59. 二度目の罪 その4
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宿に滞在するようになって一日が経過した。
セイランの体の調子はなかなか戻らず、とても動かせる状態ではなかった。
いよいよ薬師に診せなければいけないと困り果てていたとき、自分はそれと似た経験をしており、赤子も取り上げたことがあるとナヴェアが申し出た。
「前に町の薬師が集まる診療所で勉強してたの。魔術薬も作れるし、合わせてなにか役に立てることがあるんじゃないかと思ったのよ」
信用していなかったシンだが、ナヴェアの対処は素人目に見ても迅速かつ丁寧で完璧だった。
あまり目立つことができないシンたちにとっては、ありがたい偶然である。
老練者である城の薬師と同じような動きに、診療ならばお願いできると、セイランを含めコクトやシンも思っていたのだ。
だが、それでも気を抜くことはできない。シンはクロノスの王城方面の山を何度も行き来し、居場所が特定されていないか朝も晩も見張った。
また亜獣人でも宿泊を許可してくれたナヴェアが本当に安全な人物かを探るため、彼女が町にパンを売りに行くときを見計らって後ろから尾行し確かめた。
自分が亜人であると悟られないように厳重の注意を払い、しっかり耳と尻尾を隠して町の人間にそれとなく尋ねる。
「ああ、ナヴェアちゃん? あの子は本当にいい子だよ。愛想もいいし、売り物は絶品だ。宿屋を開いてもう五年も経つんじゃないかな。亜獣人も泊まれるようにするなんて変わってるけど、あの子の両親が元々その方針で営んでいたらしいよ」
「両親、ですか」
「ああ、そうさ。もっと北の方にある大きな街で宿を開いていたそうだけど。二人いっぺんに亡くしてから、ナヴェアちゃんだけこの小さい町に移り住んだのさ」
お喋りな果物屋の女将は、数個の商品を購入すると気を良くしてナヴェアの情報を教えてくれた。
もう五年近くもナヴェアはあの山の中で宿屋を営んでいる。そして、亜獣人も宿泊可能にしているのは両親がそうであったように、自分も方針を受け継いだ。
それが嘘か誠かを突き詰めると切りがないが、何も知らないよりは遥かに良かった。多かれ少なかれナヴェアの一端は分かったのだから。
町の人間たちから見たナヴェアの話はどれも好印象である。
分かりやすく善人と言えば安っぽくなってしまうが、本当にあの宿の人間ということに間違いはないのだろう。
そして町の診療所でしばらくの間、世話になっていたというのも本当の話だった。この町には女性の薬師の数が少なく、ナヴェアはよくお産を手伝っていたそうだ。今でも頼まれれば助っ人として手を貸すことが多々あるという。
半日ほど聞き込みをした後、シンは宿へと帰った。
パンを売りに出ていたナヴェアは先に戻っており、どこに行っていたのかと尋ねられ肝を冷やしたが、山の中を探索していたと言って事なきを得た。
お産の経験があるということは、それに関しての知識もナヴェアは豊富なのだろう。長く居座ることは避けたかったが、滞在する間だけでも診てもらえるのは正直に言うと助かっていた。
「シンくん、よかったらこれ、作ったのよ。どうぞ」
夜も深くなったころ。天体観測と称して周囲を見張っていたシンにナヴェアが余り物で作った焼き菓子を差し出してきた。
山で育った赤い木の実をふんだんに使った甘味は、まだ自覚が無くても疲労困憊していたシンの体を癒してくれた。
「シンくんは、星を観るのが好きなのねぇ」
「そうだね。嫌いじゃないかな」
深くまで話さないシンだが、昔から夜空を眺めるのが大好きだった。
それは一度目のときも変わらない。まばゆい小さな輝きは、シンの心をいつも穏やかにさせてくれるものだ。
この世界の、空の果ては一体どうなっているのだろう。このいくつもの光はどうなって出来ているのだろう。それを考えるのがシンは好きだった。
「──」
そんな時だ。鳴き声に似た妙な音が聞こえてきたのは。
「今、なにか聞こえた」
すぐさま周辺を警戒するシンに、隣に立っていたナヴェアがなんて事ないと言うように答える。
「きっと近くに山に住んでいる動物がいたんだわ。気にすることじゃなくってよ」
「でも、それにしては変だった」
「そう。確かに、聞き慣れていないとそうかもしれないわ。あたしはもう中に戻るけど、シンくんは……」
「もう少し外にいる。俺のことは気にしないで」
「分かったわ。暗いから足元に気をつけてちょうだいね」
そう言ったナヴェアは、早々と踵を返して宿の中へと入っていく。
奇妙な声音に意識を集中していたシンは、すとんと表情を消し、なぜか急いだ様子のナヴェアを察することができなかった。
「あらあらあらぁ……もう薬が切れたのねぇ。ふふ、早く静かにしましょうねぇ」
鳴き声のような音の出処が、ナヴェアの部屋がある宿の中だとも知らずに。
◆
──次の日、事態は急変した。
臨月まで1ヶ月ほど期間があったセイランだったが、なんの前触れもなく破水したのである。
もともとシンたちが目指していたのは、ここより遠くのほうにある町だった。しばらくの間身を潜められそうだとあらかじめ下見をしていたのだが、辿り着けそうにない。
少しだけ休むつもりが、こうなってはもう体を動かすことができなくなってしまったのだ。
「もう、本当に……あわてんぼうなんだから。わたしに似たのかしらね」
お腹に語りかけるセイランの額には大量の脂汗が滲んでいた。
破水したとなると、経過を確認しながら出産の準備に取り掛からなければならない。
もしものときの対応は事前に聞いていたが、シンもコクトも赤子が産まれてくると実感し始めると気が動転してしまっていた。
「……ごめんなさい、コクト、シン。こんなことになってしまって」
「何を言っているんだ。きっとお腹の子が早く私たちに会いたがっているんだよ。誰のせいでもない。今は君と、お腹の子の無事だけを考えるんだ」
ここで産むほかに選択はなかった。
時間が経つにつれ陣痛と思われる痛みがセイランに表れ始め、その間隔は徐々に狭まっていた。
「すみません、ナヴェアさん。巻き込んでしまって……」
「謝らないでいいのよ。子どもを産むのは、本当に命懸けだもの。頼りない男性だけに任せていられないわぁ」
返す言葉もない。実際シンやコクトは、何の役にも立てていなかったからだ。
慣れた様子のナヴェアの指示に従い、苦しむセイランを横で見守ることしかできない。
この時はじめてシンは、女性とはとても強い生き物なのだと学んだ。尊敬すら抱いていたと思う。
そして破水から約二十時間後、長丁場の末にいよいよその時を迎えた。
セイランの左側に立っていたシンは、反対側にいるコクトと同じように手を強く握られていた。
まさに死に物狂いで、このままでは握り潰されてしまうのではと錯覚するほど、いきむセイランの力は強くなっていく。
「さぁ、その調子よ。深呼吸して……そう、止めて、いきんで」
具合を見ながらナヴェアはゆったりとした口調でセイランに話しかけた。
「セイラン、もう少しだから。もう少しで会えるよ」
誰がどう見ても必死に命を削っているセイランの姿に、シンは心の中で「がんばれ」と言うことしかできなかった。
任されていた子の名前は、すでにシンの中で決まっている。
採用されるのかはさておき、まだ二人に伝えられていなかった。
セイランとコクトの子ども名前。それは──
次の瞬間、握られていた手の力がふっと抜ける感覚がした。
それと共に耳に届いたのは、子猫のような産声。
「みぎゃあっ、ぎゃっ、あっえーっ」
世界の音がすべて消え、赤子の声だけが確かにある心地だった。
……生まれた。本当に。ふわふわと夢のように足元が軽くなる。
「セイラン、ありがとう。私たちの子を、産んで、くれて」
鼻声交じりのコクトの声に、セイランの目尻には涙が浮かんでいた。
「……こちらこそ、ありがとう」
生まれてきたのは元気な男の子。セイラン譲りの黒獅子の耳と、コクト譲りの黒狼の尻尾を持ってこの世に誕生した。
「──コクラン」
おくるみに包まれた赤子にシンは呼びかける。
感動に浸っていたセイランとコクトは、目を見開いてシンに視線を投げかけた。
「あれ、おかしいな。産まれてくる子どもは、女の子かもしれなかったのに。この名前しか、考えてなかった」
ポロポロと、シンの瞳からも涙がこぼれ落ちる。なぜ親である二人を差し置いて自分がこんなに泣いているのか分からない。
気を抜いてはいけないというのに、無事に産まれてきてくれた赤子の姿にホッとしてしまった。
「……シン、あなたは本当に優しい子ね。ありがとう。わたしたちの名前から、取ってくれたのね」
「コクラン……。コクランか。とてもいい名前だ」
しわしわな泣き顔の赤子──コクランは、名前を呟かれるたびに小さな耳をぴくぴくとぎこちなく動かしている。
「へへ、すっごいしわくちゃだ。でも、可愛いな」
産まれたての赤子の顔を初めて目にしたシンは、想像と全く違った姿に驚きながらもはにかんだ。
「会えて、よかった。コクラン」
「うぎ、えぎゃぁ」
コクランはシンに応えるように声をあげる。
セイランとコクト、二人の子どもにこうして会えてよかった。
血の繋がりもなく、親でもない自分だけれど、このあどけない小さな命を守りたいとシンは強く切望した。
──しかし。
「うふふ、産まれて本当に良かったわぁ。それじゃあ、そろそろ頃合いね」
感動的な光景から一歩下がって傍観していたナヴェアの声に、シンは現実に引き戻される。
どこからか、多数の足音が聞こえてきた。
ガシャン、ガシャンと鎧が擦れ合う鋭い音は、シンたちがいる部屋の方へと近づいている。
ひんやりと足のつま先から冷たくなっていく。
「……ナヴェア!」
「なぁに、シンくん」
それは赤い、赤い唇が、歪な形を作り出していた。
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