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美咲の剣  作者: きりん
三章 生き抜くために
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十二日目:実戦訓練2

 森に踏み入り、邪魔な枝を勇者の剣で払いながら歩く。

 こうして作った道は、帰り道を示す道しるべになる。地味な作業だが、生存率に直結する重要な作業だ。手を抜くわけにはいかない。後になって見落とすことが無いように、美咲は丁寧かつ慎重に行った。

 アリシャたちが見えなくなるまで進んだ美咲は、まるで自分が異世界に取り残されたかのような錯覚を覚える。

 もうすでに異世界に居るのに、さらに異世界へと迷い込んだ気になるなどおかしな話だが、森の中、それも一人きりというのは、美咲にとって正しく別世界にいるのと同じだった。

 鬱蒼と生い茂る木々は人の手が入っていないようで、あちこちに枝を伸ばして美咲の行く道を阻んでいる。どこかに獣道はあるのだろうが、少なくとも美咲が認識できる範囲には道らしい道は存在していない。

 聞こえてくるのは風で揺れる木々の葉鳴りの音と、時折響く小鳥の鳴き声だけだ。

 そして、嗅ぎなれない、むせ返るような腐葉土と緑の臭い。

 美咲が持つ五感の全てが、新鮮な刺激を感じていた。

 太くて上りやすそうな木には目印をつけておく。いざという時、安全地帯にするためだ。

 今の美咲の服装は、アリシャに買ってもらった対魔法の加護がついた服の上から鎖帷子を着込み、アリシャに借りた靴を履いて、手にはこれまたアリシャに借りた手袋をしている状態というものだ。

 本来なら美咲は革製の防具一式を装備していたのだが、それは森に入る前の野盗との戦いで燃えてしまった。裸足で森に踏み込むなど、正気の沙汰ではないので、暫定的にアリシャに頼み込んで貸してもらった。

 どちらもアリシャが駆け出しの頃に使っていたものだそうで、確かに今のアリシャには小さく、美咲のサイズでちょうど良かった。アリシャが言うには別に使い潰しても構わないらしい。その割には木箱の中に大切に仕舞われていたから、もしかしたら思い出の品なのかもしれない。


(それなら、ちゃんと、アリシャさんに返さないと)


 もし美咲だったら、この世界の人間にスマートフォンなどの元の世界から持ち込んだものを貸して、壊されるようなものだ。もっとも、美咲は貸す以前に、もうスマートフォンを含め、元の世界の思い出の品は所有権を全て手放してしまっているが。

 仕方ないこととはいえ、やはり後悔がないわけではない。

 あの時は、アリシャの協力を得るためにはああするしかなかったし、そもそもせっかくアリシャから引き出した譲歩を、蹴るという選択肢が美咲には存在しなかった。

 故に手放すしかなかったのだから、美咲としては納得するしかない。


(お母さん、会いたいな……。声が聞きたい。せめて、姿だけでも見たい)


 一人きりなせいか、郷愁の念が再び頭をもたげてきた。

 スマートフォンがあった頃は、たまたま保存していた母親の画像があったけれど、その姿を確認することはもうできない。

 美咲はその場に蹲って、泣きたくなるくらい切ない衝動が過ぎ去るのをじっと待った。

 衝動を堪えた美咲は、ため息をついて、手に持った砂時計をひっくり返した。美咲にとって時間の経過を知る術は、この砂時計と木々の隙間から差し込む太陽の光しかない。正午までに戻らないといけないので、常にどれくらいの時間が経ったか把握していなければならない。森に入ってから砂時計をひっくり返したのは三回目である。


(もう三十分経ったのね……)


 立ち上がって見回してみれば、どこも似たような景色が続いている。進んできた道だけが、枝が切り払われて景色から浮いていた。

 起床したのがニレンディアの鐘の音を聞いた直後だから、出発したのは大体それから三レン後くらいで、一バルはかかっていないはずだ。森へは片道ニレンディア程度だとアリシャが言っていた。少し急いでいたから、野盗との戦闘を差し引いても、森に入った直後は美咲の感覚で朝の七時半頃で、現在時刻は八時。あと四時間程度は探索する猶予があるということになる。


(四時間、か。長いのやら、短いのやら)


 今のところは、やっていることといえばハイキングのようなものだ。ハイキングというには物騒だし、道なき道を進んでいるが、動物も出てきていないので平和なものである。依頼のうち、採集の依頼はもう終わってしまったほどだ。

 平和なのはいいのだが、修行目的で来た美咲としては、このままではいたずらに時間を浪費するだけなので、いただけない。


(かといって、出てこられても困るけど。でも、出てきてくれないと修行にならないし。ままならないなぁ)


 歩きながら、地面や木の幹を確認する。今のところ、足跡や爪とぎの後があったりなどの魔物の痕跡は見つけていない。もっと奥地にいるのだろう。三十分で歩ける距離というのは、以外と短い。


(この辺りで、休憩も兼ねて一度木に登って様子を確認しておこうかな。真っ直ぐ進んでるつもりでも、気付かないうちに蛇行してて遭難するなんていう話、聞いたことあるし)


 美咲は太いがっしりした木で上りやすそうな木を見繕うと、少しまごつきながらも登っていく。

 特に活発な少女というわけでもなく、木登りが好きだったなどというわけでもないごく普通の少女だった美咲は、木登りが得意というわけではない。

 エルナと一緒だった時に一回だけ登ったこともあるけれど、あれもエルナの助けがあってこそだ。

 今までの美咲だったら、一人では確実に登れなかっただろうが、アリシャがつけてくれた鍛錬は、確実に美咲の血肉となっていた。今の美咲には、木登りくらいなら苦にならない程度には筋肉がついている。今はまだ初めて故の不慣れさも、そのうち解消されていくだろう。


「ふう。このくらい登れば遠くまで見渡せそうね」


 登れるぎりぎりの高さまで登った美咲は、そこでひとまず登るのを止めた。それ以上は枝が細くなりすぎて、強度に不安があるためだ。足場にした枝がぽっきりと折れて転落死、などという結末は遠慮したい美咲だった。

 そして、改めて景色を確認した美咲が表情を引き攣らせる。


「……やばい。全然分かんない」


 想定外の事態に美咲の顔色が青褪めた。

 予測では、今まで道を作りながら歩いて来たのだから、上から見下ろせばその痕跡が確認できるはずだったのだ。少なくとも美咲はそう思っていた。

 だが、美咲は肝心なことを忘れていた。

 行く道を塞いでいたのは主に低木の枝で、今美咲の視界を塞いでいるのは、高木の枝なのだ。美咲が作った道は、上から見ても高木に塞がれて見えない。


(やっぱり、無謀だったのかな。しかもなんか、遠くで木がガサガサ動いてるし。帰りたい……)


 思わず、美咲の口から泣き言が漏れた。

 視線を向けた先では、高木が次々と揺れ動いているのが遠目でもはっきりと見えた。ちょうど森の中心部付近だ。それはつまり、高木を揺らすような巨大生物がそこにいて、移動しているという証である。幸い美咲が居る方向に歩いているわけではないので、不用意に近付きさえしなければ危険はないが、うっかり風下に立って匂いを嗅ぎ付けられでもしたら目も当てられなくなる。決して油断はできない。


(と、とにかく降りて進もう。こうなりゃヤケクソよ)


 いつまでも安全な木の上に居たかった美咲だが、ずっとここに居てもどうにもならないのも事実だ。無駄に時間が過ぎていくだけである。強くなるためには、適度に危険に自ら踏み込んでいくことも重要だ。かといって、中心部にいるであろう巨大生物に挑むのはどう見ても自殺行為だが。

 美咲は森の中心部にはなるべく近付かないようにし、外延部を主に探索することに決めた。危険に立ち向かうにしても、限度があるからだ。

 降りる前に、美咲は風向きを調べた。風は今、巨大生物がいる方向から流れてきている。


(……良かった。今のところは大丈夫そう)


 乾いた声で呟いた美咲は、そろそろと木から降りた。

 おそらくあの巨大生物は、中心部を縄張りにしているのだろう。なら、中心部に近付き過ぎなければ、出会う確立は低いはずだ。外延部にも危険なモンスターはいるだろうが、あんなのに挑むよりはずっとマシなはずである。

 枯れ枝を踏みしめ、美咲は再び歩き出す。

 しばらく歩くと、不意に前方の茂みが揺れて、美咲は身体をぎくりと強張らせた。

 歩くのを止め、両手で勇者の剣を構え、油断無く茂みを注視する。

 緊張からか急速に汗ばんできた手を、美咲は服の裾で乱暴に拭った。土壇場で武器が手からすっぽ抜けたら笑い話にもならない。

 やがて、茂みが再び揺れたかと思うと、小動物がひょこりと顔を出した。


(……なんだ、リスか。もう、吃驚させないでよね)


 出てきた動物の顔が美咲が良く知る動物にそっくりだったので、美咲は思わず胸を撫で下ろした。異世界なので油断はできないが、まさかリスと同じ顔をして獰猛な肉食獣というわけでもあるまい。

 リスらしき小動物は茂みから頭を出したまま辺りを伺うしぐさをすると、美咲を見つけて固まる。美咲自身も、予期せず視線が合ってしまい、咄嗟に動けない。

 やがて硬直から立ち直ったリスもどきは、茂みから這い出すと長い胴体をくねらせて一目散に逃げていった。


「はい?」


 一部始終を見届けた美咲は、思わず乾いた声を上げてしまう。

 美咲がリスだと思った小動物は、リスではなかったのだ。異世界なのだから別に何も不思議なことではない。

 ただ、その動物がリスの頭に、肉球に覆われたヘビのような胴体を持っていた謎の生き物だった、というだけのことだ。


「……さすが異世界。半端ないわ」


 未知との遭遇を果たした美咲は、気を取り直して先に進む。

 ふと立ち止まり、砂時計をひっくり返した美咲は、何かを思案して腕組みした。


(時間的に、そろそろ戻るべきかな。……何も起きてないからアレだけど。別に何か起こって欲しいわけでもないけど)


 行きは良い良い、帰りは怖いなど願い下げである。だが、可能性が無いとは言い切れないのが美咲の不安材料だ。


(戻ろう。深入りして何かあったら、洒落にならないもの)


 決意した美咲は、来た道を引き返すことにした。

 だが悲しいかな、美咲が気付いていないだけで、危険はすぐそこにまで迫っていたのである。

 そのことを美咲が思い知るまで、時間はそう掛からなかった。


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