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第三章 アホとテストとゆとりの秘密

   第三章 アホとテストとゆとりの秘密



 夕希に剣道でフルボッコにされた翌日。

 僕は泣きながら自室に引き篭もる……ようなことはせず、ちゃんと学園に来ていた。

 ただし、かなり早朝に来た上、一時間目開始のチャイムが鳴っても屋上にいるのだから、立派にサボりなわけだが。

「…………」

 静かだ。

 考えてみれば、一人でいるのは久しぶりな気がする。

 先週一週間はなんだかんだと理由をつけられて、ずっとゆとりといたからな……。

 空は僕の心中など知ったことかというような快晴で、一割未満の雲がゆっくり流れている。

 そうそう。『快晴』って、実は、雲が全く無い状態のことじゃないんだよね。定義は『一割未満』だから、ちょっと雲があっても快晴に分類されるのだー。

「いやいや。たとえ理科の教科書に載っている定義がそうであっても、やはり雲一つ無い空にこそ、『快晴』という言葉は使いたいな!」

「…………」

 前言撤回。

 どうやら、僕だけの静寂な空間は終わりを告げたらしい。

「ハロー、少年! ハッピーかい?」

「ついさっきまでハッピーだったんですが、今ちょうどアンハッピーになったところです」

「落ち着け、少年。……今、少年は屋上の中でも一段高い貯水タンクエリアに寝転んでいるわけだが、そこに私が登場した。しかも、立った状態で、だ。そして私はスカート! この意味が分かるか!?」

「…………」

「なんと少年は、超絶☆美少女であるこの私、学園長のスカートの中を拝める絶好のチャンスなのだっ! しかも! この学園一高いこの場所で二人っきりなら、スカートの中を覗いている少年が誰かに目撃される心配も無い! と来れば……行くっきゃない♪」

 僕の視界の端にギリギリ映るように、スカートの裾をヒラヒラさせる学園長。

 そんな学園長に、ズバリ言ってやった。

「年増のスカートなんて……(ボソッ)」

「ああん? なんか言ったか? これでも私は永遠の17セブンティーンだぞ!」

 確かに、見た目だけなら17歳のお姉さんに見えるから質が悪い。

 今まで何人の男子新入生が、学園に迷い込んだ私服の美少女(ドレス姿)に恋をしたことか……。

 その後判明する衝撃の事実(学園長)に、「俺は熟女好きだったのか――っ!?」と悩み卒倒する者、多数。

「どうせスカートの下は体操服なんだろう、って言ったんですよ」

「むぅ。なんだ、つまらない……」

 本気でガッカリする学園長。

 先日のゆとりとの一件をヒントに考えた悪戯であろうことは明白だ。

 残念でしたね。僕は、ロングスカートにはそこまでガッつかないんですよ。

 しれっと心中で僕の特殊性癖を暴露しつつ、空を見続ける。

「あーあ。少年が食いついた所を見て楽しもうと思ったのに……」

 そう言って学園長は、スカートの裾をするすると上げ――

「って、なにやってんですか!?」

「ん? いや、暑苦しいから、体操服脱ごうかと」

「だからって、僕の目の前で着替えることないでしょうっ!」

 そう会話している間も、特に気にした様子無くスカートの裾をたくし上げる学園長。

 そして、腰の位置まで上げ、体操服があらわになった。

「…………」

確かに、僕はロングスカートには過剰な反応を示さない。

 しかし、スカートの裾をたくし上げて体操服と白い太ももがあらわになっているのは、表現できないほど扇情的で――

「やれやれ。暑いったらありゃしない」

「…………っ」

 学園長は何の羞恥も感じていないかのように、体操服を下ろす。

「ちょっ! そんなことしたら下着が――っ!!」

 慌てて起き上がる僕の目の前で、バッ、と一気に体操服が下ろされた。

 本来ならスカートも一緒に下に落ちるハズであるが、たくし上げた際にどこかに引っかかったのか、落ちかけの状態で静止。

 そして、僕が見たものは――

「やーい! やっぱり期待してやんの! わははははー!! 残念だったな、少年! 二枚重ねだよ! 体操服の下はブルマだッ!!」

 学園長は悪戯が成功し、子供のように笑っていたが――

「○※×♯▼↓↑B!?」

 僕はとりあえず、予想外の状況でバランスを崩し、後ろに倒れた。


「……すまなかった、少年。まさか少年がスカートだけでなく、ブルマも大好きだったとはな……」

「否定させてください……。お願いします……」

 後ろに倒れた衝撃で後頭部を打ち、鼻血が止まらなくなった僕を膝枕で看病しつつ、学園長が母性に溢れた笑みを浮かべる。

 うぅ……なんて失態を……。

 僕が好きなのはミニスカだけなのにっ!(そこが危ないというツッコミは却下)

 膝の上にいるせいで、視界は学園長の顔と青空だけだ。

 悪戯が成功(?)して、学園長が落ち着いたこともあり、屋上は再び静寂を取り戻していた。

 穏やかな時間の流れ。

 心地よい風。陽の光。

 澄んだ空気。

 もうここから先には進まず、どこにも戻らず、ずっとこうしていたいと思った。

 ……が、そんなことは許されなかった。

「……ところで。せっかくの『新入生一』という優等生の看板を、こんな簡単に傷つけるのは、勿体無いぞ?」

 やっぱり来たか。

 このお節介な学園長が、ただ僕に悪戯をしに来ただけのハズがない。

 平時ならともかく、今、この状況でそれはありえない。

 僕はできるだけさり気なさを装って、青空に視線を目一杯ずらしながら言い返した。

「……別にいいじゃないですか。どうせもうすぐ関係なくなります」

 そうだ。関係なくなる。

 今日は四月二十日。

 あと、十日――――

「…………」

「…………?」

 いつもニヤニヤといやらしい笑みを浮かべ、強気の態度と横暴がトレードマークの学園長が、珍しく黙った。

 不思議に思って視線を戻すと――綺麗な瞳に、ちょっとだけ涙が溜まっていた。

「……あ。すまん、あくびしてた。なんだって?」

「アンタって人は!」

 シリアスな雰囲気ぶち壊しですね!

「別にっ! なんでもないですよ!」

「そう怒るなよ、少年。私の膝枕、気持ちいいだろう?」

「…………」

 シリアスな話がしたいのか、ギャグな会話を楽しみたいのか、どっちかにしてください。

 本当に疲れるので。

「……わかった。すまん。ちょっとだけ、真面目な話をしよう。キャラ的にシリアスな展開は大の苦手なのだが、仕方無い」

 お手上げだ、と両手を軽く上げながらそう言った。

 そして僕の頭をそっと持ち上げたので、僕から起き上がり、対面に胡坐をかく。

「それでは、少年。少年は昨日、幼馴染の吹雪少女に剣道の試合で負けた。

ゆとり少女にカッコよく『絶対に勝つぜ!』的な宣言をしておいて、惨めにも吹雪少女にビビって負けるという、ある意味最低の敗北を喫した。そりゃあ簡単にゆとり少女と顔は合わせられない。今まで『優等生』として周囲の期待に応え、大抵のことを成功させてきたお前だ。どんな顔をして会えばいいか、わからない。いや……ある意味、もう二度と会いたくない存在であるかもしれない」

「…………」

 人が傷ついてるのに、その傷に塩を塗りこんで抉り、さらにその傷を広げるような真似をするな、この人。

 まぁ、そんな人だというのはわかっていたけど。

「……だがな、少年。失敗したのなら、もう一度最初からやり直せばいいだけの話ではないのかな?」

「それは……」

 それは、そうだ。

 ここ一週間、失敗ばかりだった。

 その度に何度も挑戦し、何度もやり直してきた。

 でも……それは、練習だったからだ。

 練習は何度だってできる。何度だってやり直せる。

 だけど、『本番』は――違う。

 あとからどれだけ足掻いても、どれだけ頑張っても、その時の結果を変えることは出来ない。

 どんなに納得いかない結果でも。

どんなに辛い現実でも。

それこそ魔法か超能力か――【ツバサ】でも使って過去を改竄しない限り、結果は覆せない。

「……無理ですよ。夕希の剣道の腕は本物でした。たとえ僕が数年間剣道の修行を積んで今の夕希と戦ったとしても、勝てるか怪しいです」

 それが分かるくらいには、僕も剣道を知ることができた。

 夕希は、本当に強かった。

 ……残酷なほどに。

「はぁ~……」

 僕が心中を吐露すると、学園長はとても落胆したような息を吐いた。

「やれやれ。頭が固いなぁ、少年。君は私のお気に入りなんだぞ? あまりガッカリさせないでくれ」

 そんなことを言われても……勝手に気に入ったのはそっちだし、その責任をとれと言われるのは些か理不尽ではないのか。

「本気で分かってないって顔だな。……お前の本来の目的はなんだったんだ? 吹雪少女に剣道で勝つことじゃないだろう?」

 本来の目的……?

「……ゆとりと、縁を切ること」

「そうだったのか!?」

 珍しく、学園長は心底驚いたようだった。

 そうか……そういえば僕、ゆとりと縁を切るために部活巡りをしてたんだよな……。

「う、うん……。なんか私が諭そうとしていたルートとは、まるで違う方向に話がぶっ飛んでしまった感はあるが……まあ、いい。で、お前はそのためにどういう手段を用いることにしたんだ?」

 手段……。

「ゆとりを、剣道部に入部させよう、と」

「そう、そこ」

 話が思惑通りに進まずイライラしたのか、学園長がパイポをくわえながら気だるげに指摘した。

「?」

「そこだよ、そーこ。ゆとり少女を剣道部に入部させたい。しかしゆとり少女は学園入試ランキング最下位だ。そこが、問題になったんだろう?」

「??」

 意味がよくわからない。

 学園長は、何を言いたいんだろう?

「あーもう! だからさ、ゆとり少女を剣道部に入れるためにお前は吹雪少女との剣道対決を思いついたわけだが、そこ、別に必要なくね? ってことだよ」

「…………」

 …………あ。

 僕にもやっと、学園長の言わんとしていることが分かった。

「そうか……つまり、ゆとりがテスト最下位じゃなきゃ問題ない……のか?」

「はい、正解ー」

 美味そうにパイポ吸う学園長が見るのは明後日の方向だ。

「……水くさいな。私と少年は、学園長と生徒である前に……その、『友達』じゃないのか? 困ったことがあるなら、相談すればいいだろう」

 僕に表情を見せまいとこちらに後頭部を向けているが、めちゃくちゃ照れながら言ってるのはモロバレだ。なぜなら、耳が真っ赤だから。

 僕はその様子が面白くて、つい、くすっと笑ってしまった。

「わ、笑ったなー!? せっかく私が協力してやろうと言っているのにっ!! この恩知らず! なんちゃって優等生!!」

「学園長が協力なんてしたら、格技場を使ってる部活から部員が一人残らず居なくなっちゃいますよ」

 大人の女性に使う表現じゃないけど……子供みたいに捲くし立てる学園長が可愛く思えて、つい茶化すような返しをしてしまった。

 でも、せっかくのご厚意なので、ありがたく受け取るとしよう。

 もちろん、『生徒』として。

 ……僕に『友達』は、必要無い。

「来週の頭、中間テスト前の中間テストを行ってください」

 ぺこり、と頭を下げた。

「……一週間で大丈夫か?」

「はい。……剣道じゃ失敗しちゃいましたけどね。元々僕の戦場は勉強なんですよ」

 ニヤリ、と学園長みたいな笑みを浮かべる僕を見て、本人も同じ笑みを浮かべた。

「よかろう。今日の帰りのHRで連絡させる」

「よろしくお願いします」

 もう一度深く頭を下げる。

 あくまで『生徒』として。そう……自分に言い聞かせながら。



「グッモーニン、ゆとり!」

「はわわ!? 神無君!? えっとね!? あたしは別に大丈夫っていうか! そもそもそんなに入りたく……じゃなくて! それよりも神無君と毎日遊べて楽しくて……! つまり、だから! 本日はお日柄も良く、かつて無い最高の晴天に憧れて自由の翼を持って空に飛び立ちたいっ!!」

「そうか……。今日は天気が良いもんな……」

「ふえーん……。そうじゃないよぉ~……」

 二時間目終了後の休憩時間。

 いきなり教室に帰ってきた僕に話しかけられて、ゆとりはとてもテンパってる様子だった。

「あの……そのぅ~…………神無君、落ち込んでない?」

 できるだけ遠回しに聞きたかったのだろう。

 両手の人差し指をつんつん突き合わせながら視線を上下させ、少し間を空けたが……結局、うまい言葉が浮かばなかったらしい。さすが、ゆとりだ。

 それに対して、僕は元気良く答える!

「全然落ち込んでない!」

「ええ!? そうなの!?」

「もちろん! なぜなら、負けたって僕に不利益は一つも無いからなっ!」

「それはひどくない!? あたしの剣道部入部が懸かってたんだよ!? それに、神無君との一日デートも……(ごにょごにょ)」

 ?

 後半は何を言ってるのか聞こえなかったぞ。

「まぁ確かに、大きいこと言っときながら、完膚なきまでに負けたことは謝ろう。すまん!」

「え? うん。別にいいよー。にゃはは。あたしは、神無君がもうあたしとお話したり遊んだりしてくれなくなるんじゃないかって、そっちの方が心配だったんだ~」

 ゆとりの苦笑が胸にちくっと刺さった。

 学園長が相談に乗ってくれなかったら、きっと僕はそういう態度をとっていたと思う。

 期待を裏切った僕は、きっと、その人に必要無い。

 それでも、このゆとりの期待……願いは、今からでも叶えられるから。

「まあ、僕がお前と話さなくなったり、遊ばなくなる未来は近いけどな」

「ええー!?」

「一週間後、お前は剣道部に入るんだ。そうなれば、毎日僕と遊んでる余裕も無くなるだろ?」

「……え?」

 ニヤリ、と笑う僕に、心底意味が分からないという顔をするゆとり。

 ――大丈夫さ。

試合には負けたけど、勝負には勝ってみせる!

「一週間後、プレ中間テストがある。学園に入学してから、ここ2週間で習った範囲からのみ出題されるという無茶なテストだ。そのテストでお前は、みんながびっくりするような点数を取るんだよ」

「ええー!? 無理だよぅ! だってあたし、ゆとりだもん!」

「誇らしげにゆとりをカミングアウトするなっ!」

 やっぱり失敗だったんじゃないだろうか。

こいつにアホの代名詞、言い訳を与えてしまったのは……。

「お前は僕に剣道を教えてくれた。今度は、僕のターンだ! この学園一の頭脳を持つ優等生・神無紘が、お前の専属家庭教師になってやる!」

「せ、専属……!?」

 ん?

 なんでそんなところに反応するんだ?

「あ、あたし頑張るよ! きっと、赤点回避してみせるよっ!」

「いや、もっと上位に行ってもらわないと困るんですが……」

 こうして、僕とゆとりのバトル~2ndシーズン~が開始された。



「絶望した!」

「えへっ。ゆとっちゃった~」

 ゆとりの家庭教師を引き受けた放課後。

 授業中の様子や、その間の休憩時間で軽くゆとりの実力を知ろうと思ったのだが……僕の試みはことごとく失敗した。

 問題を出せば、必ず不正解。

 公式や単語の定義を聞いてみれば、必ずゆとり理論。

 得意な科目は? → 全教科。

 ……ゆとりかっ!

 そんなわけで、放課後にちょっとした小テストを僕が作成し、ゆとりに受けさせてみたのだが……まさかのオール0点だった。

「一体どうすればこんなことに……。こういう定番の状況を回避するために、半分以上を選択問題にしたのに……」

 テストの選択問題は、意外に正解しにくい。

 それは選択肢が複雑だったり、引っ掛けるようなものがあるからだ。

 だから、僕は今回、それをやめた。

 たとえば、次のような形である。


問題

 5Ωの抵抗に10Aの電流を流しました。電圧はいくつでしょう?

①50V ②77㎗ ③100% ④わたがし


ゆとりの答え……④


「ふざけんなぁぁぁぁぁあああああああ――――――――――――――――――――!!」

「へうっ!」

「なんだよ、『わたがし』って! そりゃあふざけて選択肢を作った僕も悪いけど、これはお前の実力を試すためのテストなんだぞ!? お前まで遊んでどうする!?」

「ご、ごめんなさいぃ~~」

 ゆとりは主人に怒られた犬みたいに、頭を押さえて机に伏せる。

 ご主人様が怖いのか「うー」と唸っているが、ここは容赦せん!

「ったく、ふざけるのも大概にしとけよ。……で、真面目に答えたら、わかるよな?」

「うん……③だよね?」

「うん……ゆとりだよね?」

 いや、今のは全国の優秀なゆとりの皆様に対して、侮辱発言になってしまったな……。

 全世界で社会のために多大なる貢献をされている偉大なゆとりの皆様、こんなどこぞのアホの子と同列に扱ってしまって……どうもすいませんでした!

「……マジで頭痛くなってきた」

ここは天下の名門、『朝霧学園』ですよ?

『世界で最も夢に近い場所』ですよ?

 世界中から受験生がやってくる、今や東大もびっくりな競争率ですよ?

 ハー○ード大学生を超える頭脳の持ち主がいるかもしれない、と噂される学園ですよ?

 学園長が日本贔屓で日本人に甘いといっても……そこの一生徒が、日本なら中学生でも解けるような問題が解けないって、どゆことですか??

「……やっべぇ。これ、マジで一週間じゃダメかもしんない……」

 ゆとり以上に低い体勢で頭を抱えつつ、僕は真剣に悩み始めた……。

「あのぅ~……学園長に頼んで、もうちょっと先にしてもらうっていうのは、どうかな?」

 少しは申し訳なさを感じているのか、おずおずと手を上げて発言するゆとり。

 そうだな……。本来なら僕もそうしたい。

 だけど、

「それは無理だ。僕には、時間が無い」

「時間……?」

 おっと。

 ゆとりに悩まされていたせいで、ついつい口が滑ってしまった。

「とにかく。テストは来週の月曜日、四月二十六日で決定だ。朝霧学園はテストの採点が早いから、二日後の二十八日にはテストが返却され、ランキングが発表されるだろう。その日に、お前は剣道部に入れ」

 そうだ。

それが最短にして、最長の計画だ。

「う、うん……。がんばるよ……」

 僕も不安を感じているが、ゆとりも不安を感じているのだろう。

 だから、言ってやった。

 ちゃんと、勝ち目のある勝負なのだと。

「……そんなに心配するな。剣道と違って、今回は回答③、100%勝てる保証がある」

「えっ!? そうなの!?」

「当然だ。勉強なら、僕が負けるハズないだろ?」

「神無君は勝てるかもしれないけど、あたしは勝つ自信無いよ……」

 ゆとりが、しゅんとなりながら言う。

 はぁ……面倒だなぁ……。

「…………」

「え? え?」

 僕は、机に伏せていたゆとりの頭を右手で撫でてやった。

 ぽふ、ぽふ、と二回軽くバウンドさせて、ゆっくり撫でる。

「うにゃあ~~」

 ゆとりが猫みたいな声を上げた。

 猫っぽかったり犬っぽかったり、忙しいやつだな。

「大丈夫だよ。僕が教えるんだ。たとえどんなことがあっても、絶対にうまく行く」

 自信を持って告げる。

 夕希との試合とは違い、確信に満ちたその言葉を。

「うん」

 ゆとりが僕の右手の下で和みながら、短く返事をした。

「しっかし……この小テストの出来は異常だな。お前、中学最後のテストは赤点とかとってたのか?」

「う。……え~っと……その……、9個、かな?」

「全部かよっ!」

 さすがキング・オブ・ゆとりスト!

「で、でもでも! あたしちょっと停学してたから……」

「なんだよ……。校則違反でもしたのか? まあ、そういう理由があるならいいや。それで? その前は?」

「…………。…………。……………………8個」

「…………停学してたのか?」

「…………ううん」

 ですよねー。

 これは本当に、マジで骨が折れそうだ。

 先週の一週間とは、違う意味で。


 ゆとりのゆとりっぷりにガッツリ付き合わされた後、「お願いだから休ませてくれ……」と僕は教室に残り、ゆとりを先に帰らせた。

 ああ……ほんと、マジで疲れた。

 自分で言うのもアレだけど、僕は結構頭のいい人間である。

 説明されれば大抵のことは理解できるし、ちょっとわからなくても自分で思考を続ければ答えが見つかる。

 一度覚えたことはなかなか忘れないし、たまに問題を間違えても、間違えた事実ごと暗記してしまうので、二度と同じミスを繰り返さない。

 そうやって蓄積した知識・思考方法・感性を、全て自由に組み合わせて使うことができる。……少なくとも、僕はそう思っている。

 マンガや人の話を聞いたところによると、僕にとっては普通なこういう『当たり前』のことが、他人にはできないらしい。

 今までは「嘘だぁ~」と思っていたし、万が一本当だったとしても僕には関係ないと思っていたのだが……こうやって誰かに『ものを教える』立場になると、それが相当な障害になることがわかった。

 なにせ、僕にはわからないのだ。

 ゆとりが、どうしてこの程度のことができないのか……わからないのかが、わからない。

 僕は一度聞いただけで全てが理解できるのに、どうしてそれができないのか、わからない。

 ゆとりの家庭教師では、その謎を解き明かす所から授業が始まる。

 生徒であるゆとりはいい。問題を考えるだけでいいのだから。

 そんなもん、半分寝ながらだってできるだろう。その点僕は、『なぜわからないのか』という……ちょっとした人間の心理みたいなことを考えなければいけないのだ。

 如何にゆとりが勉強を苦手としていたところで、同じ時間考えていれば、どっちが消耗するかは自明の理だと思う。

 ……と、そんな無駄な思考を頭の中でグルグルさせていると……突然、教室の扉が開いた。

 ゆとりが「やっぱり一緒に帰ろう!」と戻ってきたのかと振り向くと――そこには、夕希がいた。

「…………」

 だんまり。

相変わらず、だんまり。

まあ、必要なことしか話さない夕希ならいつものことだ。目が一旦合ってしまったのは気まずいが、何気なくこちらから逸らして、いつも通りお互いにスルーしよう。

 そう思って目を逸らしたのだが……

「――っ」

 なんだか、扉の方から息を呑むような声(?)が聞こえた……気がした。

 夕希はすたすたと自分の席まで歩くと、机の引き出しから教科書を取り出して鞄に詰めている。

 なにか忘れ物でもしたのかな?

 あー。そう言えば、明日の古典は夕希が当たる番だったか。

 あの先生、ランダムに当てていると見せかけて、出席番号真ん中から一つ飛ばしなんだよな……。いい加減、生徒側にバレていることに気づけばいいのに。

 どうでもいいことを考えながら机に伏せていると、

「……男らしくない」

 危うく聞き逃しそうな呟きが聞こえた。

 独り言のようにも聞こえたが、内容から考えてきっと僕に向けたものだろう。

「なんだよ。なにか言いたいことがあるならハッキリ言えよ」

 疲れていたこともあり、ちょっとイラついている雰囲気が発言に混じってしまった。

 それをなにか勘違いしたのか、

「男らしくないって言ったの! なによ! 負けたら……自分の思い通りに行かなかったら、その過去を無くすみたいに関係ごと切り捨てるなんてっ!!」

 と、夕希にしては珍しく感情が多分に含まれた発言が返ってきた。

「……はあ? 別にそんなことしてないだろ。確かに一時はゆとりと完全に関係を切るつもりだったけど……いろいろあって結局、まだ付き合ってるし」

「――――っ!!」

 僕としては普通の発言をしたつもりだったけど、なぜか夕希はその発言途中に表現できないくらい厳しい表情をした。

 試合の時以上に殺気の籠もった目だ。

「……ヘンタイ! ロリコン! 死んじゃえ!」

 三連続で僕を罵倒した挙句、ついに死ね発言も残して、教室を飛び出す夕希。

「…………」

 後には、先程の怒りによって微かに震えた空気と、僕だけが残された。

「……なんだってんだよ」

 わからない。

 ゆとりの理解力の無さもわからなかったが、夕希の僕に対する当りの強さの原因もよくわからない。

 神童と呼ばれ、自他共に認める優等生な僕でも、世界は謎だらけだ。

「昔は、あんなじゃなかったんだけどなぁ……」

 昔。

 ずうっと昔。

 まだ、僕の隣に、世界で一番大切な人が笑っていた頃。

 その優しい笑顔が、わずか数年後に失われるなんて、予想だにしていなかった頃。

 小学生だった僕と紗夜と夕希は、クラスでも中心的な存在で、三人みんな仲良しだった。

 あの頃は夕希が僕を殺気絡みの視線で睨むことは無かったし、むしろ紗夜と一緒にニコニコ笑っていた気がする。

 紗夜と一緒に幼馴染だったから、「将来はヒロのお嫁さんになるー」なんてありがちなことも言っていた、普通の女の子で友達だったのに……どうしてこんな風になったんだろう。

「紗夜の存在……は関係ないか」

 紗夜が他界する前……中学時代には、とっくに今の状況だった。

 となれば、原因は何だったのだろうか。

「……わかんねぇ」

 ちょっと興味が出たのでとりとめもなく考えてみたが、わからないものは、わからなかった。

 別に、いいや、と思う。

学年どころか『学園全体で人気のある女の子と幼馴染で仲良し』という事象に憧れが無いと言えば嘘になるが、それほどの未練もまた、無い。

 結局、二人も可愛い幼馴染がいた僕だけど、僕にとって世界の人間は『紗夜』と『それ以外』にしか分類されないみたいだ。

 それは本当に残酷で、世界の人々……特に僕を『友達』とか『大切な人』とか思ってくれる人には本っ当に申し訳ないけど、それが僕の本心だ。

「…………っ」

 ああ。

 また泣きそうになった。

 ダメだな、僕は。

紗夜が僕の隣から居なくなって、かなり時間が経ったのに、全然傷は癒えていないみたいだ。

「……当然か」

 それほど紗夜は、僕にとって大切な存在だったんだから。

 だからもう、考えないことにしよう。


 ――紗夜と一緒に、人生を歩きたかった。


 その夢はもう、叶わないのだから。

 もう、こんなIFを……夢見ないようにしよう。

「あー。ダメだ。無心になりたい!」

 そういえば、先週使っていた剣道の防具と竹刀、まだ主将さんに返してなかったな……。

 いつでもいいって言ってたし、もう少しだけ借りておくことにしよう。

 ゆとりに洗脳レベルで特訓されたせいか、竹刀を握っている間は頭の中が落ち着くようになったし、素振りでもして帰ろうかな。

 そう思った僕は、席を立って、一週間ですっかり通い慣れた体育館上の剣道場へ向かった。


 結局この日、足捌きから面打ちまで、教わった工程を全て練習することになった。



「夕焼けロマンス!」

「……青空パラダイス」

 例の謎のゲームで挨拶を済ませ、放課後の勉強会が始まった。

「この二日間の勉強会を通して、お前はどちらかというと文系であることが判明した」

「そうなの!? あたしはどっちも得意だと思ってた!」

「どっちもできない、の間違いだろう」

「えへっ。ゆとっちゃった~」

 ダメだこいつ……! 早くなんとかしないと……!

「とにかく! どれもできないなら、文系科目を重点的にやった方が得だと言ったんだ。朝霧の数学は特にレベルが高くて、公式を使えばいいだけの問題は、まず出ない。真に内容を理解しているかどうかを問われる問題が大半だろう。他の物理・化学等の理系科目にしてもしかり。対して、文系の科目はどうしても記憶に頼る部分が多く出てくる。しかし、逆に言えば、記憶さえしていれば解ける問題が多いというのも事実だ。英語や国語は文型・作品を利用して知らない単語・表現を狙ってくる可能性があるが、こと歴史に限ってそれは難しいだろう。つまり、お前が重点的に勉強すべきは、歴史だ!」

 見たか!

 これが、新入生一の優等生・神無紘の戦術!

 どんなに絶望的な状況でも……逆境を打ち抜く、強い力!!

「…………ごめん、もう一回言ってくれる?」

 ただし、対象をゆとり以外とする!

 僕は本当に絶望的な状況に半泣きになりながら、ゆとりレベルに合わせた説明をもう一度した。

「つまり、歴史を重点的に勉強しようってこと」

「おー。それならよくわかったよ! まったく、神無君ももっとカンタンに物事を言うようにしないとね!」

「はい……! 今後は気をつけさせていただきます……!」

 我慢だ。

 耐えろ、神無紘。

 ここでキレたら、ただでさえ少ない勉強時間を、貴重な時間を無駄にすることになる!

 耐えるんだ、神無紘~~~!!

「というわけで、歴史の勉強だ。ゆとりよ。お前、歴史くらいはわかるよな?」

「わかるよ! 中華三千年の歴史だよねっ!」

 ……中国料理には詳しそうだな。

「テストは日本史だ。なんでもいいから、日本の過去について知ってることを言ってみろ」

「う~ん…………あ。鳴くよ(794年)、うぐいす……」

 おっ。

 さすがにその程度の年号は知ってい――

「平城京!」

「おしいっ!」

 だが、これまでの科目の中で、唯一まともな回答を得られたな。

 これは、歴史なら行けるかもしれない……!

「他には、どんなことを知ってる!?」

「う~ん……いい国(1192年)作ろう……」

「そうそう!」

「『俺と、いい国作ろうぜ……!』」

「なんの決め台詞!?」

「あとは……無視殺し(645年)」

「残酷すぎるぅぅぅぅうううううううううう――――――――――――――――――!!」

 寂しくて死んじゃうウサギなんですね、わかります!

 ……って、ギャグやってる場合じゃない!

「ちょっと待て! 一応聞くが……お前それ、マジでやってるのか?」

「えらくマジです」

「ああ……もう、大空に飛び立ちたい……」

 僕はもう疲れたよ……パトラッシュ……。

「で、でもでも! 確かにこういう歴史なら、覚えやすいかも!」

 あらゆるものに疲れて気を失いかけていた僕に、ゆとりが必死のフォローを入れた。

 ……そうだよな。頑張るしかないか。

 どうせこれが最後だ。

 なら、どんなに不利な状況……しんどい戦いでも、頑張ろう。

 ラストくらい、ハッピーエンドの方がいいだろう。

 それに――

「よし、ゆとり! 歴史は歌にして覚えると覚えやすいんだ! 今から一緒に作曲するぞ!!」

「そうなの!? ようし! それじゃあ、あたしが一番好きな『ゴジラのテーマソング』に乗せて――」

「なんでよりにもよって、その曲チョイスなの!?」

 ――それに、ゆとりとこうやってわいわい騒いでいる時間は、そんなに嫌いじゃなくなってきたしな。



 そんな感じでゆとりと笑いながら過ごす内、あっという間に一週間が過ぎていった。

 だが、今回は剣道の試合の時のような不備は無い。

 この一週間、僕はゆとりに教えられる全てのことを教えてきた。

 歴史を歌にし、年号だけでなく、その時代のバックグラウンドまでイメージで記憶に植え込んだ日本史はバッチリだ。

 英語も基本的な考え方と、今回出そうな重要な構文・単語を暗記。

 国語は出題される作品をマンガっぽく授業して、ストーリーやキャラクター(登場人物)の心情を完璧に理解させた。

 数学は時間が無いので、一つの公式とその問題について深く掘り下げた。

 理科では物理を選択した。化学や生物など、暗記系の方がゆとりには可能性があったが……それらを覚えることで暗記量が増え、肝心の日本史を忘れたら元も子もない。

 そこで数学と同じく暗記の少ない物理を選択し、数学同様に一つの公式について深く掘り下げた。

「にゃはは。テストが待ち遠しいなんて、初めての気持ちだよっ!」

「……そうか」

 早朝の教室。

 特に約束はしてなかったけど、なんとなくいつもより早くに目が覚めてしまい、早めに登校してみると……同じような症状に見舞われたゆとりが、ほぼ同じタイミングで登校してきた。

 本来なら、テストが始まる前の一分一秒まで復習し続けるのが、僕のスタンスなのだが……余計なストレスを与えないためにも、ゆとりにはさせないことにした。

 僕の場合も、本当の復習というよりは、気持ちをリラックスさせるための儀式のような意味合いが強いし。

「ありがとう、神無君。今日のテストは、あたしの人生で一番の出来になりそうな気がするよ」

「当然だ。そうでないと、困る」

 素直に礼を言ってくるゆとりの言葉が照れくさくて、ついつい捻くれた返事をしてしまう。

 でも……たぶん、僕の顔は笑っているだろう。

 今回だけは絶対に成功する確信があった。

 前回の剣道の試合みたいに、勝ちを引き込むために本番で頑張る必要も無く、普段通りの実力を出せさえすれば軽くクリアできるハードルだ。

 日本史は元より、他の科目に関しても、少なくとも赤点を回避するだけの実力はつけさせた。

 だから、絶対に大丈夫。

 そう、そう思っていた。


 ――だが。


――ガラッ。

 勝負は、最後の最後まで、何が起こるかわからないのだ。

「…………」

 早朝の静寂を破り、三人目の登校者が教室の扉を開けた。

「「…………」」

 僕とゆとりの会話も、自然に止まる。

 教室に入ってきたのは夕希だった。

 僕に負けず劣らず優等生な彼女のことだ。きっと、早朝の教室で最後の復習をするつもりだったのだろう。

 夕希の方も僕達がいることが予想外だったようで、少し驚いた雰囲気が伝わったが……すぐにいつもの冷静さを取り戻すと、すたすたと自分の席に歩いていってしまった。

「えっと……神無君。あたし、雪城さんに挨拶してくるよ」

「……は?」

 ゆとりの予想外な発言に、つい素の疑問を返してしまった。

 ……挨拶をしてくる? 夕希に?

お前を剣道部に入部させなかった、張本人なのに??

「だって今日のテストがうまくいけば、同じ部活の『仲間』になるじゃない? それなら、今から仲良くしておいた方がいいかな~って……」

 両手の人差し指をつんつんしながら、上目遣いに僕のご機嫌を窺うゆとり。

そんなゆとりを……僕は素直に、すごいと思った。

 だって、僕には絶対にできない。

 自分の邪魔をし、自分に悪意ある行動をした人間と自ら進んで仲良くしようなんて……絶対に思えない。

 たとえそれが、この世界で正しいとされる理想論であったとしても、教師やPTA、保護者の心象に直接関わるような場面でもない限り……僕なら絶対にそんな行動はしない。

 それを、こいつは――

「……行ってこい」

「うん。にゃはは。ありがと」

 お礼を言って遠ざかるゆとりの後姿に、

「僕に礼を言う必要はないだろ」

 なぜか寂しい気持ちになりながら、そんな言葉を呟いた。


 ゆとりは必死に、夕希と仲良くしようと頑張っているようだった。

 あの絶対零度の視線相手に、よくやるよ……。

 僕は教科書を見返すフリをしながら、チラチラとその様子を伺う。

「~~~~」

「~~!? ~~~~!」

 ?

 なんか、言い合ってる?

 少しすると、ゆとりが僕の席に戻ってきた。

「どうした? なにかあったのか?」

「え? う、ううん! 特に何もないよっ! ほんとだよ!?」

 嘘つくの、どんだけ下手なんだよ……。

 思いっきり『なにかありましたー!』って顔してるじゃんか……。

「まあ、言いたくないなら、いいさ」

「にゃはは……。ありがと、神無君」

 気弱に笑うゆとりの表情は、確かに笑っているはずなのに、なぜか僕には泣いているように見えた。

そんな顔は見たくなくて。

 でも、僕にはうまい解決法が思いつかなくて。

 結局僕は、空元気でその場の空気を盛り上げるように叫ぶことしか、できなかった。

「よしっ! 気持ちを引き締めろよ、ゆとり! 一時間目からいきなり勝負だぞ! 『日本史』だっ!!」

「お、おー!」

 ……ゆとりが言いたくないなら、その原因を知っているもう一人に聞くまでだ。

 これが僕の、最後の仕事。

 絶対零度のブリザードが相手だって、怯んだりしないさ。



「ちょっと、いいか?」

「…………」

 一時間目の社会科テスト終了後。

 トイレ……乙女的には『お花を摘みに』立った夕希の後をつけ、出てきた所を捕まえて話しかけた。

「……ヘンタイ」

 やばい。今回も、言い返せない。

「……ああ、もうヘンタイでもなんでもいい。どうせ、もうすぐ終わるんだしな。で、率直に聞かせてもらうが、朝、あのゆとりとなにを言い合ってた?」

「…………」

 夕希は躊躇うような仕草を見せた。

 なにか、僕に知られるとまずいようなことなのだろうか。

「……ヒロ、どうしてあの子にこだわるの? ヒロは、友達を作らない主義って言ってなかったっけ?」

 どうして今そんな話を?

 だがここで変に話を振ると、僕が聞きたい回答まで戻って来られない可能性がある。

「ああ、そうだよ。友達なんて、僕にはいらない。あのゆとりだって、そうだ。僕にとって、あいつは友達じゃあない」

「…………」

 その言葉を聞いて、夕希は微妙な表情を作った。

 どこか納得いってないような……それでも安堵したような……本当に曖昧な表情だ。

「でも、ここ最近、毎日ずっと一緒にいる」

「……仕方ないだろう。お前のせいで、剣道部にストレートで入部できなかったんだから。本当なら、最初の一日で剣道部に入部させて縁を切る予定だったのに……」

「……っ!」

 だからなんなんだ、さっきからその微妙な反応は。

 意味が分からない。

 というか、さっさと僕の質問に答えてくれ。休憩が終わってしまう。

「…………。…………っ!! ……剣道部に、入部させないって言った」

「は?」

 今、なんて?

 いや、どういう意味だ?

「剣道部に入部させないって言ったの。たとえ今回、赤点を回避して下から十数番目の順位を獲得しても、数週間前の入試で最下位だった事実は変わらないから。だから、今回成績が良くても、偶然か運がよかっただけだと思うから、そういう風に主将に説明して入部に対して反対するって言ったの」

「――――」

 ――こいつ。

「だから、残念だけど、彼女の入部は諦め――」


「 ふ ざ け ん な っ !! 」


 柄にもなく感情的になってしまった。

 廊下でいきなり大声を張り上げた僕に、周囲の生徒が一斉に振り返る。

 だが、そんなことは全く気にならない。

「…………」

 僕が大声を上げたことを一番珍しく感じたはずなのに、夕希はいつものクールな……冷たい瞳で僕を見つめていた。

 だけど、今回ばかりは、その瞳にも負けない。

 どんなにブリザードな視線を向けられようが、関係ない。

「……よく聞け、夕希。僕は今まで、お前だけは特別だと思っていた。たとえ冷たい視線で射抜かれようと、ヘンタイ扱いされようと……12年間の大半を一つの教室で過ごしてきた仲だ。お前のことは大体わかっているつもりだ。お前は正しい。僕と同じくらいか、それ以上の優等生だし、僕と違って他人のために一生懸命頑張れる人間だ。だから、僕はお前が何をしても文句は無かった。

――だけど。今回に限っては、お前は間違っていると思う。少なくとも、僕はそう判断した。他人なら誰をも例外無く助けるお前が、どうしてゆとりを目にかけるのかはわからないが……今回の件で、ハッキリした。僕は――」

 僕の長い口上を真っ直ぐに聞く夕希。

 その視線が一瞬、揺らいだような気がしたが……僕は構わず、続けた。

 心のどこかで想っていた、最後の『友達』を失う言葉を。

「――僕は、お前が、嫌いだ」

 それだけ言って、僕はすぐにその場を後にした。

 言い逃げみたいで少しカッコ悪かったかもしれないけど、それ以上そこにいる余裕は無かった。

 ゆとりを剣道部に入れるためには、生半可な成績ではダメになってしまったのだ。

 できれば使いたくはなかったが、最後の手段に打って出るしかなさそうだ。

「……全然、わかってない」

 走り去る直前、僕の背中にそんな気弱な声がかけられた気がした。

 それが本当に夕希の言葉だったのかどうかはわからない。

 しかし、それはどうでもいいことだ。

 僕の今の一番は、『ゆとりを剣道部に入部させること』。

 その目的を叶えるためには、他のことに構っている余裕は無い。

 僕は、一人で泣いているであろうゆとりの元へ、全力で走った。


「えーニジョー足す2えーびー足すびーニジョー!」

「…………」

 ゆとりは、全然泣いてなかった。

 なんか舌っ足らずで不安な物言いだが、きちんと次の数学のテストに向けて公式の再確認をしているらしい。

「おい、ゆとり」

「話しかけないで~、公式が飛んじゃう~!」

 イヤイヤ、と頭を振りながら、なぜか右手の指を折りつつ同じ呪文(数学の公式)を唱え続けるゆとり。

 ……なんだか、一気に安心した。

 てっきり、一人で抱え込んで泣いているとばかり思っていたからな……。

「……夕希に、話は全て聞いた」

「えーニジョー……ええ!?」

「(a+b)² = a²+2ab+b²」

「公式じゃないよっ! えっと、雪城さんに朝のこと、聞いちゃったの!?」

「ああ。……悪かったな。理由はわからんが、僕の知り合いが迷惑かけて」

「別に、全然いいよ! 雪城さんの言ってることはもっともだし!」

 本気でそう思っているらしい。

 僕が同じ事をされたら、ブチ切れて文句を言って当然の場面なのに。

 こんな小さなことでも、ゆとりが今までどれほど不遇な目に遭って来たのか感じられてしまった。

「作戦変更だ、ゆとり」

 そんなゆとりを、助けてやりたいと思った。

 誰かから強制されたわけでもなく、紗夜との約束に縛られたわけでもなく。

 ただ純粋に、僕にはできないことを平然とやってのけるこの少女を、助けてやりたいと思った。

「ふ、ふえ?」

「一週間頑張ってくれたお前にこんなセリフを言うのは気が引けるが……正直、このままテストを受けても、赤点を回避して下から十番ちょっとの順位を得ることが、関の山だと思う」

「う、うん……。そうだね……」

 途端、ゆとりがしゅんとしてしまった。

 その様子に、胸が痛む。

 頑張って、頑張って……自分にできることを全部やって、全力を尽くしたのに――それでも自分の望みが叶えられない現実。

 それは、僕も過去に目の当たりにしたことがある絶望だ。

 今のゆとりがどんな気持ちか、その痛みの半分くらいは分かる。

 だから、言ってやった。

「大丈夫だ。まだ、切り札がある」

「え?」

「最初に言っただろう? 今回は100%勝てる保証がある勝負なんだって。今からその作戦を教えてやる」

「でもあたし、難しいことできないよ? ゆとりだもん……」

 今回のゆとり宣言は、自信無さそうな表情と共に行われた。

 やれやれ。ゆとりってのは、根拠も無く自信満々のやつじゃなかったのか。

 テンション下がり気味のゆとりらしくないゆとりに、最後の作戦を教えてやった。

「……え? そんなことで、うまく行くの??」

「ああ。大丈夫。オールオッケーだ」

「??? あたしは、どうしてそれで全部がうまく行くのかわからないよ……?」

 僕が教えた作戦が、あまりにも予想外だったのだろう。

 ゆとりはしきりに不思議がり、その意味について考えていた。

 だが、あまりゆっくりしている時間は無い。もうすぐ二時間目のテストが始まってしまう。

「いいか、ゆとり。僕の言うとおりにすれば、絶対にうまく行く。だから、その意味がわからなくても、僕を信じて作戦を実行してくれないか……?」

「う、うん。今回は神無君が先生で、あたしが生徒だもんね。にゃはは! わかった! 良くわからないけど、神無君の言うとおりにやってみるよ!」

「よし、その意気だ! 安心しろ。絶対に損はさせないから!」

 見てろよ、夕希。理不尽な現実。

 どっちもまとめて、僕が目にもの見せてやる!

 この勝負のラストは――驚愕の大逆転だ!!

 チャイムが鳴り、担当の先生が教室に入ってきた。

 二時間目のテストの始まりだ。

 さて。

 僕も、気合を入れますか――。



 そうして、テストが終わり、二日が過ぎた。

 四月二十八日。

 今日は、テストの返却日。同時に、校内テストランキングの発表日でもある。

「ふわぁ~……」

 今頃ランキング表が張り出される中庭と校庭には、生徒が山のように集まっているだろう。

 そんな中、僕は屋上のいつもの場所でゆっくり休んでいた。

 力が大きな影響を及ぼす朝霧学園では、このテスト返却&ランキング付けも一大イベントである。全校生徒がお祭り騒ぎのように囃し立てるので、事実上午前中は休日だ。

「テスト返却日が昼からなんて、数少ない朝霧のいい所だよな~」

 一人で呟きつつ、空を見上げた。

 残念ながら、本日は曇りだ。空の8割以上が雲に覆われている。

 結構厚い雲だし、ひょっとしたらもうすぐ雨が降り出すかもしれない。

「……これで、よかったのか?」

 頭の上から声が聞こえた。

 その声とタイミングで誰かは分かったので、特に驚きもせずに返事をする。

「よかったですよ。これであのゆとりは剣道部に入部できるでしょう。剣道部に入れば、僕と一緒に過ごす暇もないくらい忙しく、楽しい時間が得られるはずです。きっと、僕みたいな捻くれ者じゃない……彼女に相応しい友達もたくさんできますよ」

「…………」

 いつもニヤニヤしてお喋りな学園長が、黙った。

 シリアスな展開は苦手だと言っていたのだから、こんな空気を自ら作るのはやめてほしい。

「……私は、君の核である『それ』を、君が失ってしまったことが怖い。『それ』は、君にとって唯一無二のアイデンティティであったハズだ。それを失ってしまえば――」

「……いいんですよ、もう。ずっと前から、決めていたことです。それがたまたま、あのゆとりの問題と噛み合った。だから、どうせ失うのなら有効活用しようと思っただけです。……少々ルール違反ですけどね。その辺は、大目に見てください。あいつ、頑張り屋なんで、きっと次のテストではいい結果を残せるはずです」

「しかし、私は――」

 バタンッ!!

 学園長が途中までした発言を遮って、屋上の扉がすごい勢いで開かれた。

 僕一人なら見つからずにやり過ごせたかもしれないが……学園長が同じエリアに立っていたせいで、僕の存在にも気づいたらしい。

「神無君っ!!」

 ゆとりと出会ってから数週間。

 僕の人生から見れば短い期間だが……その中でも、一度も聞いたことの無い強い感情が含まれた声を聞いた。

「おー、ゆとり。剣道部への入部届けは提出してきたかー?」

 茶化して貯水エリアから手だけ振る僕に対するゆとりの反応は……無言だった。

 そして、こっちのエリアに上がってくる。

「神無君……これ、どういうこと?」

 ゆとりが手にしているのは校内テストランキングの写しだ。誰かが写メで撮って、プリントアウトでもしたのだろうか。

 そのランキングの最上位――第一位の部分が中心に写されている。


 ――『第一位 源ゆかり』


「おお! なんと、一位だったのか!? さすがゆとり!! まさか奇跡の逆転劇を決めるとは、神無紘も想像できなかったぞ! 恐れ入った!!」

 努めて明るく言う僕に……ゆとりはまたしても無言だった。

 さすがに、この状況がどういう要因によって作り出されたのかは、分かっているらしい。

 それはそうか。

 いくらゆとりが相手だといっても、限度がある。

「神無君……これ、神無君の成績だよね?」

「……お前の名前が書いてあるじゃん」

「あたしが、こんないい成績とれるわけない!」

「そんなことないぞ? お前はこの一週間、必死に勉強して――」

「神無君っ!!」

 ゆとりが、またしても大声を上げた。

 学園長がなにかうまいフォローをしてくれないかと会話を引き伸ばしてみたが……彼女は僕の隣に立ったまま、無言で目を閉じている。

 今回の件について、説明は僕からするしかないらしい。

「神無君……あたしの名前で、テストを受けたんだね」

「……ああ、そうだよ」

 そう。

 僕がゆとりに授けた最後の作戦。

 それは『テストに名前を書くな』というものだった。

 ゆとりが不思議がるのも無理は無い。なにせ、名前無記入のテストは0点扱いされるのが、朝霧学園の鉄の掟だ。全ての基になる、スタートラインである記名を怠った者に、テストの点数を得る資格は無いという考えらしい。

 だからゆとりは最後まで、どうして名前を書かないだけでいい点数がとれるのか疑問に思っていた。

 無理も無い。予想だにできないだろう。

 まさか、誰かが自分の名前でテストを受けるなんて――

「どうして……どうしてこんなことしたの!?」

 剣道部入部という願いが叶うというのに、ゆとりは僕に対して怒っていた。

 ……本当にいい奴だよ、お前は。

「お前を、助けたいと思った。……それだけだ」

「でも……! だからって……!」

「本来なら、ちゃんと実力で勝利を味あわせてやりたかったんだけどな……。夕希のせいで、実力だけじゃあ望みが叶わなくなっちまった。だから、最終手段を用いたんだ。

……ごめんな。『偽善者』の僕には、こんなやり方が精一杯だった」

 苦笑いしながらそう告げる僕に、ゆとりは絶句していた。

 理解できない、という顔をしながら。

 どうして僕が、僕の最も大切にしていた『優等生』というステータスを捨てたのか理解できない、というように。

「あたしのせいで……神無君の順位は……」

「最下位だ」

 黙っていた学園長が、容赦なく断言した。

 憎まれ口を叩いてやろうと思ったが……学園長も学園長で、怒っているようだ。

 ふざけている雰囲気が全く無い。

 お気に入りの『優等生』が、最低の成績をとったのが面白くないんだろうか。

「あたしの……せいで……」

 ゆとりが今までに見たことが無いくらい悲痛な顔で悩み始めてしまった。

 そんなに気にすることじゃないのに。

 どうせ、もうすぐ関係なくなるのに。

 それにもかかわらず、そんな顔をするゆとりと学園長を見たくなくて、つい、その先を話してしまった。


「気にするなよ、ゆとり。どうせ僕、もうすぐ死ぬんだから」


 時が、止まった。

 ゆとりも、学園長も……誰もかも微動だにせず、静止した。

 曇り空だけが、少しずつ雫を落とし始め、動いていた。

「……え……。今、なんて…………?」

「だから、気にするなって」

「その先!」

「ああ。僕、もうすぐ死ぬから?」

「死ぬ、って……」

「別にゆとりのせいじゃないぞ? もっと言えば、今回のテストランキングの件も関係無い。誰かのせいじゃなく、何かのせいでもなく、神無紘はもうすぐ死ぬ」

「どう、して……?」

「その質問に答えるのは難しいな」

 開き直って心中を吐露しているせいか、僕はとても落ち着いていた。

 それが逆に、彼女達には異様な光景として目に映るらしい。

 そんなにおかしいことだろうか?

「例えばさ、人間はいつか死ぬ。それは当たり前で、全然おかしいことじゃあ、ないだろう? その終わりがいつ来るかは分からない。明日来るかもしれないし、今日来るかもしれない。ひょっとしたら60年後かもしれない。でも、人間はいつか死ぬ。そして……自然に来るその日を待たず、自分からその時を迎えようとする人間も、居る」

 雨がどんどん強くなってきていた。

 土砂降りになるかもしれない。

「僕はたまたまその一人だというだけだよ。確かに二人の周りには少ない種類の人間かもしれないけど、今や全国の自殺者数は、交通事故で亡くなる人の人数を超えているんだ。だから、二人の周りに一人くらいそんな奴がいても、全然おかしくないと思うよ?」

 僕としては普通の一般論を述べているつもりだったけど……二人の、特にゆとりからの視線が痛かった。

「…………どうして、」

 ゆとりが、下を向きながら聞いてきた。

 雨でゆとりの前髪が垂れ、表情がよく見えない。

「……僕の夢はもう、叶わないからだよ」

「どうしてっ!」

 ゆとりは僕に掴みかかってきた。

 僕の襟首を掴み、必死に揺さぶる。

「どうして! 諦めるの!? ここは、『朝霧学園』なんだよっ!? ここで叶わない夢は、無いんだよ!?」

 は、ははは……。

「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」

 僕はゆとりを力任せに振りほどくと、思いっきり爆笑した。

 なにが面白いのか全然わからない。

 ただ僕は、心の赴くままに爆笑した。

 訳が分からなかった。

 何も分からなかった。

 どうして笑っているのに僕の目から涙が流れているのかも、分からなかった。

「は、はは……」

 ある程度笑いが収まる頃には、雨が本降りになっていた。

 土砂降りもいいところだ。これじゃあ、風邪を引いてしまうかもしれない。

 僕はどうなっても構わないが、二人が体を壊さないか心配だ。

「僕の夢はもう……叶わないんだよ」

 そう、たとえ朝霧学園でも、叶わない夢は存在する。

 たとえば――自ら望むことができない夢。

「……神無君の夢って、どんなこと?」


 ――紗夜と一緒に、人生を歩きたかった。


 その夢を叶えるには、どうすればいいだろう?

 紗夜を生き返らせればいいのだろうか。そんなことを、天国の紗夜が望むだろうか。

 タイムスリップして過去を改竄すればいいのだろうか。そうしたら、今の僕と紗夜はどうなる。何もかも無かったことにして、今の……天国にいる紗夜さえも、殺すのか。

 紗夜と全く同じ容姿で、紗夜と全く同じ性格の、紗夜と寸分違わない女の子を創造すれば――……いいわけがない。


 ……手詰まりだ。

 どんな魔法・超能力・奇跡……【ツバサ】が使えたとしても、僕の夢は叶わない。

 叶えるわけには、いかない。


 ――――紗夜。

 ごめんな。

 守れなくて、ごめんな。

 救えなくて、ごめんな。

 助けられなくて、ごめんな。

 もうすぐ――僕も、そっちに行くから。


「っ!? あ、ううううぅぅぅ!!」

 突然、先程までの僕よりも派手に、ゆとりが呻き出した。

「? おい、どうした? 大丈――」

「どけっ!!」

 訳もわからず呆然とする僕を押しのけて、学園長がゆとりに駆け寄る。

「しっかりしろ、ゆとり少女! チッ! これはマジでヤバイな……! 神無少年、救急車を呼べ!!」

「は、はい!」

 今、僕の目の前で何が起きているんだろうか。

 ゆとりが苦しそうに倒れており、学園長がゆとりの容態を診ながら、僕に救急車を呼べと言う。

 僕はその指示通り、知ってはいるが人生で押すことになるとは思ってもいなかった番号をケータイでプッシュして、電話した。

 その間もずっとゆとりは、苦しそうに胸を押さえて呻いていた。

 突き刺すような雨の中、絶望に満ち溢れた屋上。

 そこはまさに、地獄と呼んでも差し支えのない場所だった。


 程なくしてやって来た救急車によって、ゆとりは病院に運ばれていった。

 僕は学園長からタオルを借り、体を拭きながら学園長室のソファーに背を預けている。

「病気なんだよ、彼女」

 学園長が、「傘を忘れてしまったよ」と世間話をするようなトーンで僕に話しかけてきた。

「先天的な心臓の病気でね。あまり長くは生きられないんだ。3回発作が起きたらアウト。それが分かっていながら、現代の医療ではどうすることもできない病気だ」

 僕の前に温かい紅茶を差し出しながら、続ける。

「1回目の発作が、彼女が中学生だった時。その1回目の発作が起こった時点で、もう長くないということは分かったらしい。さっきのが2回目。……残念だが、『あと1回まで大丈夫』なんて楽観的な考えはできない。2回目の発作が起こったら、3回目の発作はすぐに来る。そして、その『3回目』で終わりだ。もって……二日だろう」

 何を言っているんだ、この人。

 僕をからかう冗談にしても、趣味が悪過ぎる。

 そう思って学園長に怒ろうと顔を上げると――彼女の、真剣な瞳があった。

 ああ。

 そうか。

 僕はまた、失うのか。

「彼女のような学力の生徒が朝霧にいたのは、そういうわけだ。……最後の願いらしくてね。『世界で最も夢に近い場所を見てみたい』、と。そして、『そこで友達と毎日楽しく遊んでみたい』、と。

中学までは体調にわずかでも悪い兆しが見えると、すぐに入院していたらしい。少しでも発作を長引かせるために。だが……中学時代に、発作は起こってしまった。その時点でもう、長生きできないのは決定事項。だから、最後くらいは本人の好きに生きさせてやろうというのが、親の考えだったらしい」

……なんだ、それ。

「小学校からずっと学校を休みがちだった彼女だ。当然、朝霧学園に入学できるほどの学力など、無い。……親からは、山のように札束を積まれてしまったよ。『この子をどうしても朝霧学園に入れてほしい。金ならいくらでも払う』、とね。もっとも私は、『世界で最も夢に近い場所』の学園長だ。将来可愛い生徒となる少女の夢を壊すほど、鬼畜ではない。私は当然のこととして、金など一銭も受け取らず彼女をこの学園に――」

「ふざけるなっ!!」

「…………」

 学園長を怒鳴り、睨みつける僕によって、彼女の話が途切れた。

「……それは、どういった意味かな? 実力で入試一位の成績と共に入学した優等生として、コネ入学を怒っているのかな?」

「そんなわけが、ないでしょう」

 僕は、制服の胸ポケットに仕舞っていた生徒手帳を取り出した。

 それに挟んでいた一枚のトランプを、学園長に見せつける。

 そのトランプは――【鍵】だ。

『世界で最も夢に近い場所』――朝霧学園。

 富も名誉も……【ツバサ】すら手に入る、世界中の人々が夢見る理想郷。

 その――核。


【幻想世界】への扉を開く、この学園の全生徒が獲得を目指している【鍵】――。


「……朝霧学園に、『不可能』は存在しない。幻想世界の力を使えば、叶わない望みなど無い。貴女なら、あの少女を救えるはずです」

 詰問するように、告げた。

 なぜ貴女は彼女を見殺しにするのか、と。

「現代の医療で治療できないなら、未来の医療技術を引っぱってきて使えばいい。未来の医療技術でも追いつかないなら、どこかの神様『ブラックジャック』にでも頼んで、治療してもらえばいい。そんな回りくどいことをしなくても、魔法でも超能力でも使って彼女を苦しめている病原菌を殺し、悪い細胞を回復させたり、良い細胞に交換したりすればそれで済む。……いくらでも方法はあるはずだ。それなのに――」

 なぜ貴女は、それをしないのか。

 言外に僕は、彼女を糾弾した。

『世界で最も夢に近い場所』を取り仕切る長。

 今やアメリカの大統領すら凌駕する、神にも近い力を持つ者。

 文字通り『この世で最強の力を持つ者』――それが、朝霧学園の学園長だ。

「…………」

 彼女はドレスのポケットからパイポを取り出すと、口にくわえた。

 そしてそれを吸いながら、目を閉じて何かを考えている。

 そんな彼女に……僕は、土下座した。

「お願いします……。あいつを……ゆかりを、助けてください……」

 人生で初めての経験だった。

この僕が、誰かに土下座をする日が来るなんて夢にも思わなかった。

それが他人のためだというのだから、なお驚きだ。

 それでも――この人にお願いするしかないのだ。

 もう他に、手が無い。もうこの学園の、【幻想世界】の【ツバサ】に頼ることでしか、ゆかりの命を繋げることはできない。

 必死に土下座を続ける僕に……彼女は、夕希の視線なんか比べ物にならないくらい冷たい言葉を投げつけた。

「無理だ」

 たったそれだけの言葉に……僕は、地の底まで落ちるような錯覚に囚われた。

「お前も、分かっているだろう。私は、私のためにしかこの力を使わん。『叶えたい夢があるなら、自力で奪い取れ』……そう、入学式でも述べたはずだ」

 そうだ。確かに学園長は、最初の入学式でそう言っていた。


――私には全てを叶える力がある。

――できないことなど何も無い。

 ――ただし、この力をお前達のために使ってやろうなどとは、微塵も思わない。

 ――欲しいものがあるなら……叶えたい夢があるなら……自力で奪い取れ!


「でも! 今回は非常事態でしょう!? このままじゃあ、あいつ――ゆかりは、死んじゃうんですよ!?」

 子供みたいに慌て、必死に学園長に迫る僕に対して……学園長は冷静だ。

「それなら、お前はこう言うのか? 『世界中で死の際に立たされている人間を全て助けろ』、と。それが私にできないかと聞かれれば、答えはもちろんNOだ。私には、なんでもできる。だがな……そんなことをしたら、どうなると思う? 間違いなく近い未来に地球の生態系が狂い、食糧難が起こり、今のバランスは崩れ去ることだろう。そうなったら、今私が救った人間よりも、もっと多くの人間に被害が及ぶ。

 それさえも、私に解決しろと言うのか? それも、もちろん不可能ではない。ならば、その先もずっと、私の手によってこの世界を守り続けたとしよう。それで、その先はどうする?」

 学園長の話に、僕は唖然としていた。

『なんでもできる』ということ。

 それがどういうことか、全く理解していなかった。

「私が死ぬことがあるかもしれない。その時、世界はどうなる? 私が死ぬ最期の最後、その瞬間まで私に頼り続けた人間に、その先を生きる力があると思うか?

 よし、ならば私は未来永劫死なないことにしようか。私個人の意見としては、それはごめんだが……それができないかと聞かれれば、そんなことはない。私は私自身の希望を捨て、私だけを犠牲にしながら、未来永劫この世界を守り続けよう。

 ……だがな、少年。この神のような私にすら、わからないことがたくさんあるのだ。人間だからな。ミスもするし、間違いだって犯す。人並みに欲望もある。そんな私が一人で支える世界など、欠陥だらけだぞ?

 それなら、この力を使って、私自身を世界の誰もが理想とする人工人間の聖人君子に改造してやろうか。しかし、その改造をするのがそもそも私だ。それが完璧にできるはずがない。いや、完璧にできたとしても、時の流れと共に絶対に劣化する。

 そのフィードバックすら行おうか。……だがな、どんなに理想的で最高の結果を産む頭脳を作り出したところで、この神のような力を使い続けたところで、絶対に『できないこと』というのは存在してしまうものなのだよ。それが、人間というものだ。

『なんでもできる』私が、こんなことを言うと矛盾しているように聞こえるかもしれないが……君ならきっと、わかってくれるだろう?」

 ……ああ。

 わかる。

 悔しいけど、わかってしまう。

 だって、それは僕が直面している問題だから。

『なんでもできる』朝霧学園で、だからこそ叶えられない夢。

 残酷にも全ての願いが叶うが故に、絶対に願えない夢――。

「……だから私は、この朝霧学園学園長という席に就いた時に決心したのさ。『全ての力を私のためだけに使おう』、とね。どんなに完璧な聖人君子のように力を使い続けたところで、必ず劣化し、失敗する結末。それならいっそ、私の思うがままに力を振るおうと思った。それが間違いだと糾弾する者も多数いるだろう。だが、私はそれでも構わないし、私の考えを変える気もさらさら無い。

 文句がある奴は、力で殴りかかってくればいいさ。それで私が負けたその時は、大人しくこの席を譲ってやる。人間の歴史なんて所詮、争いの歴史さ。あとからそれを未来の人間が善悪つけて論じているだけで、その時争っていた奴らは共に己の欲望のために戦ったに過ぎない。だから私は、私のためだけに、この力を使う」

 堂々と言い張る学園長は、微塵も自分の考えを疑っていなかった。

 心の底から、今の自分を信じている顔だ。

 それが僕には……とても、羨ましい。

 過去、幾度となく失敗し、何度も涙し、数え切れないほど後悔してきた僕には、決してできない表情だ。

「…………」

「ん? どうした、神無少年」

 様々な思いが渦巻き、まともに発言できなかった。

 僕はのろのろと立ち上がると、まだ半乾きの制服に袖を通し、学園長室の出口に向かう。

「……いろいろと、すいませんでした。タオルは、洗濯して返します」

「おお、そうか」

 学園長は、特にいつもと変わらない調子で応えた。

 それが何よりも、痛かった。

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