60. 二度目の罪 その5 終
※ちょっと胸くそ展開。
扉が蹴り破られ、流れ込んで来たのはクロノスの兵士たちだった。
中には剣の腕試しにシンと手合わせをした者も多く見られ、彼らは産まれたばかりのコクランを目にすると驚愕したように息を呑む。
「王の命令だ。──セイラン様及び、腹の子を直ちに城へ連行せよと」
妊娠の事実は露見されていた。出産後というのは兵士たちも予想外であったようだが、王は腹の子を含めセイランを城に連れ戻す気でいるのだ。
「くっ」
なぜ今まで気づかなかったのかとシンは自問自答を胸の内で繰り返した。
警戒は怠っていなかったはずだ。重い鎧の音ならば、集中を切らずにいれば耳に届いていたのに。
「ナヴェア、あんたなのか? あんたが知らせたのか!? なんのために!」
先ほどから様子がおかしいナヴェアに吼える勢いでシンが言った。
「あらあらぁ、そんなに怒らないで? それにあたしは特別何もしていないわぁ。兵士がこんなに押し掛けてくるなんて、あたしもびっくりしているんだものぉ。ただ──」
化けの皮が剥がれたように、ナヴェアの口調はねっとりと耳にこびりつくものに変化していった。
「取り引き用の手紙を鳥に運ばせるついでに、たまたま出会った宿のお客さんのことを世間話に書いただけだものぉ」
「な、に?」
「うふふ。嗚呼、そんなに可愛い顔をしないでシンくん。あたし、ゾクゾクしちゃう……」
うっとりと両手を頬に添えたナヴェアに嫌悪感をあらわにしたシンは、奥歯を強く噛み締めた。
詳しい話を聞いている暇など今のシンたちにはない。
だが、出産を終えたばかりのセイランに逃げる体力は残っていなかった。
「コクト、シン……逃げて。今ならまだ、その窓枠から飛び降りれば間に合う、から……コクランを連れて……」
「セイラン? セイラン!」
「……ごめんね、ごめんなさい、コクラン。もっと、一緒にいてあげたかったのに。考えなしの母親で、ごめんなさい」
「ちょっとセイラン。しっかりしてよ!」
「……シ……ン…………コクラン……あなた、たちには、やりたいことをやって、自由に、楽しく、たくさん愛されて……明るい場所で、生きて……欲しいの」
──譫言になり始めている。
意識が朦朧としているセイランの顔色は、徐々に青白くなっていく。
なんとか言葉を紡ごうとしているが呂律も回らなくなり、焦点の合っていない両目が訴えるように揺れていた。
「……ごめ、なさい。血が、とまらないの」
胎盤の処理は終わっている。けれど、それを目にしたシンはあまりの光景に声すら出せないでいた。
「セイ、ラン」
思わず眩暈に襲われる。
セイランの下半身に宛てがわれていた布が、侵食するように血の海へと色を変えていく様にシンは衝撃を隠せなかった。
何重にもしてある布が一瞬にして赤くなっていく。セイランは出血多量により意識の混濁に陥っていたのである。
「シン、お願いだ。コクランを連れて、君だけでも逃げてくれ」
わずかな時間の狭間でコクトは言った。
「なに、言ってるの? 俺だけなんて、そんなの、できるわけ」
「……今のセイランはもう動けない。けれど、こんな彼女を放ってはおけない。だから……」
「いやだ! 俺は、絶対に、逃げたくないっ!」
激しく首を振り短剣を取り出したシンは、ある違和感を覚えて自分の手を凝視した。
「なん、で。力が、抜け……」
応戦しようと構えた剣が、するりと手から落ちて床に叩きつけられる。
「ぐっ……これは」
同じくコクトにも異変は起こり、彼はベッドの脇に体を預けるようにして倒れ込んだ。
似たような状態で膝から崩れ落ちたシンは、見上げる形でナヴェアのほうを向いた。
「やっと薬が効いたのねぇ。何度も何度も作り直した魔術薬なのよぉ。だんだんと体の機能が低下するように……だから、こんなに多人数の足音にも気づかなかったのねぇ。耳も鼻も使い物にならないでしょうから。無理もないわぁ」
「……ど、して」
「どうして? それは……」
這い蹲るシンを見下ろしながら恍惚とした表情を浮かべながらナヴェアは言った。
「そんなの……シンくんが、欲しいからよぉ」
「──は?」
シンの耳と尻尾が激しく逆立ち、胸の警鐘が痛ましく鳴り響く。
セイランの意識はほぼ無いに等しく、そばに寄り添うコクトは立ち上がろうとするも叶わなかった。
「うぎゃ、ぎゃああ」
「……コク、ラン」
耳をかすめるコクランの泣き声にシンは体に力を入れる。
意識と身体の機能が完全に切り離されたように動かない。凄まじい悔恨に苛まれながらシンは転がった短剣を掴み取り、己の腿に突き立てた。
「うっ、ぐ」
痛みで麻痺した両足で踏ん張るように立ち上がったシンは、布にくるまるコクランを抱え込むと、近くの窓に手をかけた。
「すごいわぁ。まだ元気なのねぇ。でも、絶対に逃がさないわよ。久しぶりの白いキツネなんだものぉ」
その刹那、シンは床に倒れ込んだ。
冷たい感触と、なんとか落下から庇ったコクランの小さな黒い耳が視界の端に映り込む。
絶望的な状況だった。
「いやだ」
手を伸ばす。でも届かない。
せっかく会えたのに、名前を付けたのに。
「セイラン、コクトさん、コクラン……」
馬鹿だ。自分は本当に大馬鹿者だ。
これが精一杯にやった結果なのか。もっと別の道があったんじゃないのか。予定外とはいえ早産を考えてもっと対策を練れなかったのか。
セイランとコクトが配慮できていなかった部分をどうして自分が補えなかったのだろう。
もっと、もっと、他人を警戒しなければいけなかった。
きっと誰が聞いても愚かだと、そう思わずにはいられない。
自分は、本当に浅はかだった。
*꙳☪︎・:*⋆˚☽︎︎.*·̩͙
ぶくぶくと不気味な水の音がする。
いつの間にかシンは気を失っていた。
「──!」
独特な薬品の匂いが部屋全体に立ち込めている。シンは縦に長く伸びる硝子の入れ物の前に倒れ込んでいた。
「水槽……?」
液体を貯蔵するための容器はあまり外に出回っていない。珍しいものである。けれどシンはクロノスの王城で似たような物を目にしていた。
水槽には透明な黄緑色の液体が並々に注がれている。そして薄気味悪く発光した液体の中に入れられていたのは──人だった。
「……父、さん? 母さん……?」
頭が真っ白になった。
それは五年前の両親の姿そのものであったから。
丸み帯びた二つの水槽が並んで置いてあり、それぞれに入れられている。
ガチガチと歯が鳴り止まない。五年前に自分の前からいなくなった両親が、なぜ、年老いた様子もなくここにいるのだろうか。
液体の中に閉じ込められ、動かずにいるのだろうか。
「あらあらぁ、まさかこの二人が、シンくんのご両親だったのねぇ」
「ナ、ヴェア」
気配は後ろから近づいていた。じわりと体が拒否反応を起こしているのが分かる。
「やっと起きたのね。シンくん。待ってたのよぉ、あなたが目を覚ますのを」
うつ伏せで倒れ込むシンの傍にしゃがみ込んだナヴェアは、どこか楽しそうに狂気に似た笑みを浮かべていた。
シンの体は薬により完全に動かなくなっている。
「この二人はねぇ、五年前に譲ってもらったの。──シンくんたちが逃げてきたクロノス国から。あの国の王様はとってもだらしのない人だけど、お金を集めるための方法なら湯水のように思いつくの」
「……お、まえ」
「知ってる? 亜獣人の毛並みは富裕層から大好評なの。皮肉なものよねぇ、種族としては毛嫌いしているはずなのに、物としての価値は評価しているのよぉ」
シンの体は仰天のあまり震えを通り越して痙攣に陥っていた。
クロノス国が裏でおこなっていたのは、自国にいる亜獣人の毛皮を剥ぎ売り捌くという、信じ難い事実だった。
住居不特定の難民などを狙い、必要な部分を切り落とし、金に代えている。また特殊な性質を持った人間たちには、下僕としてその身を引き渡していたのだ。
その仲介役だというナヴェアは、仲介料として自分にも獲物を寄越すように話を付けていた。元々は亡くなった両親がそれを生業としており、ナヴェアには一切抵抗がなかったのだ。
それどころか自分も毛皮を剥ぐ作業をしているらしく、部屋には白い動物らしき毛の塊が多く置かれていた。
宿屋は本来の目的を遂行するためのものだった。宿泊に訪れた亜獣人の中で気に入った者がいれば液体に漬け込んで飾っては満足していたのだ。
「あたしはねぇ、綺麗なものが大好きなの。愛していると言ってもいいわぁ。白く見た目も美しい……白狐は、特に」
法悦に浸るナヴェアは、動けずにいるシンから離れて水槽に近づいた。
「とっても綺麗でしょう? だからこうして歳を取らせないように特別な液体に漬け込んで、飾っているの。美しいものは美しいまま、ずっとその価値が消えることないように」
酔いしれるように水槽にぴったりと手のひらを付けるナヴェアは正気の沙汰とは思えない。
「どうか、してる。……ふざけるな! そんな理由で、そんな自分勝手な理由でっ、父さんと母さんを、こんなところに閉じ込めて、ころ、殺して……ふざけんなよ!!」
「……殺していないわぁ。この液体の中で時間を止めているだけだもの。うふふ、それにシンくんもこれからは、お父さんとお母さんと一緒になれるわ。そんなに怯えることはないのよぉ」
ナヴェアの言葉と共にシンの体がゆっくりと浮き上がる。
「や、めろ」
動け、動け、動けと、心の中で唱えても体はピクリともしない。
一切の抵抗も出来ぬまま、シンは置かれていた三つ目の水槽の中へと収められていった。
粘り気のある液体が、体の穴という穴から内側へと侵入していく。
空気はすべて吐き出され息は吸えないはずなのに、発光する液体の中にいてもなお、シンの意識はあった。
もう、自分がどうなっているのかシンには分からない。
水槽の硝子を隔てた先で、満悦の笑みを浮かべたナヴェアが口をぱくぱくと動かしている。
「そうそう、セイランさんと赤ちゃんは、連れて行かれたわよぉ。コクトさんは……不憫ねぇ、王様の愛妾を連れ去ったんだもの、もう生きていないと思うわ」
うるさい。あの人たちの名前をお前が言うな。そう話したくてもシンには出来ない。
「でも、安心していいわよ。シンくんはあたしに譲るって、元々決まっていたことだったからぁ。ここにずっと、家族揃っていられるわぁ」
クロノスの王がシンを城に招き入れた本当の理由。それは、初めからナヴェアに白狐の亜人であるシンを受け渡す算段でいたからだった。
──もう、何も考えられない。
父と母はこの女の欲望によって姿を消し、セイラン、コクト……そしてコクランは、連れて行かれてしまった。
誰一人も満足に守れず、自分すらも囚われてしまったのだ。
「うふふ、凄いわぁ。まだ顔の筋肉を動かせるのね。その表情は、あたしを恨んでいるのかしらぁ。でも、仕方がないわよ。シンくんってば本当は素直なんだものねぇ。頑張って警戒してたのにねぇ。純粋で優しいから、親切にされて心に隙間が出来ちゃうのよねぇ」
うるさい。黙れ。お願いだから、もう。
「もっと他人を怪しまなくちゃ。結局善意をそのまま受け取るなんて可愛いわぁ。本当に守りたかったのなら、魔術使いだったあたしを、もっともっと疑わないとねぇ。それが出来ていたら、あの人たちも逃げられたかもしれないわぁ。ありがとうシンくん、あなたが素直な優しい子で」
塞ぎたくても塞げない耳には、呪いのような言葉が幾度となく降り注いだ。
そうだ。すべて自分のせいなんだ。
暗示に掛かったように、シンは自分の罪の重さに押し潰されていった。
慎重だったセイランとコクトに信じてと言ったのは自分だ。絶対に逃げ切れると、そう言ってしまったのだ。
逃がしたいという思いで強気に出てしまったから、こうなったのだ。
もう謝ることすらできない。信じてくれた人たちに、そしてコクランに、会うことは一生ない。
(ごめんなさい……父さん、母さん)
このままこの女に鑑賞され続けるくらいなら、命なんて捨てた方がマシだった。
生きた屍のようで、これでは死んでいるのとなにも変わらないのだから。
「うふ、これで三体目。ああ、美しいわ……」
まるで嘲笑うかのように、ナヴェアの杖にある赤色の石が光を纏って反射した。
じりじりと脳の奥が熱くなっていく。
シンはゆっくりと目を閉じた。
──次に目覚めたとき、彼は、三度目を迎えていた。




