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ルフェが街についた時、街の入り口は少々ざわついた感じだった。入り口にいた人間が見た場合、ルフェが熊を運んでいる光景は熊が半ば浮かんでいるように見えたからである。熊にばかり目がいくためルフェに目が行きにくいというのもあるが、ルフェもそう体が大きくないタイプ、明らかにこの大きさの熊を運ぶことは出来ないように見えるからというのがある。そのため目に見えていてもその事実を信じ切れていなかった者もいただろう。
もっともそれらの懸念はルフェが入り口まで来た時点で解消される。もともと案内役をしているサボり職員もいたためそこまで心配されていたわけではないが、やはり見た目のインパクトが凄まじいのが最大の要因だろう。あくまで熊が来たということの懸念が解消されただけでルフェが運んできたということに対し驚かれるのは変わらないのだが。
そしてその熊を街の中で担ぎながら解体所、狩猟組合の方へと持っていく。このときその姿を見た街の人間は熊が浮いているように見えて驚き、それを運んでいるルフェの姿を見て驚くという二度も驚く事案となっていた。ちなみにこの熊は出没が珍しく、大体狩人が複数いるときはあまり当たらない上に強く固い、意図的に狩ろうとしなければ狩ることそのものが珍しいためあまりこういう風に狩られたものが持ってこられることはない。そういう点も目を引く理由だろう。
熊を丸ごと運んできたことにより狩猟組合、解体所は大騒ぎである。まず通常狩られることのないこの獲物が持ち込まれたこと、そしてそれを行ったのが明らかにそれができる能力も装備もなさそうなルフェであること。熊を持ち込んでくることはないわけでがないが、その熊がほぼ無傷であるということ。その二つが大きな理由である。
ひとまず熊を狩ったという事実の確認を受付はルフェの案内を任せた職員に訊ねる。ルフェが狩ったということに間違いがないかを本人に聞くのは変であるし職員である彼であるならばまず嘘はつかないだろう。その彼から帰ってきた答えは肯定、もちろん目の前でルフェが熊の首を折るのを見ていたのだからそう言う以外にない。それはそれで騒がしくなる。それだけルフェが狩った……それも一人で、素手で、熊を狩ったという事実が信じられない出来事であるからである。まあもし話で聞かされればほぼすべての人間は信じないだろう内容だから仕方がないだろう。そのことが真実である以上、狩猟組合への登録はしっかりとされる。いまだにその事実が信じられないという状態だがしっかりと仕事はするようである。
そして持ち込まれた熊に関して。まずこの熊は大きく、強く、あまり狩られない。毛皮の利用価値は高く、肉は希少で様々な使い道がある。そのため熊の価値は計り知れない。狩られてすぐ、傷も少ないすべてのパーツがそろっている熊は毛皮も肉もその全てを利用できる。もし全て流通できれば結構な額になるだろう。またその解体や加工を担当する解体所としては仕事として挑戦したいと思う相手である反面、下手なことは出来ないというプレッシャーもある。色々な意味で厄介な代物だ。ちなみにルフェが持ち込んだ時点では狩猟組合に属していないので本来ならば一般持ち込み相当の手数料が取られるのだが今回は狩猟組合に所属する試験的な意味合いのあったものだったので組合所属時の差し引きとなっている。
ちなみに一緒に持ち込んだ鳥に関しては何も言われていない。鳥自体はそこまで珍しいものではなく降りてきたところを捕獲するケースも多い。もっともそれを取ったときのことは流石に一緒に行ったサボりの職員は言わなかった。熊狩り以上に信じられないと思ったからだろう。
こうしてルフェは狩人組合所属と言うことになったが、今回狩った獲物の代金は後で支払うということで今回はお開きになった。流石に持ち込まれたことが少ない熊の査定は色々と大変なようである。最後に一緒に行ったサボり職員から狩りすぎ注意の助言をもらっている。ルフェの実力であれば獲物を狩るのに苦労しない、それこそ森にいる動物を一掃できるほどに狩ることができるだろう。しかしそれはしてはいけない、問題行為であるということを言われている。理由としては単純に生態系の問題と供給過剰の問題である。狩りすぎると森から動物が消え、そこにいる生物が消える。それは狩る側からそこに住む生物種にとって色々と問題が起きることとなる。またあまりに持ち込みをされても需要の問題がある。肉ばかりあっても消費しきれず、またその素材を必要とする人間も極端に多いわけではない。供給が多すぎると必然的に物の値段が下がる。そういうことであまり狩りすぎないようにルフェは注意されたのである。
組合所属の証である腕輪を貰いルフェは宿へと戻る。また狩りに行ってもいいかとも思ったが、やはりあまり持ち込みすぎてもあれだし熊の値段は不明だが確実に高めの値段となることは間違いがない。そういうことなのでお金の心配が少ないということである。もちろん一ヶ月も持たないと思うが、しばらくは持つのであればそれでいいだろう。
「あれ、アイネ。もう戻ってきたのか」
「あ……ル、ルフェも早いじゃない」
帰ってきたルフェに対しアイネは少し動揺を見せる。ルフェはそれに対し特に突っ込むことはせず、自分の成果を語る。
「ああ。ちょっと大物を狩ってきたんだ」
「噂になってるわよ? あんな大きな熊を担いで街の中を歩いていたならそうなるでしょうけど」
「ええ、本当に?」
その噂そのものはルフェの耳には届いていない。またここまで来る途中にルフェに対して視線が向くこともなく、特に何もないと思っていたのだがそんなことを言われれば驚くだろう。
「熊を担いできた狩人がいる、って話ね。それが誰かはわかってなかったみたいだけど……」
「なるほど」
噂の当人ではあるものの、実際にその姿を見た人間の印象には残っていなかったようである。
「ところでそっちはどうだった?」
「…………………………」
「アイネ?」
ルフェが軽く訊ねたのだがアイネがそれに対し応えることはなく俯いて無言になる。なんとなくルフェは雰囲気でアイネの様子は察していたのだが、やはり聞かなければ話は進まない。
「アイネ?」
「…………特に今私ができるような仕事はないって」
「そっか」
村から出てきたばかりであるアイネに任せられる仕事はない。本来彼女のような街に関わることのなかった人間のしている仕事と街の仕事は別物であり、本当に人手が足りず新人を募集するか、経験の有無に関わらず誰でもいいか、内容が新しく経験者のいないような仕事かなどである。もしくは誰でもいいという内容で得た人間を裏に回す危ないタイプの職場であるか。そのどれもとりあえずアイネが出会うことはなく、結果無職と言う立場である。
「この街で特に仕事ができないなら別のところに行こうか」
「え? でもルフェの方は仕事見つかったんでしょ? 迷惑かけるわけにはいかないわよ」
「いや、狩猟組合自体の仕事は狩りをするだけだし。狩猟組合自体はよそにもあるみたいだから移動するのは問題ないよ」
所属を決定した街の狩猟組合のみ、ということはなく狩猟組合は各地に存在しておりそれらすべてで登録者の情報を共有する。必要であれば別の狩猟組合に条件に合致する狩猟者を送り出す場合もある。魔物の被害、獣害の類は物によっては村や街を脅かすものであることもあり、早急にその害獣を相手取れる狩人を送らなければならない。そのための情報共有である。
そして移動も自由、どこであってもルフェが着けている腕輪さえあれば全く問題はなく持ち込みや依頼を受けることが可能である。
「……ルフェはそれでいいの?」
「別にいいよ。アイネがちゃんと生活できなければそれはそれで困るだろ」
「見捨ててもいいのに……私、迷惑かけてばかりよね」
アイネの完全な本心ではないが、状況的に彼女はそういわざるを得ない状況である。そういうこともありつい言葉として出てしまった。ここまでアイネはずっとルフェに頼りっぱなし、自分からルフェについていくことを決めたというのに迷惑をかけ通し、そんな状態でルフェに頼ったままでいいものだろうか。そんな気持ちがアイネには生まれている。
ルフェはそんなふうに後ろ向きになっているアイネに近づき頭を撫でる。
「ちょっ!? ルフェ!?」
「迷惑……と言えばそうかもしれないけど、二人でいられれば一人でいるよりはずっと楽しいし、嬉しいだろ。だからアイネがついてくることは俺にとってはとても嬉しいんだ。アイネは俺といるのは嫌なのか?」
「っ! そ……そんなことはないけど」
「ならいいだろ。アイネが一緒に来てくれるのなら俺はアイネのために頑張るよ」
「ルフェ……」
弱ったところにかけられる優しい言葉、これで落ちない女はいない…………と言うのは冗談だがルフェの言葉はアイネにとっては嬉しいと思うものであり、同時に申し訳ないとも思うものである。相手に依存する、頼っていい相手に頼る、彼女がもう少し弱ければそれをそのまま受け入れただろう。そしてルフェに甘えルフェに縋り、ルフェの物として生きた。
しかしそんなことにはならない。生まれ持って表れている強気な部分が彼女の意思を持ち上げる。
「わかったわ。とりあえずなんとしてでも仕事を探して、ルフェに頼りっきりにならないようにする。ちょっと迷惑をかけるかもしれないけど……ちゃんと後で返すから!」
「ああ、それでいいよ」
びしっとルフェに指さして言うアイネ。ルフェはそんなアイネに笑顔で答えるのであった。




