34.恋する速度
蒔絵の描かれた箱膳の蓋を開け、フィリアは目を輝かせた。
牛しぐれ煮の詰め合わせ。小さな鯛の西京焼。筍の山椒蒸し。金箔の入った海鮮類の煮こごり。黄色の厚焼卵に、つやつやに炊かれた黒豆。蕪の酢漬け。いくらの醤油漬けに、甘い香りのいなりずし。
それらがぎっしりと赤い漆塗りの中に詰め込まれ、目にも楽しい。さながら宝石箱のようだった。
「わあああ、素敵!」
「聖女様、初上島ですからね。お祝い膳です」
「お祝い膳……」
フィリアは、こんなに美しい食べ物を見たのは初めてだった。
早速、いなりずしの脇に添えてある菊にかぶりつく。
「……フィリア。それ、飾りだから食べなくていいんだぞ」
「えっ!花も食べられると思ってた……!」
「まあ、一応食べられはしますが……」
レントが取りなす。
フィリアは菊を除けた。
ふと隣のリュカを見ると、何やら二本の棒で器用に食事をつまんで食べている。
「リュカ。それ何!?」
「これはお箸だよ。二本の棒で、こうやって……」
ふるふるの煮こごりまで箸で切って掴んで見せたので、フィリアは愕然とした。
「凄い器用!」
「この島の人間はみんな、こうやって食べるんだ。フィリアはスプーンとフォークで食べなよ」
「ああ、でも……ここにいる間に、そのお箸とやらを使えるようになりたいわ」
「あとで教えるよ。出来ることがひとつでも増えると、楽しいもんな」
フィリアは首を縦に振り立てる。
この世界には、人間以外の種族もいて、食べ物の食べ方だって違う。
様々な文化があって、風景があって、背景がある。
それから──
フィリアは隣でゆったりと食を嗜むリュカを見つめる。
人間以外の種族を、好きになったりもする。
「温泉は、いつでも入れますからね。お膳はまた取りにうかがいますんで、そのままで結構です」
その声に、フィリアははっと我に返る。
レントはそう言って引戸をぴしゃりと閉め、部屋を出て行った。
「……ここは、温泉宿なのね?」
「うん」
「……よかったら、一緒に入る?」
「!」
リュカは驚きに慌てて口を押さえた。
「……おい。食事中に驚かせるようなこと言うなよ」
「ガールズ・トークしよう?」
「俺、ガールじゃないし。って言うかね」
「うん」
「あんまりそういうことは言わないで欲しい。断るの、辛い」
「そう……」
「正直に言うと、そりゃ俺だってフィリアと入りたいけど」
「入ろ?」
「あー……どうしよう。すげー悩む……でもさぁ」
「うん」
「最近特に思うんだけど、もし一緒に入るとしたら、色々──もっとフィリアの知識が人並みになってから入った方がいいよ。フィリアが常識を身に着けた時、あれってああいうことだったんだ……とか、あの狼はそういう奴だったんだ……って後日幻滅されると嫌だから」
「幻滅なんてしないよ」
「いや、するね。とにかく、そういうのはまだ早い気がするんだ」
「そう……」
「もう少しゆっくり行こう。旅の目的はそういうことじゃなく、癒しなんだから」
フィリアは、リュカが二人の間柄を深める順序をしっかりと考えてくれていたことに安堵する。
そして、彼のことをもっと好きになる。
「そっかぁ。じゃあ、やっぱり一人で入るね」
「それがいい……本当に残念だけど」
気づけば、豪華なお弁当は空っぽになっていた。
久しぶりに人工的な建物の中で、ゆったりした時間を過ごす。
フィリアが憧れの眼差しで窓から海を見つめていると、背後からリュカが抱き締めて来た。
静かな島に、海のさざめきだけが流れる。
とても贅沢な時間。
「リュカ」
「ん?」
「幸せ」
「……俺も!」
二人はくすくすと笑い合う。
聖女の髪は獣人の腕の中、再び色づき始めていた。
一方その頃、城塞都市ダントンでは──
「どうしたエド!こんな成績では結界師にはなれんぞ!」
ボドリエ家に、オウルの怒号が響き渡る。
エドは歯を食いしばり、自身の心を落ち着ける。
あれからエドは王宮の学者の元に赴き、結界師となるべく勉強を続けていた。
最近、試験の成績が芳しくない。
それもそのはず。
エドは妹の身を案じ、わざと学習を遅らせているのだった。
(フィリアは生きていた)
エドは先日、王宮で偶然その報を聞いた。
何でも傷ついた獣を癒し、兵士長アドルフに大怪我を負わせたのだという。
癒しの力を使えるようになるほど、獣人世界で癒されたと見える。
(あの子は獣人世界での暮らしで癒されるらしい)
彼女は童話の世界しか知らないはずだが、動物が好きだったのだろうか。
(なるべく、長く獣人界で生き延びて欲しい……)
そんな時。
「エドでは駄目か。シャルルかドミニクに結界師をさせるべきか……」
急に父親がそんなことを言いだしたので、エドは慌てた。
「いえっ、僕、頑張りますよ。彼らは所帯持ちで忙しいだろうし」
「そうは言ってもな、この成績では……」
「成績なら、すぐに上げて見せます!本当に、すぐ!」
「その言葉……信じてもいいのだな?」
「はい!」
エドは動悸のする胸を押さえる。
実のところ彼は結界師についての学習を、宮廷学者の教える範囲以上に進めている。
結界師とは、つまるところ聖女の背中の紋様を書き換え、聖女に結界魔法を充填する仕事なのだ。
聖女の体に結界を張るための魔力を注ぎ、その最大出力を紋様の書き換えでコントロールする。
簡単に言うと、聖女の体は結界の動力。
文様は結界のプログラムである。
文様には色々種類があった。ダントンの町を守り切る結界を張るには、かなり精密な文様が必要となる。
それを空っぽの聖女に施すのが、結界師なのだ。
しかしフィリアが空っぽでなくなったら、その分注ぎ込める魔力が少なくなる。
(フィリアが完全に力を取り戻せば、結界の依代にならずに済むんだ)
エドはそこまで理解していた。
この前まで時間の引き延ばしに躍起になっていたが、父に咎められた以上、また別の手立てを模索しなければならない。
エドはボドリエ家を出て、王宮に急いだ。
と、王宮の前が何やら騒がしい。
「急げ!聖女は兎の里にいるぞ!」
兵士が隊を組み、また新たな土地へ空っぽの聖女を探しに行こうとしている。
(兎の里……そんなところが)
そこに、フィリアがいると言うのだろうか。
上手く行けば、撹乱して妹を逃がすことが出来るかもしれない。
「あの」
エドは兵士に声をかけた。
「僕も、その〝兎の里〟とやらに連れて行ってもらえませんか?」




