その10 祥雲 (体験採集地:旅行先の僻地)
2005年夏に、創作仲間のサイトで行なわれた百物語企画に投稿し、同時に旧自サイト「よいこのためのアジト」で発表した「怪談十話」の第9話です。
旧自サイトで宣言したように、著作権を放棄します。改変、再使用はご自由に。
祥雲とも言うべき美しい雲を始めて見たのは、大学に入る為に北の街へ引っ越した年の事でございます。ある晩、ふと空を見上げますと、たまたま満月にかかっていた雲の縁が月光を浴びて赤く黄色く輝かせておりました。もちろん、月の光ですから、虹のような鮮やかさはございません。しかし、その時の雲が数色に映えていた事だけははっきり覚えております。
あまりにも不思議でしたので、翌日さっそく太陽の近くに似たような雲がないか捜しましたが、雲は白いばかりでございます。後日、詳しい人に話を伺う機会を得まして、その先生の仰るには、それは彩雲と云う雲で、満月の光でこそ色を持って見えても、強烈な日光のもとでは散乱の効果で白くしか見えないのだそうです。ただし、昼でも偏光フィルターというものを使えば散乱光を消す事が出来て、彩雲の色が浮き上がってくるのだそうで、実際、写真も見せて頂きました。その写真に写っている彩雲は、まるでニュートンリングのように鮮やかに虹色を輝かせておりました。
当時の私に、偏光フィルターを入手する金も手立てもございません。幸い、水たまりの反射にも偏光フィルターの効果があると先生は仰います。そこで私は、水たまり越しにお日様の周りを見ては、彩雲を探すようになりました。そういう試みを繰り返して、その何日目だったでしょうか、綿雲が太陽の周りで微かに虹色に染まっているのを見つけました。その美しい色合いを見た時に私は悟ったのです、なぜ、観音菩薩が必ず祥雲に乗っているのかを。南の空に見られるものとは違う、薄くて柔らかなその雲には、まさに祥雲とも言うにふさわしい天上界的な美しさがございました。
しかし、人間の好奇心の悲しさと申しましょうか、ひとたび識ってしまうと、どんなに美しくてもわざわざ捜したりしなくなります。たとえば美しい夕焼けよりも、人は夕食の事を考えてしまいます。生活に追われる人間の性と申せましょう。そういう訳で、私はいつしか彩雲から遠ざかってしまいました。
彩雲を思い出したのは、それに似た雲を旅行の時に見かけた時でございます。その雲は、バスのフロンガラス越しに、くっきりと七色に色づいておりました。色も明るさも彩雲と同じでございますものの、雲の様子が余りにも違っておりまして、うっすらと空中に広がっています。そうして、そのうちの、かなり広い部分が色づいているのでございます。この雲に気付いた時、一抹の不安を感じました。というのも、彩雲に見られる天上界的な暖かさが無かったからでございます。彩雲が観音菩薩の乗り物なら、こちらは菩薩に化けた妖怪の乗り物とでも申しせましょうか、むしろ冷たさが漂っています。思わずバスの運転手に尋ねますと、退屈そうに、頻繁に見られる雲だ、とだけ答えました。
頻繁に見られる雲を地元の人が恐れる筈がございません。そして、誰も恐れないような雲に危険な妖怪が乗っている筈もございません。そこで安心して、バスを降りた後にじっくり眺めました。太陽の明るさに目が慣れるにつれ、ガラス無しでも様子がはっきり分かり、確かに冷たさのなかにも明るさがあります。さしずめ、妖怪といっても八戒あたりの罪の無い妖怪の乗り物かも知れません。後日この雲についいて色々調べたところ、放射雲と言うのだそうでございます。
旅行から帰りまして、再び雲の事を忘れる日々が続いておりました。そんなある日、とある異邦の僻地に旅行したおり、時差に悩まされるまま早起きして空を見上げますと、くっきりとした七色の縞模様が薄暗い東の空で光を放っています。一目で凶相の雲とわかる、そんな光り方でございます。こういう不思議な事に原因が無い筈はない、と心を鎮めて本で調べた知識を一つ一つ調べて行きますと、夜光雲というのに思い当たりました。自然に見られる事がある他、例えば、大型ロケットやミサイルが明け方にうち上がると、その排気ガスが日光に当たった時に、光化学反応みたいなものを起こして、このような夜光雲が見える事があるそうです。しかし、ロケットは真上にうち上げられるべきもので、その発射場が近くにはございません。ミサイルがほぼ水平に発射されて、東の空まで飛んで行ったと考えるのは、いかに昨今の国際情勢を考えても有り得ない事でしょう。しかも都会から離れた僻地ですから、車の排ガスが作るとかいう、東京環八雲の類いでもございません。
いそぎホテルのフロントに尋ねましたが、知らないとの事です。そこで百聞は一見にしかず、彼女を外に連れ出してみてもらったのですが、私にはくっきりを見える七色が彼女には見えないのでございます。そして「なんだ、普通の朝焼けじゃないの」とだけ言ってデスクに戻りました。このとき私は瞬時に悟ったのでございます、これは地元の人をたぶらかす妖怪なのだと。
やがて日が昇ってまいりますと、雲は色を失って青空にまぎれてしまいました。しかし、それでも目を凝らすと、その青に、七色の薄雲の隠れている事が分かります。そこで、会う人ごとに七色雲の話をしましたが、しかし誰にも相手にされません。
落ち着かないまま1日を過ごし、やがて夕方になりました。その時、ホテルのフロントで奇妙なうわさ話を聞きました。その日に限って目や皮膚の痛みを訴える人が沢山出たという話です。そう、あの雲は確かに異常な雲だったらしいのです。人に気付かれずに生活を浸食する雲。これはもう妖怪変化の類いしか有り得ません。
このとき以来、私は色付きの雲を深く畏れるようになりました。その美しさの裏には、恐ろしい妖怪の乗っている雲も確かあるのです。
written 2005-9-25




