第332話:まるでカフカのように
「フランツ・カフカ美術館?」
わたしとソジュンは、十萌さんの方を見返す。
「ええ。病院から歩いても十五分程度だから、次の面会までに帰って来れるわ」
「そんなことやってる場合じゃ‥‥」
わたしは、苛立ちを隠せず声を荒げてしまう。
十萌さんは、わたしの方を向き直った。
「冷静になりなさい。あの男が、わたし達の敵なのか味方なのか、今の段階ではまだ分からないのだから」
――は?
わたしはその言葉の意味が分からなかった。
ARグラスを盗み、チェコまで逃亡し、更にユンの身体をいまだに乗っ取っている以上、敵なのは自明じゃないだろうか……。
久我教授も頷く。
「一般的に多重人格というのは、耐えきれない程の酷い目に遭った主人格を、護ろうとして生まれることが多いんだ。むろん今回のように、脳波チップによって無理やり生み出された人格までもが、そうだとは断言できないが……」
「で、でもだからといって……」
わたしは、思わずソジュンの方を向く。
何より慮るべきは、ユンを好きになった彼の気持ちなのだから。
そんなソジュンは、複雑な面持ちだった。
――僕が甘いのかもしれないけど……。
慎重に言葉を選びつつ、彼はこう言った。
「たぶん、ユンは誰よりも不安なんだと思う。今までの人生で、誰一人として彼女の味方をしてくれた人がいなかったからこそ、第二の人格を切り捨てられないのかもしれない」
――ああ、そうか。
わたしは、浅すぎる自分の考えが恥ずかしくなった。
小学生のころ、暴漢にエリーを半身不随にされ、世の中に絶望したときは、星がずっと傍にいてくれた。
ましてや、亡命してきた少女が、想像に絶する孤独にさらされた時――。
寄り添ってくれる存在を受け入れてしまうのはごく自然なことなのかもしれない。それが、カルト教団の一端だったとしても。
泣きそうになってきたわたしの肩に、十萌さんが優しく手を置く。
「悲しいけれど、世界は不条理に満ちているわ。まさに、Kafkaesqueね。その中で、私達は、最善だと思える選択をし続けるしかないの」
ソジュンが、むしろわたしを励ますように、明るい声で言った。
「行ってみよっか? あの”ハルキ・ムラカミ”がハマったいう、フランツ・カフカには僕も興味があるし」
――わたしは、この世界への解像度を、もっともっと高めなければいけない。
そうしなければ、火と氷に包まれた未来世界に生きる未来の人たちに、寄り添うことなんてできやしないから。




