決意と目標
自分の趣味が高じて戦国物のIF小説を投稿しています。
不定期更新ですので興味のある方は読んで見て下さい。
誤字・脱字は追々編集で修正していきます。
「若。
1日で行なう鍛錬を休憩も入れず熟されて、
さぞお疲れに成られ、
腹も空いて居られるでしょう、
頼んで於いた食事が参りますので一緒に食べましょう。」
と、三須三河守が言うが早いか、
侍女達が部屋に食事を運んで来た。
膳が俺の前に運ばれ、
確かに腹は空いていた俺は、
‘戦国時代は、1日2食と本で読んだ事があるが、
今は昼時だよな~、
此の時代でも3食べてたのかな?’
そんな事を考えながら膳を眺める。
茶色の御飯と具沢山の汁物、
そして、漬物らしき野菜が膳には載っていた。
‘ああ~、玄米飯か。
それにしても、何だ、此の大盛りの御飯と、
葉っぱやゴボウ里芋・大根など、具沢山の味噌汁は・・・
おかずが、漬物だけとは。’
現代の飽食の時代に生きてきた俺は、
此の時代の食生活に耐えられるのだろうかと思いながら
箸を取った。
「さあ、若。
お召し上がり下さい。」
と、三須三河守が俺に促す。
‘う~ん、玄米飯はゴワゴワでモサモサしているな~、
良く噛んで食べないと消化に悪そうだし、
味噌汁は塩の味しかしないし、漬物は塩から過ぎる。
現代の醤油や旨味調味料が恋しいぜ、
兎に角、滅茶苦茶不味すぎる。’
其れに、玄米にはABA(アブシジン酸)という毒素が含まれており、
体内で代謝にかかわる器官によくない影響を与えるのだ。
此れを無くす為には玄米を炊く前に、
夏場は半日、冬場は1日水に浸けておくと水でABAは活性化しなくなり、
毒素が消えて無くなる。
俺は、そんな事を考えながら、
玄米飯に塩の味しかしない味噌汁を掛けて喉に流し込み、
不味い食事を何とか終えた。
「米を研いだ後、炊く前に水に長時間浸して居るのか」
と、侍女に問うと
「云え、致しておりませんが?」
と、調理法について質問されたのが不思議だったのか
呆気に取られた表情で返答した。
「うむ、今後はその様に飯の調理法を変更する様に
賄い方に伝えて呉れ、比べてみれば解るが、
非常に食べやすく成り
食事時間も短縮出来て大いに助かる故、頼んだぞ。」
「はい、承知しました、若。」
俺は、尤もらしい理由を付け侍女に申し伝えた。
「若、武将たる者、一々飯の事を気にしてはいけませんぞ、
戦に成れば、何でも食さねば成らぬのですぞ。」
と、三須三河守が小言を言うので
「判った、判った。
そう云う分別は付いて居るつもりだから、小言を言うな三河守。」
「判れば宜しゅう御座います。」
と、教育係の三河守は俺の言葉を聞いて安心したのか
ニヤリと笑いながらも眼光鋭い目を向けた。
‘何を言っていやがる。
こんなに不味い物を何時も喰わされていたら、
死にたくなるぞ。
兎に角、味付けを何とかしないといけないし
肉食も、デザートも食べたい。
食には妥協しないぞ、絶対に・・・
先ずは、醤油に砂糖と出汁の成分と成る食材を揃えよう’
と、思い、
今後三浦家の食事に付いて改革していこうと決意を新たにした。
其処に佐保田豊後守が部屋に入って来た。
佐保田豊後守は、代々三浦家の宿老で主に外交を担当する重臣であり、
その当主は豊後守を名乗る。
今、俺の下座に座っている豊後守は30代位のおっさんだ。
「此れは豊後守殿。
どうですかな、我らと一緒に食事を摂られては。」
「いや、結構。
其れでは、白湯でも頂こうか。」
と、佐保田豊後守が返答すると
侍女が部屋から出た。
「若。
朝方、頭を打たれて昏睡されたとか、
殿を見送りされて居られたので大事無いとは思いましたが
大丈夫ですかな。」
「うむ、大事は無い。
だが、頭の打ち所が悪く記憶が飛んでいてな・・・
豊後守にも、今後何かと迷惑を掛けるが良しなに。」
「先程、医者の宗哲と廊下で会いましてな、
若の頭の状態は聞きましたよ。
大人に成って記憶が無くなれば大変な事ですが、
幼少の時であれば問題は御座いませんでしょう。
今は学ぶ時期でも有りますれば、
私共が幾らでも教えて差し上げる事が出来ますのでな。」
と、話し、
侍女が運んで来た白湯を一口飲み喉を潤していた。
「それで、豊後守。
用事は、若の具合を聞きに来ただけか?」
と、三須三河守が聞くと、
「殿が出立された直後に、小田原久野の幻庵宗哲様より、
書状が届いてな。
急ぎ殿の後を追って書状の内容を確認頂き、
指図を受けて返って来た処なのじゃ。
で、お主に相談と云う訳じゃ。」
「で、書状の内容と、殿の御指図とは」
「うむ、では、若も次代の当主として、
良く我らの話を聞いて於いて頂とう御座います。」
と、告げ話を始めた。
先ず、書状の差出人である、
小田原久野の幻庵宗哲とは、
北条早雲の末子で2代氏綱の弟であり、
諸説有るが、明応2(1493)年生まれ天正17(1589)年没の
一門衆筆頭の長老である。
幼い頃、父である早雲に箱根権現社別当寺へ入れられ、
僧侶に成り、直ぐに40世別当職に成った。
僧侶から還俗せぬまま、
北条長綱とも名乗り、武将としても弓術・馬術に優れ
幾度と無く戦で活躍している。
また文化人としても、作法伝奏を業とした伊勢家の後継者として、
文化の知識も多彩で、
和歌・連歌・茶道・庭園・一節切りなどに通じた教養ある人物である。
1578年現在は隠居しているが、
一門の長老として、
宗家の当主や家臣団に対し隠然たる力を保有している。
人物の説明が長くなったが、
話しの内容としては、
北条家の主力が下野へ戦に出ている最中、
昨年同盟したとは云え、里見家への備えについて、
打ち合わせがしたいから小田原へ来る様にとの内容で、
相模三浦家当主三浦義清からの指示は、重臣である三須三河守と、
元服してはいないが、
次期当主である荒次郎に行くようにと命令であった。
「若と儂がか。
殿の御指図とあらば是非もないし了解したが、
里見家の備えについての対外折衝であれば、
豊後守が適任であろうに・・・。」
釈然としない三河守に、
豊後守が笑いながら幻庵様からの書状を手渡し、
「里見への備えの打ち合わせとは表面上の事で、
若に久しぶりに会いたいそうじゃ」
「な、何と、そういう事であったのか。
昨年は戦続きで、しかも若の御父君の御不幸もあり
忙しかったからの~、
で、有れば若。
急ぎ小田原へ明朝出立致しましょうぞ。」
「相分かった、豊後守・三河守。
だが、建前とは云え里見への備えの打ち合わせと云う事であれば、
知識として、現状の近隣の状況や、
我が三浦家や北条家の実状を教えて欲しいのだが、
何も分からず尋ねたのでは失礼に成るでな。」
「其れは、ごもっとも!」
と、2人は口を揃えて言い
幼い次期当主が、政治に興味を持った事が嬉しかったのか、
堰を切ったかの様に喋り始めた。
2人は、熱心に様々な事を話して呉れた。
近隣状況や過去の出来事、現在の政治状況や経済状況など、
また、三浦家・北条家の一族の実状や内情に至るまで、
懇切丁寧に教えて呉れたのだ。
「いや、大変良く判った2人共ご苦労で有った。
済まぬが、白湯のお替りを頼む」
と、2人を労いながら侍女に頼んだ。
「若が熱心に聞いて下さり、嬉しくなって、熱弁を奮ってしまいました。
何か質問は有りますかな。」
2人の重臣は、息を切らせながら応じる。
話しは多岐に亘る為、追々紹介していくが、
明朝、小田原の幻庵に会うに当たって抑えて於きたい
重要な事柄について質問しながら話をした。
「では、我が三浦家の貫高は全体で42万貫か?」
‘え~と、1貫が大体1000文で、石高に直すと2石。
1万石で兵数300人だから、動員出来る最大兵数は6000人位か’
「はい、その通りで御座います。
我が三浦家の所領は、
北条家御先代様検地時の内訳は、
武蔵國の一部・橘樹郡・都築郡・久良岐郡で16万貫
相模國の三浦郡で4万2千貫
安房國全土で18万貫
上総國の天羽郡で4万2千貫で、
現在幾分かは増えて居りましょうが
全体で42万貫程で御座います。」
続けて、佐保田豊後守が内政や税制について語って呉れた内容は、
基本的に三浦家の内政においては、
北条家より独立しているものの、
税制・内政は北条家と同様の政策を執り、
更に、北条家からは三浦家の所領に対して検地を実行され、
完全に貫高が把握されており、
其れに基づいた軍役を課せられている。
要は形的には、相模守護と守護代と云う立場で独立しているが、
実質は一門衆として、完全に北条家の家臣に成っているのが現状である。
‘確か北条氏康は、
内政においても、戦国時代比較的善政を布いていたんだよな~’
「で、軍役の数と、税収は?」
と、質問する。
「はい、五千で御座います。
しかし、此度の下野での戦では、
里見の抑えもあり安房衆・上総衆を除く三千で出陣しております。
また、陸兵とは別に三浦家には、三崎・権現・安房水軍衆がおります。
税収においては、農民や漁民・工人からの銭納・物納
商人からの冥加金・水軍衆からの帆別銭を足しますと三浦家の収入は、
10万貫程かと」
「待て豊後守。
所領が42万貫であれば、少なくとも21万貫位は有るのでは無いのか?」
「若、其れは違います。
三浦家の所領とは申せ7割は家臣又は、
臣従している国人領主の所領で御座いますので、
家臣・国人領主には軍役のみ課しております。
其れに、北条家からの強い要請で税徴収の定めが有り、
我らで勝手に変更出来ません・・・」
‘うん、と云う事は、42万貫の3割で14万貫
戦国時代は貫高制だから計算が難しいが、
大体、田・畑から上がる銭を4割強として5万貫強、
冥加・帆別銭・商品作物の物納で5万貫弱って事か’
「うむ、良く判ったが、
豊後守、最後の方は奥歯に物の挟まった様な言い方をしたが、
何か不満でも有るのかハッキリ申して見よ」
「はあ~、では申しますが」
と、佐保田豊後守言うには、
北条家の支配が徹底されてる地域では、
民が直接、小田原の御本城様に不満が有れば直訴出来るシステムが有り、
勝手に支配下に有る国人領主が無法を出来無く成っている様で、
取り分の少ない国人領主(三浦家も含めて)は、不満の様である。
また、飢饉の際には度々徳政令が北条家より発せられ、
税収が懐に入らぬばかりか民の保護の為、
自身の兵糧を拠出せねばならず負担が大きいのに、
軍役は変わらず、手伝い戦ばかりで所領は増えず不満は大きい様だ。
「不満は最もだが、悪い事ばかりではあるまい。
一揆は起らぬし、他国より民が流入し、
人が増え、所領が活気づくのではないか豊後守」
「左様では御座いますが・・・
民からの感謝は、
御本城様に向けられるもので、我ら三浦家では御座いません。
更に、北条家は交易や諸役・運用冥加金など様々な大きな儲けが有り、
また、年々戦に於いて所領も増えて御座います。
繁栄するのは北条本家と兄弟・子供様方のみ、
我ら、名ばかり一門の三浦家は、
義意様より此の方、所領など増えてはいないのが現状で御座います」
‘成程。人間は欲の塊だから、豊後守の不満は最もだよな~、
要は、今から俺が何とか所領を増やし家臣に分け与え、
何か儲けさせてやれる手段を造らないといけないと云う事だな’
「豊後守の不満は最もじゃな、儂の口から簡単に言えば、
今後は、御本城様に認めて頂ける様な手柄を上げ、
三浦家の所領を増やす事と、
北条家が定めておる規定に触れぬ方法で、
銭を稼ぐ手段を見つけなければ成らぬと云う事じゃな、
明確な目標が出来た、教えて呉れて有難かったぞ」
「はい、若に祖父であられる殿や、
我ら三浦家の家臣の不満な現状を御理解して頂けた事が嬉しいですが、
言うは易し、成すは難しですぞ」
「最もじゃ。
此れからお主達の知恵や知識も借りながら、
三浦家を大きくしたいものじゃ、
何かと苦労を掛けるが宜しく頼むぞ」
「若、昨日迄とは、まるで別人の様な利発ぶり、
三須三河、身命を課してお仕えしますぞ、
頭を打って此れ幸いでございましたな、若。」
「誠に、此の佐保田豊後も若の成長が楽しみで御座います。
立派な当主に御成りに成るでしょう」
と、2人は俺を褒めて呉れた。
しかし、この後直ぐに両人に近隣他国状況を詳しく知りたかった為、
更に細かい質問をぶつけ、詳細で細かい情報を聞きだし、
三浦家の前途が多難で有る事が分かり、俺は落ち込んだ。
細かい質問と、詳細な近隣他国状況については、
またの機会に説明する事としよう。
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