第十三講:歪みの正体
『次回の講義は,通常通り庵郷の研究室まで集まるようにしてください.』
事故とも言うべきあの出来事が起きた翌週の水曜、教授からメールが届いた。本文はそれだけで、わざわざメールを送るほどじゃないのにな、と思ってしまった。が、それは特殊並行世界論に興味を持っている俺だからそう思っただけで、瀬川と来栖にとってはそうではないのだろう。無事にこちらの世界に帰った矢先、舌打ち一つだけして、あいさつすらせず去っていった二人の後ろ姿が、妙に頭に残っている。俺も二人も、あれから互いに避け合っていた。俺は友達をなくした、と言うべきなのかもしれない。
とはいえ、俺も危ない目に遭って、知らない世界に行くことの怖さを身をもって味わったのは事実。戦争を知らない世代とはいえ、じわじわと心を侵食してくるあの感覚は、そう何度も経験したいものではない。教授の研究室へ向かうその足は、少し躊躇していた。
「……あれ。俺一人ですか」
結局チャイムが鳴る直前に部屋に入ると、瀬川と来栖はいなかった。教授がこちらを振り向き、にこりと笑いかける。
「よく来てくれたな、田宮君」
「二人は……」
「実はあのメールを送ったのは、田宮君だけだ。二人には同じタイミングで、今日が休講である旨を伝えている」
「……っ!」
「君なら何も言わなくとも来てくれるだろうとは思っていたが、万が一同じ行動を取られると、私が困るのでね。念のため、メールを送っておいた」
「……俺を何だと思ってるんですか」
「まあ、座ってくれ。今日は……君に実習をさせるつもりはない」
教授が引き出してきたオフィスチェアに座ると、教授も自分の椅子に腰かけ、コーヒーを一口含んだ。それから俺の方に向き直る。
「まず、君たちを危険な目に遭わせてすまない。一応弁明すると、あれは想定外だった。私の価値観をもってすれば、あのような世界も危険で、本来学生を実習と称し行かせるわけにはいかなかった。降り立ったあの瞬間まで、私すらもその危険性を知らなかったというのが、事実だ」
「教授も動揺してたから、俺はそれでいいですけど。二人が納得しますかね」
「しないだろうな。彼らが舌打ちして私の前を去っていったのを、いまだに引きずっているように思う。これまでどのような世界であれ、侮蔑された試しがないから、だろうか」
流暢なようで、時々詰まりながら発せられるその言葉が、思い詰めていることをよく表していた。
「それに、君たちを仲違いさせてしまっただろう。私は人にものを教えるということに、本当に向いていないのだろうな」
「それは、まあいいです。俺があいつらの前で、教授の話とかしなければいい話ですし。これで一生絶交、なんてことにはならないです。それより、教授も想定してなかったことが何で起こったのか、知りたいです」
「私の話を聞いてくれる、と言うんだな」
教授はホワイトボードを引っ張り出し、ペンのふたまで取って、そこで書くのをやめた。
「結論から言うと、とある並行世界が無理やり誕生したことで、周りの世界をも歪ませている。歴史の転換点が書き換えられるなど、甚大な被害が出ている。これを順を追って話そう」
「はい」
「自立的反転世界の話を覚えているか? 私が干渉した、この世界にはない種族が多く暮らす世界だ」
「ええ……まあ」
「あの話には、続きがある。元よりあの世界は、反転世界であるがゆえに『転生者』を受け入れやすい環境だった。『転生者』というのは、他の世界でいったん生を終え、その人格や記憶、能力を引き継いだまま別の世界で生を受けた者を指す。動植物などを問わずあらゆる生物への生まれ変わりを指すreincarnationではなく、人間から人間への転生に限られるという点でrebirthであると、私は考えている」
教授が「転生者」とだけ、ホワイトボードに書き記した。まだ何か書こうとしていたが、再びためらってペンのふたを閉める。
「『転生者』の存在は本来、世界の行く末を多様化させるのに役立つ。前世と今世、それぞれで得たバックグラウンドが混ざり合い、新たな価値観、能力が形成されるからだ。これは単に、半永久的に世界間移動した者である『転移者』が提供する価値とは一線を画する。が、それはあくまで『転生者』が『良性腫瘍』であった場合だ」
「『良性腫瘍』……物騒な言い方ですね」
「まあ、続きを聞いてくれ。問題は、『悪性新生物』であった場合。私が干渉した反転世界は、まさにそのパターンだった。意図があるかのごとく『悪性新生物』である『転生者』ばかりがやってきていた。その結果、私が訪れた時点で、すでに手遅れだった。倫理観というものを知らない『転生者』たちにルールを変えられ、その特異な能力で荒らされ、もはや世界そのものが滅びる他、道はなかった」
それはあたかも、犯人の供述のようだった。教授は自分の過去の行いを顧みて、それが良くなかったと考えているのだ。
「でも、教授がその世界を救ったんじゃ」
「私が行ったのは、あくまで応急処置に過ぎない。あの世界に存在するあらゆる種族の持つ力、そして私の寿命をいくらか供出し、準同型写像となる世界を創り上げた。元凶である『転生者』を取り除いたこと以外、全て同じコピーの世界を用意したわけだ。その時点で生き残っていた人たちには全員移住してもらい、『転生者』とともに滅ぶ元の世界を見送った」
「それって、結構」
「強引だし、根本的な解決になっていない。それは私も分かっていた。しかし同時に、半分程度は問題の解決に至ったと、考えていた。実際はそれほど単純な話ではなかったがな」
教授がぐるり、と先ほど書いた「転生者」の文字を丸で囲んだ。
「この時、『転生者』だけが集まって、大きな影響力を持つコミュニティを形成する、という世界の分岐が誕生したようだ。私が仕事を終えたはずのあの時から何年か、それは一大コミュニティが形成されるまでの準備期間だったというわけだ。私はこの一週間の間に、その世界の存在を確かめ、そして前回のイレギュラーな世界間移動がこの特別な並行世界の存在によって起こったことを突き止めた」
「そこまで、分かったんですね」
「安心してほしいのは、この世界にまで影響は及ばないことだ。座標がかなり離れていて、ここの近所になる世界も影響を被っていないことが確認できている。近い座標を持つ世界だけが、歴史の転換点をねじ曲げられている」
そこまで言うと、教授は立ち上がり身支度を始めた。というより、用意を始めたのは手持ちのものだけで、部屋の奥にすでに大きな荷物は準備し終えているようだった。
「どこへ?」
「かの世界へ行く。間接的とはいえ、私が生み出した世界だ。私が責任を持たねばならない」
「でも、その世界も危険なんじゃ」
「……ふふっ」
俺ははっとする。振り向いた教授の顔が、儚げな微笑みを帯びていたからだ。正解を答えられた小学生を褒める先生のような軽やかな声だったのに、表情がまるで釣り合っていなかった。
「君の考える通りだ。彼らの行いがもたらした結果とはいえ、『転生者』に外部の第三者がひどい仕打ちをした、というのは事実だ。巡り巡って私が同じことをされても、文句は言えない」
「それって、」
「私は、次の世界でこの命を投げ打つつもりでいる。どのみちあと少しの人生だ、いくばくか早まってもそう大差ないだろう。田宮君、君を呼んだのも、せめて最後のお別れを誰かに言いたかったからだ。何も言い残せず鬼籍に入った者たちを、何人も見てきたから」
俺がここに来る前に、転送装置の設定もある程度済ませていたのだろう。簡単にいくらか操作をして、それから荷物を背負う。もうあと数歩、教授が進めば、目の前からいなくなってしまう。
「あ、あの!」
「うん?」
「それは……俺も、ついて行って、いいやつですか」
「何を言ってるんだ。危険性については説明したぞ。『転生者』はどんな能力を持っているか分かったものではない。私たちの常識では説明できない可能性の方が高いんだ。学生であり、未来のある君を行かせるわけにはいかない」
「でも、俺だって見たいんです。こんな嘘みたいな、SFみたいな話を大真面目に突き詰める学問があるんだってこと。常識で説明できないなんて上等だ。俺はそういう未知の世界こそ、刺激として必要だって断言できます」
「……君にどれほどの覚悟があるのか知らないが、普通の人間にとって命より大事なものはない。私が違うのは、老い先が短いからだ。この部屋には、私が残した私の思考が、記憶が、うんと眠っている。それらを読む頃には、君は立派に私の継承者になれているだろう。危険を冒してまで、実地で学ぶ必要はない」
「それでも、行きたいと言ったら?」
「……っ!?」
「教授が大事にしてるような、子どものような好奇心で、別なる世界に足を踏み入れるのはダメなんですか。それを禁止するのは、矛盾じゃないんですか」
論理が破綻しているし、ただのわがままだということくらい、俺も分かっていた。それでも熱量で押し切れると思っていた。教授はしばらく頭の中で考えを巡らせた後、大きく一つため息をついた。
「……いくら止めても、ついてきそうだな。君は」
「ええ。遠足ではぐれた時に、元通り合流できるほどには、大人ですから」
教授が荷物を下ろし、再び椅子に座った。俺の方を真っすぐ見て、少しためらった後、小さく口を開いた。
「……一週間後だ。一週間後の金曜、4限開始時間に出発する。本当についてくる気なら、それまでにここに来るように」
「分かりました。今の言葉、一字一句完璧に記憶しました。先に出発するようなことがあれば」
「約束は破らない。保証しよう」
「感謝します」
今日の講義は終わりだ。俺は教授に一礼して、部屋を出る。教授が小さく、独り言を言っているように聞こえた。
「私の、最後の贖罪に……付き合わせてしまうのか」
聞かなかったことにした。聞こえなかったことに、するしかなかった。
To be continued: REBIRTH_SYSTEM




