エピローグ
はじめに。
この小説《物語》はIF世界線の日本を中心として想像して執筆しました。
始まりはIF世界線の2020年代にある研究者が歴史書をつくったところから始まります。
研究者自身の家系の生い立ちなど一個人の歴史書という面が強いです。
最終話の次話にIF世界の歴史年表、設定を投稿しますのでそちらも閲覧いただけるとより世界観がわかると思います。
本文に「本書」と書かれているのは小説全体、「後に」や「次話」、「第何話」と書かれているのはその前後の話で書かれている内容です。
「本書では」と書かれている部分はIF世界線にある様々な歴史書にはない考え方です。
「史実」と書かれている部分は私たちがいる今いる世界の話です。
IF世界線での話を書くにあたり想像力では書けない部分があり、AI生成文を一部使用しております。
作者も話全体の流れがおかしくないように編集はしておりますが、もし流れや文体がおかしいなと思った際は遠慮なく誤字報告してくださるとありがたいです。
以上の点を踏まえてこの小説《物語》をお楽しみください。
では、どうぞ
私がその写真を見つけたのは、北氷道(ほくひょうどう)嶺林国《アラスカ中部》(みはやしのくに)の実家の納屋を整理していた、晩夏の午後のことだった。
母が施設に移ってから三年、誰も住まなくなった家はすでに売却の手続きが進んでいたが、納屋の奥にある木箱だけは、誰も手をつけずに残されていた。錆びついた金具を外すと、油紙に包まれた書類の束と、色褪せた写真が数十枚、無造作に詰め込まれていた。
大半は、見慣れた家族写真だった。祖父と祖母の結婚式、まだ幼い父の写真、嶺林国の畑を背景に並ぶ親族たちの顔。だが、その中に一枚だけ、明らかに種類の違う写真が紛れていた。
粒子の粗いモノクロ写真には、海面を割って進む艦影が写っていた。手前に駆逐艦らしき小型艦、その向こうに、見たことのない形状の大型艦がある。右舷と左舷に分かれた二つの飛行甲板、その間に挟まれるように立つ、滑らかな曲面を持つ艦橋。私は艦艇史をいくらか齧った人間として、それなりの数の戦時中の艦艇写真を見てきたつもりだったが、この艦形には記憶がなかった。
裏には鉛筆で、震えるような筆跡でこう書かれていた。
「十六年十二月八日 桑港沖にて」
昭和十六年十二月八日。日付を見て、まず頭に浮かんだのは真珠湾だった。だが「桑港」という文字が、それとは違う記憶を呼び起こした。桑港、すなわちサンフランシスコ。あの日、太平洋の向こう側で何が起きていたか、私たちはみな学校で習う。だが、この写真に写る艦が、その日付に、その海域に存在した記録は、私が知るどの公刊戦史にもなかった。
私は東京で日本近代史を専門とする職に就いて、すでに四十年近くになる。専門は明治期の対外関係、特に北方領土の統治史だった。北氷道で生まれ育ち、東京の大学に進み、そのまま研究者としての人生を歩んできた身にとって、当然の専門選択だったのかもしれない。それでも、自分の生まれ育った土地の歴史を、これほど近くで、これほど個人的な形で問い直すことになろうとは、その夏の納屋の中では、まだ思いも寄らなかった。
写真をしばらく眺めてから、私は油紙の束をひとつずつ開いていった。多くは祖父の代の農地の権利書や、嶺林国の鉱山関係の書類だった。だが束の最後に、もう一通、別の筆跡で書かれた封筒があった。開封厳禁の印は、すでに半世紀以上前に効力を失っていたはずだが、それでも指先が一瞬、躊躇った。
中には、海軍の用箋に書かれた文書の写しと、もう数枚の写真があった。一枚は、見覚えのある顔だった。若い頃の父の写真だ。詰襟の制服姿で、まだ二十代と思われる父が、艦橋らしき場所に立っている。背景には、納屋で見つけた最初の写真と同じ艦影があった。
父は、私が高校生の頃に亡くなった。生前、彼が戦争について語ることは、ほとんどなかった。北極海での任務に長く従事していたことは知っていたが、それ以上の詳細を、私は知らない。問えば答えてくれただろうか。今となっては確かめようがない。
もう一人、私が辿るべき人物がいる。祖父だ。彼については、もっと記録が少ない。中国戦線に従軍し、その後、太平洋の彼方へ飛んだ、とだけ聞かされて育った。具体的に何を、どこへ、という話を、私は一度も聞いたことがなかった。
あの日、父は桑港沖の海上にいた。そして祖父は、おそらく同じ日、別の空の下にいた。
二人は、何を思っていたのだろう。
この問いに答えるためには、まず、なぜ北氷道という土地が、そもそも日本の領土として存在するのか、そこから語り起こさなければならない。それは単なる地理の話ではない。一人の没落した武士が、すべてを失った後に、なぜ海を渡る決断をしたのか、という話から始まる。そして、その決断が、何世代もの時を経て、ある冬の日、太平洋の両岸で、二人の男をそれぞれの持ち場へと導くことになる、長い長い因果の話でもある。
私はこれから、自分の家に伝わった記録と、これまで誰も繋ぎ合わせることのなかった公的史料、そしてあの納屋で見つかった、本来であれば私の目に触れるはずのなかった資料とを、できる限り誠実に重ね合わせていくつもりである。
断っておかなければならないことがある。これは歴史書である以上、私情を排して記述することを心がけたつもりだが、書き手である私自身が、この物語の終着点に連なる血を引いている以上、完全に中立な記述などというものは、おそらく最初から不可能だったのかもしれない。それでも、できる限り、起きたことを、起きたままに記す。それが、納屋であの写真に出会ってしまった者の、せめてもの責務だと思っている。
すべては、一八六七年、まだ江戸と呼ばれていた町の片隅で交わされた、ひとつの取引から始まる。
どうでしたか?
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それでは。




