表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

71/71

【07】破滅の翼


 査問会は問題なく開催され、聖女降臨の啓示とサマラに対する聖女認定は虚偽であったという事になった。

 そしてドラクロワは虚偽の啓示を喧伝し、教会の威信を著しく損なった罪で投獄される事となった。同時に法皇の座からも退き、新たな法皇を決める話し合いが枢機卿たちの間で行われた。

 結果、満場一致でジュリアン・ベルモンド法皇代理が新法皇に選ばれる。

 そんな彼女を激しく糾弾していたアレックス・セルゲイもジュリアンを推し、すっかりとドラクロワ元法皇から彼女の派閥に鞍替えしたかのように思われていた。

 しかし、その日の夜、アレックスは隠れ家の一室で安楽椅子に腰を埋めながらほくそ笑む。彼女の目の前のテーブルには、木箱に納められたいくつかの“過去見の玉”があった。

 そこにはジュリアン・ベルモンドが買収工作を行ったという決定的な証拠がいくつもの納められていた。

 その煌めく球体を見つめながら、アレックスの向かいに座った暗黒のローブをまとった男が笑う。

「さすがは“暗闇の聖母”」

「やめろ。それは、古い異名だ。私が若く愚かで下品だった頃のな」

 アレックスは黒いローブの男――ジョン・フィリップスに向かって言った。マテウスに使えていた元冒険者のジョンとメアリーは、実は彼女と通じていた。元冒険者だったアレックスは、こういった人材を教会に斡旋する傍ら、彼らを自らの間者として用いていた。

「……そんな事より、こうまで上手く行くとは少し拍子抜けだな」

 あのマグダラ村のサマラの生家から発見された魔王像は、ジョンとメアリーによる仕込みである。

 サマラの調査を命じたのはマテウス自身であったが、それがなくともいずれはジョンとメアリーの方から進言させるつもりであった。

「それにしても不思議なのは、あのエミリーという名の少女の証言は何なのでしょうか……」

 エミリーの証言は仕込みではない。単に聖女の名声を貶めるための取っ掛かりとして、幼少期の話を聞こうとしたところ、あのような話が飛び出した。そこで、彼女の証言通りに魔王像を生家の後から発見した事にしたのだ。

 ジョンの疑問にアレックスは心底つまらなそうに言った。

「女はそういうものだ。いくつになってもな。陰口に足の引っ張り合い。私も冒険者だった頃は散々にやられたもんだ」

「そういうものですか……」

 とうぜんながら、闇司祭や異国の傭兵を雇い入れて例の炭鉱街跡に集めたのもアレックスであった。マテウスには自分たちを法皇庁から遠ざけるためにジュリアンが仕組んだのだと話したが、彼に廃鉱の祭壇に置いたサマラの肖像画を見つけさせるのが目的であった。

 あの夜、あえてマテウスを自宅に呼び出し、ジュリアンの配下の間者に見せつける。これによりマテウスを自分と親交が深いと思わせたのもアレックスの企てであった。

 そんな彼がドラクロワに不利な証拠を見つけたとしたら、その信憑性は強固なものとなるだろう。

「……まだ娘ほど年下の小便臭い餓鬼(ジュリアン)には負けはせんわ」

 因みにアウグス聖国の記念式典に出席したいと法皇に申し出たのはアレックス本人である。ドラクロワ派で金では動かないと踏んでいた彼女が法皇庁から自ら遠ざかるのは、他の枢機卿を買収したいジュリアンとしても願ったり叶ったりであった。

 しかし、それこそが、その隙に買収工作を進めると読んでいたアレックスの罠であった。

「後は、メアリーからの報告待ちだな」

 現在、メアリー・スタンはアッシャー王国にて勇者の不貞の証拠を集めようとしていた。数々の偉業によって、表立って語る人は少ないが、彼が気の多い人物である事は公然の事実であった。

 そして、アレックスは、勇者が法皇庁へと訪れた際にジュリアンが彼とふしだらな関係を結んでいたという情報を掴んでいた。

 とうぜん証拠はなかったが、ナッシュが不貞を働くような勇者として相応しくない人格であると証明されれば、それだけで良い。あとは下世話な噂好きが勝手に騒ぎ立ててくれる。

「買収の証拠だけでも法皇の座から追い出す事はできるだろうが、カードは多い方が良い」

「流石です。アレックス様」

 彼女にとって聖女や勇者が本物かどうかなど、心底どうでも良かった。すべては権力闘争の道具である。

「魔王のいた時代ならば法皇の座など興味はなかったが、世界が平和となった今ならば別だ。もう少しで私の番がやって来る。そして、これからも、ずっと私の番が続くのだ」

 “暗闇の聖母”は笑う。


 こうして聖女サマラの名声は完膚なきまでに汚された。それでも、かつてサマラに命を救われた者たちの中には彼女を信じる者がいたが、そういった者たちは僅かな報償金と引き換えに魔王軍の残党として教会に売られた。

 通報された者たちは、マテウス・ホプキンスら教会の聖騎士に捕らえられて惨たらしく殺された。

 その結果、あっという間に聖女サマラを誰も信じなくなった。




 もうすぐ世界が夜に染まる。

 それは、ある村の外れにある丘陵だった。そこには数十名にのぼる者たちが磔刑(たっけい)に処されていた。

 男、女。年老いた者、まだ言葉を覚えたばかりの幼子もいた。

 この者たちは、かつてサマラの力によって命を救われ、彼女に絶え間ない感謝の念を抱いていた。しかし、同じ村人の通報によって、教会の聖騎士に捕らえられ、見せしめに殺された。

 彼らは腹や胸や喉元を槍で突かれ、その傷口から(はらわた)や肉片をぶら下げ、おびただしい鮮血を垂れ流している。すでに身動(みじろ)ぎ一つしていない。

 その足元に滴った血潮が丘陵の斜面を流れ、途中の窪みに夕焼けよりも赤々とした血溜まりを作りあげていた。

 その表面が突如泡立ち始める。いくつもの血泡は盛り上がり、膨らんで無数の(こぶ)となり、次第に黒く染まりながら、たくさんの目や(くちばし)を形作る。

 そうして漆黒の翼をはためかせ、無数の鴉となって夕闇の向こうへと飛んでいったのだった。




 それは、小さな明かり取りの窓が等間隔で並ぶ長い螺旋階段の先だった。

 何も知らないジュリアン・ベルモンドは従者と共に、その塔の最上階にある鉄格子の前に立った。鉄格子の向こうは絨緞が敷き詰めてあり、高価な調度類が並んでいた。その中央にあるベッドの縁に、簡素なローブを纏った老人が腰を下ろしていた。

 元法皇のドラクロワ・キルシュテインであった。彼は、その部屋で唯一の明かり取りの窓を、虚ろな瞳で見上げたまま動かない。

 そんなドラクロワに向かって、ジュリアンは語り掛ける。

「……ご機嫌、いかがでしょうか? 猊下」

 ドラクロワは緩慢な動きで、明かり取りの窓からジュリアンの方へと視線を移した。その瞳は虚ろで曇っているように感じられた。

「貴方の事は尊敬しておりました。その貴方が登りつめた場所に、つい先日、私も辿り着く事ができました。今日は、近くに寄ったついでに、そのご報告に……」

 そのジュリアンの言葉にドラクロワは何の反応も見せない。ずっと、黙ったままうっすらと微笑んで、ジュリアンを見つめ続けている。

 彼の事を聖職者として尊敬していたのは本当だった。しかし、同時にドラクロワは、追い落とさなければならない政敵でもあった。

 そんな彼の惚けた姿は、ジュリアンにとって見るに耐えないものだった。彼女は隣の従者に向かって言った。

「もう、駄目だな。そろそろ頃合いかもしれない」

 従者は、その曖昧な言葉ですべてが解ったらしく「はっ」とだけ答えた。

 きっと、明日のドラクロワの食事には毒が盛られる事だろう。そうして元教皇は病気で逝去したという事になるはずだった。

「行くか。これ以上は無駄だ」

 ジュリアンが従者を促して鉄格子の前から去ろうとした、その瞬間であった。

「おーい」

 ドラクロワが唐突に声を上げた。ジュリアンと従者は足を止めて、再び鉄格子の方に向き直る。

 するとドラクロワは、目を糸のように細めて満面の笑みを浮かべた。

「今、女神様から啓示を承ったぞい」

 ジュリアンと従者は顔を見合わせる。

 ドラクロワは言葉を続けた。


「もうすぐ、この世界は終わるってよ」


 そう言って、狂人じみた声でゲラゲラも笑い始めた。

 ジュリアンは深々と溜め息を吐いて肩を竦めた。

 世界が終わる訳がない。

 世界は続く。

 これからも、ずっと……。

「何を世迷言を」

 その彼女の言葉を打ち消すかのように、明かり取りの窓の外で鴉が一つだけ鳴き声をあげた。






 おしまい


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ