その11 野犬 (体験採集地:某都会の郊外)
2005年夏に、創作仲間のサイトで行なわれた百物語企画に投稿し、同時に旧自サイト「よいこのためのアジト」で発表した「怪談十話」の第10話です。
旧自サイトで宣言したように、著作権を放棄します。改変、再使用はご自由に。
以前、都会の周辺部に下宿していた事がある。街まで7〜8kmキしかない割に、棚田や段々畑が広がって、見事に自然を残しており、その田舎風景を、標高100mに満たない低い裏山が取り囲んでいた。
裏山にはもちろん山道もある。しかし、食指をそそるものではなかった。というのも、下宿の正面に標高500〜600mの手頃な山がそびえて、登山口まで2kmしかなかったから、天気のよい週末に軽く登ろうという気になるや、必ずそちらに足が向いてしまったからだ。平日は暗くなるまで家に帰らない生活だったから、散歩も無理だった。
そういう生活を2年近く続けたある冬の日、このまま裏山探索にも行かないまま下宿を引き払っては名折れと思い、裏山探索に出かけた。探索と言っても、国土地理院の地図で道は確認してあり、山を越えて、バス道路に出るだけだから、昔の人から見たらちょっと隣までという程度かもしれない。
山に入ると、うしろから犬の鳴き声がすた。振り返ると10頭ちかい野犬が登山口にたむろして、こっちを見ている。一目で危険な類いの野犬とわかった。群れを組む野犬は賢い。野犬狩りを平気で切り抜ける、そんな奴らだ。余りの不気味さに、戻るに戻れない。
野犬には弱みを見せてはならない。鉄則だ。努めて平気な様子を見せて山道を進んだ。犬はひっそり後を付けている。最低限の護身の為に手頃な石と棒を捜すが、枯れ葉の覆った土道ゆえに石は簡単には見つからない。やがて枯れた太い枝は見つけて一息ついた頃には、人家からかなり離れてしまった。有利になったのか不利になったのか分からない。
山道をそろそろ進みながら、こんな実話を思い出した。ヨーロッパだったかアメリカだったか、ある人がグリーンランド産の犬を3頭飼ったそうだ。ある日の事、小学生が道を歩いていると、1頭の犬が後ろから追いかけた。彼女が逃げると前からもう1頭きて、慌てて横に外れようとした時に、前もって隠れて待ち構えていた3頭目が彼女の喉に食らいついたそうである。即死。目撃者のいる街中で、れっきとした飼い犬が、うさぎ狩りと全く同じ要領で少女を食い殺したのである。先ほど見かけた犬は10頭余り、しかも野犬だ。
突然遠吠えが聞こえた。斜め前方からだ。呼応しているのか、単なる偶然か分からないが、少なくとも行く手でも犬が立ち塞がる可能性がある。敵は後ろばかりに非ず。今、手にあるのは2本の太い枝だけ。人家は木立の遥か向こうで、もしも犬に襲われたら、誰にも聞こえまい。
そうこうするうちに、分かれ道となった。歩き始めて30分。中間点あたりだ。ちらりと振り返ると、後ろから付けて来た犬が姿を消している。策略ありか、と思った矢先、ざざっと木の上から音がした。気配はちょっと大きいが犬ではない。猿かもしれない。フクロウかもしれない。これが犬を追った正体だろうか?
一瞬の安心はすぐに打ち消された。消えた犬の代わりに、より獰猛そうな犬が反対側に見えたからだ。山道の入り口でリーダー然としていた犬だ。犬は鋭くにらんでいる。樹上の正体不明の動物と対峙しているのか? その対峙の中間に挟まれて生きた心地がしない。前面の虎、後面の狼。
縄張り争い? 人間を隠れ蓑にして敵地に近づく動物の知恵? そんな考えが浮かばなかったとは言わない。だが、この状況で楽観論は危険すぎる。狙われているのはこっちかも知れないのだ。隙を見せてはならない。平静を装うべく、本道らしき道を選んで止まらずに進む。どん詰まりでない事を願うだけだ。
対峙の真ん中を無事に抜けたと思ったが、それも束の間、時折、左右からざわめきの音が聞こえる。姿は見えない。見えないだけに恐怖がつのる。冷や汗をかきながら15分も歩くと、遠くに建物が見えて来た。あとは、そこに野犬が待ち構えていない事を願うばかり。
いつしか気配は消えていた。おそるおそる建物に近づく。あと300m。あと200m。あと100m。あと50m。どうやら古い御堂らしい。神社の裏にでもでたのか?
と、そのとき樹上からぱっと降りて来た者があった。みれば猫だ。猫? あれは猫だったのか? あの凶暴そうな野犬に対峙して?
そう疑問を持った次の瞬間、猫は消えていた。御堂に消えたのかと思って中を覗くと、そこに本尊も神体もなく、横になぜか招き猫が打ち捨てられていた。




