#0・流浪の姫将軍
~ハイランド帝国・ソプニカ諸侯連合国境 ブリュス郊外
晩秋の夕暮れ時。
ブリュス郊外の森林には、満身創痍の軍隊がいた。兵士の数は、見たところ千人にも満たない。どの兵士も傷を負っており、生気はなく、とぼとぼと歩いているだけだ。
その中心に、騎乗した美しい女性がいた。見たところ二十歳過ぎで、鮮やかなプラチナブロンドの長髪に青い瞳をした、穏やかそうな顔つき。それに加え、白と青で彩られた鎧と、紺色のマントに白抜きで描かれた桔梗の花とが、高貴な雰囲気を醸し出している。だが、この女性も例に漏れず元気のない表情をしている。
ブリュス領主、マリオン・ユーティライネンの妹、ラナ・ユーティライネンである。
「……姫将軍」
側近の呼びかけに、ラナは顔を上げた。
「……どうしました、アドルフ」
アドルフと呼ばれた側近はラナの横に馬を進め、頭を垂れた。見た目は三十過ぎの男性で、がっちりした体格に加え、顎を覆う短い髭がどこか無骨な印象を与える。纏っている黒い鎧には疵が目立ち、彼が歴戦であることを示している。
「脱出できた兵は、わずか八百の様です」
「……キーラは?」
「キーラ様は先行してカレワラに向かわれました。カレワラのミカ殿に救援要請を行っておくそうです」
「そうですか……。私が至らぬばかりに、迷惑をかけますね」
「そのようなことはございませぬ。兵力に差がありすぎました。それに、ハイランドにかなりの出血をさせましたから、少しは進軍も鈍るでしょう」
しょんぼりと頭を垂れているラナを励まそうとするアドルフだったが、その声には無念さが混じっている。
隣国のハイランド帝国が、ここソプニカ諸侯連合に宣戦布告と同時に侵攻してきたのは一ヶ月前のこと。ソプニカ諸侯連合の領土は大陸の北東に位置する半島となっており、ハイランド軍は南のブリュスと、西のエピードの二方向から侵攻を始めている。エピードは陽動、ブリュスが本命であった。
第一目標であるブリュスに押し寄せてきたハイランド軍の兵力は二万に達し、それに対してブリュスを守る兵力はわずか三千。中央政府に出ていた姉の代わりにラナが指揮を執り、籠城を続けたものの、ついに落城。現在は隣の城であるカレワラに退却中だ。妹のキーラは先行してカレワラに向かっている。
「父上はわずか千人でハイランド軍一万を押し返したというのに……。情けない話です」
ハイランドは過去にもブリュスに侵攻していた。その時はラナの父が奮戦し、玉砕と引き替えにハイランドの侵攻を食い止めている。そのときラナはまだ幼く、記憶には残っていなかったが、アドルフから何度も言い聞かされて育てられてきたため、父のことは誇りに思っている。
野戦でハイランド軍を抑えたという父ほどの指揮はできなかったが、ブリュスは堅城であり、アドルフの補佐もあってか、今回もハイランドには兵四千ほどの損害を与えている。その出血を賄うため、また、地盤固めのために進軍は一時停止するに違いない。その間に、カレワラを守るミカ・キンクネンと合流し、戦力を立て直すことが現在の目標である。
「……この危機を脱するには、普通の戦い方ではいけませんね……」
圧倒的な兵力、ひいては国力の差。起死回生を期すには、古今東西に例を見ないような、奇抜な戦術を思い付く者が欲しい。
ラナはため息をつき、軍を進めた。