第1話 白霧坂殺人事件 第12章 真犯人の影
大森俊介の取り調べが終わる頃には、夜はすっかり更けていた。
署内の空気は静まり返り、蛍光灯の白い光だけが冷たく漂っている。
藤井はデスクに腰を下ろし、深いため息をついた。
「……大森さん、完全に勘違いしてましたね。
佐伯さんを守ってるつもりで、逆に追い詰めてたなんて……」
矢代はコーヒーを一口飲み、淡々と答えた。
「勘違いは、時に“犯罪の影”を生む。
だが——
今回の殺人は大森ではない」
藤井は頷いた。
「じゃあ……真犯人は別にいる。
三宅さんを刺したのは……誰なんです?」
矢代は資料を広げ、三宅浩一の行動記録を指でなぞった。
「藤井。
三宅は“誰かを観察していた”。
その誰かは大森ではない。
佐伯美咲でもない」
藤井は眉をひそめた。
「じゃあ……誰を?」
矢代は静かに言った。
「“佐伯美咲の周囲にいる人物”だ」
藤井は息を呑んだ。
「周囲……?」
「そうだ。
三宅は佐伯を守ろうとしていた。
その理由は——
佐伯の周りに“本当に危険な人物”がいたからだ」
矢代は資料をめくり、あるページを藤井に示した。
「藤井。
佐伯美咲の勤務先——病院の人間関係を洗ったか?」
「いえ……まだです。
予備校の方を優先していたので……」
矢代は頷いた。
「それが盲点だった。
佐伯は病院と予備校、二つの職場を持っている。
だが、彼女が“最も長く時間を過ごしている場所”はどこだ?」
藤井はハッとした。
「……病院……!」
「そうだ。
人間は、長くいる場所ほど“見えない関係”が生まれる。
三宅が観察していたのは——
佐伯の“勤務先の人間”かもしれない」
藤井は急いでパソコンを開いた。
「じゃあ、病院の職員リストを……!」
「待て」
矢代は藤井の手を制した。
「病院の職員は多い。
全員を調べるのは非効率だ。
絞り込む必要がある」
藤井は首を傾げた。
「どうやって……?」
矢代は静かに言った。
「三宅が“危険だ”と判断した人物だ。
つまり——
“佐伯美咲に近づきすぎていた人物”」
藤井は息を呑んだ。
「……恋人……?」
「可能性はある。
だが、佐伯は恋人がいるとは言っていない。
むしろ——
“誰かに怯えていた”」
矢代は資料の端に書かれたメモを指差した。
「藤井。
佐伯はこう言っていたはずだ」
“あなたの周りに、危ない人がいる”
藤井は震える声で言った。
「じゃあ……
その“危ない人”は……
佐伯さんの身近にいる……?」
矢代は頷いた。
「そうだ。
そして——
三宅浩一は、その人物を知っていた」
藤井は青ざめた。
「じゃあ……
三宅さんは、その人物に殺された……?」
矢代は静かに言った。
「その可能性が最も高い」
その時だった。
署内の電話が鳴り響いた。
藤井が受話器を取る。
「はい、捜査一課——
……え?
……本当ですか……?」
藤井の顔がみるみる青ざめていく。
「矢代さん……
病院から……
“佐伯美咲が行方不明になった”と……!」
矢代は立ち上がった。
「藤井。
急ぐぞ」
藤井は慌ててコートを掴んだ。
「どこへ……?」
矢代は爽やかに、しかし鋭い目で言った。
「決まっている。
“真犯人が動いた場所”だ」
夜の街へ飛び出すと、冷たい風が二人の頬を切った。
その風は、まるで——
真犯人の影がすぐ近くにいることを告げているようだった。




