湖水地方、パニール
◇ ◇ ◇
手に入れた――剣尾鳥からすれば強奪されたに近いだろうけれど、元を辿るなら向こうも同じようなものだし――宝飾品などは、御者の方が気前よく買い取ってくださった。
もともと商人が生業の人だし、より高値で売れそうな品が手に入ったと、むしろ、感謝までされて、乗り賃まで無料にしてもらった。差し引いて貰った、と言ったほうが正確か。
「なるほど。湖水地方と呼ばれるわけですね」
すでにパニールに入ってきているのか、相変わらずの林道ではあったけれど、木々の向こうに光を反射して煌めく湖面が見え隠れしている。
霧などが立ち上っているわけでもなく、対岸のことまでよく見える。
林道を抜け、石畳の街道に入ったところで、御者の方とは別れ。
「さっそく行こうぜ」
顔を輝かせたシュロスが親指を立てる。
「そうですね。まずは、宿を探さないといけませんね」
せっかく街に着いたのだから、久しぶりにベッドのある寝床を確保しておきたい。
「おい、ルシオン。本気で言ってんのか? もっと大事なことがあるだろ」
シュロスが、信じられないとばかりに肩を竦める。
「こちらの領主に話を伺うべきでしょうね。魔族からの影響がどの程度出ているのか。少し見たところでは、問題はなさそうですが……」
クレアが周囲を見回すと。
「物資の補給は済ませられましたし、こちらの教会にもご挨拶に向かいたいのですが」
エストも同意するような姿勢を見せる。
しかし、シュロスは首を横に振り。
「違う。もっと重要なことはほかにある」
「それは?」
なにか、必要なことがあったかな? と思いつつ聞き返してみれば。
「水遊びだよ。せっかく、水着を買ったのに着ないとか、馬鹿なの? 太陽だって、仕事してる場合じゃねえ、水辺で戯れてなって言ってるだろ」
切実さの伝わってくる感じで力説された。
「しかも、あんなに広い湖なのに、人っ子一人見られなかったぜ。貸し切り状態だ。気兼ねなく、開放的な気分にもなれるってもんだろ」
「シュロス。私たちは遊ぶためにこうして旅をしているわけではありませんよ。パニールの状況を調べることが先決なはずですが」
クレアの言うとおりだ。
ただし――。
「いや、それで問題が起こってると、遊ぶ暇もなくなるだろうが。ルシオンだって、姫さんの水着姿は見たいだろ?」
こっちに振らないでほしいんだけど。
毎度、僕をだしにするの止めない?
もちろん、クレアの、それからエストの水着姿を見たくないと言えば嘘になるけれど……。
「ルシオンも水着に興味があるんですか?」
クレアから上目遣い気味に迫られる。
これは、どう答えるのが正解だ?
正直に言えば、変態だとか、セクハラだとか、訴えられるかもしれないし、見たくないという嘘をつけば、クレアたちに魅力がないと思っているのだと誤解されてしまわないとも限らない。
魔王軍の討伐の最中に、女性の心の機微についてなんて、考えさせないでほしい。
「ええ、まあ、そうですね。きっと、クレアも、エストも、素敵だと思います」
迷いはしたけれど、結局、正直に答えることにした。
欲望に負けたという部分も少なからずあるけれど、クレアには羽を伸ばしてもらいたかったことも事実。
基本的に、魔王軍に対抗していて、常時気を張っている状態が続いている。
クレアが表面に出すことはないけれど、実際には、かなり、疲れなども溜まっているに違いない。
マッサージなんかの心得もあれば良かったのだけれど。
せめて、水遊びで気が紛れてくれるなら、と思わないでもない。クレアもエストも、真剣に水着を選んでいたみたいだったから。
それに、クレアだって、本当なら、遊びたい盛りの年頃だろうし。立場とか、情勢なんかが許してくれていないだけで。
学院に入学していたのなら、夏季休暇には、友人と海でも湖でも遊びに行っていたのかもしれないと考えると。
「わかりました。では、とりあえず、湖を見に行ってみましょうか」
クレアのその決定にシュロスがガッツポーズをとったのは言うまでもない。
普段――すくなくとも、魔王軍の侵攻が始まるまでは、子供たち、あるいは、大人も同じかもしれないけれど、この地方の人たち、もしくは、観光に訪れた人たちにとって定番のスポットだったのだろう、湖へと向かう道、整備されていない地面の道に入ったところは、生えている草が踏み分けられている。
両脇に生えている草花の高さも不揃いで、誰か、あるいは、誰もが定期的に管理をしていた証拠でもあるだろう。
「おおっ」
開けた場所に出て、湖が一望できるようになると、誰からともなく、そんな感嘆が漏れた。
それも仕方がないことだろう。
綺麗に澄んだ湖面はまるで鏡のように、周囲の景色をぼんやりと映し込んでいる。
太陽の光を受けて煌めくそれは、まさに絵画にでも描かれていそうな光景だった。
「こんな光景が、あといくつもあるんですね」
エストが眩しそうに目を細める。
ここパニールは、別名、湖水地方。
地方の境になるように、あるいは、内陸部にでも、大小合わせて、いくつもの湖が点在している。
「では、少し失礼しますね」
エストはクレアの肩を掴むと、結界を作り出す。
光すら通さない、外とは断絶された結界だ。
僕たちの目の前には、真っ黒な立方体ができあがっているようにしか見えないけれど。
「絶対、覗こうとしないでくださいね?」
エストは笑顔でそれだけ言い残し、先に入っていったクレアの後を追い、自分も黒い立方体の中へと姿を消した。
「さて」
おもむろにシュロスが剣を抜き放ったので、僕は驚いて。
「シュロス? どうしたんですか?」
慌てて、探知魔法まで広げてしまう。
しかし、反応にあるのは、シュロスだけ。エストの作り出した結界のほうが強度が強かったのか、クレアとエストの反応は感知できなかった。
「ルシオンこそ、なにやってんだ。早くしねえと、見逃すだろうが」
見逃すって、いったい、なんのことだろうか。
「ばっか、おまえ、今、俺たちの目の前で、こんな結界一枚隔てた先に、一糸纏わぬ美人が二人、きゃっきゃうふふとめくるめく桃色の園を構築しているんだぞ。見ようとしないのは、男として恥ずべきことだろうが」
そんな矜持、捨ててしまえばいい。
だいたい、僕は一糸纏わぬ姿よりも、いや、もちろんそれに興味がないというわけではないけれど、やっぱり、女の子が着飾っているほうが素敵というか、水着でも着て恥じらっている姿のほうに萌えを感じるというか。
「――って、なにを言わせようとしてるんですか!」
「ルシオン。おまえ、意外と良い趣味だな」
シュロスに肩を叩かれる。
そんなことで褒められても、まったく嬉しくないけれども。
「とにかく、全裸が見たいなら、そのへんでゴブリンでもなんでも、適当に魔物でも見つけてくればいいでしょう。あいつら、全員、基本的にはなにも着ていませんし、雌だっているはずですから」
これから、英気を養うというか、休息をとろうというところで、魔物なんて出てほしくはないけれども。
「ふっ。どうやら、魔王軍と戦う前に倒さなけりゃならねえ相手ができたらしいな」
「そんなことを言っても、駄目なものは駄目です。ここは、通しません」
僕はシュロスと、クレアとエストのいる結界の間で、防御魔法を構築する。
「おい、ちょっと、待――」
単純に作ったのでは、割られた、作った、の繰り返しで、無駄に魔力や気力を消耗する。
だから、シュロスの足元から、長い坂道を作り出すように、斜めに防御魔法を展開する。
持ち上げてやれば、当然、《飛行する魔法》を使えないシュロスに、重力に抗う手段は乏しい。引っ掛かりもなく、突然、足元に作り出された見えない坂道に、シュロスは抵抗する暇もなく後方へ転がり、滑っていった。




