第五章 小さな別れと白き出会い1
「あのぉ、大丈夫ですか?」
地に伏せて倒れている者に対し、恐る恐る問いかけるケイニャ。だが返事もなければ、動く気配すらない。
「もしかして……死んじゃってるのかな?」
フードマントを頭からスッポリと被り、めくれた裾からは大きな尻尾を覗かせ、腰元からは皮袋とダガーナイフが見えていた。側で草を食んでいるゾッタ。背負っている鞍鞄と野営道具から、ワニ族の旅人だと判断できた。きっと旅の途中で食料や飲料水を切らしたか、もしくは病気にかかって行き倒れたのかもしれない。いずれにしても放っておくわけにもいかない。と近づいた瞬間
――そうだ……。そのまま、もっと近くに寄ってこい……
「えっ?」
微かだが、不意にそんな思念がケイニャの脳裏を掠めた。だが、辺りを見回してもゾッタ以外誰もいなかった。
「と、とりあえず起こさなきゃ!」
まだ息があれば介抱しなければならないし、仮に死んでいるなら墓標を作ってあげなければならなかった。ケイニャは自身の三倍もあろう巨体をゴロリと仰向けに返した。
その瞬間、閉じていたワニ男の目がクワッと見開いた。
「やっと見つけたぞ。ケイニャ」
不意に伸びるワニ男の手を振り払い、後ろへと飛び退くケイニャ。
「なな、なんですか、あなたは?」
「ガラにお前の身を託された者さ」
一瞬にして幼き顔に恐怖の色が浮かんだ。
『いっそのこと、あの子を売ったらどうだ?』
家出前夜に聞いた密談。ガラから人身売買を請け負った男の声と同じものだった。ワニ男は立ち上がると、服に着いた砂埃を払った。
「まったく、お前さんの足取りを追うのには苦労させられたぞ」
そう言ってゾッタを呼び寄せ、手綱を引くワニ男。
「同行者の連中もいないようだし、これで心置きなくお前を連れていけるってもんだ」
どうやらワニ男はここ数日の間、ライドクローラーを付け回し、ケイニャたちを観察していたようだ。
――連中は夕方になるまで戻ってきやしねぇし、楽な捕獲になりそうだ
感じ取れたワニ男の心の声に、ケイニャの表情が恐怖で歪んだ。
「まぁ、どこのどなた様かは知らねえが、身綺麗にしてもらったことに感謝をしなきゃな」
おかげで高く売れそうだ。と値踏みするワニ男に、ケイニャは一歩退き、口元を震わせた。
「さぁ、俺と一緒に来るんだ」
手を差し伸べるワニ男に対し、幼女は恐怖におののき、ライドクローラーの方へ踵を返して走り出した。
「逃がすかよっ!」
爬虫類の大きな手がケイニャの小さな頭を鷲掴み、容赦無く地面へとねじ伏せる。
「あうっ!」
「そんなに慌てて、どこへ行こうってんだ?」
大事な金ヅルを逃がすかよ。とニタニタと笑うワニ男。虫酸の走るその声に、ケイニャの背筋が凍りついた。
せっかく逃げてきたのに。
せっかく自由になれたのに。
それなのに、それなのに……。
捕まってしまったことの悔しさと逃れられない運命に、ケイニャは絶望を覚えた。
助けてくれたトオルを始め、再生体やディアにもお礼を述べることもなく連れ去られ、生き別れた姉妹たちとの再会を果たせずに終える生涯。
いやだ……いやだ。ここまできて、そんなの絶対にいやだっ!
うつ伏せ状態から頭をあげようとするケイニャ。だが、ワニ男の力はそれ以上のものだった。
「ジタバタするんじゃねえっ!」
張り上げた大声に驚いたゾッタが嘶きながら後退りする。それでも幼女は抗うことをやめずに抵抗した。
「いやですっ! ウチはどこにも行かない! 行きたくないっ!」
口の中に入った砂が奥歯でジャリっと音を立てた。押し潰される顔の痛みよりも、踏みにじられる心の痛みの方が何倍も痛かった。その痛みに我慢ができず、幼女は嗚咽を漏らす。
悔しい。悔しい……。
無力で非力な自分が悔しかった。同時に燻る感情が小さな胸の中で膨らみ、いつしか憎しみへと変化していく。
これ以上、ウチの自由を奪おうとしないでっ!
あらん限りの力でもって両腕を立て、体を跳ね上げるケイニャ。その勢いに押され、ワニ男が無様に背中から地面へとひっくり返った。
「このクソガキ! 往生気が悪いぞ!」
火を吐くように口を開いて罵倒するワニ男。……が、次の瞬間、自分の腰元を見て表情を固くした。
「へぇ……。俺から獲物をかすめ取るとは、なかなかやるじゃねぇか」
「近づいたら刺しますよ! 本気なんですから!」
とワニ男が所持していたダガーナイフを握りしめるケイニャ。刃渡り約20センチほどのナイフ。その向けられた刃先に、ワニ男が眉をひそめた。
「おいおい。どこで覚えたのか知らねぇが、構えがシャレになってねぇぞ」
隙のない両手持ち。微かに振るえている刃先。一見すれば、怯えているように見えなくもない。だがワニ男も素人ではない。十分な間合いを取って身構えていた。
「こんなことをして、タダで済むと思うなよ」
これは脅しじゃねぇぞ。と、睨みを効かせるワニ男に、幼女も無言で睨み返す。その研ぎ澄まされた目は、手にしているダガーよりも鋭いものだった。それだけにワニ男も余計な言葉を発しなくなっていた。
「…………」
「………………」
大きな尻尾を引きずりながらジリジリとにじり寄るワニ男に対し、横へ横へと立ち位置をずらしていくケイニャ。ここで捕まって売られれば、もう安息の日々はない。それだけに油断はおろか、よそ見さえも許されなかった。そして長い睨み合いの末、ケイニャが先に動いた。
「やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!」
気合い声と共に相手の懐に向けてダガーを突き出した。もちろん相手を殺そうという意思はなく、ただ単に怪我を負わせ、相手の戦意を喪失できさえすればいいと思っていた。
ザクッ!
確かな手応えが柄を通して両手に伝わった。だがワニ男の皮膚は想像以上に硬く、厚手のマントに穴を空けただけだった。
「えっ?」
次の瞬間、背中を向けたワニ男の太い尻尾が横っ腹へと叩き込まれ、ケイニャは宙を飛んでいた。
「うぅ……」
地べたを這い、痛みを堪えながら武器を握り直すと、ワニ男が高慢な笑みを浮かべた。
「そんな短いナイフで俺が倒せると思ったか?」
思わず怖気付くケイニャ。相手の戦意を奪うはずだった会心の一撃。……なのに、まるで効いてない。
「さぁ、そいつをよこして、俺と一緒に来るんだ」
手招きする相手に、ケイニャは痛む脇腹を我慢して再び身構えた。
「この後に及んで、まだ歯向かおうってのか」
このクソガキが。と、唾棄するワニ男。体力も闘技も相手の方が上手。それでもケイニャは諦めなかった。捕まるくらいなら、ここで死んだほうがマシだ。と、ジワリジワリと詰め寄ってくるワニ男の急所を探していると
「眼でも狙うつもりだろうが、ガキのお前には指一本触れることはできないぜ」
太く大きな尻尾をズルリと一振りして地面を叩く。その音に、幼女の小さな体がビクッと震えた。
「お遊戯の時間はここまでだ」
気づけばワニ男が間合いを詰め、長い尻尾を振るっていた。今度は肩への横殴り。その威力は丸太で押しやられるような衝撃だった。ゴロゴロと地を転がり、激痛に堪え、呼吸を乱しながら落としたナイフに手を伸ばすケイニャだったが
「おっと、そうはさせねぇ」
ワニ男は嘲笑いながら、ダガーナイフを取り上げ、幼女の結わえた髪を掴み上げた。
遥か前方で停車しているライドクローラー。その巨大な車両の前でうごめく人影を捉え、己の推測が確信へと変わった。
――やっぱり誰かいる!
砂塵を巻き上げながらサブマシンガンを構え、標的となる相手を見定める。
500メートル……300メートル……。
徐々に近づくにつれ、対象者の姿がハッキリしていき……そして抗う幼女の髪を掴み上げるワニ男を見るや否や、トオルはサブマシンガンの引き金に指をかけた。
――くそっ! ワニ男とケイニャが近すぎる!
ライドマシンの接近に気付いたワニ男と目が合い、トオルは標的をゾッタに変えて連射した。混乱を狙った射撃。思惑通りゾッタは嘶き、あさっての方向へと駆け出した。
「くそっ! 大事なゾッタに何てことをしやがる!」
ワニ男はケイニャを手放して走り出すも、ゾッタの脚力に追いつけないことを知り、数歩で足を止めた。その隙にトオルはケイニャを背にしてライドマシンをドリフト停車させた。
「おいおい。にいちゃん、どこの星人だか知らねえが、俺の仕事の邪魔をしないでほしいもんだな」
ヘラヘラと愛想笑いを浮かべるワニ男に、トオルは怯えるケイニャを引き寄せて言う。
「ふざけるな! 人身売買のどこが仕事だ!」
サブマシンガンの銃口を向けたまま牽制していると、ワニ男もダガーを逆手持ちして構える。
「にいちゃんの星はどうだか知らんが、この星は同情や情けで生きていけるほど優しい世界じゃねぇんだ」
だから、早くそいつをこっちに寄こしな。そう言って、左手でケイニャを招くワニ男。
――もしかして、ヤバイ奴を相手しているのかも
不気味な笑顔を浮かべて近付く相手。一見すれば二足歩行のできるただの爬虫類に見えなくもない。だが、ワニ男の目にはハッキリとした殺意が宿っていた。
――ここで闘うか? それとも一旦逃げるか?
しかし、逃げたところでどうする? ワニ男のことだ。きっと放置したライドクローラーの前で待ち続けるかもしれない。だとすれば選択肢はひとつ。ここでワニ男と闘って、二度と幼女に近付かせないようにするだけだ。
――とにかくケイニャを守らないと
幸いなことに相手は飛び道具の類を持っていない。ならば、ライドマシンに乗って距離を取り、遠距離から射撃をすれば何とか撃退することができるだろう。
「ケイニャ、後ろに乗って」
と対峙する相手から目を反らしたときだった。
「逃がすかよっ!」
マントを翻し、背中を向けて太い尻尾を振るうワニ男。間合いは十分にあった……はず。だが、ワニ男の狙いはトオルではなく、ライドマシンだった。
バキンッ!
尻尾でもって弾かれたライドマシンの鼻先。その強い衝撃によってマシンは簡単にひっくり返され、乗車ステップに足をかけていたケイニャ共々、地面に放り出された。盲点だった。ダガーナイフばかりに気を取られ、尻尾を見過ごしていた。
「くそっ!」
迷わず地面に転がったサブマシンガンに手を伸ばす。……が、銃のグリップを掴んだ瞬間、二撃目の尻尾がトオルの頭を容赦無く打ちつけた。
「くっ!」
天地がひっくり返るような衝撃。もしヘッドギアを付けていなければ、頭蓋骨が砕けていたかもしれない。だが、それでも受けたダメージは大きかった。トオルは平衡感覚を取り戻そうと、砂地に両手をついてクラクラする頭を揺すった。大丈夫だ。首や顎の骨は折れてはいない。
「まだ、やるか? にいちゃん?」
「当たり前だ……」と虚勢を張って片膝を上げた。ケイニャにシアスへ送り届けると約束した以上、意地でも退くわけにはいかないのだ。
「へぇ、そうかい。なら、しょうがねぇな……」
一段トーンが下がった声音。言わずもがな殺意のこもった声だ。
――ヤバい……殺される
回復しない頭のダメージ。両足で立つこともままならないフラフラな状態では相手の成すがままである。
「本当ならば、にいちゃんも売りたいところだが、暴れられても困るんでな。腕一本で見逃してやる」
そう言ってうつ伏せになっていたトオルの背中に重い足を乗せ、折った膝先で後頭部を押さえつけるワニ男。そしてトオルの利き腕を地面に押さえつけてダガーナイフを振り上げた。
「ちょっと痛いが、我慢しろよ」
まるで肉か魚をおろすようかのような台詞だった。
「やめろっ! やめろぉぉぉぉぉっ!」
陽光が反射する凶器に、トオルは恐怖の絶叫を上げた。
「ふざけんなっ! この野郎っ! 放せっ!」
ワニ男の手を振りほどこうと死に物狂いで暴れもがく。だが巨体に乗っかられては、腕はおろか体の自由すらおぼつかない。
――くそっ!
と呪うように相手を見上げた時だった。不意にワニ男の体がガクンと後ろへと傾いた。首を振って背後を見れば、ワニ男の尻尾を抱え、必死に引っ張る幼女の姿があった。
「ん? 何してんだ、テメーは?」
眉をひそめながら背中を見やるワニ男に、ケイニャが叫び訴えた。
「もう、やめてください!」
クレハ星人特有の怪力でもって制する幼女に、ワニ男が苛立ちの声を上げた。
「邪魔すんじゃねぇ!」
巨大な尻尾を乱暴に振り回すワニ男に対し、幼女も歯を食いしばって食らいつく。
「いやですっ! 死んでも放しません!」
「ええい! しつこいぞっ!」
と幼女に向かって握っていたダガーを振りかざした刹那。
ザシュッ!
風を切る音と共にワニ男の尻尾が根元から千切れ、尻尾もろとも幼女が後ろへと投げ出される。
いったい何が起きたのか。腕を押さえられていたトオルと、のたうち回る尻尾を抱えたケイニャが理解できないでいると、ワニ男が狂ったような悲鳴を上げた。
「ぐガァァァアッ!」
ワニ男は掴んでいたトオルの腕とダガーナイフを放り出すと、目玉が飛び出さんばかりに尻尾の付け根を確認していた。
「俺の尻尾がっ! 俺の自慢の尻尾がぁぁ!」
両断された尻尾の付け根から吹き出した血飛沫を止めようと、必死になってマント越しにお尻を抱えるワニ男。同時にバランスを崩し、後ろへとひっくり返った。その無様な有様にトオルとケイニャが呆気に取られていると、リアクターエンジンの音と共に再生体の声が耳に届いた。
「兄者! ケイニャ殿!」
見れば『ネーヴェル』片手にミニライドマシンを走らせてくる再生体の姿があった。きっと遠くからトオルたちの危機を目視し、『ネーヴェル』でもって風技を発動させたのだろう。
「どうやら間に合ったようだな」
ミニライドを停車させ、トオルの手を取って引き起こす再生体。するとケイニャも尻尾を放り投げてトオルたちのもとへと駆け寄ってきた。
「トオルさん! 再生体さん!」
泣きながら二人の首元に飛びつくケイニャ。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
再生体は、何度も礼を述べる幼女を抱え
「良く頑張ったな、ケイニャ殿。それで怪我は?」
「叩かれたところが痛いだけで、大丈夫です」
そうか。と再生体は健気に答える幼女の頭を撫でながら、トオルの方に目を向けた。
「兄者のほうは?」
心配する再生体に、トオルも体に付いた砂を払い落とし、右肩を回して見せた。
「僕のほうも大丈夫だよ」
地面に擦り付けられた顔には擦り傷。利き腕も肘のあたりが軽い打撲程度で済んでいる。
「無事で何よりだ」
「あぁ。ありがとう」
今回は本気で助かった。と再生体の肩に手を置いて感謝した。もし再生体が現れなければ、今頃、トオルの腕もワニ男の尻尾のように胴体と離れていたことだろう。
借りができてしまった。と安堵の息を漏らすトオルに、再生体が笑った。
「兄弟に貸し借りなど無用だ」
まったく……この人の良さは誰に似たのだろうか。
「じゃあ、再生体がピンチになったら、今度は僕が力になるよ」
「兄者が拙者のために……拙者のために、力を貸してくれるというのか……」
目を潤ませ、鼻を啜る再生体。よほど嬉しかったのだろうか、もう男泣き寸前だった。その熱い気持ちに感化され、ケイニャももらい泣きをし、祝福する。
「お兄さんに認められて良かったですね」
――何となくだけど、一里塚さんが再生体に惚れた理由が分かった気がする。
大きな体格と強面の割には、子供っぽく純粋なのだ。
――再生体なら、一里塚さんを幸せにすることができるかもしれない
と暖かい気持ちがトオルの胸を満たした。





