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友達

 十二月に入って教室の雰囲気はピリピリしている。そう感じるのは受験が近いからということもあるだろう。しかし叶向に限って言えばそれだけではない。


「この時期に彼氏作るとか、余裕じゃん。一花」


 休憩時間。用事を済ませて教室に戻った途端、そんな声が聞こえて叶向は眉を寄せた。そして無意識のうちに声がした方へと視線を向けてしまう。そこでは如月が照れたような表情で友人と話している姿があった。

 如月が小野寺と付き合い始めた。そんな噂を聞いたのは先月の終わり。その真相を如月の口からは聞いていない。

 あの日以来、彼女とはまともに会話すらしていなかった。昼休憩も一緒に過ごすことはない。それは叶向があの階段へ行かなくなったから。如月から一緒にご飯を食べようとメッセージが届いても断る日々が続いている。彼女の顔をまともに見る勇気がないのだ。

 あの日のことを彼女がどう思っているのか知るのが怖かった。そうやって彼女から逃げ続けているうち、彼女には彼氏ができたらしい。


「一回ふられても諦めない小野寺もすごいけどさ。今回も向こうから告ってきたんでしょ?」

「うん、まあ」


 頷いた彼女がこちらへ視線を向けたので、反射的に叶向は顔を背けて自分の席に座った。

 如月が自分以外の誰かと付き合い始めた。それが彼女の出した答えなのだ。叶向のそばにはもういられない。そう思ったに違いない。きっと未だに届くメッセージは叶向に直接それを伝えるため。


 ――だったら行かなくてよかった。


 如月の口からそんな言葉は聞きたくない。やっぱり逃げて良かったのだ。

 叶向は薄く自嘲し、授業の準備をしようと机の中から教科書を取り出す。するとその教科書に挟まるようにしてクシャクシャになった一枚の用紙が出てきた。

 不思議に思いながら開いたそれは志望校調査票だった。先月の終わりが締め切りだったが、まだ志望校が決まらないからと無理を言って延ばしてもらったものだ。たしか今週中には出せと担任から念を押されていたことを思い出す。来週は三者面談がある。そこで進路を確定させるつもりなのだろう。

 叶向は用紙の皺を伸ばしながら席に座る如月の背中を見た。彼女はどこの大学を受けるのだろう。それすらも叶向は知らない。


 もう、如月のことは何もわからない。


 チャイムが鳴ると同時に教師が入ってきて教室の空気が変わった。そして日直の号令の声が響いて授業が始まる。その間も、叶向は手元のクシャクシャになった用紙をぼんやりと見つめ続けていた。






 その日の放課後、叶向はポツンと席に座ったまま、未だに進路調査票を見つめていた。すでに外は日が暮れているようで、窓から入る光を失った教室は電灯の明かりだけでは少し暗く感じる。


「どうするの、それ」


 静かな教室に聞こえた声は聞き慣れたもの。叶向は苦笑しながら「どうしようか考えてる」と顔を上げた。少し離れた窓際の席、そこでは秋山が身体をこちらに向けて座っていた。

 彼女の手には文庫本がある。ここ最近、彼女が教室に残っているときはいつも何かの小説を読んでいる気がする。


「それ、いつもなに読んでんの?」

「色々」

「ジャンルは?」

「恋愛」

「意外……」


 叶向は思わず呟いた。叶向が知る彼女は、とてもそういうことに興味があるようには見えなかった。

 彼女が誰かを好きだとか告白されたとか、そういう浮いた話も聞いたことがない。もっとも秋山と普段から仲が良いわけではないので叶向が知らないだけなのかもしれないが。


「それと、青春もの」


 叶向の反応も気にせず彼女は淡々とした口調で続けた。叶向は「それも意外なんだけど」と首を傾げた。


「美守はそういうものよりミステリーとかサスペンスってイメージ」

「勝手にイメージ決めないで」


 彼女はそう言ったが嫌そうな様子ではない。そして手元の文庫本に視線を落として「わたしだって興味はある」と続けた。


「そっか……。ごめん」


 叶向が謝ると彼女は「謝られるのも腹が立つ」と、今度は嫌そうな顔で言った。叶向は苦笑する。


「めんどくさいな、美守は」

「めんどくさいのはそっちでしょ」


 彼女はそう言うと視線を叶向の机の上へ向けた。


「あの子と同じ学校にするの?」

「……いや、しない」


 叶向は答える。


「ふうん」


 彼女は興味なさげに頷くと「そういえば」と続けた。


「あの子と別れたの? 小野寺と付き合い始めたって聞いたけど」

「別れてない」

「……じゃあ、どうしてそういうことになってんの?」

「さあ、なんでだろう。そもそも付き合ってなかったのかな、わたしたち」


 叶向は笑みを浮かべる。秋山はそんな叶向を少し見つめると「まあ、どうでもいいけど」と立ち上がり、叶向の前の席へ移動して腰を下ろした。そして鞄の中から一枚の用紙を取り出して叶向の机に置く。

 皺一つないそれは叶向が目の前に置いているものと同じ、進路調査票だった。


「なんで美守も持ってんの」

「わたしも期限延ばしてもらってた。で、これがわたしが行く大学」


 言いながら彼女が指差した箇所には、県外にある国立大学の名前が書かれていた。叶向は不思議に思いながら秋山を見つめる。彼女は用紙に視線を向けたまま「別に、特に意味はないけど」と淡々とした口調で言う。


「県外でもいいんじゃないのっていう提案」

「提案……」

「そう。あの子と離れたいんだったら地元から出た方がいいよ。あの子、どうせ近場の大学に行くんでしょ?」


 叶向は苦笑する。


「どうせって言い方はひどいよ。如月だって色々と考えてるんだから」

「そう?」

「たぶん」


 すると秋山は「ま、それこそ本気でどうでもいいけど」と言ってから叶向の用紙を指でトントンと叩いた。


「早く書けば?」


 叶向は首を傾げる。


「美守と同じとこ?」

「行きたい大学でもあるわけ?」

「ない」

「だったらいいじゃん。同じところにしなよ」


 彼女の言葉は相変わらず淡々としていて、しかしどこか温かいものを感じる。叶向は笑って「さては美守、わたしが好きだな?」と聞いてみる。すると彼女は心から嫌そうに顔をしかめた。


「あんたみたいな面倒くさい女は死んでもお断り」

「そっか、残念……」


 叶向は言いながら如月の席に視線を向ける。


「如月も、そうだったのかな」

「そうなんじゃない? だってあんたがやってること意味わかんなかったし」

「――わたしだって意味わかんないよ」


 ぼんやりと如月の席を見つめながら呟く。

 如月と話をしたい。謝りたい。そして自分たちの関係のことをはっきりさせたい。しかし、そんな勇気が自分にはない。如月に嫌われるのが怖い。嫌われたくない。それは、どうしてだろう。

 今まで友人に嫌われたところで何も思わなかった。それまでの関係だったのだとすぐに諦めがついた。それなのに、どうして如月だけが……。


 ――違う。如月だったからか。


 如月が自分と似ていたから。如月といるときだけは本当の自分でいられるような気がしたから。如月はどんな叶向でも受け入れてくれたから。

 彼女のような存在には今まで出会ったことはなかった。だから嫌われたくなかったのか。

 彼女といることで自分の存在を確かめることができた。彼女だけが水無月叶向という人間を理解してくれる。そう思ったから。


「あんたのそれは恋愛感情じゃないの?」


 秋山の言葉に叶向はビクッと肩を震わす。秋山は何かを確かめるように叶向を見つめながら続けた。


「あんたはあの子のことが好きなんじゃないの?」


 叶向は彼女を見返して微笑む。


「違うと思うよ。これは、ただの……」

「ただの?」


 叶向は少し考えてから首を横に振った。そして「でも、いいの?」とシャーペンを取り出してニヤリと笑みを浮かべる。


「同じ大学に行ったら、このめんどくさい女とさらに四年も一緒にいることになるよ?」

「いいよ」


 予想外に素直な答えに叶向は「え……」と目を見開く。彼女の表情は今まで見たこともないほど穏やかだった。


「もう三年もめんどくさいあんたを見てきたわけだし」

「……大学に入ってからもわたし、女の子と付き合ったりするかもよ?」

「それならそれでいいんじゃない? あの子のこと吹っ切れるなら」


 秋山の言葉に叶向は少し考えてから「吹っ切るも何もないと思うけど」と笑みを浮かべた。


「別にわたしと如月はなんでもない関係だったんだから」

「付き合ってたのに?」

「あれはごっこ遊び。それも、もうおしまい」


 そう答えた叶向を見つめ、秋山は「やっぱり」とため息交じりに言った。


「あんたはわたしといるべきだよ」

「は?」

「めんどくさいあんたの相手は、わたしくらいあんたに興味がない人間じゃないと務まらないと思う」


 叶向は眉を寄せた。


「意味わかんないんだけど」

「いいから早く書いて。わたしそろそろ帰りたいから」

「ひどくない……?」


 苦笑しながらも叶向は美守の希望している大学と学部を書き写していく。


「ま、これであんたが落ちたらどうしようもないけど」

「それはこっちの台詞。美守、成績良いんだっけ?」

「友達の成績くらい把握しておいてほしい」


 それを聞いて叶向は目を丸くしながら顔を上げた。


「なに」


 秋山は居心地悪そうに視線を泳がせる。


「友達って言った? いま」

「……書いた? じゃあ、もう帰る」


 彼女はぶっきらぼうにそう言うと用紙を掴み、逃げるように教室から出て行った。教室に残された叶向は吹き出すようにして笑う。


「めんどくさいのはそっちじゃん」


 笑いながら呟き、そして深く息を吐き出して椅子の背にもたれた。


「友達、か……」


 秋山は何も求めない人間なのだと思っていた。自分とは正反対の、すべてを受け入れて何も求めないことを決めた人間。そんな彼女が最近になって読み出した小説は彼女が何かを求め始めた証拠だったのかもしれない。そして彼女が求めたのは友達。叶向という、友達。

 恋愛小説は、きっと叶向が求めるものがどんなものなのか知ろうとしていたのだろう。

 如月とも最初からそういう関係で留まっておけばよかった。彼女に触れたりしなければよかった。そうすればこんな気持ちを手に入れることだってなかったかもしれない。


「――如月、どこの大学に行くのかな」


 用紙に書いた大学名を指でなぞる。そしてため息を吐くとそれを机の中に入れて帰宅の準備を始めた。暖房が切れた教室は少しずつ冬の空気に支配されていくように冷たくなっていた。

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