第50話:逆流
「おじい様! ぜひ、もう一度、実験に付き合ってください!!」
理系女子魂に火がついた十萌さんは、まるで噴火のような情熱でおじいちゃんに迫っていく。
「お、おう」
押し切られるようにおじいちゃんが応じると、十萌さんはテキパキとスタッフたちに指示を出し始める。
――10分後。
十人ものスタッフの手によって本堂に運びこまれてきたのは、見覚えのある巨大な物体だった。
「こ、これって、島から持ち帰っていたんですか?」
「当たり前じゃない。作るのどれだけに労力がかかったと思っているのよ」
十萌さんが笑う。
それは、三式島の研究所の地下で見た、5メートル級の巨大アバターだった。
今まで、誰一人として、寸分たりとも動かせなかった代物だ。
十萌さんが改めて、おじいちゃんに向き合い、頭を下げる。
「これを、おじい様に動かしてほしいんです!」
先走る十萌さんに、おじいちゃんが怪訝な表情をする。
「動かす?」
5mのアバターは、1トン以上はあるだろう。
とても、人一人の力で持ち上げられるものではない。
そこからさらに30分かけて、十萌さんは、アバターの操作方法についてみっちり説明をした。
脳波のしくみ、アバターの操作方法、三式島での実験結果などを、情熱的に語り尽くす。……けど、話せば話すほど、おじいちゃんの困惑が色濃くなっていく。
そして全部聞き終えたとき、こう言い切った。
「全くわからん!」
――ま、まあそうだよね。
わたしも少しだけがっくりしつつ、心の中では納得していた。
わたしだって、正直、今だに仕組みが良く理解しきれていない。
それが、スマホさえ使っていないおじいちゃんに、脳波だのAIだのアバターだの言っても、ピンとくるはずがない。
気落ち気味の十萌さんを見て、おじいちゃんは言葉を継いだ。
「ま、でも要は、その大きいのと、一体化して動かせばいいってことだな。やってみようか」
**********
「おじい様。今から、脳波測定を始めます」
十萌さんが、VRゴーグルを装着した、おじいちゃんに伝える。
「ではまずは、アバターと一体化してみてください」
と十萌さんがが言う。
おじいちゃんが座禅する。
期待が、否応なしに高まる。
でも、1分たっても、2分たっても、アバターは全く動かない。
……というか、おじいちゃん自体も、座禅の姿勢からピクリともしない。
――も、もしかして寝ている?
そう疑い始めたとき、十萌さんが驚愕の声を上げた。
「あ、ありえない!脳波伝達率が、マイナスに反転している」
――マイナス?
今まで、脳波伝達率は、どんなに低くても0%だった。
当たり前だ。
どんな難しいテストでだって、0点より下にはならないはずだ。
「脳波が、逆流している……」
十萌さんは、猛スピードでキーボードを叩きながら緊迫した声で言う。
わたしの緊張も一気に高まる。
「ぎゃ、逆流すると、一体、どうなるんですか?」
わたしは、十萌さんを問い詰める。
「分からない。最悪なケース、アバターに思考を操られることあり得るかもしれない。普段、わたしたちが、アバターを操っているように」
――え?
「早く実験を中止してください」
「今、やっているわ! プログラム停止まで、あと49秒」
「おじいちゃんのVRゴーグルのコードを引っこ抜いたら!?」
「急に物理的に止めたら、危険があるかもしれない。まずは、おじいちゃんに意識があるかを確かめて」
わたしは、座禅の姿勢のままピクリとも動かない、おじいちゃんのもとに駆け寄る。
「おじいちゃん、聞こえる? わたし、リンよ」
反応はない。
瞳孔の反応を見ようにも、顔がVRゴーグルに覆われて見えない。
「おじいちゃん、返事して!おじいちゃん!!」
わたしは必死で呼びかける。
――すると。
「やかましいのう。ちゃんと、聞こえとるわい」
と、おじいちゃんがいつものマイペースな口調で答えが返ってきた。
「ちょっと、こいつと一体になってただけじゃ」
――よ、良かった!
私たち全員がほっと溜息を漏らす。
十萌さんも、明らかに緊迫した表情が和らいでいる。
「伝達率、0にまで戻ったわ」
一瞬だけ危惧した、”謎のアバターに、おじいちゃんの頭脳を乗っ取られる”という、悪夢のような事態は避けられたようだ。
「さてと。それで、この”あばたー”とやらを動かせばいいんじゃっけ?」
ようやく落ち着いた十萌さんが答える。
「あ、はい。ただ、ご無理はなさらずに……。休んだ後でも」
「時間が残されてないでの。今、やっとくよ」
そう言うと、「よっこいせ」と立ち上がった。
わたしたちは目を疑った。
誰ひとり動かせなかったがあの巨大アバターも、あっさりと立ち上がったのだ。
「立った……」
まるで我が子が初めて立ったのを目撃したかように、感極まった様子で十萌さんが呟く。
しかも、あんなにも自然で滑らかに。
修行のとき、夢華のアバターも、こんな風にスムーズに動いていた。
だけど今回は、その3倍の5メートル級アバターだ。
動かすには、遥かに強い脳波と、高い伝達率が必要となるはずだ。
「脳波伝達率、いくつですか?」
――こんなにも自然に動いているんだから、もしかして80%以上に到達しているかもしれない。
十萌さんは、もはや驚きを隠さずに言った。
「脳波伝達率、162%。理論限界値を、完全に突破しているわ」




