舞台裏
この世界の風呂は、ちょっと特殊だ。
まずは湯船の周りに用意されている青い液体の入った瓶を手に取る。中身はぬらりと青く粘る、粘度の高い薬品だ。これをボディソープ代わりに、湯浴み着越しに体に塗りたくる。髪には隣の瓶に入っている緑の液体だ。
最初は驚いたな、これ。
「んっ……」
全身を塗る手前、胸や股間を触らざるを得ない。どうしても感覚が鋭い部分なので、粘液で摩擦の減った状態だと、なんだか妙な感覚になる。
しかし、今の俺はこの体になってもはや半月を超えている。ヌルヌルになんて負けない!
「ふぅ」
さて、粘液を塗りたくったらそのまま湯船に入る。
この薬品は錬金術で作られたもので、ある程度の温度を持ったお湯に触れることで、サラリと溶け落ちる。この時、肌の老廃物や汚れも一緒に流し落としてくれるというすぐれものなのだ。
もちろんゲームには存在しなかったアイテムだ。まぁ、生活用品だしな。正直、そもそもゲームないアイテムとして登録されるものなのかすら怪しい。
この、粘液がお湯で流れ落ちる時の感覚は、中々に清々しいもので。この感覚は到底、地球では感じれない不思議アイテムなので、その点はこの世界に来たメリットでは有ると思う。
俺は湯船に肩まで浸かり、その体の芯まで染みる暖かさに大きく感嘆の息を吐いて、虚空を見上げた。
――ソウル・トーカーは、何処へ行ったのか。
そんな事を考えながら、俺は、邪教団のアジトでテルヒロに起こされるまでのことを思い返していた。
……あの時。俺がデータベースから呼び出したのは『キャラクターデータ』だった。
アイネトが第1サーバーからやってきたのであれば、それを対処できるのもまた第1サーバーの存在だろう。そして、俺に思いつくのは一人しか存在しなかった。
伝説級の希少度を誇る悪魔殺しの大剣?アイネトの属性に「悪魔」が含まれている以上、ダメージを与えるのに最適な、対アイネトとしては最適な武器だ。しかし、それを使うのは誰だ?
この世界でキャラクターは、【フィジカル】【スピリット】値を基礎値として、職業によって自動で振り分けられる基本パラメータによる強さも当然重要だ。しかし、キャラクターの強さ、という点であれば何よりも【アビリティ】の存在が大きく影響する。
たとえ、キャラクターレベルに倍の開きがあったとしても。NPCならではの連携でチェーンコンボがつながっただけにも関わらず、トネラコさん達がアイネトのHPを大きく削れたことや、それ以外のギルドメンバーによる集団戦で、上手くターゲットを分散させるだけで瞬殺されずに生き残ることができていたのもそれが理由だ。
なにせレベルアップしたときのポイントは、基礎パラメータ能力値か、【アビリティ】のどちらかに振るしかないシステムなのだから。どちらかに極振りするというテンプレも考えるが、もし基礎パラメータでアビリティの有用性を打ち破るのであれば、希少なポイントを振ってまでアビリティに偏らせるメリットが存在しなくなってしまう。
チェーンコンボや、アビリティの組み合わせによるスキルの発動など、このゲームはアビリティの存在に比重をおいている。人によっては、アビリティの組み合わせに命をかけた結果、高レベルでもパラメータは初期値、なんて構成のプレイヤーはザラにいた。
そんな環境でも、一応同レベル帯でPvPを行ってもそれなりにゲームの体裁を保つバランスに成り立っていたのだ。RBDという世界は。
もっとも、逆にいうとパラメータが高いだけではゴリ押しできないという複雑さが、ライトゲーマーを逃した部分もある。結果、知る人ぞ知る、程度の知名度でしか広まらなかった理由でも有るのだが。
そんなわけで、例え強力な武器があっても、それを操るアビリティが十分なレベルに達していなければ、宝の持ち腐れとなるのだ。
では防具であれば?龍の胃袋アーマー?アイネトは「ドラゴン」属性の攻撃が多く、その最大攻撃力を誇るブレスを完封できる耐性を持つ防具は必要だろう。
しかし、これを装備したとしても尾や爪をつかった物理的な攻撃は防げず、しかも重量がありすぎてラルドさんレベルのフィジカル値じゃないと、動くことすらままならない超重防具だ。
消費アイテムは回復一択。でも、即死レベルの攻撃が多すぎて、用意しても湯水のように使われるのは間違いない。そんな量は運ぶだけでも一苦労だ。
何をチョイスしてもダメ。限られた時間という制限の中で、アイネトを足止めできる手段。つまり、それがソウル・トーカーの召喚だったわけだ。
……問題は、ソウル・トーカーが「プレイヤー」であることだ。果たして召喚したとして、使い物になるのか。中身のない、キャラクターの抜け殻が出てきたら?
しかし、他の手段を選んだとして、その勝率が0――0に限りなく近いじゃない、0だ――である以上、逆に未知の条件に賭けるしかなかった。分の悪い賭けは嫌いじゃない、というやつだ。とはいえ、あまりに分の悪い博打には違いなかった。
――そして、彼女は俺の想定を遥かに超えた。
データから呼び出した彼女は、既に"中身"が存在していた。
MPも切れ、息も絶え絶えに膝を折る俺の前に、その両足で確かに立ち、俺を見下ろしていた。
精神系状態異常と盲目状態異常を防ぐバケツ型フルフェイスメットの『オルゴンゾーラ』。
チェーンコンボ中のスキル効果に補正がかかる代わりに、チェーンコンボ受付時間が半分になる『熱血炎のマフラー』。
チェーンコンボ中、極小時間ノックバック・スタン無効が付与する代わりに、チェーンコンボ受付時間が半分になる『捨て身バンテージ』。
与ダメージと被ダメージが倍増する『諸刃番長の高鉄下駄』。
攻撃力に全振りするパラメータ補正と付与される装備の特殊能力を優先しまくった、見栄えの悪すぎる半裸の金髪黒肌痴女。それは間違いなく、あのアイネトを狩っていたソウル・トーカーに間違いなかった。
何度も挑戦する度に、装備がコロコロ代わっていったが、最後に行く度にカオスになっていったものだった。最初は無難な、特殊効果てんこ盛りの中量級の金属鎧と革鎧の組み合わせだった。
しかし、カウンターをメインとした小盾とショートソードの装備は、防御を捨て、段々とカオスなことになっていった。アイネトの能力が上がっていったので、外見度外視のメタ装備に特化しだしたのだ。
一番見栄えで話題をさらったのは、タイマン戦のため、デメリットの「ヘイトを集める」効果を無視できる、咆哮などのスタン効果を無効化できる『メタリックアフロ』。
滞空時間を伸ばして空中コンボを決めるための『白鳥ヘッド』という腰防具。
頭部へのクリティカルで強制的にスタン効果を与える『ヘビーぴこぴこ』という鈍器装備と、スタン中のターゲットへのダメージに補正される『バクのしっぽ』というモーニングスター――鉄球部分が毛玉になっている――の二刀流を身に着けた討伐動画だったか。
あの動画は、笑った。
閑話休題。
呼び出したソウル・トーカーが身につけている装備は、アイネトを連続で5体討伐した、最後の動画でも身につけていた、言わば最終形態の装備構成だった。見た目は裸装備に親しい下着装備。『熱血炎のマフラー』が、上半身防具と、下半身防具の枠を使うという、見た目に反したとんでもない条件の装備だったからだ。
そんな彼女の目線は、オルゴンゾーラのスリットから中身が見えないのでわからないが、間違いなく彼女は俺を見ていた。
そして、俺の頭を一撫でして、虚空を見上げては、その手に愛用の石斧『逸鬼倒染・血之河地獄』を担いで広場を出ていった。
俺が見たのはそこまでだ。
そして、その結末をテルヒロに聞いた。ついでにネモからも保証をもらったが、あれは間違いなく本物のソウル・トーカーだった、らしい。
「……何者なんだ、ソウル・トーカー」
彼女は、俺達と違って、ゲームのデータベースから呼び出した存在だ。で、あればどちらかと言うとラルドさん達を始めとしたNPCと同じはずなんだ。
しかし、その動きは本物のソウル・トーカーだった。と、すると。ソウル・トーカーは元々ゲームの中に存在するキャラクターだった、ということ?
「そんな、まさか、な」
苦笑しながら俺は、自分の脳内に浮かんだ、まさかの事実をかき消した。
……そろそろ、体のポーションも流れ落ちたし、頭に塗った分も蒸気の水分で流れ落ちた。風呂の上がり時だろう。
ざばり、と音を立てて湯船から上がったところで。
入口の扉が開いた。
「え?」
「あ?」
そこに立っていたのは、誰であろうテルヒロだった。
トランクスのような湯浴み着だけを纏ったテルヒロが、なぜかそこに立って唖然とした顔をしていた。
ご拝読・ブックマーク・評価・誤字報告にご感想、いつもありがとうございます。
おかげさまで、50,000PV、10,000ユニークの大台に突入しました。
ご期待に添えるように、これからも精進してまいります。
ゲームで公式から用意されたコンボ以外に、独自に考えた最適化された防具って、だいたいネタ装備が含まれません?
今はそういうの、ないんですかね。装備で外見が代わるゲーム増えましたしね。
昔は文字だけだったから、大体設定だけで外見想像するととんでもないもの多かった印象があります。パジャマとか、あぶない水着とか。




