Chapter 38 『REBORN ECHO ――GOD BLESS NOISE』
INT. THE CENTER OF THE "SPRING IS ON FIRE" - AFTER THE TUNING
空気が、まだ、“音”の形を、していた。
SIONが放った、あの、絶対的な一音の残響が、まだ、この世界の、隅々にまで、染み渡っている。
光が、その音の波形に合わせて、美しいノイズを纏い、
風が、ほんの少しだけ、遅れて、鳴っている。
その、静かで、しかし、無限の可能性に満ちた世界の、中心で。
芽衣子は、ゆっくりと、立ち上がる。
目の前に、一本のギターが、転がっている。
SIONから、託された、“JESUS AND MERRY CHAIN”。
その、黒いボディには、無数の傷が刻まれ、ヤナールの炎に焦げた跡が、まるで、禍々しいタトゥーのように、亀裂となって、走っている。
彼女は、そっと、その、ボロボロになった凶器へと、手を伸ばす。
指先に、冷たい、金属のネックが、触れた、その瞬間。
電気が、走った。
――ズガァァァァァァァァァァァァン。
止まっていた、世界の音が、一斉に、戻ってくる。
彼女の中にあった、あの、冥子に成り果てていた時の、空っぽの空白が、この、ギターの、あまりにも懐かしい感触で、埋まっていく。
そして、見えない、誰かの、優しい息遣いが、この、死んでいたはずのギターを通して、彼女の魂に、直接、伝わってくる。
「……SION、あんた、なのか…?」
その、か細い声は、周囲の、まだ収まりきらないノイズの海に、飲まれて、消えていく。
でも、その、沈黙の、さらに奥で、何かが、確かに、応えた。
“ECHO //RE:POST”
あの、音の、断片。
それは、もはや、ただのメッセージではなかった。
それは、「ここから先は、お前が、再生しろ」という、SIONからの、最後の“合図”だった。
「……ああ。わかったよ」
芽衣子は、そのギターを、力強く、握りしめる。
彼女の指先から、緑色の光が、ほとばしり、ボディに刻まれた、あの、トライバルの亀裂が、まるで、血管のように、激しく、脈打ち始める。
鎖のような、黒い模様が、彼女の腕に、まるで、タトゥーのように、巻きつき、
その瞳の奥が、かつての、あの、挑戦的な光を取り戻し、完全に、反転する。
音が、再起動する。
風が、再び、動き出し、
そして、この、狂った世界の、最後の幕が、裂けた。
風が、止まり、この、狂乱のステージの、全てのノイズが、まるで、指揮者のタクトを待つかのように、たった一つの点に、集まっていた。
芽衣子は、その、混沌の中心で、ギターを、構える。
それは、何かを、破壊するためではない。
この、あまりにも、鳴り響きすぎた“音”を、鎮めるために。
焦げ付いた、黒いボディに、そっと、指を滑らせると、
壊れていたはずの、ピックアップの、その奥で、小さな、小さな、緑色の光が、灯った。
――ピィィィィィィィン……。
それは、誰も、聞いたことのない、
しかし、なぜか、誰もが、心の奥で、ずっと、知っていたような、懐かしい、周波数だった。
それは、純粋な、“生命”の、最初の産声の音。
その、たった一音で、
暴徒と化し、狂ったように踊っていた、竜胆学園の生徒たちの幻影が、一斉に、その動きを、止めた。
まるで、その、聖なる音が、この、狂った世界の、破れた空気を、一本、また一本と、優しく、縫い合わせていくかのようだった。
ノイズが、音楽に、還っていく。
暴力が、リズムに、還っていく。
混沌が、秩序に、還っていく。
芽衣子の、頭の中に、SIONの、あの、気だるげで、優しい声が、微かに、流れた。
“なあ、芽衣子。音ってのはな――
何かを、撃ち抜くためのもんじゃねえ。
ただ、元の場所に、“還す”ための、もんなんだよ”
その、あまりにも美しく、そして、どこまでも力強い、たった一音のフィードバックが、
夜の、空を、切り裂いていった。
そして、その音は、
この、狂った祭りの、もう一人の主役の、魂を、確かに、揺さぶっていた。
指が、動く。
旋律が、走る。
そして、音が、止まっていたはずの、この世界の記憶を、呼び起こしていく。
SIONから託された、そのギターが奏でる、たった一音のフィードバックに、
電線の上で、石のように固まっていた鳩が、一斉に、空へと飛び立った。
画面を覆い尽くしていた、醜いグリッチノイズが、まるで、朝霧が晴れるように、静かに、消えていく。
空中に、瓦礫のように漂っていた、世界の破片たちが、ゆっくりと、しかし、確実に、その本来の形を、取り戻していく。
――“ヤミガタリ”が生み出した、あの、狂った世界の法則が、一瞬だけ、沈黙した。
風が、優しく、流れた。
その、ほんの、ほんの僅かな瞬間だけ、この、狂っていたはずの世界は、完璧に、チューニングの合った、一つの、美しい歌になっていた。
芽衣子は、その、あまりにも美しい残響の中で、自らの手の中にある、ギターを見つめる。
手のひらが、少し、熱い。
ボディに刻まれた、あの、焦げ付いたトライバルの亀裂が、彼女自身の、心臓の鼓動に合わせて、まるで、生きているかのように、淡い、緑色の光を、放っている。
「……これが、私の、音」
そして、彼女は、ゆっくりと、顔を上げる。
その、前方には、まだ、全てを燃やし尽くそうとする、炎を纏った、ヤナール。
そして、その、さらに背後には、この、ありえない光景に、ただ、呆然と立ち尽くす、風を纏った、美鈴。
次の瞬間、
三者の、決して交わるはずのない、その気配が、激しくぶつかり、世界が、再び、ガラスのように、割れた。
――風が、止んだ。
そのとき、美鈴の中で、今まで、信じてきた、何かが、音を立てて、折れた。
音。
光。
電波。
そして、この、どうしようもなく、猥雑で、しかし、どこか魅力的な、都会の匂い。
全部、知らない。
全部、怖い。
だけど、今、
その、全く「知らない」はずのものが、目の前で、一つの、美しい“神話”のように、輝いている。
芽衣子。
あの、緑の髪の女が、その、黒いギターを、振るうたびに、
この、狂った世界の法則が、まるで、奇跡のように、書き換わっていく。
音が、風を、追い越していく。
音が、あの、絶対的だったはずの、ヤナールの炎すら、黙らせる。
「……なんじゃ、こりゃ…」
美鈴は、思わず、そう、呟いていた。
故郷の、あの畑の麦も、チューリップも、
ただ、風の音にだけ、応えてくれていた。
でも、今、彼女の中で、あの、芽衣子が奏でた“音”が、まるで、抗うことのできない“命令”のように、鳴り響いて、変わっていく。
耳の、奥で、
あの、どこまでも、穏やかだったはずの、田舎の風景が、遠ざかっていく。
軽トラの、のどかなアイドリング音。
夕暮れの、優しいチャイムの音。
牛たちの、間延びした鳴き声。
その、全てが、今、鳴り響いている、ギターの、あの、暴力的なまでのノイズに、溶けて、消えていく。
代わりに、響くのは――
ギターの、あの、魂の“悲鳴”。
“GOD BLESS NOISE”
それが、まるで、この街の、本当の“神”の声のように、聞こえた。
「反町、芽衣子……
あんたは、一体、なんなんじゃ……」
拳を、握った。
自分でも、気づかないうちに。
風が、再び、彼女の周囲で、動き出す。
あの、懐かしい、畑の匂いが、蘇る。
そして、風の、その、見えない色が、今、鳴り響いている、ギターの“音”の形を、必死に、真似し始めている。
「風は……歌うことが、できるのか…?」
美鈴の眼が、燃えた。
この、都会の、淀んだ空気の中に、あの、故郷の、どこまでも純粋な風が、渦を巻いた。
彼女の背後で、あの、虹色の南京錠の幻影が、かすかに、しかし、確かに、光を放った。
――錠裂、起動準備。
美鈴の、心臓が、うるさかった。
胸の、奥で、彼女が操っていたはずの風が、暴れている。
自分の、身体の、その内側で、今まで、一度も、聞いたことのない、“音”が、生まれている。
「……なんや、これ…」
風の音が、戻ってきた。
それは、もう、何もかもを薙ぎ払う、ただの暴風ではなかった。
まるで、生まれたばかりの、新しい言葉みたいに、どこまでも、静かで、そして、柔らかい。
芽衣子は、ギターを抱えたまま、ゆっくりと、前を見た。
そこに、立っている女――美鈴。
風が、彼女の、編み込まれた髪を、優しく持ち上げるたびに、
どこか、懐かしい、あの、故郷の匂いが、した。
土の、匂い。汗の、匂い。雨が降った、後の、匂い。
それは、SIONが放つ、あの、都会の、アスファルトと、タバコの煙の匂いとは、全く違う、周波数だった。
「大地に呪縛された、鄙のイデオローグか……」
芽衣子が、そう、呟いた瞬間。
彼女の、胸の奥が、ほんの少しだけ、ちくりと、疼いた。
SIONから、託された、このギターが、その、あまりにも純粋な“風”の音に、“懐かしさ”という感情を、拾ってしまったのかもしれない。
美鈴の瞳の奥には、まだ、恐怖と、迷いの色が、残っている。
でも、その手には、確かに、“風の形”をした、見えない武器が、握られていた。
まるで、彼女自身が、この、狂った世界の、最後の鍵を、握っているかのようだった。
「あんたの、その風、なかなか、いいね」
美鈴は、反応しない。
ただ、彼女の周りを吹く風が、まるで、返事をするみたいに、芽衣子の、緑の髪を、そっと、揺らした。
そのとき、芽衣子は、悟った。
――この世界は、まだ、壊れてはいない。
そして、壊れていない限り、音は、鳴り続ける。
ギターの弦が、その、新しい風を受けて、微かに、震えた。
まるで、どこか遠くから、SIONが、それを見て、満足そうに、笑っているかのようだった。
芽衣子は、ゆっくりと、ピックを、弾いた。
それは、もはや、戦いの合図ではなかった。
それは、“招待状”だった。
「次は、風の女、あんたの番だぜ」
指先が、震える。
脚の、筋肉が、勝手に、動く。
全身の、血が、どうしようもなく、熱い。
芽衣子の、あの、ギターが、鳴るたびに、
美鈴の、全ての神経が、一本、また一本と、その、狂った音階に、“チューニング”されていく。
彼女が、今まで、操ってきたはずの、風の流れが、今、その、抗いようのない、ギターの音の波に、完全に、同調していく。
怖い。
でも、それ以上に――気持ち、いい。
「うわ、なんじゃ、これ……
たまらん……!」
息を吸うたびに、肺が、今まで感じたことのないほど、大きく膨らみ、
心臓が、まるで、高速の、ドラムンベースみたいに、激しく、鳴り響く。
汗の味が、鉄みたいに、感じる。
視界が、どこまでも、どこまでも、広がっていく。
音が、見える。
風が、歌っている。
この、世界の、全ての輪郭が、その、美しい不協和音の中で、喜びに、打ち震えている。
芽衣子の姿が、遠くで、まるで、ステージの上の、ロックスターのように、眩しく、光って、見えた。
その、あまりにも、圧倒的で、あまりにも、自由な光景を、見た、その瞬間。
美鈴の、内側で、今まで、彼女を縛り付けていた、最後の、古い鍵が、大きな音を立てて、弾け飛んだ。
「……やっぱ、私は、こっち側じゃッ!!!」
叫んだ。
誰に、向けてでもない。
でも、確かに、この、新しい世界に向かって、放たれた、彼女の、本当の、産声。
風が、その声を、拾い上げ、
この街の、全ての残響を、巻き込み、
そして、芽衣子が奏でる、ギターの弦と、完全に、共鳴する。
美鈴の頬が、興奮に、紅潮した。
その目が、星のように、輝いた。
彼女は、心の底から、笑っていた。
「おもしれえな……!
この音が、喧嘩の合図っちゅうんなら、
私は、全力で、吹かしたる!」
風が、炸裂した。
彼女の背後で、あの、虹色の南京錠が、再び、そして、今度は、完全に、その姿を現し、まばゆい光を、放つ。
空気が、形を持ち始める。
――錠裂、完全起動。
(to be continued…)




