フロリア山の迷宮 9
そして、そのほかにあの氷の女王の魔物がいる。
イエティにしても、氷の女王にしても、体色が背景と同化気味なために、普段以上に注意を怠ることはできない。
一瞬でも隙ができれば、瞬く間に見失ってしまうだろうし、奇襲も受けやすくなってしまう。僕たちにとって、吹雪く雪と氷の世界というのは特殊な環境下だけれど、彼らにとってはホームなのだから。
この階層ごと破壊してしまえるほどの魔法が使えるのなら話は別だけれど、仮に可能だったとして、その崩落には僕たちも巻き込まれることになるわけで、落ちてくる天井(つまり、上の階層と同義)を防御魔法だけで防ぎきる自信はない。
さらに面倒なことに、先ほどの咆哮につられてか、遠くから集まって来ているような音が響いてくる。まだ距離はありそうだけれど、さすがに何十体も、この、寒く、僕たちにとっては視界の悪い空間で、相手をするのは分が悪い。
いくら修行を兼ねているとはいえ、限度はあるし、やられてしまっては元も子もない。
襲いかかってきたイエティを防御魔法で跳ね除けながら、《飛行する魔法》で柱に接近する。魔力消費は《加速する魔法》と比べて大きくなるけれど、雪や氷に足をとられる心配もなく、速い。
直接倒すまでもない、このまま《炸裂させる魔法》で――と思ったところで、振り下ろされた腕を回避するため、旋回して上昇する。
魔法に距離は関係ない。想像さえできるのであれば、地平線や水平線の彼方であっても、作用させることはできるだろう。
しかし、当然、物理的な距離は近いほうが想像しやすいことは事実だし、魔法は想像、つまりはイメージの賜物だ。実際問題、超長距離で作用させることは難しいだろう。
仕方なく、二人の下へ戻り。
「イエティって、食べられると思いますか?」
もし、可食部があるのなら、《収納する魔法》があるとはいえ、取り出したときには仕舞ったときと同じ状態で出すことになるのだがら状態は良く保つべきだし、そうでないなら、派手に吹き飛ばす、つまり、遠慮なくやれる。
僕は、今までにイエティの肉や皮などを食べたことはないけれど。
「俺は食ったことはあるけど、まあ、良くもなく悪くもなく、普通の味だったな」
なるほど。シュロスに食べられるということは、おそらく、人類にとっても無害だろう。
それなら、保存食としては、しばらく肉には困らなくなるかもしれないか。後で試してみよう。もちろん、シュロスの舌に合うというだけで、僕たちにはとても不味く感じられるかもしれない。道中、シュロスとも同じ食事をしているわけだから、そこまで味覚がかけ離れているとも思えないけれど。
というか、シュロスはイエティを食べたことあったんだ。自分で討伐したということなのか、それとも、誰かが倒したものを相伴に預かったのか、はたまた、イエティの肉料理を出す店があるのか。
非常に興味はそそられるけれど、気にしていられる状況でもない。
「《炸裂させる魔法》」
ただし、後で、確認というか、検証のため、実際に食べてみることはしてみてもいいかな、なんて思ってみたりもする。すくなくとも、僕は王都で見たことはなかったし、珍しく、そして、人によってはおいしく感じられるのであれば、もしかしたら、高価で取引されるかもしれない。
一応、《炸裂させる魔法》でも加減はする。ミンチにまでなってしまったものを、回収して、《浄化する魔法》で綺麗にして、などと手間をかけたくはない。
「クレアは食べたことありましたか?」
僕たちの中で、いや、この国でも最もやんごとなき生活を送っているクレアが食べたことがあったというのなら、それは間違いないだろう。
「いいえ。残念ながら、機会に恵まれたことはありません」
クレアは首を横に振る。
城で日常的、あるいは、特別に出されるようなものではない。つまり、余程珍しい(それこそ、伝説とかそういうレベルで)のか、あるいは、一般の人の舌には合わないと判断されているのか。
「ルシオン。俺の味覚がおかしいって言いたいのか?」
「いえ、そんなことは決して」
人の好みはそれぞれだし、感じ方だって全く同じ人間はいない。
「判断するのは、まあ、自分で実際に食べてみてからにします」
何事も経験だ。一度も経験したことがないにもかかわらず、批判するというのは、あまりよろしくない。
そして、今重要なのは、イエティの肉がおいしいかどうかということではない。
僕たちはそのまま牽制だけで、柱まで辿り着けるかと期待したけれど、イエティたちもそこまでは許してくれないらしい。
攻撃に対するものか、はたまた、自分たちの守る柱に異物が近づいてきたことを悟ったからか、イエティたちは怒りを感じさせる雄叫びを上げながら、接近してくる。それなりに足も速いらしい。
イエティたちの攻撃は、爪や牙、筋力によるものがほとんどで、魔法を使ってくることも、毒を武器ともしてこない。おそらく、毒を持ってはいないのだろう。まあ、一応、叫び声は大きいけれど、それが攻撃になる――鼓膜を破るとか、三半規管にまでダメージを与えてくるとか――というほどのことはない。
ここまで戦ってみての感想としては、やはり、イエティが魔法を使ってくる気配はない。
種族的な特性なのか、それとも生息域によるものなのか、あるいはそれ以外か、今のところは材料に乏しく、判断はできないけれど。
とはいえ、イエティも魔物には違いないわけだし、一定以上の魔力耐性的ななにかはあると思うけれども。
それでも、とりあえず、魔法による攻撃は通用するようで、放った《炸裂する魔法》は、先頭にいたイエティを仕留めることに成功した。
魔族とは違い、鮮血を噴き出し、倒れる。周囲の気温のためか、すでに血が固まり始めてもいる。
仲間意識はないのか、それとも接敵中のためにあえて無視しているのか、倒れた同族には一瞥すらすることなく、僕たちだけを目指してくる。なんなら、倒れた仲間を踏み越えて。
女王はまだ動く様子を見せない。
余裕か、自分が動く必要はないと思っているのか、もしくは、逃げ出す機会をうかがっているのか。
「あいつら仲間なんじゃなかったのか?」
襲いかかってくるイエティを斬り伏せながら、シュロスも疑問と警戒を口にする。
「わかりません。ただ、守られる存在ならば、自分は動かないほうがイエティたちがやりやすいだろうと考えているのかもしれません」
あるいは、彼らを生贄に、こちらの戦力を測るとか、消耗させる狙いかもしれない。直接戦闘力がないから、というのは楽観しすぎだろう。
いずれにせよ、共闘されたほうが不利になるに決まっているので、余計な刺激はしない。
「来ないならば好都合です。数が多ければこちらの疲労を待って、などという理由も考えられるかと思いますが、残っているのはあれ一体。狙いがあるかもしれませんが、とりあえずは目の前のこいつらに集中していて良さそうです」




