十二日目:実戦訓練1
野盗の襲撃からしばらくして、ようやく馬車は森の外縁部に到着した。
最寄の街道からは少し離れた場所で、周りは草原になっている。森の奥は鬱蒼と木々が茂っているのが見えるだけで、森そのものがかなり深いことを窺わせる。天気は晴れなので今は明るく温かいが、森の中で日差しが弱まるだろうし、防寒対策も必要になるだろう。
アリシャは馬を手ごろな木に括りつけ、馬車を固定すると、回りの地面に何やら文字を刻み始めた。
「何してるんですか?」
美咲が尋ねると、アリシャは手を止めずに動かしながら視線だけ向けて答える。
「結界を張ってるのさ。出発前にも言っただろ? こいつを張っておけばミーヤは安全だ。これで君も安心して修行に集中できるってもんだ」
そんなことをする必要がある程度には、この場所はミーヤにとって危険な場所らしい。
「……オテヤワラカニオネガイシマス」
何をやらされるのかと慄いた美咲は、かちこちに固まってカタコトで返事をした。
魔王と戦う前に死ぬようなことはないと思いたい。それだけは切に願う美咲だ。
「ミーヤも一緒に行きたい!」
二人のやり取りを黙って聞いていたミーヤは我慢できなくなったのか、今頃になって駄々を捏ね出した。
「ごめんね。ミーヤちゃんはここでお留守番だよ。すぐ戻るから、待っててね」
「やだ! ミーヤも一緒に行く!」
優しく諭そうとする美咲だが、ミーヤは言うことを聞かない。
子どもは可愛いが、何事にも例外がある。美咲はだんだんイライラしてきた。
いけないと分かっていても、声が尖ってしまう。
「もう。どうして我侭言うの。森の入り口までって約束だったじゃない」
「はいはいそこまで。美咲は落ち着け。ミーヤも私が残るからそれで我慢しろ」
うんざりした顔で割って入ってきたのはアリシャだった。
口では子どもが苦手といっても、何だかんだでしっかり面倒を見るつもりのようだ。
「え。アリシャさんついてきてくれないんですか」
「仕方ない。今ミーヤを一人にしたら、一人で私たちの後を追いかねない」
アリシャの説明はもっともではあるものの、必然的に一人で森に突入する羽目になった美咲としては、釈然としない。いや、ミーヤのためを思えば当然であると、美咲自身分かってはいるのだ。
「……実地で色々教えてくれるって言ってませんでした?」
唖然とした顔の美咲の指摘にアリシャは鼻を鳴らす。
「ベルアニア周辺に出る魔物は木に登れないから、危なくなったら木の上に逃げろ。こまめに木に目印をつけて迷わないようにしておけ。木に大きな引っかき傷があったら、大型モンスターの縄張りに入った証拠だ。すぐに引き返せ。新しい糞や足跡を見つけたら、近くに魔物がいると思え。あと、知らない植物は食べるな。以上だ」
「簡潔過ぎますよっ!」
あまりの対応に、美咲はさすがに突っ込みを入れた。
美咲としては、アリシャが同行するものだとばかり思っていた。同行しないのならば、せめて詳細な情報を得たいと思うのは、当然である。
「十分だよ。この森に生息する魔物で危険なのは、群れで狩りをするゲオルベルと単独で縄張りをうろつくベルークギアぐらいだ。この二種さえ警戒しておけばそうそう死ぬようなことはないさ」
太鼓判を押されても、全く美咲は安心できない。
それは、裏を返せばその二種類に遭遇すれば死ぬ可能性が高いということではないのだろうか。
「……ベルークギアって、どんな魔物なんですか?」
激しく突っ込みたいのを堪え、美咲はまた知らない魔物の名前が出てきたので質問をする。
「大型モンスターの一種で、竜の端くれだ。分類上は竜種だが、魔族に分けられる大半の竜種と違って、こいつは劣竜種という魔物に分類される。また、大型モンスターといっても同じ分類の中ではかなり小さい方だな。知能が低いから言葉を解さず魔法は使えないが、その代わり攻撃性が強く肉食で獰猛だ。後ろ足が発達していて、対照的に前足はとても小さく、頭が大きい。基本的には十五ガート半ば程度の大きさだが、大きな個体になると二十ガート以上になる。翼が無く空は飛べない代わり足はそこそこ速い。頭の大きさを生かした噛み付きには特に注意しろ。幸いにして、巨体故に重過ぎて木に上るのは上手くないから、もし出会ったらできるだけ高い木に上ってやり過ごせ。ただし、細い木は避けろ。へし折られるぞ。やり過ごせるような木が無いなら、ベルークギアが入れないような狭所を探せ。どちらも見つからなければ走って逃げろ。まあ、美咲の足じゃ十中八九追いつかれるだろうが、何もしないよりかはマシだ」
アリシャが説明する魔物は、聞けば聞くほど美咲が知る大昔の大型肉食爬虫類を彷彿とさせた。一部違う部分もあるが、それ以外は全て似通っている。
ちなみにガートというのはこの世界の大きさを表す単位の一つで、おおむね一メートルが一ガートに相当する。
「それは、俗に言うティラノサウルス、というものなのでは……?」
美咲の背筋をだらだらと冷や汗が流れた。恐竜相手に剣一本で戦うなど、自ら餌になりに行くようなものである。絶対に出会いたくない。
これで大型モンスターの中では小型だというのだから、この世界の大型モンスターというのはどれほど巨大なのか。
額に汗を滲ませて美咲が尋ねると、アリシャは不思議そうな顔をした。
「うん? ベルークギアはベルークギアだが。美咲の世界にも居るのか?」
居てたまるか。
思わずそう口走りかけた美咲は、辛うじて口を噤んだ。
あの世界はそんな怪物が跋扈しているような人外魔境ではない、はずである。
問いかけておきながら、アリシャはそれほど興味が無いらしく、あっさりと自己完結してしまった。
「まあ、そんなことはどうでもいいか。とにかくそういうわけだから、美咲は安心して森に行ってこい。その間ミーヤの面倒は私が見ておく。ミーヤもそれでいいな?」
「……うん」
こくりとミーヤは神妙な顔で頷いた。
(どうしてこんな時だけ聞き分けいいのかな!?)
思わず顔を引き攣らせた美咲を、誰も責められまい。
今の説明の、いったいどこに安心できる要素があったのだろうか。
「あのぅ……危なくなったら助けに来てくれますよね?」
「君は魔王との戦いで、危なくなったら助けが来ると思ってるのか?」
質問を逆に質問で返されて、美咲は二の句が告げなくなった。
「それに、あと十八日かそこらで魔王を倒せるほど強くならなきゃいけないんだろう。なら、生きるか死ぬかの瀬戸際に身を置き続けるのが一番効率がいい。普通の修行方法だとまず間に合わないからね」
アリシャが言っていることは暴論だが、ある意味正論でもある。死んだらそれまでだが、今死ななくても、限られた時間で常識外の成長を遂げることができなければ、どうせ魔王との戦いで死ぬのだ。早いか遅いかの違いでしかない。
ならば、修行の段階で命を賭けて急成長に賭けるというのは、理に適っている。
だが、それで納得できるかどうかはまた別の話だ。
死にたくないから魔王を倒そうとしているのに、そのためにまず命を賭けなければならないというのは、何かが激しく間違っている気がする美咲だった。
「強くなりたいんだろ? なら覚悟を決めな」
その一言は、美咲の反論を全て封殺した。
瞬間美咲の内を、形容しがたい様々な感情が吹き荒れた。
(……簡単に言ってくれる。だけど、確かにそうだった。死ぬかもしれないなんて、今回に限ったことじゃない。今更……なのよね)
どの道ルアンやルフィミアが身を張ってでも美咲を助けてくれていなければ、美咲はとうに死んでいる身だ。
弱いままであんな思いをするのはもう御免だった。
それに、今ならミーヤが我侭を言うのも美咲は許せた。
ミーヤの我侭は、甘えたい気持ちの裏返しだ。本来なら、親に向けられるべきであるはずのもの。初めてミーヤと出会った時、ミーヤは一人だった。それが示す事実は、唯一つ。美咲の想像とそれほど違ってはいまい。
別れが、それが大切な人であればあるほど、親愛の情を寄せる相手であればあるほど、辛いことを、美咲はよく知っている。
あの気持ちを、ミーヤに味合わせたいとは思わない。
(馬鹿だな、私。ミーヤちゃんが一緒に居たがる理由、分かってたはずなのに)
自嘲する。
強くなりたい。それは、美咲の確かな思い、願望だ。
だが、もしそれが叶ったとして、どうなるか。
魔王を倒して呪刻が解けて、元の世界に戻れるようになった時、結局ミーヤとの別れはやってきてしまう。
(でも、それは仕方ない。私は日本人で、ミーヤはベルアニア人。生きる世界が、違うんだ)
美咲は大きく深呼吸をした。
違う世界に生きる以上、別れは必ず来る。それはいつか訪れる結末だ。
(それに、ミーヤちゃんを危険な目に付き合わせるわけにはいかない。私につき合わせたら、死んじゃうかもしれない。あの子には、幸せになって欲しい。私と一緒にいることだけが、幸せじゃない)
誰だって、別れはいつか来るものだ。でも、悲しいことばかりではない。美咲と別れて傷つくことがあっても、やがて、その悲しみを癒してくれる誰かが現れるだろう。
(──ミーヤちゃんが幸せになれる未来に繋げるためにも、今は頑張らなきゃ)
一度決断すると、美咲も肝が据わった。強い意思を篭めて、真っ向からアリシャを見つめる。
「行ってきます。ミーヤちゃんのことは、お願いします」
「ああ。任された。安心して行ってこい。昼飯までには戻ってこいよ」
まるで何処かに買い物に行くのを見送るかのような素っ気ないアリシャの態度が、今の美咲には有り難い。
もしミーヤがもう少し状況を理解していたら、もっと美咲に追い縋っていただろう。
(ミーヤちゃんを悲しませるような結果にはさせない。絶対に生きて帰るんだ)
死んでもおかしくない。むしろ、死なない方がおかしい。だが、これを乗り越えなければ、どの道生きて元の世界には戻れない。
(──死ぬもんか)
そうして美咲は森の中に踏み込んだ。
一人きり。
助けてくれる人は、どこにもいない森の中へ。




