人攫いの魔族 10
「クレア。起こしてしまいましたか?」
いつもどおり、寝ぼけた様子など微塵もないのは頼もしいけれど、まだ、既定の時間にはなっていない。
眠りにくいと言われればそのとおりだけれど、だからこそ、時間くらいはしっかりとってもらいたかった。
「私はなにか事態が変わったのなら、起こしてくれるように頼んでいたはずですが」
「いえ、それは、まあ、何事か確定したのなら、その際にあらためて報告しようかと」
クレアは僕を一瞥すると、諦めたように溜息をつき。
「起こしてくれないというのであれば、今後は眠ることなどできませんね」
「なにを言っているんですか。しっかり眠ってくれなければ、身体を壊したり、問題が発生しますよ?」
クレアを起こすつもりがないわけではない。
ただ、起こさなくても対処できそうな場合には、休めるときにしっかり休むのも活動のひとつとして、無理に起こす必要を感じないというだけで。
「鍛練ならば、起きている時間にしていますし。やり過ぎはかえって体を壊したりするかもしれませんし、詰込みが良い結果を生むとは限らないことは、クレアも十分ご存知でしょう?」
「ルシオンは過保護です。私のことを考えてくれているのはわかりますが、この国、あるいは世界の情勢では、一刻も早く力をつける必要があるはずで、そのためには時間など惜しんではいられません。こうした実戦が最も良い鍛錬になるのだと言っていたではないですか」
「おまえら、そのへんにしとけよ」
睨み合う僕たちの間に手を差し入れたのはシュロスだった。
「積もる話もあるだろうが、今はとりあえず、目の前に迫った脅威をどうにかするのが先決だろうが」
シュロスが言い終えたところで、それは姿を見せた。
僕たちの中で一番身長の高いシュロスの倍はあろう背丈、潰れて広がった鼻、長く尖った耳、瞳は濁っていて、濁った緑のような皮膚と筋骨たくましい肉体に毛皮のようなものを巻きつけ、手には、おそらくは岩を削って作ったと見える、巨大な斧を携えていた。
「トロールですね」
外見的な特徴から、クレアがそう判断を下す。
比較的有名な魔物の一種で、学院でも習うし、図鑑などにも載っている。
ちなみに、食べてもおいしくはない、そのくせ、再生能力があり、戦闘が面倒で、協会へ討伐したと報告しても使える素材もないということで、一応、脅威度から報酬は安くはない――高くもない――けれど、あまりおいしくはない仕事のひとつだ。
「……魔族もいたと思いましたが」
トロールに、人を喰らうという習性はなかったはずだし、攫ってきて監禁したりするなどという、知性があるような魔物でもなかったはずだ。
「考えるのは後です、ルシオン。まずは、これをどうにかしなければ」
「そのとおりですね」
僕たちは瞬時に戦闘態勢を整えて。
「それじゃあ、行かせてもらうぜ」
先頭を切るのは、近接戦闘が得意分野である、シュロスだ。
腰に差していた剣を引き抜き、正面に構えると、目の前の敵を見据えた。
「フォローはします」
僕とクレアはそれぞれ、魔法を使う準備をする。
発動自体はさせずとも、待機状態にまで持ってゆくことで、比較的早い対応が可能だ。もちろん、そのための準備に割くことの時間があれば、だけれど。
待機状態というのは、要するに、魔力を集中させて、魔法として放つ準備をしておくことだ。
「任せろ」
トロールは、叫び声を上げながら、手にしていた斧を振り下ろす。
見ればわかる、筋骨隆々とした腕で振り下ろされるそれをまともに受ければ、まず間違いなく、人間など簡単に潰されて、ミンチになることだろう。
だから、当然、シュロスはそれを真正面から受け止めたりなどしない。
自身の剣を斜めに構え、剣と斧がぶつかる瞬間を見極めて、見事に受け流して見せる。
受け流された斧は、洞窟の地面にぶつかり、揺れと、石礫を巻き起こすので、僕とクレアは障壁で、シュロスは剣を捌いて降りかかるそれらを弾き飛ばす。
人間のそれとは大分違うために確証はないけれど、おそらくは、僕たちが潰れていなかったことで不思議そうな顔を晒したトロールは、自身の斧を確かめると、もう一度それを振り下ろした――正確には、振り下ろそうとした。
しかし、それは振り下ろされることはなかった。
トロールが、二撃目のために斧を振り上げたところで、そのすぐ前に障壁を展開していた。
僕の狙いに即座に気がついたクレアも、その障壁の出力を増大させるよう、補助する魔法を重ね掛けしてくれる。
そうして、二撃目として振り下ろされそうになったトロールの斧は、僕たちの障壁にぶつかり、トロールの手元を離れて落下してきた。
直後には、シュロスはすでに飛び出していて、勢いだけはついていて止まらなかった、トロールの腕を肘のあたりから斬り飛ばす。
トロールの悲鳴が洞窟内に響く。
斬られた痕からは皮膚と同じ――心なし、鮮やかにも見える、緑の血が滴っている。
ただし。
「おい、見ろよ。もう再生を始めてるぜ」
シュロスの指差す先で、見る間の内に、切断されたはずの腕の肉は、気持ちの悪い動きをしながら盛り上がり始めている。
これでおいしければ、食糧事情の改善に繋がるのだけれどと残念に思う。
それに、斬り飛ばした手が再生して、二体目のトロールとして復活しない以上、おそらくは身体のほうに再生をつかさどる器官が存在しているのだろう。心臓――あるいは核――の動きを停止させればその動きも止まるはずで、換金のため収納して持ち運ぶには殺す――生き物ではなくす必要がある都合上、それらを生かした器官として持ち運ぶことはできないし、したくはない。
「しかし、動きは鈍っていますね」
冷静に観察しながら、クレアが呟く。
再生するとはいえ、痛み自体は感じるらしい。平時であれば、再生能力は役に立つ、どころか、非常に便利なものだけれど、仮に、拷問吏などに捕まった場合には、おぞましい結果が見える。
再生能力なんてない僕たちには、あまり関係ない話――治癒魔法がある以上、まったく関係ないとは言い切れないけれど。
それはともかく。
「とりあえず、畳みかけましょう」
クレアの号令に頷き、《炎を操る魔法》で再生しつつある、トロールの腕の切断面を焼く。
魔物だって、生物である以上、焼かれればその機能は失うはず、という見立ては正しかったようで、焼け焦げた切断面から、さらに再生しようという動きは見られない。
続けて、シュロスが左足に斬りつける。
暴れるトロールの足を一度では完全に切断しきれず、傷跡は、こちらはすぐに再生される。
振り払うようにシュロスに蹴りを放ったトロールは、先程落とされた斧を、反対の左手で拾い上げると、こちらを警戒したのか、大きく振り上げるような動作はせず、ただ、僕たちとの間でむやみやたら(に見える)と振り回す。
規則性のない分、こちらのほうが厄介かもしれない。
「《拘束する魔法》……だめですね、抵抗されました」
クレアの魔法は、光の輪を作り、トロールの腕に嵌ろうとしたところで、弾けて消えた。
本来、格上との戦いを想定した拘束魔法だけれど、耐性がまったくないわけではない。
あとは、精神操作系の魔法だけれど、これも、興奮した相手、たとえば、目の前の怒り狂っているような相手には通じない場合が多い。
「地道に削っていくしかねえか」
やれやれと、シュロスが剣を肩に担ぐ。
「シュロス。もう少し危機感をですね」
「わかってるよ、クレア。要するに、再生できねえくらいに細切れにしちまえばいいってことだろ?」




