【書籍発売記念SS】父の肖像
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書籍発売記念SS。
婚姻披露宴直後のリンデルト侯爵夫妻が、春のバーリエ領を訪れた際のとあるハプニングのお話です。
「これは美しいな」
「でしょう?」
感嘆の声を上げる夫に、オーロラはどこか得意げに笑った。
婚姻披露宴を終えた数日後、リンデルト侯爵夫妻は揃って夫人の実家のバーリエ領を訪れていた。
披露宴に参列してくれたバーリエ伯爵家の面々をバーリエ領まで送りがてら、短い婚姻休暇である。
『北方でしか見かけない春の風物詩のような花があって、満開時期には周囲一面が薄紫で覆われつくして、それはそれは荘厳な眺めなんです』
オーロラからそう聞いていたミハイルがその景色を見たがったのも理由の一つだった。
バーリエ領到着後にひと息ついてから二人で散歩に出たのだが、探すまでもなく街のいたるところが目当ての花で薄紫に染まっているのを見ることになった。
「すごい眺めだな。シェナ、だったか? この植物は」
「春先に花が咲くと、こんなにも至る所に植わっていたんだなって、毎年びっくりするんですよ」
「だろうな」
民家の庭や街路樹、遠くに見える山々の稜線に至るまで、シェナの木はその薄紫の花を枝一杯に咲かせて存在を示している。花の盛りを少し過ぎているのか、吹く風に乗って花弁が散る様も美しい。
「確かに王都では見かけないな。これだけ美しければ、苗木を持ち帰って植える者もいそうなのに」
「王都の気候が、この木の生育に向いてないのかもしれませんね」
そんなことを話しながら街をそぞろ歩いていると、ふとミハイルが小さな建物に目を止めた。
茶色い二階建ての少し大きめの民家の敷地の隣に建つその白い石造りの建物は、扉はなく、その代わり大きな玻璃の嵌った窓が三方にあり、陽の光が屋内に差し込んでいる。
「祠か?」
「ああ、たぶんあれは……」
ミハイルの視線の先にあるものに気付いたオーロラが説明しようとした時だった。
「おとーさま?」
ふいに歩道脇で上がった小さな声に、ミハイルとオーロラの視線が同時に向いた。そこには3歳くらいのおさげ髪の女の子が立ち、つぶらな瞳を瞠っていた。
「おとーさま」
「…………は?」
再びの呼びかけに、ミハイルは理解できないと言う顔で眉間に皺を寄せ、オーロラはその子と夫の顔を交互に見た。ミハイルに走り寄ろうとするその子を、困惑顔になりながら護衛がやんわりと押し留めた。
「おとーさまっ」
「ちょっと止まってね、お嬢さん」
護衛の声に我に返ったミハイルが、隣でぽかんとした表情になっている妻に向け首を大きく横に振りながら否定する。
「いやいや違う違う違う、違うぞ!?」
「お父様……」
「断じて違う! 全く身に覚えがないっ!」
見るからに貴族の身なりをした若い男女と、その男の方をお父様と呼ぶ幼子。
周囲からは「修羅場?」「隠し子?」などという呟きが漏れ聞こえてきてしまう。
騒ぎが大きくなる前に場所を変えたほうがいいだろうかと、ミハイルが護衛に指示をだそうと口を開きかけたとき、雑踏の中からエプロン姿の中年の女性が駆け寄ってきた。
「マイラ!」
「せんせい」
両手を広げた女性の胸に、女の子が飛び込む。
「もう、姿が見えなくなったから心配したじゃない」
「おとーさまをみつけたの」
「え? お父様……?」
マイラと呼ばれた女の子が指さすのを見て、貴族の姿に気づいた女性が青褪めた。
「もっ、申し訳ございません。
何かこの子が不敬を働いたものと存じますが、まだ年端も行かない子のしたことですので、どうかご寛恕のほどを……」
女性の大きな声に、ますます周囲の視線が集まってきてしまってミハイルが秀麗な眉を寄せる。そんな夫の腕にそっと触れ、オーロラはふわりと微笑んだ。そして、幼い女の子を守るように腕の中に掻き抱いて必死に頭を下げる女性に視線を向け、周囲にも聞こえるほどの声で問いかけた。
「どうぞ顔をお上げください。
もしや、そちらにある孤児院の関係者の方ではありませんか?」
「…………相違ございません。
わたしはその孤児院で院長をしておる者で、この子はそこで預かっている子でございます」
「やはりそうでしたか。ちなみにあの祠は妖精王様を祀ってるのでは?」
「はい、おっしゃる通りです……」
「なるほど、それで“おとーさま”か……」
そこまで聞いて、ミハイルも誤解の理由を理解できたようだった。察しのいい夫に、オーロラはにこりと笑んで頷いた。
「孤児院では『子供達は妖精王様から預かっているのだ』と考えて大切にしているところもあるとききますから」
「左様でございます。当院でもあちらの祠に妖精王様の肖像画を祀り、万物の父であるお方に、毎日子供たちと感謝の祈りを捧げております」
オーロラ達の会話を聞いた周囲も、ミハイルの白金色の髪と美しい面差しを見ながらどうやら誤解だったようだと悟り、集まっていた視線も自然と散っていった。
孤児院の院長だという女性は、事情は何となく把握しつつも不敬を働いたのには違いなかろうとまだ頭を下げ続けている。
ミハイルは隣の妻を見るが、オーロラは少し困り顔で笑いながら小さく頷いた。
「謝罪していただくには及ばない。
これしきのことで不敬だと責めるほど狭量な男だと、妻に思われたくはないのでな」
謝罪と感謝を交互に口にする院長の腕の中で、わけが分からないままきょとんとしているおさげ髪の女の子の前に、ミハイルが跪いて彼女と目線を合わせた。
「私は君の父ではないんだ」
「ちがうの?」
「妖精王様のお顔に、私は似ていたか?」
「おとーさまの絵と、おなじお顔」
「昔からよく、似ていると言われるからな。
私は妖精王様ではないが、このバーリエ領のお姫様と結婚したこの世で一番幸運な男なんだ」
「ちょっとミハイル!?」
いきなりの“お姫様”発言にぎょっとしたオーロラが跪く夫の肩をガシリと掴んで揺さぶる。院長の女性は、目の前の貴族女性が最近大貴族と婚姻したという領主のご令嬢だと思い至り再び顔色を失った。
ただひとり、少女だけがふっくらした頬を薔薇色に染めて歓喜の声を上げた。
「おひめさまとけっこんしたの!?」
「ああ。ほら、綺麗な人だろう?」
「ミハイルっ……!」
オーロラは暴走する夫を咎めるが、「うん、とってもきれい!」と言う少女のキラキラした視線にそれ以上言葉を継げなくなった。一方、姫と呼んだことへのお咎めが無いのをいいことに、ミハイルの方は満面の笑みで続ける。
「やさしいお姫様は、君達が健やかに大きくなることを願ってる。
私は君達の父にはなれないけれど、お姫様の御父上であるバーリエ伯殿とともに、孤児院に贈り物をしよう」
「ほんとに!?」
何度も頭を下げ続ける院長に抱かれ、女の子は元気いっぱいに手を振りながら去って行った。
ミハイルとオーロラもこれ以上混乱を招かないため護衛と共に足早にその場を後にする。
(伯爵邸に戻ったら『婚姻記念』という名目で寄付をする件を義父上と相談しよう)
そんなことを考えながらミハイルが隣を窺うと、オーロラの頬はまだうっすらと赤い。よほど『お姫様』と呼ばれたのが照れ臭かったのかもしれない。
とにかく妻の実家の所領で隠し子疑惑浮上などというとんでもない事態にならずに済んだと、ミハイルはほっと胸を撫でおろした。
「よく、妖精王と間違えているんだとわかったな、オーロラ」
「ミハイルが目に止めたあの祠の隣に孤児院と思しき建物があったので、もしかしたらそうかもしれないと思ったんです。
あの子がミハイルを“お父様”と呼んだのは、妖精王様の肖像画を見て、幼い子に分かり易いよう『みんなはあの方の子供なのよ』とでも聞かされていたからでしょう」
「なるほどな……」
「隠し子だと疑われるかと思いました?」
「本気で君に疑われるとは思っていなかったが……」
「あんまり焦って否定すると余計に怪しく見えますよ?」
「…………揶揄うな。
身に覚えはなくとも、悪い噂というのは面白おかしく人の口に昇り、驚くほど速く拡がるからな」
「そうですね」
そんな気がしたので、あえて場所を変えず、周囲に聞こえる声で事の真相を明かす会話をしたのだ。
もちろんオーロラだって、新婚でいきなり夫に隠し子発覚なんて噂は絶対に御免なのである。
「いつか、私達の子が妖精王様の肖像画を見て『おとーさま』だなんていう日が来るかもしれませんね」
「名誉なことだ、と言っておこうか」
互いに繋いだ手と手。その間に、小さな手が掴まる日が来るのだろうか。
そんな会話をしながら、新婚の侯爵夫妻はバーリエ伯爵邸までの道のりを笑って歩いたのだった。
本編中にも出てきて、別で書いていた中編のお話の題名にもなっている、北方に春を告げる花。
色は違えど、北方の人にとっては日本人の感覚で言う桜のような存在だと思っていただければと。
読んでいただきありがとうございました。




