ヴェスティ
ジャノワールのいる拠点から出たヴェスティはひとり、魔獣の巣に向かってヒュランドルの下の森を歩いていた。この森に住まう大型の獣や手頃な魔獣を探すためだ。
できれば飛ぶことができ、ヒュランドル近郊以外には解毒薬も存在しないだろう青鉤鳥が望ましいが、見つからなくとも、なにかしらの魔獣が徘徊している可能性は高い。大型の魔獣は目立ちすぎるが、ただの獣ならば連れ歩いていたとしても、“聖王国の獣使いだ”とでも言っておけば暫くの間は問題ない。
ヴェスティは耳を澄ませながら、辺りを見回した。
——ヴェスティの刻印は、毒だ。
あらゆる毒を思い通りの効果で無尽蔵に生み出せるそれは優秀ではあるものの、見た目の派手さは全くなく、基本的には飲食に混ぜるなどして相手の身体に取り込ませなければならない。
ナイフや矢に纏わせることもできるが、武器の使い手がヴェスティだと強者相手では防がれるか避けられるかであまり役に立たない。実際、数年前にはアーヴィンにも矢を止められている。
触れただけで爛れるような強い毒は、武器をも侵蝕し脆くさせるのでそれはそれで使いづらい。
そもそもヴェスティ自身があまり戦闘が得意ではないし、好きではなかった。汗臭いのは美しくないので。だから、ヴェスティが一番得意とする戦闘スタイルは広範囲に毒を散布する無差別攻撃である。ヴェスティ以外は全員地に伏す、美しい終わりだ。
しかし……それはヴェスティが単独行動しているときだけの話で。
毒は、当然だが敵味方の区別などできない。屋内や失うわけにはいかない戦力がいるど真ん中で無差別攻撃などできるわけがない。ヴェスティとてそれは理解しているからこそ、ほとんど表に出ないで錬金術師などやっているのだ。
全員殺すのは、最終手段だ。
——だからこその護衛であり、肉壁である何かが必要だった。
聖王都では何匹かの獣や魔獣を試し飼いしていたが、それらは聖王都の獣使いらに下げ渡してきた。
ヴェスティは、もう聖王都に戻るつもりがない。歴王の国へと向かっているあの哀れな王女はそうではないだろうが、聖王国の滅びを誰よりも望んでいるセシアルも戻るつもりなど微塵もないだろう。
王女がヒュランドルを発つと同時にセシアルの派閥は解散し、ヴェスティは根無し草に戻った。
聖王国はもうあと数カ月も経たずに……いや、聖王の様子を見るに、そう遠くないうちに落ちる。ヴェスティはそう考えていた。つまり、おそらくは王女が戻る頃には国として機能していない。
なにがセシアルをそこまで突き動かしていたのかはわからない。興味がなかった。ヴェスティは、セシアルが美しい少年の姿をしているから、従っていただけだ。
本人から聞いた話によると、セシアルは先代の歴王が崩御してすぐに元王子だった頃の知識で聖王に取り入ったそうだ。
時間をかけて歴王の作り上げてきた国の防御にヒビを入れ、ヴェスティや他の魔人たちが自由に出入り出来るように魔法陣の一部を改変し、着々と準備を進めていた。
歴王に選ばれなかった現聖王は、ずっと歴王と対立してきた。
それは、セシアルが聖王にずっと魅了の力で“歴王の力は奪われた”のだと囁きかけていたからでもある。聖王はセシアルに言われるがままに獣人の奴隷禁止を撤廃した。嫌われ者であるはずの魔術師協会とも協力させ、総本山を置かせた。
ヴェスティが王宮に入り込んだあとは、水源に薄めた御薬を流すことで、王族を始めとした王宮に勤めるものたちに少しずつ確実に御薬を摂取させ、今ではセシアルやヴェスティが年を取らないままであっても誰も何の疑問ももたない傀儡になっている。意識はあるので国は回るが、基本的には聖王ですらセシアルとヴェスティの言いなり状態だった。
そうやって緩やかに洗脳されていった聖王国の中心部は、大きな派閥争いも必要最低限しか起こらず、魔獣の脅威にも曝されず、戦争も起きず、ぬるま湯の平和に浸かり続けさせられた。聖騎士達にも実戦経験を積ませず、魔獣どころかただの獣とすら戦ったことがないものたちばかりにした。
そのうちヴェスティの御薬は聖王国中にばらまかれた。聖王都に近い領地の者たちからゆっくりと“歴王は奪われた”という話を広げ、思い込ませ、今ではそれはほとんど聖王国の貴族にとっての真実になっている。
同時進行でヴェスティは人と獣人の魔獣化や、獣や魔獣の従属などの研究も行い、今では時間はかかるがかなりの確率で人も獣人も魔獣にさせることができるし、獣ならばまず間違いなく従属させることができるようになった。
その情報を流していた、別方向で魔獣の従属化を研究していた帝国で活動している魔人の派閥が、自力で魔獣の自爆をコントロールできるようになったと聞いたときは、えげつないことを考えつくものだと笑ったものだ。まあ、人や獣人の魔獣化のほうがえげつないだろうとセシアルには言われてしまったが。
そうして、さあ聖王国をどう滅ぼそうか、というところでセシアルが目をつけたのが、歴王の特徴を持って生まれたシャーリィだった。
どうして耳がそのような形になったのかはセシアルにも分からなかったようだが、なんにせよ都合が良い子どもなのは確かだった。セシアルやヴェスティが貴族たちにほんの少し仄めかすだけで、シャーリィは何もしていないのにアイダハル第一王子と並ぶ派閥を得た。
ただし、しばらくしてから分かったことだが、シャーリィには御薬の効果がない。セシアルの魅了も効果をなさない。彼女は本当に歴王の力を持って生まれていたのだ。——今となっては些細なことだが。
セシアルは幼いシャーリィに教え込んだ。歴王の力は奪われ、父親である愛すべき聖王は失意に沈み心を病んでしまった。貴女なら、歴王の力を取り戻すこともできるはずだ、と。
生まれて10年も経たない子どもを言葉で洗脳するなど、何百年も生きる最古の魔人であるセシアルにとっては簡単なことだっただろう。かくしてシャーリィは今、歴王の国へと向かっている。
セシアルがこの50年ほどかけて作り上げた聖王国崩壊のシナリオは、ようやく幕を開けた。これ以上はもうヴェスティは不要だし、ヴェスティ自身もセシアルに付き合うつもりは無かった。
聖王都に残っている魔人はほとんどいないだろう。あの生まれながらに魔人である双子も、父親であるセシアルに同行している。
格の低い魔人はランクの高い魔獣が相手だと簡単に喰われてしまうので、下っ端の魔人たちにももう好きにして良いと言ってあった。もう、我々魔人が何かをしなくても、この国は崩壊するのだ。
ざくざくと堅い下草を踏みながらヴェスティはどんどん森の奥へと進む。ヴェスティが歩いた後方では、下草は萎びて、小さな虫たちがコロコロと木や草から落ちて、奇妙な道を作っていた。
ヴェスティが今使っているのは、僅かに刺激臭がする腐食性の毒だ。ヴェスティの周囲5メートルほどを漂っているそれは、中心部であるヴェスティの周辺はかなり強い効果を及ぼして小さな虫や獣は即死してしまうものの、霧は離れれば離れるほど弱まり、離れた場所でなら少し吸ったくらいでは動けなくなるほどでもない。風に流されるので、匂いだけならばもっと遠くまで届いているはずだ。
この毒の良さは、離れたところから狙いを付けて襲いかかってこようとした獣や魔獣が、接近したときに突然濃くなる毒によって怯んだり、突っ込んできたものはそのまま毒に冒され行動不能に陥ることだ。その隙に、ヴェスティは別の毒で対応する。それがいつもの狩りのやり方だった。
そんな枯れた草の道をついてくる何かしらの気配を、ヴェスティは感じ取っていた。
森に入ったときは気付かなかったが、しばらく進んでいると明らかに誰かが着いてきていた。気配は1人で、誰かをつけているというよりもただ同じ道を進んでいるだけのようだ。もしかしたら草が枯れているのに気付いてヴェスティの道を辿ってきた、ヒュランドルの傭兵かもしれない。ランクの高い傭兵は、生き抜いてきたからこそ目ざといものだ。まあ、ヴェスティの敵ではないが。
しかし、この地には隠匿がいる可能性が高く、警戒をするに越したことはない。ヴェスティはもっと広い範囲に毒霧を広げた。隠れているかもしれない隠匿や、離れて付いてきている相手にも届くように。
しかし、その傭兵らしき相手は、ずっと付いてくる。
こちらも気配を消して移動しているわけではないので、もしかしたらこちらに気付いているのかもしれないが……毒霧はヴェスティが移動しても、風に流されることもあるが、しばらくはそこにとどまる。つまり相手は、薄まっているとはいえその刺激臭のする毒を吸い込みながらも、速度を落とさず付いてきている、ということになる。こちらが魔獣だと思われているのか、よっぽど鈍感なのかそれとも。
——隠匿よりも、リネッタに気をつけろ。
セシアルがひどく苦い顔をしてそう言っていたのを、ふと思い出す。あのアーヴィンをして化け物と言わしめたリネッタ。しかし、ヴェスティはリネッタとは全く関わっていないので、狙われるとしても意味がわからなかった。
以前連合王国で殺した獣人の少女と容姿が似ているらしいので、血縁である可能性はあるかもしれないが……それなら、城にいたときにすでに何かしらがあるはずだろう。しかし、リネッタは城にいた者を誰一人傷つけず消えた。今さらになって近づいてくる必要はないはずだ。
歩きながら思案した結果、ヴェスティは待ち伏せすることにした。




