第3話 経済の奇跡
では、どうぞ
昭和三十年代から四十年代にかけて、日本経済は世界が驚嘆する速度で成長を遂げた。
本州において、この高度経済成長は鉄鋼・造船・化学・電機といった重化学工業の急速な拡大を中心に展開した。北氷道においても、この成長の波は確実に及んでいたが、その性格は本州のそれとはいくぶん異なる固有の様相を持っていた。
北氷道の経済的な強みは、資源の豊富さにある。石炭・石油・鉄鉱石・金を擁するこの土地は本州の工業化が加速するにつれて、その原材料供給地としての重要性をますます高めていった。嶺林国の炭鉱は、昭和三十年代を通じて日本最大級の石炭産地として機能し続けた。海湾国沖の油田は、中東からの石油輸入が本格化する前の段階において、国内自給の観点から無視できない供給源であり続けた。
だが北氷道の経済的な発展が、単なる資源供給地の域を超えるものとなっていったのは、昭和四十年代以降のことである。
この時期、半導体・精密機械・電子機器といった知識集約型の産業が北氷道においても台頭し始めた。特に、海湾国に集積した重工業の技術基盤を活かす形で精密機械メーカーや電子部品メーカーの工場立地が相次いだ。また、嶺林国においては鉱業の技術から派生する形で特殊合金や新素材の開発が進み、先端材料産業の芽が育ち始めていた。
北氷道工廠も、この時期その性格を大きく変えていった。純粋な造船・修理施設から、海洋開発・資源探査向けの特殊船舶の建造へと、その主力業務を移していったのである。北極海という特殊な環境での運用に対応した砕氷船、海底資源探査船、そして後の時代には、北極海ルートの商業利用を見据えた砕氷貨物船の建造において、北氷道工廠は、世界でも屈指の技術的知見を蓄積していくことになる。
この工廠の技術的な転換の背景には、ある種の皮肉があった。太平洋戦争期に、秘匿艦・八咫烏の設計・建造において培われた、ステルス性と耐氷性を組み合わせた特殊船体の技術が、冷戦後の時代に民間の砕氷船建造において活かされていったのである。秘密の軍事技術が、平和の時代の産業技術の基盤となる。歴史の皮肉とは、しばしばこのような形を取るものである。
また、この時期の北氷道においてもう一つの重要な変化が進んでいたことを記しておきたい。それは、先住民の社会的・経済的な地位の変化である。
委任統治期から続いてきた同化政策のもとで、先住民の多くは、日本語を話し、日本的な生活様式を身につけた日本国民としての生活を営んでいた。だが、昭和三十年代後半以降、世界的な先住民権利運動の高まりを背景に北氷道においても先住民の文化的アイデンティティの回復と、権利の承認を求める声が徐々に高まりを見せ始めた。
この問題は、本書が扱う時代の範囲を超えて今日もなお、北氷道における未解決の課題として残り続けている。ここでは、その経緯を詳述することは本書の射程を超えると判断し、この問題が存在するという事実を記すにとどめる。
いずれにせよ、昭和から平成へと時代が移る頃、北氷道は日本の経済的な繁栄の中に、確固たる一角を占める存在となっていた。戦後七十余年の間にこの土地が辿った道のりは初代が嶺林の地に降り立った日には、誰一人として想像し得なかったものであっただろう。
どうでしたか?
感想・評価して下さると作者のモチベーションが上がります!
誤字があれば教えてください
それでは、また~




