第4話 機密資料
では、どうぞ
本書の執筆を始めたのは、今から六年前のことである。
きっかけは、すでに本書の冒頭で述べた通り、祖父母の遺品整理と嶺林国の実家の納屋の整理の二つの偶然が重なったことによる。だが、ここであらためてその経緯を少し詳しく記しておきたいと思う。
祖父母の遺品の中に、機密指定の印が押された書類の束があった。昭和二十年代から三十年代にかけての日付が記されており、内容は北極海における対ソ監視任務に関わるものであった。この書類が、なぜ私の祖父母の手元に残っていたのか、その理由は今もって分からない。書類に記された人物の名は、父のものであった。
この書類の存在だけでも、すでに十分な驚きであった。だが、その後に嶺林国の実家を訪れ、納屋の奥の木箱を開けた時もうひとつの発見が待っていた。
油紙に包まれた数十枚の写真の中に、一枚だけ明らかに種類の違うものがあった。粒子の粗いモノクロ写真に写る、見たことのない形状の大型艦。右舷と左舷に飛行甲板を持ち、その間に挟まれるように立つ艦橋。裏には鉛筆で「十六年十二月八日 桑港沖にて」と記されていた。
それが、本書の出発点であった。
この一枚の写真を手がかりとした調査は、当初私の専門である日本近代史の範囲を大きく超えるものであり、海軍史、艦艇史、外交史、そして技術史といった複数の専門領域にまたがる、長期にわたる作業となった。防衛省の史料室、国立公文書館、米国立公文書館の旧海軍記録、北氷道公文書館、そして民間の研究者や元軍人の遺族への聞き取り。これらを経て、ようやく本書に記した程度の輪郭が見えてきたのは、執筆を開始してから三年ほど経過した頃のことであった。
本書が明らかにできたことと、明らかにできなかったことがある。
明らかにできたこととして最も重要なものは、秘匿艦・八咫烏の存在と、その建造・運用の大まかな経緯である。また、父がカリフォルニア攻撃に参加した天城の艦長であったこと、祖父が百八機の一式陸攻を率いてパールハーバー攻撃に参加した先導機の搭乗者であったこと、この二つの事実を、史料によって裏付けることができた。
一方明らかにできなかったことも少なくない。父が北極海での任務を終えた後の足跡は、依然として断片的にしか追えていない。八咫烏という艦が、最終的にどのような形でその役割を終えたかも、分からないままである。八咫烏の設計に関わった技術者の中に、私の家の家名と一字一致する名があったという事実の意味も、推測の域を出ない。
歴史書とは、常に、分かることと分からないことの間に立ちながら、それでも記述を続けるという、ある種の緊張のもとに書かれるものである。本書もまた、その例外ではない。
北氷道がなければ、この物語は存在しなかった。初代が嶺林の地に降り立たなければ、二代目が鉱山に入らなければ、祖父が定期便の飛行機を見上げなければ、父が天城の艦橋に立たなければ、私はこの歴史を書くことも、またこの歴史を生きることもなかった。
本書の最終節を、私はいま東京の研究室で書いている。窓の外には、夜が来ている。机の上には、祖父母の遺品の中から見つかった、あの一枚の写真が置かれている。
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次話最終話です。




