第五章 小さな別れと白き出会い3
「えっ、出発した?」
高度な宇宙文明の技術で整地されたリゾート地マッマサ。その町の中央に位置する高級ホテルのカウンターの前でトオルは愕然とした。
――そんな話、聞いてないぞ
指定された住所を頼りにホテルへとおもむいたものの、あろうことか受取人は旅行者で、しかも出立した後だったのだ。
「なんでも、ルゥザフォ湖を観光して帰るとかで、予定より早くチェックアウトしたケロよ」
「そんな……」
ガマガエルもどきならホテルマンの言葉に、トオルは肩を落として立ち尽くした。
シアスから二時間。ノンストップでライドマシンを飛ばしてきてみれば、肝心な受取人は不在。しかも相手の定住先も分からないというのだから、もうお手上げ状態だ。
――どうすれば良いんだ
いっそのこと配達を放棄しようかとも思った。しかし、そうなれば受取人から依頼主であるガラへと連絡がいくかもしれないし、ゆくゆくはケイニャにまで捜索の手が及ぶ可能性もある。
――それだけは絶対ダメだ
すると見かねたガマガエルもどきが言う。
「オラの見た印象では、外惑星の星人のようだったから、トラプヤ駐機場で待ってては、どうだケロ?」
フロントマンにしてみれば気休め程度の助言だったのだろう。だが、トオルにとっては神の助言に等しかった。
「知っている限りでいいですから、その人の特徴を教えてください!」
トオルは迷うことなくカウンターに身を乗り出し、ガマガエルもどきにすがりついた。
――まだ間に合う!
トラプヤへ向けて、一路街道を疾走するトオル。
「確か、非獣人のお連れさんを従えた白い獣人だったケロよ。乗り物は確か……そうそう、アンタが乗っているような宙を浮く白い箱型の乗り物だったケロ」
受取人が出立したのは2時間前。南に位置するルゥザフォ湖への距離は、時間にして約2時間少々。その間にトラプヤ駐機場に先回りして待ち構えていれば、間違いなく会えるはず。
――このスピードなら、予定より早くトラプヤに着けるぞ!
シールドスクリーンに映し出されたナビ情報を再確認し、ライドマシンの速度をさらに上げる。それに伴い、視界隅に映る両端の草原と木々が一瞬にして後方へと過ぎ去っていく。
クォォォォォォォォォォォォオーーン!
唸るリアクターエンジン音とヘッドギアのシールドを擦る風切り音を耳にしながら、うねる街道筋に沿って車体を傾けていく。
ある一定の速度を超えてから、まるで世界が別次元のように止まって見えた。脳から大量分泌されるアドレナリン。加速するほど研ぎ澄まされていく五感と動体視力。その自身の感覚を信じ、右へ左へと押し倒しマシンをコントロールしていく。
――本当にこのライドマシンは凄いよ、アロさん!
リアクターエンジンのポテンシャルと、操縦者の反応をダイレクトに伝えてくれるハンドリング。その操作性と機動力に心が高揚していくのが分かった。視界の隅に映る山脈が、頭上にある太陽が、まるで自身を追いかけてくるようにすら感じられるほどだ。
時速200キロを超える速度の中でナビをチラ見すれば、目的地はもう目の前まで近づいていた。到着まで、あと15分。予想よりも早い到着時間。上出来だ。……と、眼前に視線を戻した瞬間、遥か遠くで街道を横切る小動物の親子が目に飛び込んできた。
「何っ!」
目前に迫る小動物に、トオルは反射的にフルブレーキングした。コンマ数秒の回避動作のはずなのに、まるでスローモーションを見ているようだった。危機を感じ、身を硬直させる小動物。その向けられた視線に呼吸が止まった。
――ヤバいっ! ぶつかる!
迫る危険に対して様々な言葉が脳裏を駆け巡った。気づけば、頭よりも体が反射的に動き、左へと急ハンドルを切っていた。そして小動物の横を掠め過ぎた瞬間
ズザァァァァァァァァァァァァァァァアッ!
バランスを崩し、吹き上がるエンジン音と共に地面の上を氷上のごとく滑るライドマシン。肩から地面に落ち、立て続けに全身を強打し、同時に天と地がグルグルとひっくり返っていく。その激しい転倒の中で、ほんの一瞬だけ微笑む猫娘がまぶたの裏にチラついた。
『わらわも、おぬしに逢えること楽しみに頑張るぞ』
――ごめん、保子莉さん……。もう遭えないかも……
気づけば、なぜか街道のど真ん中に投げ出されていた。
――どこだ……ここ?
垂直に伸びる水平線が視界に入り、混乱していた記憶が蘇る。
――そうだ……転んだんだ……
トオルは上半身を起こし、酔った三半規管を戻そうと首を振った。
――ライドマシンは? 僕のマシンはどこだ?
平衡感覚と方向感覚が定まらないまま必死になって辺りを見回せば、街道後方……いや前方の茂みに埋まるようにマシンが横たわっていた。
――事故ったのか?
実感の湧かない光景を目の当たりにしながら、手首や肘や膝を曲げ、正常に曲がることを確認する。
――良かった。耐ショックジャケットのおかげで、怪我はないみたいだ
奇跡的なことにかすり傷ひとつなかった。とは言え、ジャケットとパンツの至る箇所が激しく磨耗し、擦り切れて穴が空いていた。
――荷物は? 荷物は大丈夫なのか?
これだけの衝撃だ。破損している可能性があった。そして立ち上がろうとした瞬間、ズキンッ! と左足首に激痛が走った。
――骨折?
いや、違う。骨折ならば立ち上がることも困難なはずだ。きっと打撲か捻挫だろう。
――それよりもライドマシンと荷物が心配だ
左足を引きながら横たわるライドマシンに歩み寄って、愕然とした。ボディのあちらこちらに刻まれた深い傷。風除けを兼ねたHUDスクリーンは無残に砕け散っていた。
「とにかく起こさなきゃ」と荒い息を吐きながらハンドルを掴んだ。
――頼むから、かかってくれよ……
故障していないことを祈りながら、リアクターエンジンを再始動するれば、何事もなかったかのようにエンジンが息を吹き返した。どうやらエンジンは無事のようだ。と垂直に浮遊したボロボロのライドマシンを引き起こした。
――これなら走れそうだ
深手を負った外観の割には、ハンドルやフレームなどに大きな損傷は見られなかった。
――荷物は大丈夫かな?
リヤボックスを開け、品物を確認してみた。こちらも大丈夫だ。ガラから預かった荷物は無傷であり、自身の左足とライドマシンの傷以外はほとんど変わりはない。トオルはマシンに跨ると、ギアを入れてアクセルスロットルを開いた。だが、マシンは唸るだけで1ミリも前進しなかった。
――何で走らないんだ?
何度も何度もギアを入れ直してアクセルスロットルを回すものの、一向に走る気配をみせない。
――何で動かなくなってしまったんだ?
何回か再始動を繰り返すものの、症状は改善されず……いたずらに時間が過ぎていく。破損したHUDスクリーンの代わりに、端末の地図を使ってトラプヤまでの距離を確認すれば、約15キロほどの道のりだった。転倒前なら10分もあれば余裕で到着する短い距離。だが推進機能を失い、自走不能となってしまった以上、それもままならなかった。
――行かなきゃ……それでも行かなきゃ……
煽られるような使命感が胸中を巡る。ケイニャのためでもあり、見張りを買って出た再生体のためにも、自分の役目を果たさなければならなかった。トオルはマシンから降りると、浮遊するライドマシンを押しながら、徒歩における所要時間を計算する。
――だいたい4時間……くらいか……
歩いていたのでは日が暮れてしまう。トオルは汗で染みた耐ショックジャケットを脱いでリアボックスに放り込むと、マシンを押して走り出した。定かではない受取人の出星時間。それまでに間に合うのか、間に合わないのかさえ分からなかった。……が、それでもトオルは脚を止めず、懸命になって歩き続けた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
痛む左足首に、額から脂汗が滲み出てきた。それでもハーフマラソンよりも短い距離だと、自身を鼓舞した。だが足に負った怪我により、気力と精神力が削り取られていく。気力に伴わない短い歩幅。地図を見れば、思っていたよりも距離が縮んでいなかった。
――喉がカラカラだ
トオルはリアボックスから飲料水と携帯医療キットを取り出し、その場に腰を下ろした。痛みに顔を歪ませてブーツを脱げば、足首部分が紫色に腫れあがっていた。
「くそ……」
想像よりも酷い状態に眉をしかめた。それでも足の向きが変わっていないだけマシだった。トオルは湿布バンテージで足首を固めると、ハイカット部分を緩めたブーツを履き直し、踵で軽く地面を蹴ってみた。
――まだ痛いけど、これなら何とかなりそうだな
ゆっくりと立ち上がって歩いてみる。だが、すぐに激痛が走った。
――ダメだ。とてもじゃないけど歩けない
ライドマシンのハンドルを握ったまま、立ち尽くす。
――こんなことなら、左足なんか診なきゃ良かった
怪我を直視していなければ、まだ歩けたかもしれない。とトオルは痛む左足を庇うようにして、右足に重心を乗せたまま考えを巡らした。
――こうなったら、ヒッチハイクをしてトラプヤに行くしかないか
真っ先に思いついた他力本願。だがシアスからここまでの間、ゾッタはおろか現地住人すら出くわしていない。
――仕方ない。誰かに連絡して、救助に来てもらおう
配達を諦めて救援要請をしようと端末を手にした時だった。不意に背後からリアクターエンジンの音が。振り返って眼を凝らせば、タイヤの無い白い車両らしき物が砂埃を上げて、こっちに向かって近付いていた。
まさに奇跡だった。
トオルは街道を塞ぐようにして、ど真ん中に立ちはだかると、無我夢中で両手を大きく振った。
――これを逃せば、たぶん次のチャンスはない。
頼むから停まってくれ! すると、その願いが通じたのか、リムジンタイプのライドカーが目の前で停車した。
「どうかされましたか?」
運転席から降りてきたのは、黒髭を蓄え、丸眼鏡をかけた非獣人の中年男性だった。ビシッと決めた正装。男は襟を正しながら、少しだけ迷惑そうな顔をしている。街道のど真ん中で道をふさがれて迷惑なのは分かっていた。だがトオルとしても、ここで見捨てられるわけにはいかないのだ。
「すいません。もし良ければ、トラプヤまで乗せていってもらえませんか?」
無理を承知で懇願するトオルに、運転手は露骨に眉根を寄せ、スクラップ寸前のライドマシンを一見して言う。
「残念ですが、協力することはできません。他を当たってください」
「ま、待ってください!」
トオルは足を引きずって、踵を返す髭男の前に回り込み、もう一度切願した。
「お願いです! トランクでも構わないので、どうか乗せてくれませんか」
「できません」
「そこを何とか、お願いします!」
食い下がるトオルに、ウンザリした表情を見せる運転手。やはりダメか。と、トオルが諦めかけた時だった。
「いったい、どうしたのです?」
振り返れば、ライドリムジンの後部座席から獣人女性が降り立っていた。品の良い声と共に現れたのは艶麗な女性だった。透き通るような白い肌と金色の瞳。端整な目鼻立ちに長い白髪。そして頭には髪色と同じ色の猫耳が生えていた。
――猫族の人?
保子莉と同族種であろう獣人女性。歳も保子莉と同年代か、もしくは年上ぽかった。
「いえ、お嬢さまのお手を煩わすほどのことではございませんので、お車にお戻りください」
すると白き獣人女性が、わずかに困惑の表情を見せた。
「そういう風には見えないようですけど」
そして満身創痍のトオルを見やり
「見たところ、お困りのようですね」
その温情の声に、運転手の表情が曇った。
「お嬢さま。素性の知れない非獣人に関わってはいけません」
まるでホームレスでも見るような視線を向ける黒髭男。砂埃で汚れ、ズタボロになった身なりでは、そう捉えられても仕方がなかった。だが、獣人女性はそんなことを気にする風もなく、自らトオルに申し出る。
「わたくしどもで良ければ、お力になりますよ」
差し伸べられた温情に、トオルは黒髭男を差し置いて街道上に跪いた。
「お願いします! 僕をトラプヤに連れてってください! どうしても届けなければいけない荷物があるんです!」
額を地面に擦りつけた懇願。迷惑なのは分かっていた。だが、約束の荷物を届けるにはこれしか方法がないのだ。
「どうかお顔をお上げください。ところでつかぬ事をお伺いいたしますが、もしかして……あなた配達屋さんでしょうか?」
その問いに、思わず女性を見上げた。
「そうですけど」
すると女性は両手を胸元で小さく合わせた。
「不躾で恐縮なのですが、もしかして私宛への配達物をお預かりになってませんか?」
そう言って『ワーゼル・セイ・クラヴェル』と名乗る獣人女性。奇遇にもマッマサのホテルで滞在していた受取人名義と同じ名前だった。しかもルゥザフォ湖に寄ってきたと言うだけに、受取本人であることは明白だった。トオルはすぐにライドマシンのリアボックスから荷物を取り出すと、遅配したことを詫びた。
「遅れてすいませんでした! これが依頼主から預かった荷物です!」
もちろん荷物は無事です。と付け加えることも忘れなかった。
「確かに受け取りました。そして責任を持って届けてくれたことに、大変感謝します」
ニッコリと微笑み、受け取った荷物を黒髭男に手渡す獣人女性。これでガラとの約束を果たせることができた。と、トオルが安堵していると
「それよりも、お怪我をなさっていられるように見えますけれど、お身体の方は大丈夫ですか?」
優しく気遣ってくれる女性に、トオルはやせ我慢をして答えた。
「いえ。このくらいの怪我、何ともありません」
「しかしお見受けしたところ、配達用の車両も傷んでおられるようですけど」
すると黒髭男が眼鏡を押し上げて言う。
「私の見立てでは、この者のマシンは走行不能と思われます」
整備工場などに持ち込まない限り、修理はできないかと。と、黒髭男がマシンの損傷具合を伝えると、女性は金色の瞳を見開いて驚倒した。
「まぁ! それは、さぞお困りでしょう。ウーヴ。この方を助けてあげるわけにはいきませんか?」
するとウーヴと呼ばれた運転手は「分かりました」と女性に頭を下げた。
「ただし、この車では牽引することができませんので、ライドマシンはこの場に置いていってもらうことになりますが、よろしいですか?」
ウーヴの問いに、トオルは頷くしかなかった。頼まれた最後の配達も終えた後だけに、ライドマシンを押してトラプヤに向かっても良かったのだが、怪我を負った不自由な足では気が滅入ってしまいそうだったからだ。
「お願いします」
愛着のあるライドマシンを置き去りにしていくことに気は引けたが、みんなと合流することが先決だ。
――あとで誰かと一緒に取りに来よう
「それでは助手席の方へお乗りください」
ウーヴの指示に従ってリムジンに乗車した。これで一安心だ。後ろを見れば、ウーヴが獣人女性の乗車を見届け、跳ね上げ式ドアを静かに閉めていた。
「それでは出発します」
「えぇ、お願い」
ウーヴは運転席に乗り込むとエンジンを始動させた。
静かに動き出すライドリムジン。快適に温度調整された閉鎖空間。外界の音が遮断された車窓の景色は、まるで無音動画を見ているような気分だった。そんな中、チラリと隣のウーヴを垣間見れば、相変わらず無愛想な表情でハンドレバーを握っている。
――気まずいな……
すると、背後から鈴の音のように美しい声が響いた。
「ところで配達屋さん。もし差し支えなければ、お名前を教えていただけますか?」
獣人女性の問いに汗が吹き出た。助けてもらったのに、名乗りもしなかった自身の無礼。常識的に考えて、それはとんでもないほど失礼なことだった。
「名乗り遅れてすいません!」
と慌てて後部座席へ身をよじり、フルネームで名乗る。だが獣人女性は気にする風もなく、口元に手を当ててクスクスと笑っていた。
「そんなに固くならないで、お気を楽にしてくださいな」
「はい!」と反射的に背筋を伸ばすと、獣人女性がまた笑った。
「それで、もしトオルさんさえよろしければ、トラプヤに着くまでの間、わたくしのお話し相手になっていただけませんか?」
白い猫耳をわずかに震わせ、聞き耳を立てる獣人女性。助けてもらった恩も含め、お相手することに不満はなかった。
「それで、トオルさんは何しにトラプヤへ?」
「実は、仕事仲間と落ち合う約束をしてまして」
とトオルはどんな言葉を使って良いのか分からないまま、獣人女性の質問に答えていた。使い慣れない敬語を駆使し、頭の中が真っ白に染まっていく。その心中を知ってか知らずか、質問に応じる度に獣人女性が楽しそうに笑みを浮かべていた。
「ありがとうございました」と、トオルはトラプヤ駐機場のゲート前で深々と頭を下げた。
「私の方こそトオルさんとお会いできて、とても楽しかったです」
微笑みを浮かべながらライドリムジンの後部座席に乗込む女性。黒髭男はそれを見届け、後部ドアを静かに閉じた。
「それでは、わたくしはこれで。また、ご縁がありましたらお会いしましょう」
閉まる窓に遮られていく獣人女性の笑顔に見とれていると、ウーヴがトオルに忠告を添える。
「誠に恐縮ですが、今回、わたくしどもと会われたことは、どうか他言無用でお願いいたします」
どうしてなのだろうか? と、トオルが疑問に思っていると
「今回、私どもは大事な内偵目的の検分で来星しております。ゆえに、このことが公になることはあまり好ましくはないのです」
想像するに高官関係者のお忍びということなのだろうか。それなら、助けを求めた時に、断られた理由も何となく合点がいく。
「特に同族種の猫族には、知れてはならない機密情報なのです」
なぜ? と、問いたかった。……が、無理を言って助けてもらった以上、踏み込んだ詮索などできるはずもなく、トオルは喉まででかかった疑問を飲み込んだ。
「分かりました。約束します」
するとウーヴの目が、眼鏡の奥で細く微笑んだ。
「ご理解、誠にありがとうございます」
それではわたくしどもはこれにて失礼します。と、ウーヴは一礼して運転席に乗り込んだ。ゆっくりと駐機場ゲートに向かって走り出すライドリムジン。その去り際、後部座席から品良く会釈する白き獣人女性の姿がトオルの眼に映った。
――奥ゆかしい人だ
まるで女神さまのような仕草に、惚けた顔をして車両を見送っていると
「久しぶりじゃの、トオル!」
不意に背後から誰かが飛びついてきた。振り向けば、鼻先に黒い猫耳を生やした笑顔があった。
「久しぶり、保子莉さん」
彼女の表情から察するに、どうやら他の配達チームも無事に仕事を終えたようだ。……が、すぐに保子莉の表情が一変した。
「トオル、この身なりはどうしたのじゃ? いったい何があったのじゃ?」
ボロボロになっているトオルの体を触りまくり、オロオロと慌てふためく彼女。その狼狽振りに、思わず吹き出してしまった。
「ここへ来る途中、ちょっとコケちゃって」
でも大丈夫だよ。と、頭をかいて苦笑った途端
「アホかぁーっ! 何で、そんな大事なことを早く言わんのじゃっ!」
その後はもう大変だった。ライドマシンで転んだ場所を問われ、無茶な運転を指摘され、さらに連絡を怠ったことなどなど……延々と怒られた。もちろん助けてもらった獣人女性のことは伏せ、話を濁したのは言うまでもない。
「ともあれ、無事で何よりじゃ」
おもむろに抱きつき、トオルの胸に顔を埋める保子莉。表情は見えなかったが、小さな肩を震わせて鼻を啜る彼女に、トオルも流石に笑うことができなかった。
「心配かけてごめん」
彼女を安心させようと、両腕でもって目の前の小さな背中を抱いた。同時に両親がバイクの免許取得を反対する理由が少しだけ分かったような気がした。
――免許、どうしようかなぁ……
と、目標だった免許取得を躊躇するトオルだった。
それから数日後のこと。
とある惑星にて。
「ウーヴ。首尾はどう?」
豪華な調度品に囲まれた自室のソファーに横たわり、召使いに爪磨きをさせる白き獣人女性。その傍で黒髭男が眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。
「当初の計画通り、トラプヤ駐機場内に放置した配達物は駐機場の検疫に引っかかり、ンカレツッア星府が調査に乗り出しました。その結果、今回の配達に関わったシーグレー・ホズリが運営する商船を割り出した模様です」
「そう。それで弟のノーグァの方は?」
「そちらも、万事抜かりはありません」
「……仕上がりが楽しみね」
黒髭男に視線を向けることなく、芸術品のように整っていく猫爪を見つめて甘美の声を漏らす白き獣人アガミ。
「もう下がって良いわ」
主人の命令に従い、頭を下げて背中を向けるウーヴ。そして退室間際、アガミが付け加えた。
「もし、ンカレツッア星府の対応が遅いようなら、必要な情報を与えて焚き付けなさい」
「かしこまりました」
黒髭男はそう応え、部屋を出ていった。
「良い感じに仕上がったわね」
アガミは磨き終えた猫爪を眺めながら悦に入り……そして獣人娘の召使いに言った。
「ねぇ、知ってる? あなたの前任者が、なぜクビになったのか?」
途端に獣人召使いが身を硬直させた。
「い、いいえ。存じません」
戸惑う表情で体を震わせる召使いに、アガミは妖しく微笑した。
「そう……。なら、良いわ」
だが、召使いは知っていた。爪研ぎ奉仕の際、手元が狂って大事な猫爪に小さな擦り傷を付けてしまい、アガミに右腕を切り落とされたことを。
「もう下がって良いわ。あ、それから、もしキュートを見かけたら、部屋に来るよう伝えて頂戴」
「かしこまりました」
と獣人召使いは会釈をし、足早に部屋を出ていく。そして、ひとりになったアガミはバルコニーに出て空を見上げた。
「果たして、ホズリ(あの子)は、どんな顔をするかしら?」
楽しみだわ。と目を細め、静かに微笑む白猫だった。





