よりもずっと頼れる手下蜘蛛や朝焼率いる蜻蛉たちが一緒なのだから。
それでも、無事に帰ってくるまでの間は生きた心地がしなかった。
旅立つ前、千夜はこの城に魔法をかけた。彼女が無事でいる限り、この城も崩れたりはしない。しかしこの魔法は月が三回昇るころに消えてしまう。
それまでに戻れぬことなどないと、彼女は断言した。噂で聞いた話ではない。ここを発つ前に、直接、わたしの元へやって来て、そう言ったのだ。
しばらくいなくなるからだろう。わざわざわたしに会いに来ることなんて殆どないというのに、その時はじっと顔を見つめてきた。その美しい顔を久々に間近で見ることになって、わたしは妙に緊張してしまった。そんなわたしの頬に手を添え、千夜はわたしに言った。
──私のいない間も、どうか迷の癒しとなっておくれ。
優しくそう命じられて、わたしはただただ頷いた。
その時の千夜の姿には、記憶していたよりも気迫が感じられた。
戻ってくるという言葉にも自信があるし、そうならないなんてあり得ないという気持ちにさせられる。けれど、その感覚を信じ切ろうとする前に、頭をちらつくのが記憶に刻まれた夕闇の姿だった。
迷の不安がもしも的中したら。千夜が近づいて来るのを待っていたら。不安が頭をよぎり、怖くなってしまうのだ。
だから、約束通りの頃合いに、彼女が無事に戻ってきた時には、心からホッとした。
結果がどうだったかなんて、今はどうだっていい。千夜が無事に戻ってきてくれただけで、わたしはすっかり満足してしまった。
迷もやはり、わたしと同じ気持ちだったのだろう。
千夜が戻ってきた時、彼女はちょうどわたしとの朝食を終えた直後だった。そのまま誰もいない寝室へと戻ろうとしていたのだが、千夜が戻ってきたという報せを聞き、居ても立ってもいられなくなり、他の手下蜘蛛たちに交じって出迎えたのだという。
迷の話によれば、帰ってきたばかりの千夜はだいぶ疲れていたらしい。
それは朝焼や同行していた彗も同じだった。どうやら、西の地で、残党兵との衝突もあり、傷ついた者までいたらしい。
「……蕾は開かなかったそうよ」
夕食の際、迷はわたしにそう言った。
「誰が、どんな武器でこじ開けようとしても、しっかりと閉ざされていたのですって。外から叩いても、突き刺しても、まったく傷つかなかったのだとか」
「それだけ守りは硬いのですね。その間に、傷ついた体を癒しているのでしょうか」
「多分ね。ただし、絶対壊れないってわけじゃないのかもしれないって城主様はおっしゃっていたわ。しばらく攻撃を続けていたら、すぐに残党兵が集まってきて、必死に抵抗したそうだから。それはつまり、何か弱点があるのかもしれないって」
「それを探るために、城主様はまたあの蜻蛉の方たちと西へ向かうおつもりなのですね」
今回、怪我した者もいたとはいえ、千夜は無傷で戻ってきた。しかし、次回もそうであるとは限らない。
こんな時に待っている事しか出来ないとは、なんてもどかしいのだろう。そんな事を思っていると、ふと、迷の表情もまた暗い事に気づいた。
「……迷?」
声をかけると、迷は我に返って、そっとわたしの体の上に寝そべってきた。
「ねえ、銀花。これは内緒よ」
そっと囁かれ、静かに頷くと、迷は続けた。
「アタシね、城主様をお出迎えした時、あの蜻蛉のひとたちが、少し怖いと思ってしまったの。特にあの朝焼という男。女神の使いに相応しく、身なりはしっかりしていたし、城主様への態度も、非の打ち所がないほど丁寧だった。けれど、何だかとても怖かったの。肉食妖精だからかしら」
わたしは彼らを見ていない。だから、迷が何に怯えているのかも分からなかった。
だが、何にせよ、迷が怖がっているのなら、何処かに理由があるのだろう。そう思いつつ、そっと彼女の手を握って、わたしはそっと言った。
「でしたら、極力、あの方たちに近づかない方がいいかもしれませんね」
「……そうね。城主様もおっしゃっていたわ。大事な客人ではあるし、女神の使いなのだから信用はしているけれど、念のため、ひとりきりで彼らに近づかないようにって」
千夜がそれだけ警戒するほどに、蜻蛉という妖精は恐ろしいものなのかもしれない。だが、逆に言えば、そんな種族が味方についているということでもある。
「強い方なだけに、うまく付き合わないとなりませんね」
わたしの言葉に対し、迷は静かに頷いた。
残党兵との衝突があって、怪我した者が出ただけで済んだというのも彼らがいたからこそなのだとすでに聞いている。
東の女神が味方に付くという事は、それだけ喜ばしい事なのかもしれない。
だが、それでも、わたしはやはり怖かった。最後に見た夕闇の眼差しが忘れられないからだろうか。もしも、再び目覚めたならば、今度こそ間違いなく、わたしの命は摘まれてしまうだろう。
勿論、黙ってやられるつもりはない。しかし、わたしだけでなく、千夜や迷も危ない目に遭うのだと思うと、途端に怖くなってしまうのだ。
「かの蕾をこじ開ける方法、早く見つかるといいのだけれど」
迷は静かにそう言うと、相槌を打とうとしていたわたしに唇を重ねてきた。柔らかな感触が伝わると、瞬時に、心身が反応した。蜜を吸われる準備が瞬く間に整い、お腹を空かせた迷の為だけに咲く花としての役目を思い出す。そんなわたしの反応に、迷は満足げな表情を浮かべている。
──迷。
その眼差しを真正面から受け止めて、わたしは心の中だけで彼女に告げたのだった。
──愛しています、迷。




