婚前旅行10
天正元年12月 岐阜城
俺たちは、九州への2週間ほどの旅を終えて、美濃の信長様の元へ旅であったことを報告に来ている。
この場には、お市様や景姫も一緒だ。
岐阜城には、お歳暮として九州で購入した明の絹糸千斤を持参。
信長様へのお土産として南蛮のマントと帽子も購入し、持参している。
秀吉殿は大名行列みたいに豪勢で凄いお歳暮を送ってそうなのだが…。
俺は丹生島で(あ、信長様にお歳暮を送らないと)って思い出してあわてて買ったので、今年はこれが精一杯。
大名行列みたいな隊列を組む暇もなかった。
「ただいま九州から戻りましてございます」
お歳暮とお土産を前に信長様に挨拶する。
「おう、フロイス師に市か。お歳暮は明渡りの絹糸とな。豪勢じゃの。…藤吉郎には及ばないが……ゴホン。して、どうであった?婚前旅行とやらは。楽しかったか?」
信長様は俺とお市様に聞いている。
(やはり、お歳暮の豪勢さで秀吉殿に負けたか…)
まあ……お歳暮は気持ちが大事で勝ち負けにこだわることでもないし
「いろいろあって、見聞も広まりましたが…」
お市様はそう言って俺の顔を見て、恥ずかしそうに頬を染めた。
「ふむ?」
信長様は俺を(貴様、市に何をしおった?)みたいに睨む。
(えっ?何もしておりませんが…)
俺は戸惑ってお市様を見る。
俺はこの旅の間に何かしましたでしょうか??
「いえ、旅行に行く前にプロポーズという南蛮式の求婚をされたのです。それが、なんとも情熱的で…思い出しただけで顔がほてります。それから…」
いや、とても普通のプロポーズだったと思うのだが…戦国時代の人はやらないのかな?プロポーズ……
「それから?」
信長様が圧をかけるように俺を見たので、俺はたじろぐ。
(なにもしてませんてば!)
…。
「わらわが結婚の申し出を受けた証として、短刀を交換いたしました。その際には誓いのせ、…接吻も。それが南蛮式ということで」
「ほ、ほう」
信長様は今度は興味ぶかげに俺たち2人を見る。
「短刀を交換して接吻とはまた、奇異なことを…。それが南蛮の風習なのか?」
「いいえ。本当は求婚する男が、婚約を求めて相手に指輪をおくる風習なのです。そのかわりとして短刀を送ったのですが…婚約短刀というわけで…」
「なるほど、婚前旅行に婚約短刀か…破天荒極まりない。さしずめ〝浅井を海外の地で再興するのを助けるという約束をやぶったなら、遠慮なく自分を刺してよい〟といったところか…。なんともかぶいておるな。…堅物なフロイス師も婚約を機についに殻を破ったかな?わっはは。それでお市もお主が長政に嫁ぐ際に儂が贈った短刀をフロイス師に渡した…と」
「はい…。それしか、お返しするものがなくて…いけませんでしたか?」
と、お市様が不安げに信長様に尋ねる
「いや、よい」
俺の懐にも、婚約成立の証としてお市様からもらった短刀がある。
銘は柄を外したことがないからわからないが…備前長船与三左衛門尉祐定だそうだ。
祐定には大量生産の数うち品も多いが、これはオーダーメードであろう。
確か、祐定は複数人おり、備前長船と祐定の間に与三左衛門尉みたいな何かが入らないやつは価値がない。数うち品の外れだ。
鞘の先端の鯉口と先っぽの石突きは金でてきており、鞘はホオノキで漆黒の漆が塗られ、鞘の真ん中のあたりに優美な金のアゲハ蝶の家紋が入っている。
アゲハ蝶の家紋は織田家が平氏を名乗っていることを示す。
それだけでなくアゲハ蝶が蛹から羽化して、美しくはばたいていくイメージで女性に好まれる縁起物。
刀身をみると、刃文は鮮やかな〝互の目乱れ〟というオシャレな(?)一品である。
「ふむ。市もここ最近、沈んでおった。が、この旅を通して調子をとりもどしたようじゃの。フロイス師の旅の申し出を受けてよかったわ。重畳。重畳。どれ、フロイス師に渡された短刀はどのようなものだったのじゃ?見せてもらえぬか?」
……。
お市様は恥ずかしげにもぞもぞし、数秒、逡巡したのちに短刀を取り出してた。
それから、信長様のところへその短刀を持っていった。
「兄上がお好きそうな装飾の刀ですが…とらないでくださいね?」
そう言ってお市様は信長様におずおずと短刀を柄の端の部分と鞘の端の部分を両手で捧げ持つように差し出した。
「とらぬわ」
信長様は苦笑しながら、短刀を片手で受け取る。
(前から思っていたが、なんとも仲のよい兄妹だ)
俺がそんな内心で感想を漏らしている間に、信長様は俺が陰陽術で錬成した短刀を鞘に入っている状態でまじまじと眺めている。
俺がお市様に渡した短刀は、柄の様式がロシアのキンジャールという様式のもの。刀身は片刃の日本刀である。
柄は真鍮性。
全長は50㎝ほど。
キンジャールは柄頭と柄の縁の部分が持ち手より大きく張っていることが特徴である。
柄の部分には綿密な模様――この縁が長く続くことを願った亀甲紋とさりげなく我が家の紋章である太陽の紋章も散りばめられている。
柄頭の部分と柄の縁には深青色に輝くサファイアの宝石が嵌め込まれている。
鞘は全体的に漆黒の漆が塗られたホオノキ製。鯉口と石突の部分は金でできており、銀でおおきく菱形の装飾がされている。鯉口と石突にもそれぞれサファイアがある。
「ほう」
信長様は興味深げに唸った。
(結構、気に入ってるな。これは)
俺には信長様の様子がそう見えた。
それから、信長様は短刀を鞘から抜いて、刀身を見る。
刀身の切先以外の部分には白いスズランの彫刻がおおきく施されている。
スズランは清らかさの象徴である。
刃文は三日月宗近の、三日月によく似た形の小乱れ。
「ふむ。装飾品としては惹かれるものがあるが…精巧すぎる装飾のせいでこれで人を斬ろうとは思わんな」
ん?
…
斬れそうな刀を渡して、俺が斬られた方が…良い…とか?
「斬れそうな刀のほうが良かった…ですか?」
別に斬れない刀を渡したわけではない。むしろ切れ味は抜群だ。
装飾を華美にしたのはあくまで婚約指輪の代わりであるからなのだが…。
「ん?いやいや。……約束を守らなければ斬れ。と言う意図からはな。装飾品としてならば気にいった。儂にも作ってもらおうかの。儂にあった感じの短刀を。朝倉義景の髑髏の杯の件、譲歩したのじゃ。それくらい所望してもばちはあたるまい?」
信長様に合う感じの短刀??
どんな感じだ?
また、無茶ぶりを…。
たしかに、朝倉義景の髑髏の杯は必死で頼み込んで翻意してもらったが…。
「は。正月までに用意致しておきます」
「あと、お主らは城の完成など待たずに、早く結婚致せ」
信長様はもどかしそうに言った。
「「は…はあ」」
俺とお市様は顔を見合わせて赤くなる。
「ごほん」
咳払いをしたのは景殿だ。自分の存在が忘れられていると感じたのだろうな。
「あ、こちらは、大友宗麟殿の姫君で景姫です」
「で、あるか。宗麟殿からの書状では、儂の子息のいずれかの嫁にとのことであったな。遠路はるばるよく来られた。道中は大変であったろう?」
信長様は景殿に優しく声をかけた。信長様は女・子供に存外、優しいからな。
「いえ、お初にお目にかかります、景でございます」
「ふむ。さて…誰に嫁がせるかだが…。それが決まったら宗麟殿は嫁入り道具や女中なども送ると書状に書いておるの。先に娘だけをよこすとは、斬新というか、なんというか…。まぁ良い。誰に嫁ぐか決まるまで、丁重にもてなそう。市も道中をともにした仲であったな。いろいろ相談にのってやれ」
「ええ。そのつもりです」
「ふむ。誰か景殿を客間に案内してやれ。道中の疲れをゆっくり癒すとよい」
「はい。ありがとうございます」
そう言って景殿は客間に案内されていった。
それから、信長様は九州の動向について俺とお市様に質問した。お市様は九州での奴隷の扱いの酷さについて熱心に語った。
信長様はその話を聞いて「市をこうまで怒らせるとはけしからん」と怒り、早いうちに九州を見に行こうと誓った。
それでお市様も自室に戻った。
「さて、景姫を誰に嫁がせるかだが?フロイス師は武田との関係をどう考える?」
大友宗麟殿の娘である景殿の話をしているのに織田氏と武田氏との関係についての質問が来た。
信長様特有の話の飛躍である。
だが、その飛躍は想定済み。対策もたててるし。
「は。勘九郎様と松姫との婚約は今後も維持すべきと考えます」
「ふ。さっきの質問だけでよくその答えが返せるものよ。質問を想定しておったな?」
「はい。武田信玄は、死の間際に〝儂の死を3年の間、秘密にせよ〟と言ったそうです。武田方もその間は動けないでしょうし、我々も精強無比な武田軍に絶対に勝てるだけの軍備を整えるのに時間が必要です。表面上の平穏を保つのに両家の縁をわざわざ切ることはないのではないかと考えます」
信長様の嫡男である勘九郎殿こと織田信忠殿には婚約者がいる。武田信玄の娘で名を松姫というのだが…。三方ヶ原の戦いにおいて武田が徳川の領内に侵攻したことでこの婚約はうやむやになっているのである。
信忠殿も松姫も律儀にこの婚約を守って他家の者と結婚していないのだが…。
「ほほう。絶対に勝てるだけの軍備とな」
「はい。武田軍に勝つための策もございます。大量の鉄砲と南蛮流の野戦陣地を準備し、そこに武田軍を誘い込んで撃滅してご覧に入れましょう。誘引撃滅戦法にございます。そのために林殿と佐久間殿に働いていただきます。その準備に2、3年の時間が欲しいのです」
「…。ふ。新五郎は婚約関係を持続させる外交役であろうが…半介は…誘引役か?あやつを誘引役にするとは…お主も悪い奴じゃの?くくく」
あ、一瞬で信長様に俺の狙いを読まれた。
「いえいえ」
やっぱり信長様の頭の回転の速さはずば抜けている。
「ふむ。そうなると…景姫の結婚相手は三介(織田信雄)か三七(織田信孝)か。まあ、景姫はなんとなく三七の方が合う感じじゃな。どちらかといえば?」
「御意」
その後、俺も九州の動向や宣教師たちの不穏な動きを信長様に報告し、大友宗麟との通商や軍事同盟を結ぶ許可をいただいたのだった。




