第378話:スルタンの宮殿
連れてこられた宿の門は、まるで闇の中に浮かぶ黄金の彫刻のように輝いていた。
重厚な石柱が月明かりと人工の暖かな光に照らされ、細やかなアラベスク模様がまるで生きているかのように影を踊らせている。
「ここって、宮殿かなにかですか?」
冗談めかして十萌さんに訊ねると、十萌さんは真顔で答えた。
「ええ。オスマン帝国最後のスルタン宮殿よ。今はホテルになっているの」
――え!?
わたしは絶句する。
そんなとこに、泊まっていいんだろうか……。
オスマン帝国は六百年以上に渡って、この地を支配した大王朝だ。
黄金期のスレイマン一世の治世では、その領土は、ヨーロッパ、アジアのみならず、遠く北アフリカまで広がっていたという。
門をくぐると、まさにそこは別世界だった。
長い回廊の左右に並ぶ高い石柱は、淡いオレンジ色の ライトに照らされ、その影が長く地面に伸びている。手入れの行き届いた庭園が広がり、夜露に濡れたバラの花がほのかに香りを放つ。
回廊の先に、ホテルの本館が見えてきた。
白とクリーム色のファサードが、夜の闇の中で優しく浮かび上がり、窓から漏れる暖かな光が、まるで迎え入れるように揺れている。
かつてのスルタンもこの道を通ったと思うと、なんだか感慨深い。
「今日はもう遅いわ。また明日、この街を探検しましょう」
チェックインを終え、部屋に案内されると、部屋の中央には、金糸に縁どられた巨大なベッドがまるで島のように浮かび上がっている。
私は靴を脱ぎ捨て、そのふかふかのベッドへと沈みこむ。
タブレットを起動し、ここまでずっと我慢していたマンガを開く。
『夢の雫、黄金の鳥籠』
侵略され、奴隷に身を落とした後、華やかなりしオスマン朝のハーレムに連れてこられた、少女の物語。
わたしがオスマン朝を知ることになったこの少女漫画の傑作を、その舞台であるイスタンブールの地で読めるなんて、なんて贅沢なんだろう。
そう思いながらページをめくるうちに、やがて意識は遠のき、夜へと溶け込んでいった。
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2030年2月14日 トルコ・イスタンブール
朝の光が、まずカーテンの隙間から忍び込んできた。
薄いレースのカーテンが、柔らかな風にそよぎ、金色の筋を部屋の中に描く。
わたしはまだベッドの中にいて、目を細めてその光を見つめた。
王の寝屋に呼ばれたハーレムの女性たちもまた、こうして朝の光を見ていたのだろうか。
食事を済ませてロビーに行くと、既に十萌さんが待っていた。
頭には、淡いラベンダー色のスカーフを巻きつけている。
「さあ、行きましょう。”壮麗帝”と呼ばれたスレイマン1世の居城、トプカプ宮殿へ」




