その十二 ともあれ、今は昔の物語
第一話
従三位 中納言 源 朝臣 淳明 卿、陰陽師 菅原 馨子に生霊を調伏させたる語
その十二 ともあれ、今は昔の物語
さて、その頃。
宮中では。
「おや、淳明ではありませんか」
渡殿へ歩いてきた淳明さまは、橋の南の庭をご覧になっていた東宮さまに呼び止められました。
「なんでございましょう」
「そうかしこまらないでください。ほとんど双子の、兄弟ではありませんか」
東宮さまと淳明さまの生まれた日は一日の差なのでございます。
「確か、三条院の邸といえば、今はあなたの持ち物でしたよね」
「はい」
「もしや、そこに美姫でも密かに住まわせて、自分だけのものにしているのですか? そのような噂を耳にしましたよ」
「いいえ、そのようなことはありません」
「そうですか? そうであれと、願っておりますよ。それはそれとして、噂で聞き知ったからには、と思い立ちまして。わたしも三条院の姫君に文など出してみたのですが、返事をいただけないまま日がすぎてしまいました。様子がまったくわからないでは気にかかりますし、まったくおもしろくありません。それで、どうです? あなた、何かご存知か?」
「最近あの邸に怨霊が出ました。あの噂はその怨霊を見た者たちが言い始めたのだろうと思われます」
「なんと。心惹かれる美姫があらわれたと日々の慰めにしていたのですが。ああ、惜しい惜しい。惜しいことだ」
つぶやいて、東宮は去ってゆかれました。
で、馨子さんの邸。
「十年ほど前になる。今の東宮さまと淳明さまは、どちらが東宮になるかで母方の実家が争っていた。自分の孫が東宮、ゆくゆくは帝となれば、実家は外戚として地位が格段に上がるからな。
主上の御意志は最愛の女御、大納言家の梅壺女御さまがお産みになった淳明さまにあったと言われているが、淳明さまは祖父の大納言が亡くなり後ろ盾を失ってしまわれた。東宮になったのは右大臣家の藤壺中宮(皇后)さまの御子。結局、淳明さまはまだ年少のうちに臣籍降下されたんだ」
と時実が教えてくれました。
「だが現在、淳明さまの持つ権勢は強い。帝が選んだ後ろ盾は藤原左大臣家、日の出の勢い。今後の昇進は天井知らずだ。俺はあの方に逆らう気はないよ」
だから「馨子よ、さらば」という訳なのでございます。
馨子は頭をいっぱいにしながら何一つ言葉にできず、立ちつくしておりました。
そこに童姿の大麻呂がやってきました。
「馨子、 右馬介って淳明さまの使いがお届け物を持ってきましたよー。果物やお菓子の詰め合わせの籠物が届いておりまーす」
他にも、美しい衣裳の入った御衣櫃(衣裳箱)、葵八花型の鏡、鏡台、螺鈿の鏡筥(鏡を入れる箱)、唐櫛笥(クシや化粧道具を入れておく箱)、厨子や手筥(どちらも収納箱)なども届いております。
猫用お座布団もあり、もちろん小麻呂が好みの場所にとっくにしつらえて、ふみふみも入念に形を整え済みです。
「そして、こちら。御文でございまーす」
柳の萌えいでたる頃の若々しいひと枝に結び付けられた文が手渡されました。
まだ頭が回らないままとにかく文を開いていると、ひょいっと時実が覗きこんできました。
「すっげー。こんな上等な文がこの世にあるんだ。そっか、淳明さまは能書家だったな」
あの方はとてもとても美しい文字を書かれるのです。
「主上(帝)が白氏詩巻を書かせて献上させたのが、素晴らしい美文字だと絶賛されていた。あの方の走り書きのメモでもいいから手に入れて、表装して家に飾りたいってみんな思っているんだぞ。淳明さまからのラブレターなんて、垂涎の的だ。くれとは言わないけど、ちょっとでいいから見せてくれ」
と手を出して来るので、
「や、め、て」
と背中を向けます。
青く染められた美しく柔らかな薄様の紙にはほんのり香が薫きしめてあり、ちょっと太めの筆で和歌がしたためてあります。
「天の原 のどかに照らす 月かげを 君もろともに 見るよしもがな」
(歌意:天の原をのどかに照らしているあの月を、あなたと一緒に眺めたいものです)
温雅な美文字でさらりと書かれているのが、かえって趣深いのです。
淳明さまって、お顔といい、お声といい、どことない風情も、装束に薫きしめたお香の匂いも、すべてがシュッと洗練されてて、たとえようもなくすぐれた方。
と馨子だって思いはしました。
でもそれは、上流貴族ってこんな感じなのね〜、田舎のむさ苦しい男どもとは大違い。という、のんきな感想に過ぎません。
「返事は出しておけよ」
時実はぼそりとアドバイスをし、今度こそさらば、と馨子の邸を後にしたのでした。
さて、くどくどと申し上げてすっかり話が長くなってまいりました。その後のことは、いずれまた語るといたしましょう。
従三位 中納言源朝臣 淳明卿の陰陽師は見事、三条院の怨霊を退治したのでした、となむ語り伝へたるとや。
ともあれ、今は昔の物語。
つづく
次回
第二話
従三位 中納言 源 朝臣 淳明 卿、陰陽師 菅原 馨子に鳴神を呼び立てさせたる語




