儲ける算段
自分の趣味が高じて戦国物のIF小説を投稿しています。
物凄く久しぶりの更新です。
不定期更新ですので、興味のある方は読んで見て下さい。
誤字・脱字は追々編集で修正していきます。
‘う~ん、不味いぞ・・・非常に不味いな~。
今の侭の現状が続けば、
北条家の名ばかり一門の家臣として、
相模三浦家は、確実に良い様に使われ続け、
北条家と一緒に、滅亡に向かって邁進する事に成りそうだな~・・・
な、何とかしないとな~’
と、俺は頭の中で、
先程の豊後守と三河守との会話を参考にしながら今後の方針を考えた。
先ずは、当面は強大な力を誇り、
内政も安定している北条家に臣従を続けながら、
機会を逃さずに手柄を立てて、三浦家の所領を増やす事と、
北条家の内政や税制の法に触れない収入を見出す事。
北条家一門衆の家臣とは云え、
一応、建前としては独立した同盟者で、
相模守護代の立場であるわけだから、
相模三浦家として独自の外交を展開させていく。
直近の課題としては祖父義清に認めて貰い、
早々に元服し、
家督を相続して相模三浦家を自由に動かせる様になる事。
そして、長期的な政策としては、
現状の北条家の支配に満足している領内の土豪・国人・領民を、
三浦荒次郎に着いて行った方が、良いと思わせる領国支配体制を築き、
1590年には、北条家と一緒に滅亡するのを回避する事を目標にする。
‘出来る事なら北条家と共に生き残る策を考えたいのだが・・・’
と、思いながら、
転生してきた俺の知識を最大限に活用し、
打てる布石は全て実行しようと決意した。
「若、荒次郎様」
と、思考中の俺に、三河守が心配そうに声を掛けて来た。
「ああ、済まぬ。
考え事をしておった」
と、佐保田豊後守と三須三河守に向けて言い
「三河守。
先程、お主の娘が昨年里見家と和睦の際に、
里見義頼殿に嫁がれた、
御本城様の娘である鶴姫の侍女として仕えており、
最近、文が届か無く成ったと申していたな」
「はあ、そうで御座いますが、
一月程、文が来ていない程度で御座いますので、
大して心配もしておりませんが、気に成りますかな、若」
其れには答えず、豊後守に
「鮑・海鼠・鮫や昆布・鰹節など、
領内で取れると言っておったが、
網元や商人を通じて出来るだけ近隣より集める事が可能か?
また、非常に他国でも評判の良い三浦木綿も
出来るだけ郷村や商人に命じて多く集める事は可能か、
期限は海産物は乾物・木綿は綿糸になった状態で二つ月じゃが」
「それは、御先代北条氏康様が定めし、
永高表記の番肴の租税以外で買い入れすれば、
海産物として大量に確保出来ますし、
三浦木綿の糸も、冬場領民が挙って糸を紡いでおりますので、
春までには、税で納められる綿糸とは別に買いを入れてやれば、
銭が続く限り買い取り出来ますが、
何故、その様な事を聞かれますのか?」
(番肴とは、現物の魚介類を税金として漁師達に収めさせた税金の名前)
「うむ、後で理由は説明するから、
先ずは質問で答えてくれ、豊後守。
木綿や海産物に北条家の統制は既に係っておるのか?
具体的には、熊谷の市へ木綿を全て運ぶ様になどじゃ。」
「云え、その様な指図は受けてはおりませんが、
しかし昨年も、木綿は我らが使う以外は、
殆ど熊谷の市に運んで、銭に変えておりますのが現状です」
‘歴史上は天正八年(1580)十二月の印判状で、
北条家の傘下の成田氏が長野喜三を通じて商いをする様に、
流通を統制した記録が有ったけど、
まだ規制が掛かっていないのなら、
三浦家が先んづる事が出来そうだな’
「で、質問の続きじゃが、
我が三浦家の船手衆には、
上方へ行ける大型の弁才船(商船)や、
それを護衛出来る大型の軍船は何隻保有しておるのか?
もし、弥生(3月)に上方へ出帆すると成れば、
どの位の隻数を用意出来るであろうか?」
「具体的な隻数については、
三崎衆の梶原備前守景宗・出口五郎左衛門尉茂正や、
安房衆の安西・正木両氏へ聞かねば成りませんが、
若。
雅か春に自ら、上方・・・御上洛を考えておいでですか?」
「察しが良いな、豊後守。
雅に、その通りじゃ。
時期は早ければ早い方が良い、理由はじゃな」
と、北条家が気が付かない内に、
三浦木綿や、唐国で人気のある食材の海産物の販路の確保。
祖母の実家である勧修寺家や母の実家である二条家への訪問を理由に、
都の現状把握と、三浦木綿の品質を都で認めて貰いブランド化を図り、
三浦家独自の収入源を増やしていく方策を話した。
「成程~。
木綿の品質も生産力も、
北条支配地域のどこよりも優れている、
三浦木綿を、独自に上方へ売ろうとされておられるのですな。
しかし、干鮑や干海鼠・フカヒレなどが、
唐で人気が有ると何故若は、御存じなのですか」
「木綿に関しては、
武蔵野國熊谷の市まで態々運んで、
成田殿の配下の長野喜三などの仲買い商人に、
安値で買い叩かれるよりも、直接上方まで輸送して、
取引した方が三浦家にとって利が有ろう。
唐の特殊な海産物の話は、
都よりの母上の実家からの文で確認したのじゃ」
と、言って、海産物の話は誤魔化し、
更に上方へ行きたい本当の数々の理由は伏せて、
三浦家に利が有る事のみ重臣の2人に話した。
「先程、話をした三河守の娘の文の件じゃが、
北条家も我が三浦家も里見の事が、それ程心配なら、
直接相手と腹を割って話をした方が安心であろうと思い、
近々、三河守を伴って里見義弘殿と義頼殿に会おうと思う。
依って、戦に出られた祖父を今から追って、
様々な案件の許可を取りたいので、2人共付いてまいれ」
「何と、凄い・・・、我々の話を聞かれて、
直ぐに様々な三浦家に利する事を考えられましたか。
我々も、ウカウカしておられませんな。
分かりました。
一生懸命に若のお役に立ちたいと思います。
急いで、殿の後を追いましょう。
小机城で三浦武蔵衆と合流し、
北条本隊を迎えると申されておりましたので、
今から馬で追えば、十分に追いつけますので、
さあ、若、参りましょう」
と、佐保田豊後守が促す。
「その前に、御浦郡の網元・船手衆の主だったもの、
郷村の代表者を、日没酉の刻初めに城に集まる様に、
また、安房・上総の所領は、
本日に亥の刻初めに、
岡本城に参集する様に使いを出せ、
武蔵の所領については祖父と話してからじゃ。
手配が終わり次第、祖父を追うぞ」
「はは~、急ぎ手配致しまする。
佐保田豊後守・三須三河守を含め、
城に残っている家臣が号令一過、動き出した」
そして、重臣とすれ違う様に
医者の宗哲・祖母と母が妹達を伴い部屋に入って来た。
「何と慌ただしい、如何したのか荒次郎」
と、祖母が怪訝な顔をして訪ねて来た。
祖母達に、先程の話の説明をし、
更に、都への上洛に際して御実家への繋ぎを依頼した。
祖母は家格は名家、勧修寺家の出で、
現当主勧修寺晴豊の叔母に当たる。
因みに此処にいる母は、
何と、五摂家の二条家の出で、現関白二条晴良の娘。
医者の宗哲は母の輿入れと共に三浦家へ参った都の医者だ。
妹は3歳(数え年)と2歳(数え年)が、母にべったり寄り添い、
母の臨月になる大きな腹の中には、
弟か妹が今月にも誕生する予定である。
昨年父を失い、此処にいない祖父を除いた、
俺の2親等以内の身内の全てだ。
祖母や母は、荒次郎の幼さを一応心配したが、
俺の大人びた話ぶりや、
現在の情勢・上洛の重要性を説明するうちに、
目を輝かせ、話を聞きながら非常に喜び、
実家への取次ぎを快諾して呉れた。
「昨日とは、
打って変わった様な大人びた口調、
私は、嬉しく思います。
そうは思いませぬか、良子殿」
「誠に。
頭を打って、どうなるかと心配しておりましたが、
本当に見違える様に御座います。
宗哲は、どう思うか?」
「はあ、この様な症例は、
聞いた事も見た事も御座いませんが、
元々、頭の良いお子でしたので、
頭を打ち、何かが頭の中で覚醒されましたのか・・・、
良くは分かりかねますが、
話をされている若を見て、もう大丈夫と安心しております」
「出発は2月後であれば、早速文を出して於きましょう。
尾張の田舎侍が、今や右大臣になり、
事も在ろうに兄を蟄居に追い込み、
無念の余り兄は昨年亡くなり、
墓前へも行けず、歯がゆい思いをしておりました。
孫が墓前へ代参してくれると成れば、
亡き兄や、甥の晴豊も喜びましょう」
と、祖母の尹子が言うと、続けて母の良子が、
「義母上。
私の父も母も昨年文にて、
死ぬまでに、外孫の顔が見てみたいと書いておりました。
荒次郎が上洛し会って呉れれば、さぞ喜ぶ事でしょう。
私共、女子は嫁いだ身の上ゆえ都行きは叶わぬが、
祖母や母の代わり・・・云え、
三浦家の次期当主として親族にお会いして来なさい」
「はい、早速に殿の後を追い、御了解を得て参ります。
で、宗哲。
城に帰り次第、少々込み入った話がしたいのだが、
時間は有るか。
お主の役宅まで行くので、話を聞いて欲しいのだが、良いか?」
俺の真剣な表情を察してか、
宗哲は何か有るなと思い、心良く快諾して呉れた。
「はい、では役宅にてお待ちしております」
と、宗哲は立ち上がる俺に深々と頭を下げ見送り、
家族達を、部屋へ残し重臣2人と共に三浦義清の後を追い城から出た。
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