36.結界師、兎の里へ
エドの目の前に、見たこともない巨大な城塞都市が現れる。
正直獣人の住まいを侮っていた、と彼は思う。
人間の城塞都市と同等、いや、それ以上の街並みがそこには広がっていた。
兎耳の少女は道ゆく住民にうやうやしくかしずかれ、銀鼠色に輝く王宮を目指していた。
途中で道は分かれ、エドは地下牢の方へと運ばれる。
鉄格子の牢に入れられたが、エドはほっとした。
一応は、彼らにも人間と同等の文化がありそうだ。しかも、敵を殺さないで捕虜にするだけの余裕がある。
エドはそばにいる兎耳兵士に尋ねた。
「フィリアはここに来たか?」
兵士は気まずそうに咳ばらいをひとつすると、顔色を悟られないように前を向く。
「フィリアは元気かな。家でも幽閉されて、大したものを食べさせて貰えなかったんだ」
構わず、エドはひとりごつ。
「僕はフィリアを助けたいんだ。結界の依代になるために殺されるだなんて、可哀想だよ」
そんな時。
「うるさい兄貴だな」
こつこつと足音がし、階上から兎耳少女が降りて来た。
服を着替え、兎耳をぴんと立てた、フィリアによく似た少女。
少女か顎で合図すると、兵士は鉄格子の間から、エドに腕を差し出した。
エドは困惑気味にそのたくましい腕を眺める。
その腕には大きな傷がぱっくりと赤く開いていた。
「先の戦闘で、この兵は腕を怪我した。聖女の兄ならば治せるであろう?」
エドはごくりと唾を飲み込んでから、そうっと兵士の腕を撫でさすった。
青白い光が溢れ、周囲からどよめきが起こる。
兎耳兵士の傷は、あっという間に塞がった。
傷跡のみが、痛々しく腕に残っている。
兎耳少女は片眉を上げた。
「ほー。お主の言うことに偽りはなさそうだな」
エドは頷く。
「ただ、まだ敵か味方かどうかは確定しておらぬ。エドとやら、申し遅れた。私はこの兎の里ヤムナを治める女王、ニナだ。しばらくこの牢で過ごすといい。食事も与え、その粗末なベッドもいいものに交換してやろう」
エドは困惑気味に口を開いた。
「あのー、フィリアはどこに……」
「それは言えない。ただ、生きているとだけ言っておこう」
「そうですか……」
「そうだな。どうしても会いたいと言うなら……私の頼みを聞いてくれればやぶさかではないぞ」
「頼み?」
エドが怪訝な顔をすると、ニナはあっさりとこう言った。
「エド。お主、我が夫になれ」
時が止まった。
「……は?」
「癒しの力を手に入れたい。それが獣人全体の悲願なのだ」
「へ?」
「実は、獣人と人間は子が成せる」
「……おっしゃっている意味がよくわかりませんが」
「むぅ、やはり妹に激似というのがネックか……癒しの力を手に入れ、癒しの能力を持つ半獣人を増やす絶好のチャンスだと思ったのに」
「あの……」
「一生を添い遂げろとまでは言わん。短期間でいいし、別の女と同時並行でもいいのだぞ」
エドはそれを聞くや、真っ赤になった。
「女の子がそんな誘い文句を使うもんじゃありません!」
「責任は取らなくていい。子どもはこっちで生み育てるから、安心せい」
「はああああ!?」
「狼神官とて、最終目的は……おっと、口が滑った。今のは忘れてくれ」
「人間を馬鹿にするなっ。僕は浮気なんかしない!」
「ふむ。人間は身持ちが固いのだな。狼族とよく似た性質があると聞いていたが、その通りのようだ」
何を言っても手ごたえのない会話に、エドはぐったりとうなだれた。
捕虜にされ、命の危機と思いきや、まさかの貞操の危機だ。
「まあ良い。そなたとの関係はこれからじっくり深めることとしよう。ところで──お主の目的は、妹に会うことだけなのか?」
ようやく本題に触れ、エドはニナを見上げた。
彼は鉄格子に額をつけて言う。
「まず、妹に会いたい。そして、我々ボドリエ家が結界関連の仕事から撤退する方法を模索したいんだ。僕たちの子どもが、二度とダントンの結界のために殺されないように」
ニナはそれを聞き、くすりと笑った。
「僕たちの子ども?」
エドはハッと我に返ると、泣き出しそうな顔をする。
「そ、そういうつもりじゃ……これは言葉の綾で」
「落ち着け。ふーむ、そうか。聖女の一家も、全員が全員、結界の依代になるのを是としているわけではないのだな?」
「はい」
「分かった、聖女様の味方であると確定次第、協力する。共に方策を考えようではないか」
エドは真っ赤になりながらも、ほっと胸をなで下ろした。
ニナは近くにいた兎耳兵士に耳打ちする。
「……猫の島まで伝令を頼む。一度聖女様に、彼が本当の兄かどうかを確認してもらおう」
兎族は遠吠えが出来なかった。
兎耳兵士は頷くと、仲間と連れ立って猫の港へと急いで行った。




