62. きみが望むすべてのことを その2 終
「よくぞ参られた、ラビ国王」
十四年ぶりにキーが目にしたクロノスの国王は、反吐が出そうなほどに白々しい笑みを浮かべていた。
幸い、クロノス王国へは簡単に入国ができた。それは、クロノス王国で現王の戴冠二十年を記念した祭事が行われていたからである。
同盟国であるグレイス国は、祝いの席に来賓として出席するため、ラビ陛下は臣下を三人、そして護衛の騎士を数人引き連れてクロノス国へと訪れた。
クロノス国王が亜獣人たちを売り捌いている証拠は、すでにクロノス国の臣下たちが集めて一纏めに書き記していた。
その証拠の数々を今回、来賓としてやってきたグレイス国に手渡す算段となっている。
そして密告書の受取人を任されたのが、キーであった。
「では、陛下。失礼します」
夜に開かれる宴の席で、ラビ陛下の護衛として控えていたキーは、浮かれた空気に紛れて城内の外へと出た。
指定された受け渡し場所は、後宮の裏手にある木に覆われた庭の中。人目につかないその場所は、待ち合わせに最適だということをキーは知っていた。
(は、――皮肉だな)
そこはキーにとっても特別な場所だった。
思い出すことを避けていた二度目の記憶が嫌でも蘇ってくる。
無意識のうちに眉間に皺が寄っていく。キーは頬に伝う汗を拭って、城の闇にまぎれた。
待ち合わせ場所に到着すると、すでにクロノス国の臣下が待っていた。
顔を布で覆い隠した相手とキーに会話はなく、無言のままで証拠の数々を受け取る。
「確かに」
キーはそう声に出す。
ここで誰かに見つかっては一貫の終わりだと早々と立ち去ろうとしたキーだったが、最後に、クロノス国の臣下から強く手を握られた。
「……」
臣下はそれでも言葉を出すことはしなかったが、キーはまるで、懇願されたような心地になる。
キーは何も答えず、ただ強く頷いた。
先に相手がその場を去り、キーも今度こそラビ陛下の待つ宴の席へと戻ろうとした時。
──ガサッ。
近くに植えられた木々から、かすかな音が漏れる。
瞬間、キーの神経は限りなく研ぎ澄まされた。
「動くな」
足裏に力を込め音もなく跳躍し、わずかに聞こえた不自然な木の葉の擦れる音の出処へと降り立つ。
「声を出すな。抵抗する意思がないのならば、その両手をあげろ」
油断はしていなかった。気配がないことも確認した。それなのに、たしかに自分の目の前には不審な影があった。
「……」
しかし、相手は一切の行動を取らない。
代わりにガシャン、と無機質な音が響いた。
「……?」
夜の闇に覆われた中で確認できる謎の影は、子どものような体躯をしている。
(子ども……? まさか、王子か?)
夜の宴に出席はしていないが、聞くところによるとクロノスの王には愛妾との間に生まれた王子たちがいるようだ。
その中の誰かが、夜遊びでもしていたのだろうか。
どちらにせよ計画を他の者に知られるわけにはいかなかった。
「……!」
ふと、息を呑む音とともに、コロンコロンとキーの足元に何かが転がってきた。
警戒を強めたが、それが赤い木の実だとわかるとさらに困惑する。
(こんな、鳥が好んで食べるようなものを)
栄養もなければ、味もあるとはいえない。木に登って採取していたようだが、一体なぜと首をひねる。
「……だれ? 王さまじゃ、ない? なら、ここに、いたこと……おねがい、誰にもいわないで、ほしい」
か細い声が、なぜかキーの心を揺さぶった。
「きみは、だれ? しろい……きつね?」
片言に並べられる言葉。小さな影が、またガシャンと音を立ててこちらに振り返った。
そこでキーは、自分のローブが脱げていることに気がつく。
風が強くなり始めている。空を分厚く覆っていた雲が、隠されていた月の姿をゆっくりと暴いていった。
「──!」
月の光が小さな影を……少年の体を照らした。
キーの剣を持つ手が震える。震えを止めることはどうやらできそうにない。
(黒獅子の耳と……これは、黒狼の尻尾……まさか)
そんなはずないと思うのに、そうであって欲しいと願わずにはいられなかった。
「あ……!」
自分の耳と尻尾が見られていると気がついた少年は、恐れた様子で尻尾を引っ込める。
隠された黒い尻尾には、斬られたような痕が至る所にあり、そのため毛の生え具合もバラバラになっていた。
「あ、の、ちが……いつもは、ちゃんと隠して……だれも、いないと、おもったから」
そう言った少年にキーは言葉を失った。
少年がどのように扱われているのか、姿を見ればひと目でわかったからだ。
(こんな、ことが……)
小枝のように細い腕、使い古された布切れ同然の清潔とは程遠い衣服、長年手入れのされていない煤汚れて痛みきった黒い髪。
そして両の手首には頑丈な手枷がはめられている。
(ああ――わかる。だってこの子どもは、この子は)
キーは手に持っていた剣をしまうと、少年の両肩にそっと手を置いた。
この名を、もう呼ぶことはないと思っていた。
彼らに頼まれ何日も悩みに悩み抜いて、そして名付けた――大切な名前。
「……コクラン」
キーにそう呼ばれた少年は、その名に小さく首をかしげた。
「こく、らん?」
それが『名無しの王子』と、周囲に言われ続けた彼が、はじめて自分の名を知った瞬間だったのだ。
当時、コクランの年齢は同じく十四歳。しかし歳のわりに体はとても幼く、栄養失調により成長は大幅に遅れていた。
コクランは産まれてすぐに後宮の奥へ隔離され、その存在を知る者は限られていたそうだ。
自分の元を逃げ出したセイランと、コクトとの子であるコクランを、クロノスの王が公に知られることを阻止したいがために。
人との接触をほぼ禁じられていたコクランは、うまく言葉を話せないでいた。
本来ならば言葉すら周囲の者たちに教えてもらえない環境下にいたわけだが、彼を不憫に思った世話役の女性が練習相手になってくれたのだという。
その世話役の女性も、コクランが十歳になる頃にはいなくなってしまい、キーと出会うまで一人きりで生きていたのだった。
(……誰に、どう思われたっていい)
キーはその決意を静かに秘める。罪の意識と、自分だけが知るセイランと、コクトの願いを、コクランに伝えるために。
(……血の繋がりはない。それでもきみは、ぼくの弟だ)
コクランが生きているのだとそう知った瞬間から、キーの思いは揺るぎないものとなっていた。
“…………コクラン……あなたには、やりたいことをやって、自由に楽しく、明るいところで生きて欲しいの”
これから先、きみのためにこの余してきた命を費やしたい。
不自由を強いられていたきみの世界に、彼らが望んでいたものを、そしてきみが望むすべてのことを。
***
──その後、キーが受け取った密告書により、クロノス国王の悪事の数々は国中に広まることとなった。
そしてグレイス王国、レッドアス王国、シロヴィス王国の同盟隊は、クロノスの王城へと進撃し国王の首に刃を突きつけた。
「……その顔、忌々しいその顔! なぜ白狐が我が城にいる! おい誰か! 早くこいつらを始末しろ!」
クロノスの王に剣を向けたのは、キーであった。
各国の選りすぐりで固めた同盟隊の一人としてクロノスの王城に乗り込み、素顔をさらして対面したのである。
キーの顔を見るや否や、クロノスの王は酷く取り乱した。
二度目の自分と瓜二つの顔をしたキーの姿に、苦々しい己の過去が蘇りでもしたのだろう。
どんなにクロノスの王が命令を下しても、クロノス城の臣下たちは動こうとしなかった。密告書を作成した時点で、すでに彼らは見切りをつけていたのだ。
シンとしてこの城に滞在していたとき、クロノス王は表立って逆らうことのできない、恐ろしい王であった。
それがどうだろうか。
生まれ変わり彼と真正面から対峙した時。キーにはクロノス王がとてもちっぽけな存在に思えて──剣を振り下ろした彼は、心の底から憫笑を送った。
――さようなら。
「ぼくらの仇」
クロノス王の最期は、あまりにも呆気ないものだった。
あんな男でも一国の王が死去したことにより、一時は民に混乱を招いたが、同盟を組んだ三カ国の協力により目にも留まらぬ早さで収束していった。
何度か三カ国の王が集い、クロノスの領土について協議がおこなわれたが、最終的には『クロノス』という名を残し、一時的にグレイス王国の従属国になることで決議はなされた。
というのも、クロノス国と隣合っている亜人の国は、グレイス国のみであり、残りの二カ国の王たちは新たな領土を手にすることに消極的であったからだ。
燃えるような紅の翼を持つレッドアス国王は、そもそも鳥類の亜人と獣人が八割を占める自分の国では生活が困難だろうと、シロヴィスの王に押し付け。
純白の輝きを放つ唯一の獣人王であるシロヴィス国王は、位置的に統治するのは困難であり、自分もまだ新米の王なのでと笑顔を浮かべ、グレイスの王にバトンタッチした。
「あいつら、ふざけているよね。最初から私にすべて押し付ける算段だったんだ」
そう愚痴をこぼしたラビ陛下は、黒い微笑をたたえながら、今後の方針を練っていた。
「……陛下」
政策に関してキーが口を挟むことはしなかったが、仕事が山積みのラビ陛下に、彼ははじめて熱願をした。
クロノス王の崩御後、城にいた愛妾と王子たちは幽閉されることとなり、その中にはコクランも含まれていた。
全員処刑すべきという意見も挙げられたが、最終的な決定権はラビ陛下に委ねられていた。
キーがラビ陛下に願ったのは、コクランの身の保証と、コクランの自由である。
グレイス国の王城内にある別棟に幽閉されていたコクランの元へ、キーは毎日のように会いに行っていた。
流暢に話せるようになってきたコクランとの会話の中で、彼がなにを望んでいるのかをキーは知ったのだ。
――自分の知らない世界を見たい。外の世界を知りたい。
それがコクランの望みであるならば、キーはなんとしても叶えるために動く。
例えそれが騎士として仕えるラビ陛下に対しても、普段の彼を知るグレイス国の者たちが、見たことないキーの真剣さに度肝を抜こうが構わない。
深く頭を下げ、誠心誠意を込めて、許しを得るまで尽力するだけだった。
ありがとうございました。
※次回、本編のキーさん視点。




