その6 空耳 (体験採集地:田畑地帯の小さな社)
2005年夏に、創作仲間のサイトで行なわれた百物語企画に投稿し、同時に旧自サイト「よいこのためのアジト」で発表した「怪談十話」の第5話です。
旧自サイトで宣言したように、著作権を放棄します。改変、再使用はご自由に。
地方都市は小さな市街地を抜けると直ぐに田畑が広がる。堤防から続くその田畑のど真ん中には離れ小島のような神社があったりもする。
そこは戦前の合祀の嵐で一旦は廃社となったものの、付随の柏があまりに見事で、小さな祠だけが雨宿りのひさしと共に見逃されるように存続し、戦後、それが物置小屋程度にまで大きくなった、神主すらいない「社」だ。中学生が男女で立ち話をする場所としても有名だ。ひさしと梢で、まわりの田畑や市街地より5度は体感温度が低い。
夏休みの登校日の翌日のことだ。この祠で集合して、このあたりの地形を調べて共同自由研究にしようという話を登校日に気になる女子にしたのは確かだが、その返事が、現実だったのか、夢に見たのか覚えていない。はっきりしているのは、午後4時ということだった。
夢であれ、現実であれ、予備調査をして損はないので、午後2時からあたりを歩き回った。
祠の近くから始めて段々と遠くへと向かう。中学生の足は意外に速く、2時間は意外に長い。いつしか祠から700mも離れていた。時計は3時半を回っている。
そろそろ戻りはじめるべきだな。そう思った矢先、突然虻などの虫が増えた。雨の徴候かも知れないと気付いて空を見上げると、果たして入道雲が厚みを増している。あたりは既に薄暗い。
「やばい、こりゃ降って来るぞ」
と思って駆け出すや、ぽつりぽつりと水滴が地面にあたり始めた。
堤防から続く畑地に、門構えのしっかりした農家を除けば雨宿りの出来る所はない。一番近い手頃な雨よけは、件の例の「祠」社だ。雷が鳴ったら危ないかも知れないが、今は遠雷すら聞こえない。たとい雷がなったところで、100mほど離れたところに高圧送電線の鉄塔があるから、それが避雷針の代わりをしてくれよう。
全力で走っていると、祠に人影らしいのが見える。梢に隠れてはっきりとは分からないが、彼女かも知れない。とすれば、あれは夢ではなく現実。思わず嬉しくなって、希望的観測が暴走する。……きっと雨が降り出しそうだったから早めに来てくれたのだ、と。
あと300mほどだろうか。もうすぐ彼女の視界に僕が入る筈。そう思ったとき
「**くん」
という彼女の声が聞こえた。
嬉しい。彼女は僕を待ってくれていた!
否、違和感がする。声は後ろから、しかも近い所からだ。
足を緩めて振り向くと誰もいない。空耳だろう。緊張している時にいきなり運動をすると、聴覚神経が異常電流を流す事はよくある。
再び走りだす。と、
「**くん」
という声が再び聞こえた。再び足を緩めて振り向くと誰もいない。これも空耳だろうか? 気を取り直して祠を見ると、人影はまったく移動していない。
不安を打ち消すように、こんどは早歩きで祠に向かう。耳をすませながら。雨はまだ降り始めていない。
もう聞こえない。空耳だったんだろう、とは思いつつも、背後に何かがいるようで怖い。
その時である。突然閃光が走ったかと思うと、斜め前の鉄塔に落雷した。
頭の中が真っ白になる。
驚きから醒めさせたのは、重い雨音だった。本降りが始まる。直後、冷や汗がどっと出た。
気を取り直すや、頭を低くして回りを見ると、この道には電柱がない。
落雷の角度を考えると、あのまま走っていたら、僕に落雷したかもしれない。
それを思うだけの余裕が出て来るや心臓が動悸しはじめた。再び全力で走ったなら、という仮定をして、僕の位置を想定すると、確かに僕は真下にいたのだ。
思わず振り返って、声のした方向に両手を合わせた。
気を取り直して祠まで着くと、人影らしきものは、実は奉納幕だった。そして彼女はとうとう現れなかったし、自由研究も登校日の前に済ませていたらしい。全てが僕の幻想だった訳だ。
彼女の幻視が死神を呼び込み、幻聴が死神を追いやった。今ではそう思っている。
written 2005-8-1 (revised 2020-8-23)