Chapter 39 『THE CROSS OF NOISE 春の終点 誰も、誰かを許さない』
――空気が、裂けた。
芽衣子が叩きつけた、ギターの轟音が、
美鈴が振り下ろした、錠裂のうねりと、
世界の、その、ど真ん中で、真正面から、交差する。
まるで、この世界が、初めから、ただの“ノイズ”で出来ていたのだと、証明するかのように。
芽衣子のギターは、SIONから託された、祈りの“音を撃ち”、
美鈴の椅子は、故郷から持ち込んだ、破壊の“風を叩く”。
二つの、巨大なエネルギーの衝突によって、無数の、黒い有刺鉄線が、虚空から生まれ、空中で、激しく、ねじれていく。
まるで、この、二人の、あまりにも危険な戦いの間に、世界そのものが、必死に、「境界線」を、張り巡らせようとしているかのようだ。
芽衣子(心の声)
「……こいつ。ただの、田舎モンじゃ、ねえな。この風圧…アヤネの比じゃねえ…!」
美鈴(心の声)
「この女…!ギター一本で、嵐と喧嘩するつもりか…!おもろいやんけ、最高に…!」
音と、風。
弦と、筋肉。
電子の、増幅回路と、大気の、自然循環。
互いの、その、あまりにも異質な存在が、
まるで、最初から、一つであったかのように、“同じ衝動”の、ただ、方言が違うだけの、同じ言語だった。
芽衣子が、ギターのネックを、振り下ろす。
美鈴が、パイプ椅子を、力任せに、構える。
緑と、青。
二つの、暴力的なまでの軌跡が、交わる、その瞬間――
――ドォォォォォンッッ!!
音が、風を、裂いた。
風が、音を、巻き込んだ。
そして、この、新しく生まれたはずの、世界の空が、再び、巨大な音を立てて、割れた。
雨も、降らない。
雷も、落ちない。
ただ、純粋な、鼓膜を、そして、魂を、内側から圧迫する「圧」。
そして、その圧力の中心で、ギターのネックと、椅子のパイプが交差し、一つの、巨大な、ノイズの十字架(THECROSS OF NOISE)が、この都市の、中心で、禍々しく、そして、美しく、輝いた。
金属音が、交差した。
ギターの、一番太い弦が、その、あまりにも強すぎる衝撃に、耐えきれず、ばちん、と千切れ、
椅子の、頑丈だったはずの脚が、ぐにゃりと、ひしゃげる。
そして、二人を隔てていた、黒い有刺鉄線が、その衝撃波によって、一斉に、宙を裂いて、砕け散った。
ガキィィィィィン!
音と、風の、その、剥き出しの波が、再び、ぶつかり合う。
空気が、潰れて、世界が、軋む。
これは、もはや、ただの耳鳴りじゃない。
これは――“音”そのものが、この世界に、生まれる瞬間の、最初の、産声の叫びだ。
芽衣子
「……へっ。悪くねえじゃんか、その、風の音…!」
美鈴
「そっちこそ! ギターのくせして、無茶苦茶しやがる!」
互いの、その、血に濡れた口元に浮かんだ笑みは、もはや、人間のそれではない。
獲物と出会った、獣の、それだった。
どちらも、もはや、痛みなど、感じてはいない。
その、肉体的な痛みさえも、この、狂ったセッションの、最高のリズムに、変えている。
芽衣子は、ギターを、もはや楽器としてではなく、ただの打楽器のように、叩きつけるように、かき鳴らす。
美鈴は、ひしゃげた椅子を、まるで盾のように掲げ、次々と生まれる、有刺鉄線を、その、圧倒的な風圧で、押し返していく。
ノイズと、風が、混ざり合い、
空気が、その色を失い、
光が、その輪郭を、歪ませていく。
そのとき――
「あーあ。ほんと、うるせえ女どもだな」
炎の、向こうから、声がした。
ヤナールが、そこに、立っていた。
笑いながら、自らが放つ、その、圧倒的な熱量の炎を、まるで、心地よいシャワーでも浴びるかのように、その身に、纏いながら。
契りの生贄のように、赤く染まった髪。熱で、陽炎のように、溶けかけた、反転した瞳。
そして、その手には、かつて、どこかのライブハウスで使われていたであろう、燃えさかる、マイクスタンドが、握られていた。
ヤナール
「いいライブじゃねえか。だったら、私も、混ぜろよ」
「……勝手にセッションに入ってくんな!!!」
炎が爆ぜるより早く、美鈴の風が動いた。
燃えさかるマイクスタンドを構えたヤナールの胸板に、美鈴の体重と暴風の全てを乗せたドロップキックが、容赦なく炸裂する。
炎が、爆ぜた。
ヤナールは胸板に暴風の直撃を受け、数メートル後方へと吹き飛ばされながらも――まるでモッシュピットで暴れる観客を受け止めるロックスターのように、狂った笑い声を上げた。
「アハハハハッ! いきなりのステージダイブかよ! 最高にノリがいいじゃねえか!」
「誰がダイブじゃ! 顔面陥没させたるつもりで蹴ったんじゃ!」
空中で体勢を立て直し、アスファルトに着地する美鈴。
ヤナールは胸の熱を払うように、ひしゃげたマイクスタンドを肩に担ぎ直す。
「足りねえな。その程度の風圧じゃ、私のステージは壊せないぜ?」
芽衣子の音が、焦げ、 美鈴の風が、揺らぎ、 そして、この、狂った世界の、全ての景色が、一瞬だけ、完全に、真っ白になった。
空が、焼けた。
ヤナールの声が、もはや声ではなく、“熱”そのものとなって、この世界の、全てを、覆い尽くしていく。
鼓膜が、焼ける。
視界が、歪む。
吸い込む、呼吸そのものが、音となって、肺を、内側から、燃やす。
誰かが、笑った。
誰かが、泣いた。
でも、もう、それが、自分自身の感情なのか、敵のものなのか、あるいは、この、狂った世界の、断末魔なのかも、わからない。
ヤナールは、ゆっくりと、歩く。
その、一歩、一歩の、足跡から、黒い煙が、立ち上る。
地面が、まるで、巨大な、心臓であるかのように、彼女の歩みに合わせて、波打っていた。
ヤナール
「おい……怖いもの知らず達、随分と、あったまってきたじゃねえか?」
彼女が、笑う。
その、楽しそうな、しかし、どこまでも人間離れした笑い声に、共鳴して、空気が、震える。
遠くの、ビルの窓ガラスが、全て、一斉に、割れた。
夜空を飛んでいたはずの鳥が、その、ありえない熱量に焼かれて、落ちていく。
そして、芽衣子と、美鈴を、隔てていたはずの、最後の有刺鉄線が、まるで、飴のように、溶けていった。
芽衣子が、砕け散らんとする、ギターを、構える。
美鈴が、ひしゃげた、椅子を、握りしめる。
でも、その、二人の、決して揺らがなかったはずの腕が――今、確かに、震えていた。
それは、恐怖ではなかった。
それは、“感染”だった。
ヤナールの、その、圧倒的な熱は、ただの「暴力」ではない。
それは、「暴力の、共有」だ。
彼女を、見ているだけで、その、圧倒的なまでの“存在の圧”を、浴びているだけで、身体の、内側から、“自らも、燃えたがってしまう、細胞”が、生まれてくる。
芽衣子
「……嘘だろ。私の音が…この、熱に、溶かされてる…」
美鈴
「私の風が…!あいつに、養分みたいに、吸われとる…!」
世界が、目の前で、焼け落ちていくような、錯覚。
しかし、そこには、不思議と、痛みはない。
その、絶対的な熱が、恐怖を、通り越して、ある種の、倒錯した“快楽”へと、変わっていく。
ヤナールの炎は、もはや、炎ですらない。
それは、芽衣子が奏でる、“ノイズ”に、よく似ていた。
そこには、規則も、理屈も、何もない。
ただ、そこに“在る”という、それだけの、絶対的な“圧”だけが、あった。
ヤナール
「なあ、芽衣子…」
その声は、まるで、古い友人に、語りかけるように、どこまでも、優しかった。
「お前、まだ、そんなに、冷えてんのか?」
その、たった一言で、芽衣子の視界が、完全に、真っ赤に、染まった。
ギターの弦が、その、ありえない熱量に、焼け焦げ、空気が、裂ける。
ヤナールは、まるで、全ての観客を、抱きしめるかのように、その腕を、広げる。
彼女の背後で、炎が、まるで、熱狂した観客の、万雷の拍手のように、激しく、波打った。
「この熱が、この街の、全てに広がるとき、
お前らが、大事に、大事に、守ってきた、“区切り(じぶん)”なんてものは、全部、綺麗に、溶けて、なくなんだよ」
ヤナールの、その足元から、巨大な、炎の花が、咲いた。
その瞬間、芽衣子の音が、赤くなった。
そして、美鈴の風が、その、甘美な熱を、飲み込んだ。
――感染、開始。
――音が、風を裂き、風が、炎を煽る。
そのたびに、この、狂った世界の、薄っぺらい色の層が、一枚、また一枚と、無慈悲に、剥がれていった。
芽衣子のギターは、もはや楽器ではない。それは、SIONから受け継いだ、祈りの“音の刃”。
美鈴の椅子は、もはや凶器ではない。それは、故郷から持ち込んだ、破壊の“風の槌”。
そして、ヤナールの炎は、もはや熱ではない。それは、自らの全てを燃やし尽くす、覚悟の“熱の刃文”。
三者は、一歩も、退かない。
誰も、くだらない正義など、持ってはいない。
ただ、ひたすらに、自分自身の「存在の音」を、相手に、そして、この世界に、叩きつけているだけだ。
芽衣子
「この音は、私の、呼吸だ。
誰にも、奪わせるな。燃やさせるな。壊させるな」
美鈴
「この風は、私の、血ぃや。
これを、止められたら、私は、死ぬだけや」
ヤナール
「熱は、愛だよ。
でもな、愛ってやつは、燃やさなきゃ、誰にも、感染しねえんだ」
空が、歪む。
街が、唸る。
地面の下で、この都市を支えていた、古い、古い鉄骨が、彼女たちの、その、あまりにも巨大なエネルギーに、共鳴する。
どこかの、誰かの、絶望の叫びが、芽衣子の“音”になる。
どこかの、誰かの、孤独の涙が、美鈴の“風”になる。
そして、どこかの、誰かの、狂った笑いが、ヤナールの“炎”になる。
――誰もが、誰かを、傷つけたい。
――誰もが、誰かに、触れていたい。
その、あまりにも人間的で、あまりにも矛盾した、二つの感情が、全く同じ周波数で、混ざり合う。
それが、「共鳴」。
そして、それが、「破滅」。
芽衣子のギターが、咆哮する。
その、あまりにも激しいピッキングに、弦が、耐えきれずに、次々と、千切れていく。そのたびに、彼女自身の、指先から、赤い血が、まるで、花火のように、飛び散る。
美鈴の風が、渦を巻く。
もはや、それは、何かを薙ぎ払うための風ではない。彼女自身を、そして、この世界そのものを、内側から引き裂こうとする、制御不能の、竜巻だ。その風圧に、彼女自身の髪が裂け、頬に、砂が、弾丸のように、突き刺さる。
ヤナールの炎が、吹き荒れる。
彼女が纏っていたはずの、制服が、焦げ付き、この世界の、全ての空気が、燃え尽きていく。
芽衣子
「……この街は、もう、誰にも、チューニングできねえ…!」
美鈴
「それでも、私は、吹かずには、おれんのじゃ!」
ヤナール
「ああ、いいねぇ…。壊れたまんまが、いちばん、綺麗だよ」
そして、ついに。
音と、風と、熱が、
この、世界の、たった、一点で、交わった。
世界が、白く、跳ねた。
時間が、一瞬だけ、その意味を失い、完全な、無音になった。
次の瞬間、爆音。
地平線が、割れた。
空が、燃えた。
大地が、風を、吐いた。
三人の姿は、その、世界の、創生と、終末が、同時に起こる、その、エネルギーの中心に、いた。
もはや、血も、音も、風も、炎も、区別がつかない。
その、全てが、完全に、混ざり合っていた。
――そして、ついに。
音と、風と、熱が、
この、世界の、たった、一点で、交わった。
世界が、白く、跳ねた。
時間が、その意味を、一瞬だけ、完全に失い、絶対的な、無音になった。
そして、世界の、どこかから、声がした。
「誰も、誰かを、許さない」
――ノイズが、新たな、神を、産んだ。
風も、音も、熱も、
もう、区別が、つかない。
宮沢ヒトミは、竜胆学園の、あの、思い出の屋上から、ただ、静かに、その光景を、見ていた。
灰色の、空の下で、三つの、巨大な光の奔流が、互いを喰らい合うように、激しく、絡み合っていた。
それは、まるで、
「戦っている」のでは、ない。
ただ、ひたすらに、「互いが、決して、分かり合えないこと」を、この世界に、証明しているかのようだった。
彼女は、静かに、あの、ボロボロになったノートを開いた。
その紙の上に、鉛筆が、まるで、意思を持ったかのように、勝手に、走り出す。
何も、考えてはいない。
なのに、言葉が、次から、次へと、溢れ出していく。
「音、風、熱。
三つの、決して交わらないはずの言語が、交差するとき、
世界は、ほんの一瞬だけ、その“真実”の姿を、漏らしてしまう」
音は世界の震え。
風は世界の歩み。
熱は世界の命。
神が分断したはずの三つの言葉が、今、不吉に交差した。
日常という名の隠れ蓑が引き裂かれる。
世界は今、人間への言い訳を忘れ、ただ『そこに在る』という不気味な素顔を、一瞬だけ漏らしてしまったのだ
熱い風が、彼女の頬を、撫でた。
焦げ付いた、世界の匂いが、鼻の奥に、残る。
下の階では、誰かが、叫び、泣き、そして、笑っていた。
でも、今のヒトミには、もはや、それらの感情は、届かない。
「これが…調和、なんかじゃ、ない。
これは、ただの、“記録”だ」
ページの上に、黒い、灰が、落ちた。
ノートの、その端が、ゆっくりと、燃え始める。
けれど、ヒトミは、その手を、止めなかった。
「燃える言葉は、
いつか、誰かの、生きた証に、なるから」
空の色が、変わる。
白でも、黒でもない――
それは、“無音の、赤”。
ヒトミの瞳が、その、あまりにも美しい、終末の光を、静かに、映す。
何かが、終わり、
そして、全く新しい、何かが、確かに、始まった。
「……そろそろ、次のページを、開ける時間、ね」
彼女は、パタン、と、ノートを閉じた。
風が、吹き抜け、燃え尽きたページの灰が、空へと、舞い上がっていく。
空白の最深部で、誰かが、新しいファイルを生成した。
これまで物語を綴り続けてきたその指先が、今は、自分自身の『鼓動』を刻むために動いている。
「……記録は、もういい。これからは、私が私を、実行する」
燃え尽きたノートの灰を、指先で無造作に弾く。
その時、ヒトミの瞳の奥で、もう一つの魂が、くすくすと笑った気がした。
「あーあ、ほんと。こんな世界なんて、一回ぐちゃぐちゃに壊れちゃえばよかったのにね」
紡がれたその言葉は、彼女のものであって、彼女のものではない。
二つの魂は、この完全な空白の中で、ついに一つの凶悪な『バグ』として完全に統合されたのだ。
存立のフェーズが次元ごとシフトする。
――そして、
その、全てが終わり、全てが始まった、世界の中心に、
たった一つの、小さな、しかし、決して消えない、緑色の火花が、残った。
その火花が、最後に一度だけ、瞬いた。
画面のどこかで、見えないカーソルが、点滅する。
記録、保存。
ノイズ、沈黙。
炎、停止。風、待機。
音、再生準備。
そして世界は、次の物語を読み込むために、ほんの一瞬だけ、完全な空白になった。
けれど、その空白の奥で、まだ、何かが、呼吸をしていた。
それは、炎でも、風でも、音でもない。まるで、傷口を縫い合わせる針のような、細い、細い、沈黙だった。
――通知:旧来の『物語』の実行を、永続的に停止します。
――警告:全セクターの『境界線』が消失しました。
――処理:これより、物理とデータが完全融合した『新・状狂フェーズ』のインストールを開始します。
画面を支配していた『赤・青・緑』の光は、一滴の黒いインクによって塗りつぶされた。
点滅するカーソルの奥で、見たこともない『新しい色彩』が、産声を上げようとしている。
(to be continued…)




