第十一講:歴史の分岐点、その見返り
「ここは……」
気づけば俺を取り囲んでいた転送装置はなくなっていた。何気ない広場に立っていて、あたりを見渡して気づいた。
「河原町、か?」
京町の繁華街の一つ、四条河原町。普段から大学に通う道すがら、飽きるほど見ている光景。それがそのまま目の前にあった。
「お、田宮君」
「あ、同じところに転送されるんですね」
「その通りだ。今回は……ぱっと見、元の世界と大差ないから問題ないかもしれないが、全く見知らぬ世界だった場合に転送座標が異なると、厄介だからな。こちらに来る前に言うのを忘れていた。転送されたら、あまりその位置から動かないようにしてほしい。瀬川君と来栖君も」
「うい」
「はい」
教授はもう一度あたりをぐるりと見渡して、それから俺たちについてくるように言った。
「どこに?」
「時計屋だ。日時が分かればどこでも構わないのだが……ああ、あるな」
鴨川に架かる橋を渡ってすぐのところに、数々の時計を売る店があった。2136年5月25日。俺たちの世界と全く同じ日時だった。慌てて腕時計を見る。時刻までほとんど変わらない。焦って教授の顔を見た。
「落ち着け。腕時計は? ふむ、止まっているな」
「え? あ? あぁ、ほんとだ」
「ゼンマイで動く時計はもはや絶滅危惧種だから説明を省くが、クォーツの振動由来の電気信号で動く時計を別の世界に持っていくと、1秒の定義や1Aの定義が異なるために停止する」
「ん? 1秒の間隔が変わるだけで、止まりはしないでしょ」
「鋭いな。実は並行世界の移動装置、あれ自体に時計を止める機能を搭載しているんだ。正常に世界間移動を達成できたか、確認するためだ。ちなみに、あまりにも定義や時間軸がずれている場合は、異常に電圧がかかったり、電池が一瞬で消耗したりして故障し止まる。前者の場合、元の世界に帰れば再び動き出すが、後者はそもそも故障しているため動かなくなる」
しかし時刻まで全く同じとは。
教授は小さくそうつぶやき、驚いてみせた。俺たちの世界に近いことは分かっていたようだが、ここまで近いとは思っていなかったのか。ただ、違和感がないかというと、それも違う。
「……そうだ。四条河原町にしては、静かすぎる」
「あぁ……確かに」
「2073年に京町市は戦争で一度荒廃しているが……その頃を彷彿とさせるような静けさだ。とはいえ、私も記録でしか見たことがないがな」
「さすがにあれから復興してない、ってことは」
「あるいは戦争がそもそも起こっていない、という可能性もある。何にせよ、自分がどのような世界に来たのか、自分の置かれている状況を把握することが最も重要だ。その世界の治安、時代背景、文化。見誤ると窮地に陥るだけでなく、最悪の場合命を落とす危険すらある。……そんな世界に実習で連れて行くことはあり得ないが」
俺たちはしばらく街並みを見ながら歩く。どうやら戦争が身近にあるような危険な世界ではない。それは教授の言葉通りなのだが、肌でもそれを感じられた。では平和なのかと言うと、それもそれで違う。行き過ぎた平和は管理、統制に結びつき、ディストピアと化すこともある。少なくともフィクションの世界では、過度に平和であること、戦争が起きないことを意識しすぎた結果、理想とは程遠くなってしまった都市も数多く存在する。戦争の対義語が平和であるとは限らないし、平和の対義語が戦争であるとも限らない。
「八坂神社に特に変わりはなさそうだな。手入れもされているし、完全に見捨てられたというわけでもない……」
「そうですね……でも、なぜ神社?」
「神に対する信仰心というのは、生活が安定してこそ生まれる。生きることに精一杯であれば、神に祈る余裕はそうそうない。天災や飢饉で危機に瀕し、神頼みをする光景はしばしば見られるが、境内を綺麗に保とうということまで意識は回らないだろう」
「ってことはやっぱり、戦争が現在進行形で起きてるような世界ではない、と」
「だろうな。となれば、本当に人がいないだけか。伝染病などで皆が外出を控えているわけでもなさそうだ。まず人の気配というものが、極めて少ない」
途中、奈落の底のようにぽっかりと口を開ける、地下鉄の駅入口があった。俺たちの世界では京阪電車の祇園四条駅に当たる。おそるおそる四人で中に入ると、電気という電気が点いておらず、コウモリの気配やネズミの鳴き声まで聞こえた。明らかに現役で使われていない。廃駅になったのか、それとも移設されたのか。
「こうなれば、歴史的に大きな分岐点があったと考えた方がよさそうだ。君たちもその昔、右京が平安京に遷都して間もない頃から荒廃していたことは知っているだろう。土地が低く湿地帯だったから、物流の拠点からは程遠かったからなどと言われているが、それに近いものをこの左京にも感じる。京町という街そのものを放棄せざるを得ない事情が、あったのかもしれない」
この世界での京町大はどうなっているのか、見てみたい気持ちがあったが、徒歩以外にまともな交通手段がなさそうで断念した。代わりに、近くに博物館らしき建物があったので中に入る。入館料は要らなかった。というより払う場所がなかった。かつて博物館だった場所、というだけで、運営されているわけではなさそうだった。
「文化財さえ放棄されている……歴史的財産を軽視するような出来事があった、ということか……?」
「他の博物館に展示物が移動されてそうな形跡はないですね……全部、本物っぽいし」
「……ん」
ふいに教授が一つの元展示の前で立ち止まり、俺たちに指し示した。歴代室町将軍に関するものだった。
「先に言ってしまうと、我々の知る歴史では9代将軍は義尚だ。8代義政と日野富子の間に生まれた子で、先に次期将軍に指名されていた義視と対立した。その結果大名家の家督争いを包括し、最終的に京の街を舞台にして起こったのが」
「……応仁の乱」
「そう。最終的に私たちの知る歴史では義尚が将軍位になっているが、この世界では義視。すなわち『義尚が生まれなかった』『応仁の乱が起こらなかった』『義尚が早世し義視に家督を譲らざるを得なかった』などが考えられる」
「いずれにしろ、俺たちの世界とは大きく歴史が異なる、ってことですね」
「そうだな。特に私は、『応仁の乱が起こらなかった』のが最も真実に近いと思っている。その後の世界を変えるほどの出来事を回避しても、大抵の場合後の時代にその代償を払うように並行世界はできている。そのヒントとなるのが、これだ」
教授は少し時代が空いて、第二次世界大戦の頃の記録を指差した。京町御所や清水寺、伏見稲荷大社の境内に陸軍兵が溢れ、本殿や鳥居に機銃掃射の痕がついている写真。「京町市街地戦」との題がついていた。
「これは……」
「沖縄がそうであったように、この京町も戦場となったのだろう。文化財の破壊もやむなし、と当時の人間が判断したのかもしれない」
「そんな……」
「後の世まで自分の行いが残るかどうか、それを考えられる人間は意外に少ない。歴史に学び、教訓を生かすという発想になる人間が少ないからだ。歴史に固執するのは愚策だが、軽視しすぎるのもまた考えもの。しかしそれを理解できる頃には、年老いて自らの経験を後世に伝えられなくなっていることも多い。結局一部の聡い人間が、歴史から学ぶべきことを抽出し、それを皆に伝える。私たちはそれを享受するしかない構造になっている」
保存していた文化財のほとんどを戦火によって消失し、千年の文化都市としての価値を失った京町のその後は、言うまでもない。戦後すぐこそ復興に励む人間もいたが、やがて地方の果てがそうなったように、過疎化の波に巻き込まれほとんど廃墟と化した。この世界における京町は、戦後何の変哲もない限界集落となってしまったのだ。一歩歴史が分岐するだけで、全く異なる景色が広がる。それを目の当たりにして、俺は上手く言葉を紡げないまま立ち尽くすしかなかった。
「田宮君」
「……はい」
「君が選んだのは、比較的穏やかな世界だ。私たちの世界を基準とした時に、比較的乖離が少ないと考えられる世界。結果的に乖離が少ないわけではなく、偶然治安や豊かさといったマクロな視点で似通っていただけだったが。それでも歴史が一つ違う方へ向かっただけで、ミクロな視点ではこれだけの差が生まれる。どちらの歴史が正しい、などと言うつもりはない。別なる世界を渡り歩くことのできる数少ない人間として、まずは数々の並行世界が織りなす多様性を、よく理解する必要がある。私からまず伝えたいのは、その一点だ」
「はい……」
「瀬川君、来栖君。まだどのような世界になるか、私も見ていないが、君たちが選んだ値はこの世界よりも厳しい。叱るつもりもないし、やり直せと言うつもりもない。君たちが値を本当に適当に選んだこと、そしてそう選ばせたことは楽しませられなかった私の責任だからな。ただ、分岐を繰り返した結果悲惨な末路をたどっているように見える世界も、一度その目で見るべきだとは思う。例えば、人類そのものがいなくなってしまった世界であっても」
まるでその例を見てきたかのように、教授は二人に語りかけた。叱るつもりはない、と言っても、ある程度は戒めているのが明らかだったから、二人は黙るほかなかった。
かつて展示だったものを一通り見てから、俺たちは集合して別なる世界を後にする。帰ってきてみると、時刻は講義終了から十分オーバー。腕時計も再び動き出した。
「来週は来栖君の選んだ世界を見てみよう。私も慎重に選定しておく」
教授のその言葉で解散となった。少し重く暗い気持ちが、講義室から出た俺たちを支配していた。




