Chapter 36 『春の祭典:Unplugged』
EXT. THE STAGE OF "SPRING IS ON FIRE" - EVE OF THE FESTIVAL
――開幕、前夜。
ネオンと炎が、狂ったように点滅する、その、巨大なステージの、片隅。
「状狂」の中心地へ、文字通り「壁をぶち破って」降り立った、一つの、青い影。
『……ああ、これか?』
誰に言うともなく、彼女――美鈴は、ひとりごちた。
『乗ってきた列車が、終点に着いても、ドアを開けようとしないからさ。
ムカついて、座ってたシートごと『物理キー』にして、次元の壁を、ぶち破ってきたんだよ』
ゴツン、と。 足元のコンクリートに、その“鈍器”を、無造作に、叩きつける。
美鈴は、その手に握りしめた、冷たい、金属の感触に、じっとりと、汗を感じた。 それは、どこにでもある、ただの折り畳み式のパイプ椅子。
しかし、今の彼女にとっては、この世界の狂ったシステム(ルール)を、物理的に、叩き割るための、たった一つの、相棒だった。
息を、吐く。
この街の空気は、熱い。ヤナールの放つ炎のプログラムが、空を焦がしているからだ。美鈴が、その熱源――
巨大なメインステージの頭上を見上げた、その時。
「……趣味が悪いな、おい」
そこにあったのは、巨大なネオンの十字架。そして、そこに赤い炎の鎖で縛り付けられ、見せしめとして宙に吊るされた、瀕死の芽衣子の姿だった。
「……派手に焼かれたもんだな」
同情はない。
ただ、彼女の身体をここまで破壊した『炎』の火力を、冷徹に推測するだけだ。美鈴は、ため息を一つ吐き出すと、パイプ椅子の硬い背もたれを、指先で軽く叩いた。
まだ、この街の、空気の温度に、慣れない。
風が、甘すぎる。
排気ガスと、安い香水と、そして、無数の人々の、欲望の匂いが混じり合った、この風には、あの、故郷の、土の匂いがしない。
美鈴は、ほんの一瞬だけ、目を閉じた。
――あの畑の風は、もっと、重たかった。
雨上がりの、湿った土の匂いと、青い麦の穂が、擦れ合う音。
そして、火鉢の前で、皺くちゃの手を温めていた、祖母の声。
「変な畑ほど、風が、よう吹くもんじゃよ」
瞼の裏で、あの、ありえない畑の、チューリップが、揺れた。
だが、その色は、血のような赤ではない。
今は、この街の、無数のネオンサインが反射して、どこか、不気味な橙色に見える。
まるで、これから始まる、祭りの、篝火のようだ。
そっと、目を開ける。
目の前に、ヤナールが、いた。
彼女は、炎の衣を纏い、ただ、静かに、そこに立っている。
だが、その炎は、もはや、何かを破壊するために、燃えているのではない。
まるで、巨大な生命体が、その鼓動に合わせて、ゆっくりと“呼吸”しているかのようだった。
「……これが、あんたの言う“春”か」
ヤナールは、その、静かな問いかけに、ほんの少しだけ、笑った。
その笑みは、もはや、狂気や、侮蔑の色を、帯びてはいない。
ただ、同じ“力”を持つ者に対する、静かな、敬意があった。
「おまえが、あの村で吹かせた、最初の風。
その、風の先に、春は、芽を出すんだ」
その言葉が、紡がれた、瞬間。
この、眠らないはずの都市の、全てのノイズが、一斉に、沈黙した。
電線の、あの、耳障りな振動が、止まり、
巨大な広告塔の光が、まるで、水面のように、ゆっくりと、波打つ。
美鈴は、足元の泥水など気にも留めず、無造作に提げていたその“鈍器”を、ゆっくりと肩に担ぎ上げた。
冷たい金属の重みが、狂ったデジタル都市において、彼女の身体に「物理法則」を繋ぎ止めるアンカーになる。
その“アンカー”が、彼女の手の中にある時、それは、世界の法則すら、叩き折ることができる、最強の“虹色の凶器”へと、その意味を、変える。
まだ、動けない。まだ、動くべき時では、ない。
でも、この街の、ありとあらゆる隙間から吹く風が、もう、彼女の名を、呼んでいた。
“始めろ”と。
――都市が、呼吸を、始めた――
最初に、動いたのは、街だった。
巨大な、ビルの壁が、まるで、巨大な生き物の皮膚のように、わずかに、波打つ。
交差点の、信号機の赤が、ただの点滅ではない、狂った、テクノミュージックのような、激しいリズムを、刻み始め、街角の、あらゆるスピーカーから、誰かの、甲高い笑い声が、無限に、反響する。
ヤナールが、天に向かって、その腕を、ゆっくりと、上げた。
彼女の、炎の衣の軌跡が、夜空に、美しい弧を描き、
それが、まるで、この、狂った祭りの始まりを告げる、祈りのジェスチャーのようだった。
その瞬間――
ありえないものが、この街に、現れた。
竜胆学園が、まるで、巨大な蜃気楼のように、この、コンクリートジャングルの、ど真ん中に、“出現”したのだ。
教室の、あの、汚れた窓が、高層ビルの、ガラス張りの外壁に、次々と、浮かび上がり、
校庭の、あの、色褪せた白線が、アスファルトの、その亀裂をなぞるように、走り始める。
机の、無数の傷跡。制服の、擦り切れた影。そして、ヒトミの、あの、燃え尽きたノートの、最後の残像。
その、全てが、ヤナールの、その狂った炎の中で、溶け合い、そして、一つの、巨大な“都市”を、形づくっていく。
意識の底で、ずっと、業火に焼かれ続けていた。
全身のピクセルが剥がれ落ちるような激痛の中で、芽衣子は、突然、耳を打った鋭い「物理的な衝撃音」に、強制的に再起動させられた。
――ガツン。
泥水と自分の血に塗れたコンクリートの冷たさが、皮膚に戻ってくる。 痙攣する瞼を、無理やりこじ開けた。 熱気で歪む、薄暗い路地裏の視界。
そこに、燃え盛るステージを背にして、ただのパイプ椅子を片手に立ち尽くす、見ず知らずの青い影があった。
「……これ、まさか」
その、あまりにも非現実的な光景を、どこか遠くから芽衣子は、見ていた。
その手の中には、いつの間にか、ジザニオンが、再び、その形を取り戻している。
だが、その穂先の炎は、かつてのように、燃え上がってはいない。ただ、目の前の、この壮大な“語り”の熱量に、戸惑うかのように、微かに、震えているだけだった。
――竜胆学園。感染、確認。対象、都市全域。
耳の奥に、誰のものでもない、無機質な声が、響いた。
ヤナールが、踊る。
炎の中で、彼女は、まるで、古代の巫女のように、狂ったように、しかし、どこまでも美しく、舞い踊る。
すると、どこからともなく現れた、無数の、制服を着た生徒たちの影が、その、炎の街の中で、立ち上がる。
その光景の中で、彼女たちは、誰もが、顔の前に薄っぺらい液晶を構えていた。
笑い、泣き、叫びながら、この空っぽの地獄を、承認欲求の“ストーリー”として消費していく。
宙を舞う、無数の、ハートマークと、無意味なハッシュタグ。
それは、この街を覆う、最も吐き気のする『状狂』の正体だった。
その、狂乱のステージの上で、美鈴は、ただ、静かに、パイプ椅子を、握りしめていた。
風が、彼女の、全身を、通り抜けていく。
彼女が、息を吸うたびに、周囲の空気が、かすかな、青い光を、放った。
「……お前が、吹かせたんだな。この、狂った春を」
ヤナールの声が、炎と、音楽と、一体となって、波のように、押し寄せてくる。
美鈴は、ついに、その、最初の一歩を、踏み出した。
彼女の足元から、風が、渦を巻き、ステージの、床の破片を、激しく、舞い上げる。
「だったら、その責任は、私が、とるよ」
風が、炎を、裂いた。
空気が、悲鳴のような、甲高い音を、立てて鳴る。
だが、その、風がこじ開けた、裂け目から、
また、新たな炎が、まるで、美しい花のように、芽を、出した。
ヤナールは、笑う。
――風よ。おまえは、燃えることを、恐れているんだな
「……違う。
燃えるのは、私じゃない。次の、物語だよ」
美鈴の周囲で、風が、巨大な、渦を巻く。
その風が、高層ビルに映し出された、竜胆学園の、巨大な映像を、まるでスクリーンを引き剥がすかのように、吹き飛ばす。
制服の群れが、悲鳴をあげて崩壊し、その、画面の中から、現実の、この街へと、こぼれ落ちてくる。
芽衣子は、その、あまりにも壮大な光景を、ただ、見ていた。
スマホで、この現象を、録画しようとした、その指が、震えて、止まる。
違う。
この世界の方が、まるで、巨大なカメラとなって、彼女の、その、無力な姿を、撮っていたのだ。
風と、炎が、ぶつかる。
街の、上空が、まるで、巨大な卵の殻のように、ひび割れ、そこから、純白の光が、溢れ出す。
そして、竜胆学園の、あの、古びた校舎が、この都市の、最も高いビルと、完全に、重なり合って、激しく、揺れた。
ヤナールの、全てを燃やし尽くす“炎”は、天へと、昇りつめようとしていた。
美鈴の、全てを薙ぎ払う“風”は、地の底へと、喰らいつこうとしていた。
世界が、この、二つの、あまりにも純粋で、あまりにも絶対的な力の奔流によって、上と下から引き伸ばされ、真っ二つに、割れようとした、その瞬間。
――「ギュオンッ」
空が、鳴った。
いや、違う。誰かが、ギターを、鳴らした。
それは、もはや、ただの音ではなかった。
それは、空間そのものを、物理的に殴りつける、純粋な“衝撃”だった。
ヤナールの炎をも、美鈴の風をも、そして、この世界の、全ての法則をも、たった一音で、同時に断ち切る、絶対的な“弦の、振動”。
その、あまりにも懐かしく、そして、あまりにも暴力的な音を聴いた、その刹那。
瓦礫の海の中で、倒れていたはずの、芽衣子の身体が、まるで、雷に打たれたかのように、大きく、跳ねた。
彼女の、胸の奥深く、冥子の残響の下に、かろうじて残っていた“反町芽衣子”の魂が、あの日の、あの音を、思い出す。
――竜胆学園の、あの、血に濡れた屋上。
崩れた、手すり。夕陽の、赤。
SIONの、あの、黒い髪が、風に乱れ、
彼女が、血まみれの自分を、まるで、壊れ物のように、そっと、抱き上げていた、あの瞬間。
「芽衣子。音を、忘れんな。
お前は、誰かの物語をなぞる“記録”じゃねえ。
お前自身の音を、世界に叩きつける“再生”なんだ」
あの声が、今、再び、この、崩壊した世界の、中心で、響き渡る。
目の前で、燃え盛っていた、ヤナールの炎が、一瞬だけ、その動きを、止める。
吹き荒れていた、美鈴の風が、戸惑うように、逆巻く。
そして、空から――一本の、ギターが、落ちてきた。
傷だらけの、ボディ。焦げ付いた、弦。そして、ヘッドに刻まれた、銀色の、あのロゴ。
あのとき、SIONが、その手にしていた、伝説の凶器。
“JESUS AND MARY CHAIN”。
芽衣子の手が、まるで、意思を持ったかのように、勝手に、そのギターへと、伸びる。
指先が、その、冷たい金属に、触れた、その瞬間。 脳髄のド真ん中に、『FOLLOW THE GUT(本能に従え)』という文字列が、暴力的なフラッシュバックとして焼き付いた。
激しいグリッチが、彼女の輪郭を、ブレさせる。 彼女の中で、眠っていたはずの、ジザニオンの力が、甲高い、歓喜の悲鳴を上げた。
――信号、確認。感染コード、検出。
――コードネーム:鎖音
ヤナールの炎が、その、異質な力の介入に、激しく、歪む。
美鈴の風が、その、巨大なエネルギーに、巻き込まれていく。
そして、この都市の壁面に、再び、あの、竜胆学園の、巨大な幻影が、再投影される。
ヤナールの、その、絶対的だったはずの表情が、初めて、揺れた。
「……これは、一体、誰の“音”だ…?」
芽衣子は、その、あまりにも重く、あまりにも懐かしいギターを、震える手で、握りしめた。
そして、笑った。
それは、冥子の、あの、全てを超越した笑みではない。
泣き笑いにも似た、あまりにも人間的で、あまりにも、美しい、“反町芽衣子”の、表情だった。
「誰でも、ない。
でも、私のことを、確かに“覚えてる”、音だよ」
次の瞬間――ギターが、轟音を、放った。
風と、炎の、その、まさに中心に、
まるで、無数の、音の鎖のような、コードの線が、幾重にも、幾重にも走り、
この、狂っていたはずの世界が、一瞬だけ、完璧に“整音”された。
ビルが、その音に合わせて、震え、
看板が、そのリズムを、刻み、
そして、竜胆学園の幻影が、再び、その、完全な姿で、この都市の、中心に、立ち上がる。
そこに、立つ、三人の、戦士。
炎を司る、女王、ヤナール。
風を司る、巫女、美鈴。
そして、その、二つの、あまりにも巨大な神話の間に立ち、
今、再び、自らの“音”を、その手に取り戻した、記録者、反町芽衣子。
“春の祭典”が、再び、始まった。
今度は、ただの破壊ではない。
三つの、異なる魂が奏でる、壮絶な、“音楽”として。
ルールも、譜面も、クソくらえだ。
直感(GUT)のままに放たれるその音圧に、ステージのネオンも、特等席の狂信者たちも、すべてが彼女たちの狂ったBGMの一部へと成り下がる。
誰もが、この暴力的すぎるリズムに、身を委ねるしかなかった。さあ、世界が完全にぶっ壊れるまで、踊り狂おうぜ――。
(to be continued…)




