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美咲の剣  作者: きりん
三章 生き抜くために
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十二日目:美咲とミーヤ5

 ここ数日間で美咲はすっかり忘れていた。

 この世界の馬車はまるで車のような速度で乱暴に走るくせに衝撃を吸収する構造が未発達で、、整備された道路を走る車と違い、均されただけの道を行くせいで激しく揺れるものなのだということを。


「お尻が……痛い……」


 美咲は馬車の荷台で横になりながら御者席で打ち付けまくった尻の痛みに耐えていた。


「お姉ちゃん、大丈夫?」


 御者席側からの入り口から、ミーヤが心配そうな表情を顔に浮かべて美咲を覗きこんでいる。


「だ、大丈夫だよ。ちょっと休めば治るから」


(治って欲しいなぁ……治るよね?)


 希望的観測を交えながら、美咲はミーヤに言う。

 一方、今も現在進行形で御者席で馬を操るアリシャは、時折振り返っては、ニヤニヤ笑いながら美咲が苦しむ様を面白がっている。

 ドSである。


「情けないねぇ。これじゃ、森に着いたら完全にへばってるんじゃないか? 修行の内容をもっときつくした方がいいかな」


「修行の内容をきつくするのはいいですけど、理由がこんなのっていうのはあんまりです……」


 自分が情けなさ過ぎてめそめそ泣いてしまう美咲であった。

 強くなろうと決意したのにもうこの体たらくである。

 でもまあ、修行内容の変更に同意できるようになっているあたり、美咲も少しは成長しているようだ。以前の美咲だったらギャーギャー騒いで拒否しているに違いない。

 アリシャが御者席から美咲に声を投げかけてきた。


「道中に魔物が出たら美咲に戦ってもらおうと思ってるんだけど、いけるか?」


「もちろん。任せてください」


 立とうとして、美咲は呆けた。


(あれ?)


 腰が上がらない。

 早くアリシャの質問に答えなければいけないのに、まるで根を張ったように、美咲の身体は言うことを聞いてくれない。


(……な、何で?)


 それどころか、意思に反して寒さでかじかんだかのように身体がカタカタと震え出す。

 ここまできて、美咲は己の胸のうちに渦巻き、身体を冷たくさせる感情に気付いた。


(私、怖いの?)


 美咲は愕然とする。

 己を縛るもの。それは恐怖だ。死出の呪刻という漠然としたものよりも、目前に迫った、もっと明確な死の恐怖。死ぬまではいかなくても、大怪我を負うかもしれない。美咲はそんな怪我を負った経験が無いから、痛みは想像することしかできない。それがまた、恐ろしい。

 今までの戦いは、美咲の傍には必ず誰かが居てくれた。美咲はいつも彼ら彼女らに守られていた。今だってアリシャが傍にいる。けれど、彼女は魔王城までついてきてはくれない。別れは必ずやって来る。

 ようやく美咲は、自分が怖がっていることを自覚した。


(今更怖気づいて、何になるのよ)


 自分の気の弱さを、美咲は唾棄した。

 どうせ魔王とは一人で殺し合わなければならないのだ。

 募集をかけて同行しようとしてくれたのは、ルアンだけだった。そのルアンはもう居ない。

 人類存亡の危機の癖に、誰もついてきてくれないのが、美咲は悲しい。

 でも、美咲には誰かを責めることなんて出来ない。

 美咲だって死出の呪刻なんてものが無ければ、魔王を殺しに魔王城に乗り込もうだなんて思わない。そんな人間は、命知らずの狂人か、よほどの身の程知らずにしか思えないだろうから。

 異世界人で魔王や魔族に対する恐怖が薄い美咲ですらそうなのだ。この世界の人間が尻込みするのは何の不思議もない。


(私は……戦いなんかで死にたくない。だけど、怖いからって閉じこもって、怯えながらただ死を待つのも嫌だ)


 歯を噛み締め、恐怖と戦う。

 美咲は四つんばいになり、時間をかけてゆっくりと立ち上がった。

 数歩歩いてみる。

 足は竦んで震えていたけれど、激痛が走ったりはしなかった。

 美咲は幌に覆われた荷台から御者席に顔だけ出して答える。


「普通に歩いたり走ったりする分にはたぶん大丈夫です。……尻餅とかつかなければですけど」


 身体が震えていることに気付いていても、アリシャは美咲のやせ我慢について指摘はせず、何かを言おうとはしなかった。

 代わりに、視線で最初に美咲が座っていた御者席の後ろの席、ミーヤの隣を指し示す。


「……座れるか?」


 普段通りの態度を取るアリシャに感謝をしながら、美咲は何て答えようか考える。

 アリシャがいつも通りなので、次第に美咲の心も落ち着いて平常心が戻ってくる。

 平常心が戻ってくるのと同時に、戻ってこなくていい尻の痛みまで戻ってきた。どうやら恐怖でかき消されていただけのようだ。


「何か、クッションになるようなものがあればなんとか」


 あの硬い座席に直に腰を下ろすのは勘弁してもらいたい。

 自分はこんな状態だし、幼いミーヤも辛くないはずはないと思い、美咲はミーヤを気遣う。


「ミーヤちゃんは大丈夫? ずっと座ってるけど。休憩してもいいんだよ?」


「……? ミーヤ、これくらい平気だよ?」


「あ、うん。そうだよね」


 煽りとかではなく、素で不思議そうな顔をされて、美咲は自分のダメダメさに少し落ち込んだ。この世界の人間の尻はダイヤモンドか何かで出来ているのだろうか、とすら思ってしまう。


「クッションなら、一応前回のことも踏まえて荷台にいくつか積んでおいたよ。持ってきたらどうかな?」


「本当ですか!? やった!」


 もう尻の心配はしなくて良さそうなことに、美咲は喜んだ。

 どうやらアリシャは、ラーダンに来るまでの道中でも美咲が尻を痛めていたことを覚えていてくれたらしい。


「……あれ? でも、それなら、初めから出しておいてくれても良かったんじゃ」


 ふと気付いて疑問に思った美咲がアリシャに尋ねると、アリシャはにやりとからかうような笑みを浮かべた。


「それじゃあ私が面白くないじゃないか」


 美咲は二の句が告げず、絶句する。

 やはりアリシャはアリシャだった。割とひどい。


「クッション探してきます……」


「ああ、そうしな」


 本当に尻が痛くて怒る気も失せた美咲は、すごすごと荷台に戻る。


「ミーヤが手伝ってあげる」


 小さい身体で跳ねるように座席を立ったミーヤが、美咲の後に続いた。


「ありがとう。助かるよ。ミーヤちゃんは気遣いもできて、偉いね」


「えへへー」


 褒められたミーヤはにぱっと笑った。天使の笑みである。

 適当に木箱を漁った美咲とミーヤは、あっさりとクッションを見つけ出した。

 特に苦戦するようなことでもない。


「ああ、これだね」


「わあ、凄いふっかふかー」


 美咲が取り出したクッションをもふもふ叩いたミーヤが嬉しそうな声を上げて、もう一つ取り出した。どうやら気に入ったらしい。

 席に戻った美咲とミーヤは、それぞれの席にクッションを敷いて座る。


(あ、大丈夫そう……)


 恐る恐る腰掛けた美咲は、かなり鈍くなった振動に安堵してほっと息を吐いた。まだ振動で尻に僅かに痛みが走るが、我慢できないほどではない。

 一方ミーヤは、体重が軽いせいかクッションに身体が沈みきっておらず、振動に合わせて微妙に跳ねていた。


「何これ、おもしろーい」


 見ている美咲はハラハラしてしまうが、ミーヤ自身は楽しそうだ。

 ガタゴトと音を立て、馬車はかなりの速さで進んでいる。

 本来なら馬車は車のようなスピードを出すような乗り物ではないが、馬車の本体を牽引する動物として、馬ではなくワルナークという魔物を使うこの世界の馬車は、かなりの速度で走ることができる。

 ただし、相応の振動と騒音を対価として。

 ゆっくり行けば振動はまだマシなのだが、午前中のみという制約がついているせいか、アリシャは少し急いでいるようだった。

 速度が出ていると脱輪などの事故が心配だけれど、どうやらアリシャの馬車はそういう心配は無さそうだった。

 車軸や車輪を鉄で補強してあるのは伊達ではないようだ。

 美咲が知らないだけで、他にも色々改造されているのかもしれない。旅慣れたアリシャのことだ。その可能性は十分にある。


「後どれくらいで着きますか?」


「そうだね。本来なら片道二レンディア程度の道程なんだ。もう半分くらい進んだから、このペースで行けば後一バルと二レンってところかな」


 元の世界とこの世界では、時間の単位が異なるので美咲は少し混乱した。

 頭の中で、以前に教わったことを引っ張り出してくる。


(えーと、確か、一バルが七十分で、一レンが十分だから、片道二時間二十分。到着までは残り一時間半ってことだよね。……砂時計で時間計っておくべきだったかなぁ)


 アリシャから預かっている砂時計は、今も大事に美咲の懐に仕舞われている。美咲にとって、アリシャとの絆を示す宝物だ。


(今からでも遅くないし、計っとこ)


 美咲は懐から慎重な手つきで砂時計を取り出すと、ひっくり返した。

 さらさらと細かい砂が上から下へと少しずつ流れ落ちていく。

 十分刻み、この世界の単位表現でいえば全て流れ落ちるまで一レンかかるとアリシャは言っていたから、ひっくり返す回数でおおよそどれくらいの時間が経ったのかを知ることができる。

 スマートフォンの時計機能と便利さは比べるべくもないが、充電する手段がない以上電池が切れたらそれまでだし、そもそもスマートフォンはアリシャの手に渡ってもう美咲の手元にはない。


「使ってくれてるのか。嬉しいねぇ」


 砂時計を見つめる美咲に気付き、振り返ったアリシャは笑みを浮かべた。いつものからかうような笑みではない。


「私にとっても、大切なものですから」


「お姉ちゃん、ミーヤも触っていい?」


 うずうずしているのを隠しきれない様子で、ミーヤが美咲に尋ねた。

 視線で美咲がアリシャにどうしようか尋ねると、アリシャはにっこり笑って頷いた。許可を出してくれたようだ。

 持ち主の承諾を得たので、美咲はミーヤに砂時計を預けた。


「いいよ。でも、大事に扱ってね」


 ミーヤは美咲に手渡された砂時計を興味津々に見つめている。

 僅かに口を開けて、目をまん丸に見開いて、静かに流れ落ちていく砂を見つめ、時折目を瞬かせていた。

 その様子を美咲は少し不思議に思った。


「砂時計、見たことないの?」


「うん、初めて見た。ミーヤのお家にも無かったし、時間はヴェリートでは鐘の音が知らせてくれたから」


 どうやら、このベルアニアでは、砂時計はあまり広まっていないようだ。

 アリシャは傭兵だから、きっとベルアニア以外で手に入れたのだろう。あるいは、もしかしたらアリシャの故郷ではありふれているのかもしれない。


「ラーダンもそうだね。ベルアニアは村以上の規模だったら大体鐘の音で時間を知る。一バルずつ、詰めている兵士が鐘を叩いてくれるんだ」


 舌っ足らずなミーヤの説明を、アリシャが補完してくれた。

 本当に、美咲は知らないことばかりだ。

 こうして教えてもらわなければ、鐘の音で時間を知るなんていう、この世界の人間であれば知らないはずがないことも知ることはなかっただろう。

 感謝してもし切れない。


「ごめんなさい。お姉ちゃん、全部砂が落ちちゃった」


 すまなさそうな表情を浮かべ、ミーヤがおずおずと砂時計を美咲に差し出してきた。

 どうやら砂時計のことをよく知らないミーヤは、壊してしまったと思ったらしい。

 いつの間にか、一レン経っていたようだ。


「大丈夫だよ。こうすれば、ほら」


 砂時計を受け取った美咲は、ミーヤを安心させようとにこっと笑って、砂時計をひっくり返した。


「わぁ……」


 再び流れ落ち始めた砂を、ミーヤは目を輝かせて見つめている。


「凄い! お姉ちゃん、直ったね!」


(別に壊れてないんだけどなぁ)


 興奮したミーヤが凄い、凄いと連発するので、美咲は尻がむず痒くなるのを感じた。

 もぞもぞと尻を動かしたくなったが、今それをすると痛むので美咲は我慢する。

 前の御者席に座っていたアリシャが振り向き、美咲とミーヤに言った。


「止まるぞ。急停止になるから何かに捕まってろ」


 反射的に美咲とミーヤが御者席の背もたれに手をかけると、アリシャは掴んでいた馬の手綱を操作し、馬車を停車させた。

 ワルナークが不満そうに嘶くのを、アリシャは御者席から飛び降り、撫でて機嫌を取る。


「な、何かあったんですか?」


 目的地である森まではまだまだかかるはずだ。

 何か予想外のアクシデントがあったのかと思い、美咲は心配になった。


「美咲は降りて剣を抜け。ミーヤは馬車の中に」


 余計に訳が分からなくなった美咲とは対照的に、ミーヤは何か悟ったようだった。素早く前の入り口から馬車の中に隠れる。

 不穏な気配に、再び恐怖が頭をもたげる。


「出てこい! 居るのは分かってる!」


 馬車から槍を取り出したアリシャが声を張り上げると、街道脇の木立からわらわらと人間が飛び出してきた。薄汚れた様相に、野卑で下卑た面構えの男たち。どう見ても友好的そうには見えない。

 思わぬ戦いの気配に、アリシャがぺろりと唇を舐めて美咲に囁いた。


「野盗だね。戦争で治安が悪化しているから、街道沿いでもこういう奴らがよく現れる。美咲は馬車を守れ。奴らの相手は私がする」


「ど、どうして人間が同じ人間を襲うんですか。そんなことしてる場合じゃないはずなのに」


「そんなの私が知るもんか。そういう奴もいるってことだろ」


 そう吐き捨て、アリシャは野盗のただ中に飛び込んでいく。

 回りの野盗が反応して武器を構えるが、それよりもアリシャが槍を振り回す方が早い。

 血と臓物を吹きこぼしながら、拉げた肉の塊がいくつも転がり街道を赤く染めた。


「凄い。四、五人をたったあれだけで……」


 改めてアリシャの実力を見た美咲は恐怖が収まっていくのを感じた。

 馬車を背に勇者の剣を構えた美咲に、野盗の一人が近付いていく。

 野盗に気付き、美咲は息を飲む。


(ぶ、武器持ってる……!)


 野盗が持つ白刃に美咲はうろたえた。

 一歩間違えれば死ぬかもしれない。

 アリシャにつけてもらった鍛錬でもそう思ったことはあったが、その時は相手がアリシャだったからか、不思議と安心感があった。

 ゴブリンと戦った時とも違う。あの時は近くにルアンがいたから。いざとなればルアンが助けてくれると思っていたし、そもそも相手が人間ではなかった。


(相手が人間なだけで、こんなに違うの!?)


 なまじ同じ人間だからこそ、分かってしまう。野盗は、美咲に対する明確な悪意を表情に載せて浮かべていた。

 女を見つけたことによる色欲。

 殺戮を実行することによる愉悦。

 強奪で得られる金品に対する期待。

 それらが自分に向けられているという事実に、美咲は例えようも無いおぞましさを感じた。


(こ、怖い……。でも、逃げちゃいけない)


 美咲が守る馬車には、ミーヤが隠れている。

 こんなことになるなら、やっぱり連れてくるべきではなかったと、今更後悔しても遅い。


(は、はやく帰ってきてよ、アリシャさん)


 助けを求める今の美咲に、ミーヤの命を背負って戦う覚悟は無かった。

 それでも、死にたくないという欲求が、美咲の身体を突き動かす。

 ゴブリンとの戦いの時とは違い、多少なりともアリシャの鍛錬で戦い方を覚えていた美咲は、勇者の剣を刃筋を立てて正しく振るった。

 所詮女の細腕と油断したのだろうか。

 美咲の斬撃を己の剣で受け止めようとした野盗は、思わぬ衝撃に体勢を崩してよろめく。

 いっぱいいっぱいな理性の代わりに、本能がここだと告げていた。

 勇者の剣を握り締め、斬り返して野盗を肩から袈裟斬りにする。

 初めて肉を斬り裂いた感触は、酷く生々しかった。返り血を予測する余裕などなく、飛び散った野盗の血が、美咲の身体を赤く染める。

 だが、ここで美咲に誤算が生じた。

 叩き斬ることが出来ず、肩を半ばまで斬り裂いただけで勢いが止まってしまったのだ。

 野盗と美咲の視線が絡み合う。

 激痛が走っているのだろう。野盗の血走った目は限界まで見開かれ、歯も硬く食い縛られている。

 いかなる執念のなせる業か、野盗は、そんな状態でも震える手で剣を振るおうとした。

 それを見た瞬間、美咲は叫んでいた。


「ホォイユ(火よ)ゥ!」


 魔族語だ。それも、今まで美咲が発音した中でも、群を抜いて正確な一言。

 正確であればあるほど、魔族語で引き起こされる事象は威力を増す。力ある言霊は、違えることなく正確に作用した。

 美咲の体中から炎が噴出し、炎は美咲が握る勇者の剣を伝い、傷口に燃え移り野盗の全身に広がる。

 悲鳴とともに、野盗は等身大の松明と化した。剣を取り落としたのか、ガランという何かが転がる音がする。

 同時に、美咲の視界も赤く染まっていた。

 噴出した炎はもはや美咲の全身を包んでいる。

 野盗の肉を焼く炎は魔法の炎だ。美咲の身体を焼きはしない。さながら、美咲を包む炎は、オーラのようだった。

 やがて力尽きたのか、野盗の身体がくず折れた。その身体は、火に包まれていても分かるほど無残に黒く焼き焦げている。

 美咲は新手を警戒し、見回したが、アリシャが遠くで無双しているのか野盗たちの悲鳴が風に乗って流れてくるだけで、抜けてきた野盗は先ほどの一人を除いていないようだった。


「……どうしよう、これ」


 炎を纏った美咲は、間違っても馬車に火を移さないように心持ち距離を取り、困り果てて立ち尽くした。

 ほんのりと風呂に浸かっているような優しい温かさを感じるだけで、別に熱くはないし痛みも感じないのだが、こうなってしまっては下手に動けない。旅人や行商が行き交う街道は硬く踏み均されていて、地肌が露出しているからこそ延焼しないで済んでいるのだ。これが草原だったら大惨事である。

 やがて野盗たちの悲鳴が途絶え、アリシャが戻ってきた。大勢の野盗を斬ったはずなのに、どういうわけかアリシャの身体にはほとんど返り血がかかっていなかった。


「……これはまた、えらい状況になってるね」


 美咲の状況には、さすがのアリシャも開いた口が塞がらないようだった。珍しいことに、アリシャが本気で驚いていた。


「アリシャさん、助けてください」


 困り果てた美咲に、アリシャも我に返り、ついでに調子も取り戻した。


「水でも被ってみたらどうだ。魔族語の練習にもなる。丁度いいから、それらしい文章を作ってみろ」


「うう、アリシャさんはスパルタだぁ」


 助けてくれないどころか、にやにや笑い出して傍観し始めたアリシャに半泣きになりながら、美咲は消火を試みる。


「モォイザァ(水よ)ウユゥ ザァウゾォイュオアゥノ(頭上に落ちろ)ウォトル」


 何とかそれらしい文章を捻り出して、美咲は魔族語をたどたどしく口にした。

 洗面器一杯分くらいの水が美咲の頭上に現れ、美咲を濡らす。

 炎の勢いが少し弱まった。文字通り、焼け石に水である。いや、この場合は焼け美咲に水とでもいうべきか。


「……消えないんですけど」


「発音が悪い。単語の選択も良くないな。私ならこうする。モォイザァ(水よ)ウユゥ モォイセェアコゥオタ(美咲を包め)ァウタミィ」


 滑らかなな発音でアリシャが魔族語を口にすると、美咲の全身は巨大な水玉に包まれた。

 魔法で生み出した水なので、息苦しくはあるが完全に呼吸が出来ないということもないし、過度に冷たく感じることもない。ただ、突然のことなので美咲はアリシャに抗議の声を上げた。


「がぼがぼがぼ!」


「はっはっは。何を言ってるのか分からないよ」


 美咲の抗議を聞き流したアリシャは、美咲の身体を包む炎が完全に鎮火するのを見届けてから魔法を解いた。


「うう、酷い目に遭った……」


 よほど吃驚したのか、美咲は解放された途端その場にへたり込んだ。

 戦闘の物音がしなくなったことに気付き、馬車から恐る恐るミーヤが顔を覗かせ、安全であることを確信すると馬車から飛び出してくる。


「お姉ちゃん、大丈夫!? 怪我してない!?」


「大丈夫だよ、ミーヤちゃん」


 にっこり美咲が笑うと、何故かミーヤはきょとんとした顔で美咲を見上げ、目を丸くした。


「……どうしてお姉ちゃん服着てないの?」


 不思議そうなミーヤの質問に、美咲はようやく自分が鎖帷子を纏っただけの素っ裸であることに気付いた。あろうことか、服も防具もそれ以外は全て焼け落ちてしまっていた。

 全裸に鎖帷子だけ。まるで変態である。

 美咲の顔が紅潮した。


「な、な、な、何で私こんな格好になってるの!?」


 両手で身体を隠し、美咲は悲鳴を上げて馬車に駆け込む。

 背後から慌てて自分を呼ぶミーヤの声と、堪えきれずに爆笑するアリシャの笑い声が聞こえた。


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