Interlude 記憶の欠片
Interlude 記憶の欠片
「『神無紘』って、いい名前ですよね」
いつかの夏の日。
二人だけの秘密の場所。
街に沈む夕日を眺めながら、紗夜は僕にそう言った。
「そうかぁ? オレは嫌いだけどなぁ~……。『神無』ってなんか宗教関係の怪しい人みたいな苗字じゃん。名前の『紘』だって短いから軽いし。『アキラ』とか『ハヤト』とかカッコイイ名前にしてほしかったよ……」
心の底からそう言う僕に、紗夜はにっこり笑いながら言い返す。
「そんなことないですよ。『ヒロ』って、『ヒーロー』に音が近いと思いませんか? 『神様に頼らず、世界を救えるヒーロー』――神無紘。ほら。すごくカッコイイじゃないですか」
そう言って優しく微笑む紗夜は、夕日のオレンジに照らされて本当に綺麗で。
距離が近すぎて僕の肩に触れていたつやつやの黒髪も、重ねていた手の暖かさも、お菓子のような甘い匂いも、全てが幸せで。幸せ過ぎて。
僕は照れ隠しに紗夜から視線をはずし、街の夕暮れを眺めた。
「それを言うなら紗夜の名前だっていい名前だよ。『サヤ』っていう響きがいいし、苗字の満月だって、綺麗だ。……『満月紗夜』。夏の満月の夜、浴衣を着て夏祭りに行くイメージかな」
「ええ~。それは綺麗なんですか~?」
僕は綺麗だと思ったけど、紗夜の好みには合わなかったらしい。
夏、月、祭り、浴衣……どれも綺麗だと思うんだけどなぁ……。
もっともそれは、僕の頭の中で浴衣姿の紗夜がイメージされてしまったせいというのもあるけど。
「オレの表現力が無いのは謝るけど……でも、紗夜の名前がいい名前だと思っているのは本当だから」
素直に、思っていることを伝えた。
この頃の僕は今よりずっと真っ直ぐで、正直で……ちゃんと自分の好きなことだけを好きなようにやっていたと思う。
「ヒロくんがそう言ってくれるなら、どんなイメージでも嬉しいですけどね。それじゃあ、ヒロくん? 今度の夏祭りには、ヒロくんのリクエストにお応えして浴衣を着てあげます」
「マジっスか!?」
「そ・の・代・わ・り? ヒロくんもちゃーんと『ヒーロー』になってくださいね?」
「なにその超不平等条約! オレの方の要求、極端に重くない!?」
「……そうですよね。ヒロくんにとって、私の浴衣姿なんて価値は無いですよね……」
「い、いや、そんなことは……」
「ヒロくんは、私の浴衣姿なんか見たくないと、そう言うんですね……。そうですよね、私の見苦しい浴衣姿なんて……」
「 す ご く 見 た い で す 」
……本当に、素直だった。
「はい。それじゃあ、約束ですよ?」
「ハッ!? しまった! 乗せられた!?」
「うふふ~」
ノリで約束をとり付けられ慌てる僕を見て、紗夜は小悪魔チックに笑っていた。
いつでも、どこでも、誰にでも、すごく優しいのに……僕にだけはときどき意地悪な紗夜。
そんな紗夜が……大好きだった。
「……でも、真面目な話、ヒロくんは本当にヒーローになれると思いますよ。それが、ヒロくんの夢なんですよね?」
「うん……まぁ、そうだけど……」
誰だって一度くらいは夢見る、子供じみた幻想。
僕にも、非現実的な幻を夢見ていた時代があった。
「絶対になれますよ! ヒーローになって、たくさん女の子を救って、いっぱい『ちゅー』されてください♪」
「なんでキス!?」
「え? だって、ヒーローに救われたヒロインからのお礼って言ったら、『ちゅー』じゃないですか~」
「いや、普通に感謝の礼とかで……」
確かに物語ではそうかもしれないけど、現実でそんなことは起きないと思う。
「ええ~。絶対そっちの方が物語としていいですよぅ~」
「…………。……じゃあ、オレは紗夜だけのヒーローでいいや」
「…………」
会話が止まった。
紗夜が顔を真っ赤にしている。
僕の自惚れじゃなかったらだけど……多分、この頃の僕たち二人は互いに互いのことが大好きで、両想いだったんだと思う。
どちらからもストレートに『好きだ』とか『愛してる』とか言うことは無かったけど……それでも、他の誰よりも、僕たち二人の心は近かった。
そう、思っていた。
「……もぅ。ヒロくんは、そんな何でもないような顔して殺し文句を言うんですから……」
「ええ!? 『殺し』文句!? 別にオレは紗夜を殺すとか言ってないよ!? ごめん! さっきの言葉がうまく伝わらなかったんなら言い直すよ! つまり、オレは紗夜からしかキスされたく――」
「い、言わなくていいですっ!」
ぷいっ、と紗夜がそっぽを向いてしまった。
ああ……また何か失敗した……と当時の僕は思っていたが、今ならそれが紗夜の照れ隠しだったんだと分かる。
「……ありがとうございます。そう言ってくれるのは嬉しいですけど、やっぱりヒロくんはたくさんの女の子を助けてあげてください。困っている女の子、助けを求めている女の子、泣いている女の子……そんな子たちを、無視してほしくないです」
「う、うん……。わかった……。で、でも! キスはされないからねっ!? キスは紗夜からだけ――」
「それはもういいですっ! それに……守るものが多いほど、ヒーローは強くなるって言いますし……」
「そうなの、かな……?」
今でもそれは疑問だ。
複数の女の子を救うヒーローよりも、一番大事な女の子だけを救って、その女の子と一生一緒に、幸せに暮らす方が物語として綺麗ではないだろうか。
「そうですよ。それに――……もし……万が一、ヒロくんが私を救えなくても、その後もヒーローでいられるじゃないですか」
「っ!!」
その言葉は頭に来た。
過去も未来も、紗夜の言葉に対して真剣に怒りを感じたのは、この発言一回きりだ。
「なんだよ、それ! オレが紗夜を守れないって言うのか!? 確かにオレは弱いし、頼りないかもしれないけど、紗夜のためだったら何でもする! 紗夜を助けるためならオレの命だって平気で懸けるし、紗夜を救うためなら――犯罪も犯すし、他人を不幸にも、する」
正直に答えた。
後半の言葉は言おうかどうか少し迷ったけど……紗夜に嘘はつきたくなかったから。
僕が思っていること、僕がするであろうことを正直に、告げた。
「あはは……」
それを聞いた紗夜は、嬉しいような、困ったような笑顔を浮かべていた。
そして、
「やっぱりヒロくんは、たくさんの女の子を救うべきですね」
と、最初と同じ言葉を返した。
その言葉の真意は、今もわからない。
強いて考えるなら、『他の女の子も救うことで、紗夜を救うために犯罪とかはできなくする』という枷の役割が考えられるが……今の僕よりずっと頭の良かった当時の紗夜の胸中が、そんな単純なものだけではなさそうだった。
「……他の女の子をどうするかは別にして、オレはとりあえず、紗夜だけは絶対に救ってみせる」
当時の僕にできたのは、その程度のことを誓うだけだった。
「……はい」
それに対する紗夜の返事は、どこか残念そうな、切なそうな微笑の表情と共に返された。
――結局。
僕はその誓いを果たせなかった。
紗夜を救うことはできず、ヒーローにもなれず、僕が当時持っていた『幸せ』全てを失った。
――紗夜が他界する間際。
紗夜は、この時言っていた『泣いている女の子は助けてあげてほしい』という願いに二つの願いを加え、三つのお願いを僕にした。
――「お願いです、ヒロくん。泣いている女の子は助けてあげてください」
――「お願いです、ヒロくん。私が死んでも、せめて一年は生きてください」
――「お願いです、ヒロくん――――」
そんな願いは叶えられない。
僕は、ヒーローじゃない。
強いて言うなら、『偽善者』。
自分勝手に行動して、それに後からあれこれ理由をつけ、善人に見せかけるだけの存在。
そんな人間に、その願いは荷が重過ぎる。
……だけど、それが紗夜の最期の願いだったから。
できる限りは、守ろうと思った。
――それすらも『偽善』であるということは、重々承知しながら。




