揺れる天秤
リィナ・カグヤがミュリエ村に加わってから、一週間。
彼女の知識と分析力は目覚ましいものだった。
既存の薬草調整式に対して改良点を即座に示し、数時間で結果を出す。
特に魔導理論の解析能力においては、クラウスやアリアすら舌を巻くほど。
だが――その“優秀さ”は、やがて研究棟内にある種の空気の歪みをもたらしていった。
「彼女はすごいです。でも……なんだか、全部“数字と理屈”でしか見てないような感じがして……」
と、リーナがエリスに打ち明けた。
「失敗した研究班の報告に、“意味がなかった”って冷たく言い切られて……。
あの、確かに間違ってはないんですけど、なんか、こう……」
「“心がない”ように聞こえたのね」
「……はい」
他にも、何人かの研究員が密かに困惑を訴えていた。
リィナの言葉は正しい。理論も、数値も、結論も揺るがない。
けれど、そこに“感情の余白”がない。
一方、当のリィナは、それを“違和感”として受け止めていた。
ある日の夜。
彼女はエリスに静かに問いかけた。
「……私の言動が、周囲の方々に“不安”を与えているのはわかっています。
でも、“正しい判断”をしてはいけないのでしょうか?」
その問いに、エリスは迷いなく答えた。
「判断が正しいことと、誰かを救うことは、同じじゃない。
――ときには、間違える覚悟がなければ、人の心には届かないのよ」
その言葉に、リィナの目がかすかに揺れた。
「私は、間違えることが許されなかった。
間違いをすれば、“不良品”として処分される訓練過程でした。
だから……今も、“間違えること”が怖い」
エリスはそっと微笑んだ。
「怖くていいの。私だって、怖いよ。間違えるのも、誰かを傷つけるのも。
でも、そう思えるってことは、あなたが“人間として悩んでる”ってことだから」
その夜、リィナは初めて一人で泣いた。
誰かの前ではなく、自分の中でだけ。
涙の理由はまだわからなかった。ただ胸が熱くて、苦しかった。
だが――その翌朝。
新たな報告が研究棟に届く。
【旧戦時技術“青の爆心素”のデータが、何者かにより一部抽出されていた形跡あり】
【犯人不明。内部アクセスによるもので、緊急監査が必要】
その報告に、一瞬、全員の目がリィナに向いた。
アリアが静かに前に出る。
「……あなた以外、この研究に触れる権限を持った者はいない。説明を求めます」
リィナは静かに、だがしっかりと答えた。
「私です。……でも、盗んだわけではありません。
“封じるために、確認する必要があった”のです」
空気が張り詰める。
「信じてほしい……などとは言いません。
けれど、私はもう、過去のように“命令”では動かない。
エリスさんが言ってくれた通りに――私は、間違えても“誰かのために”動きたい」
沈黙。
その中で、エリスがゆっくりと歩み寄った。
そして言った。
「……なら、もう一度“選ばせて”。
あなたがこれから“どんな技術者”になりたいのか、あなた自身の言葉で」
リィナは、深く息を吸い、そして小さく頷いた。
「私は――“人の役に立てる私”になりたい。
数字や理屈じゃなく、“誰かが生きるため”に技術を使える自分に、なりたい」
その言葉に、研究棟の空気がほんの少し和らいだ。
誰かが小さく息を吐き、誰かが静かに微笑み、
そして――エリスが、その肩に手を置いた。
「……ようこそ、“仲間”へ。リィナ」




